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第4章 RONDO-FINALE

op.16 春風吹き渡る時(5)

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『ルートヴィヒ様が現在のヴィクトル様が当主に足るか否かを追求してくるのは間違いないと思います。……それについては私からも詳しく聞かなければならないと思っていたのですが、宜しいでしょうか?』

 フォルトナーの声音がやや固くなる。

「……分かっている」

 息をついて、ヴィオも答えた。

 本来であれば存在しなかった、ヴィオを追及するにちょうどいい案件が今は存在する。そしてその原因を作ったのは他ならぬヴィオ自身だ。

 後悔はしていない。

 だけどリチェルの事が明らかにこの場では弱みになるのも、避けようの無い事実だった。

 実際ルートヴィヒ達と違い表向き詰ることはないものの、フォルトナーの声にはかすかに非難が混じっている。
 ソルヴェーグからフォルトナーには一通り説明していると聞いてはいるが、フォルトナーはソルヴェーグと比べると合理的な思考の持ち主だ。ソルヴェーグは幼い頃からヴィオを見ているからかヴィオにやや甘いところがあるのは事実で、対してフォルトナーにそれはない。

 落ち着いて事の次第を話し始める。
 隠し立てするつもりはなかったから、必要なことはほぼ全てだ。
 
 フォルトナーはヴィオの話に口を挟む事なく黙って聞いていたが、やがてヴィオが話し終えると顔を伏せたままヴィオの前から離れた。そのまま近くの家具に手をつくと、長い長いため息を吐き出した。

「…………よりにもよって、ハーゼンクレーヴァー…………」
「……認知はされていないが」
「されてないから問題なんでしょう……っ。初めから認知されているなら、そこまで問題にはなりません。普通に考えてあの氷の貴婦人が庶子を認知することなんてありえないでしょうが、実際に血の繋がりがあるなら時勢を見て利用することは可能です。率直に言って接点を持つ相手とポイントが最悪だと申し上げてるんです」

 政治上の駆け引きはあの家の得意分野ですし、と頭痛を堪えるようにこめかみを抑えて『それで』とフォルトナーは続ける。

「結局孤児を買ったというのは事実無根なんですね?」
「あぁ。引き取りはしたが金銭のやり取りはない。クライネルトの当主には名乗っているが名は伏せてもらえるよう頼んでいるし、話した印象では口が軽い御仁にも見えなかった。漏れたとすれば恐らく夫人か息子だろうが、どちらにせよマイヤーの反応を見る限り確証のある情報を得ているとは考え辛い。先に頼んでいたことは調べてくれたか?」
「道中の宿のことですね。確認しましたよ。ヴィクトル様とお連れの方の事を確認しに来た人間はいなかったようです。外れの宿を好んで取っていたのが幸いだったのか、お連れの方が男装されていたのが良かったのか。どちらにせよ運が良かったですね」

 呆れたようにため息を吐きながらも、フォルトナーが淀みなく答えた。ボヤいていても、この優秀な執事はきちんと調べてくれたらしい。

「ヴィクトル様をマイヤーの手勢が確認したのはリンデンブルックで、それまでの道程でお二人が一緒にいたことを確認できる証拠はない。つまりお連れの方の出自を証明できるものはないと判断して良いと思います。先の席で、孤児を引き取ったという話は肯定していませんね?」
「あぁ」

 証拠がないなら肯定する必要はない。マイヤーがどの程度証拠を引っ張ってこれるか分からないからはぐらかした部分はあるが、どちらとも取れるように答えている。

「孤児ではなく有力者の令嬢を訳あって預かっていたというのは、まだ何とか言い訳はたちますが、流石にリンデンブルックで出会ったとは誤魔化せないですね」
「……そうだな」

 リチェルに関して、マイヤー側だけの情報であれば誤魔化しもきいただろうが、恐らくルートヴィヒからの依頼で動いたフリッツ達が仔細を報告しているだろう。
 
 ヴィオとリチェルが一緒に宿にいたことは確実に知られている。
 つまりルートヴィヒの認識ではリンデンブルックに至るまでの数日は一緒にいた、という認識だ。その距離ははっきりしないし、リンデンブルック出立以後一緒にいた事は知られていないだろう。
 
 マイヤーは知っているだろうが、それを報告すれば以後のヴィオの消息を掴んでいた事が分かってしまう。

「まぁ、今必死で考えても仕方ありませんね。マイヤーが把握している情報を掴んでいって、対抗策を考えましょう」
「そうだな。すまない、恩にきる」

 本来であれば不要な苦労をかけている自覚はある。素直に謝ると、フォルトナーは『構いませんよ。それも仕事の内です』と飄々と口にして、それより、とやや固い声を出した。

「……その、ヴィクトル様はその女性を、伴侶としてご所望なんですよね?」
「あぁ」

 話題の転換に一瞬何の事かと思ったが、迷いなく答える。ヴィオの淡白な返事にフォルトナーは顔を伏せて、『……そうですか』と深いため息を吐き出した。

「一応釘を刺しておきますが、事が収束するまで絶対に周りに悟られないようにしてくださいね」

 その一言が意外でヴィオは何度か瞬きをして、目の前の執事を見た。

「……何ですか?」
「いや、お前は絶対に反対すると思っていたから」
「それはもう反対したいですよ、心から」

 即答して、ですが、とフォルトナーがため息をつく。

「その事を、他でもない貴方が分かっていない訳がないでしょう」

 苦い顔でフォルトナーが絞り出す。

「貴方が迷いなくそれを口にするまでに、何をどれだけ考えたかくらい想像がつきます。今議論をしたとて、その内容は御身の過去の思考をなぞるだけになる。ハッキリ言って時間の無駄です。だから今は私も呑み込みます。ただ現時点で応援はできませんから、あくまで立場は中立とさせて下さい」

 それはこの執事としては十二分の譲歩だろう。ポカンとしてフォルトナーを見ていたが、ふっと力が抜ける。

(本当に、有難いな──)

 ソルヴェーグといい、フォルトナーといい、どうしてこうも自分の勝手な気持ちに寄り添ってくれるのかと不思議に思う。

「いや、十分だ」

 次いで、ありがとう、と溢した言葉に今度はフォルトナーが毒気を抜かれたようにヴィオを見る。その表情がふっと表情を和らぐ。

「ヴィクトル様は、変わられましたね」

 独り言のようなささやかな声でフォルトナーが溢した。

「そうか?」
「えぇ。出過ぎた事ですが、実は少し心配していたのです。御身が爵位を継ぐまで、本来であればもっと時間があったはずですから。いつかは継ぐと分かっていることと、ある日急にその重責を負うことは全く別の話です。帰ってきた貴方が思い詰めていらっしゃった時はどうすべきかと思っていたのですが──」

 フォルトナーがヴィオを見て微笑む。

「どうやら杞憂だったようで安心しました」
「…………」

 机に置いたままの手に視線が落ちる。その手を握りしめた温もりを思い出すようにかすかに握りしめて『あぁ』とヴィオは頷いた。


『──どうか貴方の道行きが幸いでありますように』


 ささやくような少女の祈りが心に温かな熱を灯す。それはまるで明るい光が差すようで、目を伏せると『大丈夫だよ』とヴィオは穏やかに口にした。

「それに、何も一人でやる訳じゃないからな。ここにはお前もエレオノーレもいるし、じきにソルヴェーグも帰ってくる。協力してくれるんだろう?」

 ヴィオの言葉に何を今更、と言うような表情をフォルトナーが浮かべた。

「当然でしょう。この家の主人は貴方ですよ」
「それを疑いもなくお前が言ってくれるのは有難いな」

 やる事は山積みだが、今後についてある程度整理はついた。それならようやく、もう一つの大事なことに気を回せる。


「フォルトナー。それで、母上の容態だが──」

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