浮気され離婚した大公の悪役後妻に憑依しました

もぁらす

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14話『トルネアへの道すがら』

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「……そろそろ休憩にいたしましょう」

御者台からグレイの声がして、馬車がゆっくりと止まった。

うとうとしていたレオニスの頭が、膝の上でわずかに動く。

私が声をかける前に、彼はふと目を開けて、軽く瞬きをした。

「着きましたよ」

そう言おうとした瞬間、レオニスは静かに身を起こし――次の瞬間、何も言わずに私の身体を抱き上げた。


「えっ、ちょっ、えぇ!?」

「歩けないだろう?」


低く短い言葉。
毎度ながら……感覚がない。


「そうですけどっ!」


抗議しようとしたけれど、そのまま扉の外へ出た瞬間、夜の冷たい空気に包まれて、言葉が喉の奥で止まった。

外はすっかり暮れていて、街道沿いの小さな休憩所に焚き火の灯が揺れている。
馬の吐息が白く、夜霧がほのかに立ちこめていた。


腕の中のレオニスは、無言のまま歩を進める。
私が少しでも身じろぎをすれば、その腕に力がこもるのがわかる。


「少しすれば……自分で歩けますから」

「そうか?」

そう言いながら、彼は離さなかった。


そのまま休憩所の前に着くと、ようやく私をそっと下ろしてくれた。
温かな手の感触が、離れたあともしばらく残っている。


や、やりづらいなあ、もう。



レオニスが私を下ろすと、「少し見てくる」とだけ言って、馬の様子を確かめにその場を離れた。

冷たい夜気の中、私は石の腰掛けにそっと腰を下ろす。

火の粉がぱちぱちと弾け、灯火の橙が足もとを淡く照らしていた。

その場に残ったのは私とグレイだけになった。

焚き火の光がゆらゆらと揺れて、あたりには馬の鼻息と、薪のはぜる音だけが響いている。


「お顔色が、良くなられましたね」

「え?」


不意に声をかけられて振り向くと、グレイは湯気の立つカップを差し出しながら、意味ありげに微笑んでいた。


「ここ数日、レオニス様はほとんどお休みになっていませんでしたから」

「……」

「ですが今日は……ぐっすりと。おそらく久しぶりに“安眠”されたのでしょう。安心しました」


「……何が言いたいの?」

「いえ?」


その一言だけを残す。

穏やかな微笑み。

焚き火の灯が彼の横顔を照らし、その微笑みがどこか“すべてお見通し”のように見えて、私はなんとなくカップを持つ手に力を込めた。


「グレイって……何歳なの?」


ぽつりと聞くと、湯気の向こうで彼がきょとんと瞬いた。
焚き火の光が頬を照らして、いつもより柔らかい顔をしている。

──黒髪にほのかな白い光が混じって、整ってるけど落ち着いてる。

背筋が伸びていて、手の動きがやけに丁寧。

(……若いわよね? 三十手前くらい?)


「三十六です」

「え、意外といってた」


思わず口をついて出ると、グレイは小さく笑った。


「レオニス様とは、もう長い付き合いですので」


にっこり。と。

なにその笑顔胡散臭い。


「何でもわかってる顔してるわよね」

「奥様よりは」


どーゆー意味よ!!

知ってるわよ、原作読んでたんだから!!


「グレイって、レオニスとはいつから一緒に?」


何気なく聞いたつもりだった。

けれど、カップを口に運んでいた彼の手が、ふと止まる。

焚き火の火が、ぱちりと弾けた。



「もう、二十年ほどになります」

「そんなに……?」

「ええ。北部の前線都市で軍を率いておられた頃からです」


遠くを見るような目をして、グレイは淡く笑った。


「当時の殿下は、よく笑うお方でした。身分を隠して兵舎に現れては、若い兵たちと一緒に食堂で飯を食べ、剣を振り……雪の降る夜にも、灯り一つで報告書を読んでおられた」


(……想像通りの堅物だ)



「それが今のように、あまり笑わなくなられたのはいつ頃か……」

「あ、元々ああじゃなかったの」

「リディア様とご結婚なされてからですね」


う、わー。童貞のこじらせ愛ですか。


「好きすぎて笑えなくなったんじゃない?」

「そう思われますか?」

「そうじゃないならなんなのよ」


こちとら原作知ってるんだからね!?(2回目)




「ところで――奥様は、一体何者ですか?」


突然の切り込みに、手が止まった。
焚き火の音だけがやけに大きく聞こえる。


「……な、何を言ってるの?」

「いえ」


グレイは穏やかな微笑を浮かべたまま、こちらをじっと見つめた。

その瞳の奥が、鋭く光る。


「私の知るセレーネ様とは、ずいぶんと……変わられたように見えまして。まるで――別人のように」


背筋がすっと冷たくなる。


「わ、私は私よ」

「そうでしょうか。以前の奥様は、あれほどまでにレオニス様にご執心でいらしたのに」

「……心変わりなんて、誰にでも起こるでしょう?
あんな扱われ方してれば、誰だって愛想尽きるわ」

「まあ、確かに」

グレイは唇の端をわずかに上げて、湯気の向こうで静かに笑った。


「それが――功を奏したのですね」

「……は?」

「ローレンス家のご援助は、喉から手が出るほど有難いものでした。ですから、お二人のご関係が円満であればあるほど、私としては助かります」


焚き火がぱちりと弾ける。


「……なんなのよそれ。遠回しに何言ってるの?」

「奥様」


グレイは丁寧に一礼し、声を落とした。


「お二人が“微笑ましく”見えるという話です」



おっさん、何ゆうとんじゃい。




「残念だけど、その未来はないわ」


火の粉がぱち、と弾けた。
私の声はそれに紛れて、夜気の中に溶ける。

グレイの穏やかな笑みが、わずかに揺らいだ。


「……そんなことを言わずに」

「私がどうこう出来る問題じゃないのよ」


唇を噛み、焚き火を見つめる。
その橙の光が、私の顔を硬く照らしていた。


「まるで――未来を知っておられるような物言いですね」

「だとしたら?」



沈黙。
ふたりの視線が交錯し、炎のはぜる音だけが響いた。

その時。



「――随分と仲がいいんだな」


低く響く声に、空気が張りつめた。
振り向くと、レオニスが焚き火の向こうに立っていた。

外套の裾を風に揺らし、目だけが夜の光を映している。


機嫌悪そうすぎてびっくりする。



「大公様」


グレイが静かに立ち上がる。 


「奥様に、旅の疲れを癒やしていただいておりました」


穏やかな口調。

まるで張りつめた空気に水をさすように、彼の声が焚き火の音に溶けていく。


レオニスは黙ってグレイを一瞥し、「そうか」とだけ答えて視線を私に戻した。


「足はもう大丈夫か?」  


表情は相変わらず無愛想なのに、その声音の奥には、
ほんのわずかな安堵が滲んでいる気がした。 



「えっ?ああ、だ、大丈夫」

「のこりの道はもう不要だ」

「あ、いいの?」

「……」


わずかに眉を寄せたその顔は、どう見ても“良くはなさそう”で。

なのに、どうしてだろう。

そんな彼が少しだけ人間らしく見えて、思わず笑ってしまった。


「じゃあいいのね」



ちょっと意地悪にそういうと、すごく悲しそうな顔をするから。



「痩せ我慢するなら言わなきゃいいのに」



結局私は、残りの道中も足を痺れさせるのだった。


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