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39話『物語の歪み』
しおりを挟む民衆が憧れの視線を向ける中、リディアは完璧な貴婦人の笑顔を作りながら鍋に近づく。
「どうぞ、よかったらリディア様も召し上がってください」
レオニスから離れ、私はリディアかけ寄り炊き立てのスープを差し出した。
彼女はふいに顔を寄せ、私にだけ聞こえる声で囁いた。
「……こんな、家畜の餌のようなものを?」
「…………え?」
あまりの言葉に、私の手がぴたりと止まった。
けれど次の瞬間には、リディアは民衆へ向けて「さぁ、皆さま遠慮なさらず」と優雅に微笑みかけていた。
……今の、なに?
私がぽかんとしていると、リディアはくるりと振り返り、控えめにお腹へ手を添えた。
「……わたくし、腹に子がいますので。強い香辛料の料理は避けておりますの」
「っ……そ、そうでしたね!……すみません」
そうだった。と
ごめんなさい、と慌てて頭を下げる。
が——その下をくぐるように、リディアの目がすっと細くなる。
そして、再び私にだけ聞こえる声で囁いた。
「……この子は、レオニスの子なのです」
……え?
「えっ…………?」
私の声は完全に裏返った。
けれど周囲の民衆は皆、炊き出しの列に夢中で誰も気づかない。
リディアの顔は終始、聖母のように穏やかな微笑のままだ。
「事情がありましてね……まだ、公にはできないのです」
「じ、事情……」
「ええ。そして……あなたなら、わかってくださいますわよね?」
…………待って待って待って
情報量が多い。
ていうか……さらっと……そんな重要なこと言われても……。
「そ、そうなんですね……っ」
私はとりあえずそれしか言えなかった。
リディアは満足げに微笑み、ゆっくりと民衆の前に立ち直る。
一方の私はというと——
え?
え?
どゆこと?
ストーリー……変わったの……??
脳内であらゆる情報がぐるぐる回り、ひたすら眩暈だけが強くなる。
ええ?
私は、そっと首を傾げた。
……なんだろう。どこか、しっくりこない。
でも——既に私の知っている原作通りには進んでいない。
私がこの世界に来てしまったせいなのか、物語は全く本筋からは逸脱している。
夜会イベントは起きなかったし、この場所にだって本来ならば来る事はなかった。
何かが起きていてもおかしくない。
むしろ、何かが“起こるように”仕向けられている感じがする。
だけど……物語の“強制力”は絶対に働くはずだ。
どんなに変わったように見えても、物語の根幹は、原作の結末に戻ろうとする。
私が死ぬ未来——あの断罪の場面。
首筋がふるりと震える。
リディアのお腹の子の父親がレオニスであること。
街の空気。
そして、あの理不尽な視線と投石。
どれもこれも、まるで“セレーネが追い詰められていく”ための材料みたいだ。
この世界は、私を死へ連れて行こうとしている。
原作に沿って。
筋書きに従って。
私が“悪役として”散る未来へ。
“決められた終わり”に向かって、世界がじわじわと形を整え始めている。
肺の奥が冷たくなる。
心臓がざわつく。
私は——かならず死ぬ。
そう思った瞬間、脚の力が抜けそうになり、湖の風よりも冷たい恐怖が背骨を撫でた。
……いやだ。
そんなの、絶対いやだ。
なんとか、この結末から逃れないと。
死にたくない。
私は、胸の奥でそっと拳を握った。
ざわつく民衆のなか——リディアが優雅に歩み出て炊き出しに手をつけると、空気がまたぱっと変わった。
「リディア様が……」
「炊き出しを自ら……?」
——と、民衆が口々に囁き合う。
リディアは満足げに微笑む。
……まぁ、リディアの功績にしてもいいか……
レオニスとリディアの邪魔をしちゃった……私の償いにもなるし……
そう思ったその瞬間だった。
レオニスが一歩、前に出てきた。
そして深く、静かに……呆れたようにため息をついた。
「さっきから何を言ってるんだ?炊き出しを命じたのはリディアではないだろう」
その声に広場が、しん……と静まり返った。
そして、リディアの笑みがぴたりと止まった。
レオニスは迷いも焦りもなく、ただ事実を述べるように言った。
「すべては——」
ぐい、と。
メイド服を着ていた私の腕を掴み、そのまま胸元へと抱き寄せた。
「——わたしの妻、セレーネがやったことだ」
…………あれえええ!?
領民達がどよめいた。
「ちょ……っ……!?!?」
レオニスは気づいていないのか、気づいていてやってるのか、スンとした顔で続ける。
「リディア、リディアと……」
周囲を見渡しながら、本気で不思議そうに眉をひそめ——
「リディアはもうエルバーン家とは関係ないだろう?」
うっ……わぁ……
レオニスは私を抱いたまま、私の服装に目を向ける。
「……で?」
「え……?」
少し目を細め、喉の奥で笑うように声を落とす。
「俺がメイドのおまえに欲すると思ってその格好をしているのか?」
「は?」
何言ってんだコイツ。
レオニスは私の腰に手を添えたまま、平然と続ける。
「まあ確かに……その姿はそそるな」
レオニスはそう言うと私の頬をすくい上げ——
ふ、と。
公衆の面前で。
額に、やわらかくキスを落とした。
しぬっ……恥ずかしくてしぬっ……!!
レオニスは満足げに目を細め、私の耳元でひっそり囁く。
「……腹が減った、俺にもその炊き出しをくれ」
「あっ、えっ」
「おまえも昼はまだだろう?」
「あ、は、はい……」
広場は騒然としていた。
***
私が差し出した木椀をレオニスは片手で受け取り、立ち昇る湯気へそっと目を細めた。
「……いただこう」
そのまま口をつける。
レオニスの喉が、一度、静かに上下した。
そして。
「……美味いな」
ぽつりとこぼれたその声は、柔らかい。
どうやらご機嫌なようだ。
「さすが、うちのシェフだな」
その一言に、胸がじんわりと温かくなる。
レオニスは私の皿へ視線を落とす。
「暖かいうちに食べた方がいいぞ」
「は、はい……」
私も椀を持ち直し、隣に座り込む。
視線を上げると、レオニスが外套を脱ぎながら、ふっと口角を上げた。
「……よく、連れ出せたな」
「え?」
「料理長も、メイドたちも。全員をここまで連れてきたのだろう?」
「あ……えっと……まあ、その……」
褒められるつもりなんてなかったから、胸がくすぐったくなる。
「プライドの高い料理長が、こうして屋敷を出てくるとはな」
「……快く引き受けてくれましたよ?」
「いや」
レオニスは目を伏せ、ゆっくりと言った。
「おまえの功績だ」
そう言って、脱いだ外套を私の肩にかけてくれた。
「じっとしていては冷えるから着ておけ」
その声音は、静かなのに心にまっすぐ刺さる。
私は慌てて照れを誤魔化すようにスプーンを口に運んだ。
広場では、子どもたちの笑い声が響いている。
けれどここだけ、ぽつんと人の気配が薄く、風が通り抜けていく。
レオニスはふと子供達に目をむけた。
「……子供たちを見ると、胸が痛む」
「レオニス……」
「だが——」
レオニスは私の方へ顔を向ける。その瞳は、湖の色より深く静かだった。
「今日はその痛みが少し和らいだ」
心臓が一度大きく跳ねる。
「わ、私はただ……できることを……」
「それで十分だ」
レオニスは私の髪を風から庇うように手を伸ばし、そっと触れた。
「セレーネは……」
言葉は続かなかったけれど。
それだけで何故か胸がいっぱいになる。
「……ほら、冷めるぞ」
「あ、はいっ」
2人で並んで座り、同じスープをすする。
まるで、世界が静かにふたりだけになったような、そんな甘いひとときだった。
木椀を置いたレオニスが、ふっと視線を遠くへ向ける。
「……午後は、俺も復旧作業を手伝ってくる」
凛とした横顔。
大公としての顔に戻ったその瞳は、迷いなく前を見ている。
「おまえは——屋敷に戻って休んでいろ」
当然のように言われて、私はキョトンとしてしまった。
「……え?」
「疲れただろう。今日は朝からずっと動きっぱなしだったんじゃないのか?」
「い、いえ! まだ炊き出しが行き届いてないはさ……夕食の炊き出しの準備もしないといけませんから!」
思わず前のめりに言い返していた。
レオニスは一瞬だけ目を丸くし、それから……ふっと口元を緩めた。
どこか誇らしげな顔のように見えた。
「……そうか」
短い言葉なのに、心臓が跳ねる。
「無理のないように」
胸の奥がじんわり熱くなる。
レオニスはゆっくり立ち上がると、
「では——また夕食を一緒に食べよう。その頃にまたここに来る」
「……っ、はい!」
たったそれだけの約束なのに、胸がいっぱいになってしまった。
風が頬を撫でる。
その場を離れていくレオニスの姿を目で追いながら――私は、自分の胸の内の高鳴りをごまかすように、両手でエプロンの裾をぎゅっと結び直した。
「……よし!」
誰に聞こえるでもなく小さくそう呟き、私は再び炊き出しの中へ走って戻っていった。
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