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48話『父来訪』
しおりを挟む「あーーーやっばーーーい……! タルト、めちゃくちゃ食べちゃった……!」
味見のはずが、つまみ食いをしすぎた私はお腹を押さえて食堂を出た。
(まあでも……みんな喜んでくれるはずよね!
子どもも大人も、お腹いっぱい幸せになってほしいし!)
そう自分に言い訳しながら、部屋へ戻る。
テラスへ出ると、午後の日差しがほんのり暖かい。
湖はここから直接は見えないけれど、針葉樹の隙間からこぼれる光の奥に、青白く揺れる水面だけが見える。
(綺麗だなあ……)
そこからは想像もできなかった。屋敷のあるこの高台から被災地の様子は見えない。
ただ、静かで穏やかな自然だけがそこにある。
炊き出しに並ぶ人々の顔が一瞬よぎる。
やっぱり私も……
胸がきゅっと痛んで、手すりにそっと手を置いたその時――
「……奥様」
背後から落ち着いた声。
振り返ると、グレイが慎重な面持ちで立っていた。
「お父上が……到着されました」
「……あ」
一瞬にして、胃がキュッと縮む。
タルトで満たされたお腹が、一気に緊張で冷たくなった。
ついさっきまで“陽だまりタルトおいし~”と浮かれていた自分にビンタしたい。
私は深呼吸をひとつ。
「……うん、行くわ」
玄関ホールへ続く廊下は、外光を受けて白く輝いていた。
足が勝手にすくむ。
胸の奥が、きゅーっとゴムのように縮んでいく。
(何しに来たの……?怒ってる?)
頭が混乱の中、重厚な扉の向こうで 馬車の車輪が止まる音 が低く響いた。
一瞬の静寂。
次いで、護衛たちの声が遠くでこだまする。
そして。
ゆっくりと――扉が開いた。
冷たく澄んだエルゼリアの風が流れ込み、外の光を切り裂くように ひとりの長身が姿を現した。
「…………っ」
思わず息を呑む。
鋭い銀縁メガネ。
無駄のない、軍服風の近代スーツ。
背は高く、影が長く、歩みは迷いなく美しい。
アーヴィング・ローレンス候。
帝国の財政を動かし、鉄道網を敷き、貴族社会にとっては“異端児”でありながら庶民と技術者から“救世主”と崇められる男。
そして――セレーネの父。
想像よりはるかにかっこよくて驚いた。
玄関に足を踏み入れた瞬間、屋敷の空気が張り詰める。
近くにいた従者たちが、まるで反射的に背筋を伸ばす。
圧が違う。
地位でも肩書きでもない、“存在感”そのものの重さだ。
アーヴィングの視線がゆるりと動き、私を見つけ――微かに、眉が和らいだように見てた。
「……セレーネ」
その声は思ったよりもずっと柔らかくて、胸の奥が不意に熱くなる。
でも次の瞬間、彼は屋敷をぐるりと見回し、冷徹な投資家の目に戻った。
「ふむ。想像していたより、状態が悪いな。……やはり北部は対策が甘い」
(ひぇええええええ言ってることが辛辣……)
私が縮こまっていると、父はやや急ぎ足で近づき、小さく咳払いした。
「セレーネ。元気そうで良かった」
そのひと言には、圧がない。
ん……?
私は一瞬呆けて、それから慌てて姿勢を正す。
「お、お父様……!その……遠路はるばる……」
アーヴィングは表情を変えず、淡々と言う。
「娘のためだ。帝都から北部までの距離など些事である」
…………んん?
背後で控えていたグレイが前に出る。
「ロ、ローレンス候閣下……!エルゼリアへようこそお越しくださいました……!」
アーヴィングは軽く頷き、まるで“数字を見るように冷静な目”でグレイを一瞥した。
「君が……エルバーン家の従者か。娘を守ってくれていると聞いた。助かる」
グレイは一瞬で顔が真っ青になり、背筋をさらに伸ばした。
怪我のこと言ったら殺されそう……かも。(グレイが)
「……どうして急に、エルゼリアに来たの?」
私が話を逸らそうとそう尋ねると、お父様は私から目を逸らした。
え?なんで?
質問には即答する合理主義の塊みたいな人なのに。
その“ほんの一拍”を見逃す私ではない。キリッ
お父様は咳払いして、いつもの“仕事モードの顔”を作った。
「……北部の状況を、直に確認する必要があった」
「え?」
「竜骨山脈の地下水脈調査の報告が不十分だった。帝都としても北部鉄道の延伸は早晩検討せねばならん。その下準備だ」
(本当……?)
お父様はさらに早口で続ける。
「加えて、水害後の物流の滞りも問題だ。湖畔の地盤調査も……まあ、視察しておく価値がある」
(視察って……このタイミングで?)
そこへ――
カツ、カツ、とリズムよく響くヒールの音。
屋敷の玄関ホールに、ふわりと甘い香りが流れ込んできた。
「――嘘ばっかり言って」
その声に私は思わず視線を向けた。
陽光に照らされて、わたしと同じビンテージゴールドの巻き髪がゆらめく。
どこに立っていても視線を奪う、 私の母――イザベラがそこにいた。
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