浮気され離婚した大公の悪役後妻に憑依しました

もぁらす

文字の大きさ
59 / 63

58話『天賦』

しおりを挟む
 

 被災地に入ると、崩れかけた建物の間を縫うように、ローレンス家の職人たちが補修作業を進めていた。

 街道の補強、橋梁の再建。
 最新式の測量器具、鉄骨の搬入——そのどれもがローレンス家の圧倒的技術力を物語っている。

 アーヴィングは黙って視察を続けていたが、俺は作業風景を見つめながら、ゆっくり口を開いた。

「……ローレンス家の技術は、やはり素晴らしい。
 今はその力を借りて復旧が進んでいますが——」

 アーヴィングが横目で俺を見る。

「この街が本当に立ち上がるのは、この土地の人間が、復興を“自分たちの手で成し遂げた”と感じた時だけです」

 アーヴィングの眉がわずかに動いた。

「外から与える支援は、必要です。
 ですが、それだけでは人も土地も育ちません」

 俺は瓦礫の山の向こうで、汗を流しながら働く若い職人たちを見つめた。

「彼らは今、ローレンス家の補修技術に触れている。
 この経験は、必ず未来へ残ります。
 数年後には、この土地の職人たち自身が復興の中心になっているはずです」

「……地方自立型の再建、か」

 アーヴィングが小さく呟く。

「はい。
 そしていずれ——この街で培われた技術を、帝国全土へ派遣できる体制を作りたい」

「あの技術を、“外へ出す”というのか?」

「ええ。
 ローレンス家の技術を模倣するだけでなく、彼ら自身が“自分たちの成功例”として誇れる技術を持つべきです」

 俺は続けた。

「災害はどこで起こるかわからない。
 どの地方にも“復興の担い手”が必要です。
 この街が、そのモデルケースになれると考えています」

 アーヴィングの表情が僅かに変わる。
 驚きと、興味と、そして——評価。

「……なるほど、エルバーンの民を育てるというのか」

「はい。
 ローレンス家が支援を続けるのではなく、地方が地方を助け合える帝国を作りたいのです」

 その瞬間、アーヴィングは息を呑んだ。

「……権力強化ではなく、育成ということか」

 俺は首を縦に振った。

「ローレンスの技術は、国を救う武器になります。
 ですがそれを永続的な力に変えるには——各地が自立し、互いを支え合う自立が必要です」

 アーヴィングはしばらく沈黙し、やがて深く息を吐いて言った。

「……君は本当に、大した器を持っているな」

 その声には、もはや戸惑いも疑いもなかった。







 午後三時。
 復興作業も一段落し、職人や兵士たちがいっせいに手を止め始めた。

「さて、休憩だな」

 アーヴィングが腕時計をちらりと見た瞬間——広場の端から、香ばしい甘い香りが風に乗って流れてきた。

「……ん? なんだこの匂いは」

 エルバーン家の使用人たちが大きな籠を抱えて現れ、作業員たちへ次々と焼き菓子を配り始める。

 丸くてこんがりと焼けた、小さなタルト。
 表面には淡い金色のシロップがつややかに光っている。

「甘さが疲れた身体に染みる美味さだ……!」

「うまっ……! 何だこれ!」

 職人たちがざわつき、目を丸くして食べ始めた。

 アーヴィングもひとつ手に取り、じっと見つめてから一口かじる。

「……っ!? これは……」

 明らかに驚いた顔だ。

 砂糖の甘さだけではない、果実の酸味と香りがふわりと広がる。

「エルバーン家の菓子職人は、いつからこんな腕を……?」

 アーヴィングが不思議そうに呟くと、横でタルトを口にした俺も目を見開いた。

「……驚きました。
 焼き立ての香りが、これほど上品に仕上がるとは……」

 使用人が、軽く頭を下げながら言う。

「失礼いたします。それ、セレーネ様のご発案でして」

「——え?」

 アーヴィングの手が止まり、俺も振り返った。

「セレーネが……これを考えたのか?」

「はい。
 “復興作業は体力も気力も使うものだから、甘いものを少しでも”と。
 それに、外で食べやすいよう小さくまとめて、と」

 アーヴィングと俺は同時に息を呑んだ。

「……ですが、子ども達にも大人気でして……まったく数が足りなくて困ります」

 使用人が困り顔で笑うので、俺は思わず吹き出した。

「そうか。……ならば、専用の作業場を作ろう」

 即断の声に、横で控えていたグレイが目を丸くする。

「作業場、でございますか?」

「ああ。
 あの味が安定して供給されるのなら、復興現場だけでなく街全体の活気にもなる。
 材料の保管庫と簡易厨房を併設した施設を——すぐに用意してくれ」

「はっ、承知しました!」

 グレイが駆けていくと、隣でタルトを二口目に運んでいたアーヴィングが、感心したように唸った。

「……ほう。では私も乗せてもらおうか」

「……ローレンス侯が?」

「当たり前だろう。
 あの子に、こんな才能があったとは思わなかった。
 ならばローレンス家として、最大限の支援をするのは当然だ」

 アーヴィングはまったく迷いのない顔だった。

 政治や計算ではなく、ただ娘の能力を誇る父の顔だ。

 俺も思わず微笑む。

「……ありがとうございます。セレーネも喜ぶと思います」

「うむ。あれは昔から気の回る娘だが……ここまでとはな」

 二人が柔らかく笑い合う。




 ——その時。

 少し離れた場所で子どもたちの様子を見守っていたクライヴが、わずかに首を傾げて2人を見ていた。

 青灰色の瞳が、明らかに訝しげだ。



(……昔から気が回る?)



 クライヴの眉が、ほんの少しだけ寄る。



(悪知恵には頭が回るとは思っていたが……あのセレーネお嬢様が?……やはり……おかしい)




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢が美形すぎるせいで話が進まない

陽炎氷柱
恋愛
「傾国の美女になってしまったんだが」 デブス系悪役令嬢に生まれた私は、とにかく美しい悪の華になろうとがんばった。賢くて美しい令嬢なら、だとえ断罪されてもまだ未来がある。 そう思って、前世の知識を活用してダイエットに励んだのだが。 いつの間にかパトロンが大量発生していた。 ところでヒロインさん、そんなにハンカチを強く嚙んだら歯並びが悪くなりますよ?

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

図書館でうたた寝してたらいつの間にか王子と結婚することになりました

鳥花風星
恋愛
限られた人間しか入ることのできない王立図書館中枢部で司書として働く公爵令嬢ベル・シュパルツがお気に入りの場所で昼寝をしていると、目の前に見知らぬ男性がいた。 素性のわからないその男性は、たびたびベルの元を訪れてベルとたわいもない話をしていく。本を貸したりお茶を飲んだり、ありきたりな日々を何度か共に過ごしていたとある日、その男性から期間限定の婚約者になってほしいと懇願される。 とりあえず婚約を受けてはみたものの、その相手は実はこの国の第二王子、アーロンだった。 「俺は欲しいと思ったら何としてでも絶対に手に入れる人間なんだ」

うっかり結婚を承諾したら……。

翠月るるな
恋愛
「結婚しようよ」 なんて軽い言葉で誘われて、承諾することに。 相手は女避けにちょうどいいみたいだし、私は煩わしいことからの解放される。 白い結婚になるなら、思う存分魔導の勉強ができると喜んだものの……。 実際は思った感じではなくて──?

「一晩一緒に過ごしただけで彼女面とかやめてくれないか」とあなたが言うから

キムラましゅろう
恋愛
長い間片想いをしていた相手、同期のディランが同じ部署の女性に「一晩共にすごしただけで彼女面とかやめてくれないか」と言っているのを聞いてしまったステラ。 「はいぃ勘違いしてごめんなさいぃ!」と思わず心の中で謝るステラ。 何故なら彼女も一週間前にディランと熱い夜をすごした後だったから……。 一話完結の読み切りです。 ご都合主義というか中身はありません。 軽い気持ちでサクッとお読み下さいませ。 誤字脱字、ごめんなさい!←最初に謝っておく。 小説家になろうさんにも時差投稿します。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

婚約者に毒を飲まされた私から【毒を分解しました】と聞こえてきました。え?

こん
恋愛
成人パーティーに参加した私は言われのない罪で婚約者に問い詰められ、遂には毒殺をしようとしたと疑われる。 「あくまでシラを切るつもりだな。だが、これもお前がこれを飲めばわかる話だ。これを飲め!」 そう言って婚約者は毒の入ったグラスを渡す。渡された私は躊躇なくグラスを一気に煽る。味は普通だ。しかし、飲んでから30秒経ったあたりで苦しくなり初め、もう無理かも知れないと思った時だった。 【毒を検知しました】 「え?」 私から感情のない声がし、しまいには毒を分解してしまった。私が驚いている所に友達の魔法使いが駆けつける。 ※なろう様で掲載した作品を少し変えたものです

お兄様の指輪が壊れたら、溺愛が始まりまして

みこと。
恋愛
お兄様は女王陛下からいただいた指輪を、ずっと大切にしている。 きっと苦しい片恋をなさっているお兄様。 私はただ、お兄様の家に引き取られただけの存在。血の繋がってない妹。 だから、早々に屋敷を出なくては。私がお兄様の恋路を邪魔するわけにはいかないの。私の想いは、ずっと秘めて生きていく──。 なのに、ある日、お兄様の指輪が壊れて? 全7話、ご都合主義のハピエンです! 楽しんでいただけると嬉しいです! ※「小説家になろう」様にも掲載しています。

処理中です...