死の餞ヲ、君ニ

弋慎司

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第1部

#20 ベンティスカ編

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 月明かりが、グラスに注がれたワインを照らす。
 ここにいるべきではないのは、わかっている。でも、わたしは舞踏会を楽しめる気分ではなかった。
「見せたかったな……このドレス」
 ベランダには、わたしがひとり。静かすぎて、あれやこれやと考え事が浮かんでくる。
 どうして、黒猫さんがいないんだろう。
 なんで、今、わたしはここにいるんだろう。
 わたしも、そばに行けたらどんなに──。
「ベンティスカさん」
「……黒猫さん!!」
 わたしは、幻覚を見ているのかもしれない。グレイを望むばかりに、彼の幻を──。
 今まで見ていた夜の空、黒の湖、宙の星。全てが幻想で、まやかしで。
「ベンティスカさん、久しぶり」
 猫耳のついたとんがり帽子、紅色の宝石をあしらったチョーカー、短い裾のドレス──まるで魔法少女。顔だけは、わたしのよく知っている黒猫さんだ。
 これが、現実だったらな。
「久しぶりじゃ、ないよ!! 今まで、どこに……行ってたの……」
 夢じゃ、ない。わたしは目の前にいる黒猫さんと、話をしている。いつかもう一度会えたなら、優しく迎えるつもりでいた。でも、わたしの心の底から溢れ出たのは私憤にも似た後悔だった。
 わたしは冷たい床に膝をついて泣いていた。喜ぶべきなのに、涙が抑えられない。
「ごめん、ここに来るの、けっこう大変だったんだ」
「なんで……わたし……今でも信じられないよ……おかしいよ……本当に、きみなの?」
「おかしくない。俺はここにいる」
 黒猫さんはわたしの肩を抱いた。それからゆっくりと二人で立ち上がる。
「……やっぱり、黒猫さんは……」
「…………」
「……あぁ、俺は死んだ。でも魂だけで、ここに留まっちまった。……俺はベンティスカさんに触れているつもりでも、ベンティスカさんは……」
 わたしの肩は黒猫さんの温もりを一切感じていない。現実を受け止めるしかないのだ。
「ううん、そんなことないよ」
 わたしは、わたしの肩に手を乗せる。涙の隙間から黒猫さんの悲しげな表情が映る。
「わたしね、黒猫さんに話したいことがたくさんあるんだよ。……いっぱい……」
「うん、うん。でもその前に、ベンティスカさん。俺の話を聞いて欲しいんだ」
「黒猫さんの……?」
「ああ、俺が、なんで死んだのか」
 固唾を飲んだ。ずっと知りたかった疑問の靄が晴れる。
「教えて、どうして……」
「俺は────」
「…………」
「!!」
 その時、背後の銃声が私を覆った。何を撃ったのか、はじめはよくわからなかった。
 振り返ると、執事服の男──わたしたちに招待状を与えたその人が銃を構えて佇んでいた。耳を劈くような銃の反響に気がついた頃、黒猫さんの顔には穴が空いていた。
「そんな!! どうして……」
「おや、お嬢様でしたか。そちらの部外者を排除していたところですよ。さあ離れてください、次こそ仕留めます」
「あーあ。もう時間かよ……まだベンティスカさんの話、聞いてないんだけどな」
 わたしに言葉を発する暇はなかった。そして、腰を抜かして後ろ向きに倒れる。
「さあ早くそこから飛び降りてしまいなさい。さもなくば、蜂の巣にしますよ」
──黒猫さんが、撃たれる。
 すると、黒猫さんは鉄棒に座ったまま後ろへ向かって頭から落ちるように、エントランスの柵を越え、夜の湖に沈んだ。
 やっぱりわたしは、傍観者だった。何も出来ない、無力な自分。指の一本一本を強く握りしめる。
「クスクス……部外者とは、彼の事なんですけれどね。お騒がせしました、どうぞごゆっくり」
「……なんで、撃ったの。二回も」
「仕事ですから」
「……あの人は……部外者なんかじゃ、ないよ」
「僕は、彼に招待状を送った覚えはありません」
 ああなんて、冷たい声。無慈悲にも扉は閉じ、わたしはまた独りになった。

 ***

「おはようございます……ご主人様」
 ベッドの温もりが一瞬にして消える。開け放たれた窓の外から、冷たい海辺の風が入り込んできた。
「うわさっむい!! 何をするんだ、レイセン君。折角気持ちよく寝てたのに……」
「朝です」
 僕の知っている朝とは少し違い、窓の外から見える空は黒い。薄明かりのぼんやりと滲むオレンジが目に入る。
「まだ外真っ暗だよ!? もう出発とか言わないよね?」
「言います、準備をしてください。早急に」
 僕は寒さに体を震わせながら、寝ぼけ眼をこすりながら体を起こした。せっかちと言うほどではないが、レイセン君が何を焦っているのかというほど急いでいるのを見て、僕は思わず吹き出す。
「笑っている場合ではありません。さあ早く……」
 そこでレイセン君は会話を中断し、扉の方を勢い良く振り返った。と、同時に扉をノックする音が四度聞こえる。
『おはようございます。あ────』
「扉を開けるな。要件はそこで言いなさい」
 レイセン君が凄まじい剣幕で、扉の向こうにいるであろう誰かに向かって声を放った。僕は寝ぼけて、それすら気にならなかった。
「……いきなりどうしたの、レイセンく……うわっ」
「貴方は少しお静かに」
『朝からお忙しいのですね。フフ、そろそろお目覚めの頃かと思いまして……。僕は朝食の準備ができたことをお伝えに伺っただけです。では』
 艶めかしい声でそう告げた人物は、朝食という、僕にとって最高の言葉を告げて去っていった。
「……なぜこんな早朝に朝食ができあがるのです。頭がおかしいのでは」
「君も似たようなものじゃない? それより、朝ご飯の時間だって!!」
 レイセン君はきつい目で僕を睨んだ。前者の台詞が気に入らなかったのだろう。僕は咄嗟に謝る。
「とにかく、ここを出てコテージで……」
「折角朝食を作ってもらったのに勿体無いよ!! また料理が沢山出てきたりして~……さあ行こう!!」
 どのみち、目を覚ませばお腹が空いてくる。コテージを建ててから。なんてとてもじゃないが待てそうにない。僕は三秒で服を着た。
「……て、ドコに行けばいいんだろう」
「……まったく」
 寝室の扉を開けると、既に広間はざわめいていた。僕たちの他にも、まだこの城で宿泊している者がいたことを思い出す。
「わぁ……もうこんなに人が……全部食べられちゃったりしないかなぁ」
「そんな事はないでしょう……ベンティスカはもう起きているのでしょうか」
 レイセン君は、徐々に朝食が奪われていくのを心配する僕をよそに広間へ続く階段へと歩いていった。
「そういえば、どうしてレイセン君あんなに急いでたの?」
「もう急いでいません。忘れてください」
「ああ……そう……」
 ちょうど真向かいの扉から、ベンティスカが顔を出す。僕に気づいて手を振ると、彼女は足元を見ながら階段を降りていった。
「おはよう、二人共」
 一階へ降りると、執事服の青年が待ち構えていた。青年の後をついていくと、そこは広間の一室。三人で朝食を取るにはあまりにも広く思えた。
「あれ? そういえば、ノアとフィリアはどうしたんだろう」
「まだ寝ているのではありませんか」
「ううん。あの二人はきっと、もうここにいないよ」
「……と言いますと?」
「お二人は昨夜遅くに城を発ちましたよ」
 部屋を行き来しながら、食事が乗ったトレイを静かに運ぶ青年がそう答える。どことなく、レイセン君が嫌な顔をしたように思えた。
「そう、気づいたらね、もう……」
「ああ、ベンティスカは確か、フィリアと一緒の部屋だったね」
「ええ」
 ベンティスカは細くて綺麗な指で、フォークとナイフを器用に扱い朝食を取っている。
 軽い雑談の最中、レイセン君は朝食を一口も食べず腕を組んでいた。
「レイセン君、食べないの?」
「…………」
「僕がもらっちゃうよ?」
「構いません」
「やったー!! いただきます!」
 青年に対するレイセン君の態度が、僕とも、ベンティスカとも百八十度違うのは見てすぐに分かる。青年の発する言葉の一言ひとことが気に入らない、という感じだ。
「……もしかして、兵隊さん、あの人苦手?」
「よくご存知で」
「ふふ……わたしもちょっと、ね」
 確かに、あの人は少し怪しいというか、何を企んでいるのか、わかりやしないというような雰囲気を体に纏っている。
 とにかくあの謎めいた話し方が特に、レイセン君の気に障るような人だと、僕はローストチキンの切れ端を咀嚼しながら心の中で賛同した。

「今度こそ出発しますよ」
「わかってるってー……もう朝からお腹いっぱい食べたし、準備もばっちり」
「ふふ、次はどこへ行くの?」
 レイセン君がここへ着てようやく地図を取り出した。が、位置を把握するとすぐに仕舞った。
「王国フォシルから一番近くにあるのは、旧市街アトロシティですね」
「じゃあ、しゅっぱーつ! 場所は知らないけど!」
「いつもに増して元気だね、魔法使いさん」
「食べすぎたみたいで、早く消化しなきゃなぁって……えへへ」
「では、休憩も多めに取りながら行きましょうか、クク」
「ちょっ……それはないよー」
 一笑に付した僕たちは、王国フォシルを後にしてフェーンブリッジを渡った。
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