死の餞ヲ、君ニ

弋慎司

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第1部

#34 それでもあなたを愛してる

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 あぁ、なんて素晴らしい、晴れ渡る空──。
 見上げると、真っ青な草原の上で、羊の群れが同じ方向にこれでもかというほど鈍く走っている。
 こんなに美しい空を、愛する人と見ることができたのなら。それはきっと、素敵な思い出となって脳裏に刻まれるでしょうに。
「…………」
 館の端にある、無駄に広くて使い道に困る庭。四角に囲まれた柵の中で、僕は山のように積もる洗濯物を竿に引っ掛けていた。
「ふぅ、あと少しで終わりですね」
 後ろから来る足音を、どうせ兄弟のうちの誰かだろうと、振り向きもせずに洗濯籠から生乾きの衣服を取り出す。
 僕はワイシャツの裾を捲った。
「…………」
 間もなく、僕はその両腕に覆われ、抱き締められた。この時点で、正体はわかりきっていた。
「フフ、どうしたんですか、ギルティさっ……ん?」
 途端に、僕は両膝を掬われ、抱えるようにして持ち上げられた。自分の声帯からこんなに高い音が出るのか、という声が漏れてしまう。
「あ、あの、降ろしてくださいませんか? このような姿を、他の方に見られてしまったら……それに、洗濯物もまだ……」
 そう言って、ギルティさんは僕を抱きかかえたまま、格子のような柵の手前まで移動した。
「見て」
 その人の声を聞き、僕は一つ勘違いをしていると気づいた。
 何も言わずぶっきらぼうに歩み寄ってくる気配に、僕は足音がした時からずっと、彼のだと思っていた。けれど目が合って、慈愛に満ちた双眸と見つめ合って確信する。
「ブレイズは父上の元へ、フェニックスとアルマは外出、クロノスは自室で休んでいる。だから、ここには誰も来ない」
 もうここには六人しか残っていないのだから。と、聞こえたような気がした。
「この場所から見える風景が好きなんだ。天気のいい日は、いつもここに来ている」
 僕は見慣れた景色を、ほんの少しよく見るつもりで顔を正面に向けた。
 円状に削れた崖から誤って転落しないように、と立てられた垣根。僕の目に映るものは、いつもより新鮮で、鮮明だった。
 崖の向こう側に聳え立つ、水色から紺へとグラデーションを引く山。右を向けば森の暖かな緑が生い茂り、左を向けば呆れるほどの深い海が広がる。
「普段よりも頭一つ分高い所から見られるというのは、恥ずかしくもありますが良いものですね。感慨にふけってしまいそうなほど……。深甚なる美しさです」
「そうか、それは何よりだ」
 ギルティさんの顔を覗き込んだ。けれど僕の方へは振り向いてくれる様子が一切ないので、もう一度絵画の如き背景を見直した。
「ルドルフ。俺は、君の事が好きだ」
「え…………?」
 今、きっと僕は耳まで赤くしているでしょう。真っ向から来られるのには弱いんです。
 なんとなしに理解していたつもりだったけれど、まさか告白されるとは露知らず。
 僕はギルティさんに降ろされるまで、彼の顔を見返すことができなかった。
「愛することができる、と言ったほうが近い……かな」
「そんな……冥利に尽きるお言葉ですが……」
「君が、俺じゃない他の誰かに想いを寄せているのは知ってる」
「……!?」
「君は嘘を付くのは得意だが、誤魔化すのは苦手だ。……合ってるかな」
 初めて見た、いじらしく笑う顔──。彼のこの一面に気づけなかった僕を、僕自身が誤魔化そうとしている。それさえも煙に撒こうとして。思考が支離滅裂になってゆく。
「では、何故……」
 何か他のことを考えて気を紛らわそうとする僕を、彼が真っ直ぐな眼で見つめてくる。
「きっと、今ここで結ばれることはないだろうから。せめて、気持ちだけでも伝えておきたかったんだ。俺が死ぬ前に」
 意地が悪くて頑固なのは、僕の方なのに。どうして貴方は、そのような憂いに沈んだ顔をするのでしょう。できることなら、彼を見つめていたかった。けれどそれは叶わず、顔を逸してしまう。僕にはそうする資格がない。
「申し訳、ありません。過分なお言葉でございますが、僕は……」
 息継ぎをして、続きを言おうと決心したにも拘らず、悲しむ顔が見たくなくて必死に演技をする。
 こういう所だ、僕の悪い癖は。
「貴方からそのようなお言葉を頂いてしまっては、一度は決意した心が揺らいでしまいます……」
 僕は右手を唇にあてがった。
「いいよ、いいんだ」
 ギルティさんは僕の右手首を掴み、指や手の甲を両手で柔らかく包んだ。そして慣れたように僕の前で跪く。
「きっと俺は、これからも君を傷つけてしまうだろう。だから、これがせめてもの…………」
 彼は僕の手の甲に、甘く蕩けるような口づけをした。
「…………っ」
 これで終わりかと思いきや、今度は僕の手を翻して掌にキスをした。
 僕の鼓動が、彼に聞こえてしまうのではないかという程に脈打っている。
 貴方はこのキスの意味も知らず。それとも、ご存知だったのでしょうか。
 そんなことを伺う余裕もなく、ギルティさんは立ち上がった。
「俺はこれから外に出る。じゃあ、また夜に。今度はダイニングルームで」
 全てを言い終わる前に、ギルティさんは振り向いて去っていく。彼の鮮やかな赤いマントが、風に棚引いていた。館のドアが彼の手によって閉められるのを見ると、僕はまた柵の前に一人向かった。

 ギルティさんのお話は御尤もです。僕には、想い人がいる。
 けれど想い人であるあの御方は、僕なんて見向きもしないどころか、僕を拒むでしょう。
 次、僕がその方に出会った時に。それでも、良い結果が得られなかったとしたら──。
 僕はきっと、その時初めて貴方に縋るでしょうね。
 もし、それでも貴方の気持ちは変わらないと言うのであれば、僕は────。
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