軍事大国のおっとり姫

江馬 百合子

文字の大きさ
31 / 137
第二章 北の大地 アルシラ

第三十一話 ヘレンはどこに

しおりを挟む
 ひんやりとした明け方の空気、控えめな小鳥のさえずり。
 紫色の朝焼けに目を細めながら、老人は馬車に乗ったルコットとアサト、それから馬上のホルガーに、今一度問いかけた。

「本当に孫娘を……ヘレンを連れ帰ってくださるのですか?」

 ホルガーは力強く頷き、ルコットもまた、真剣な面持ちで口を開く。

「はい、お任せください。きっとこの子が導いてくれますわ」

 その手には、あの灰色の髪の人形、サラが抱かれていた。

「昨夜あの映像を見せてくれたことには、何か理由があるはずですから」

 村長もまた神妙に頷く。

「……確かに、これまでこんなことはありませんでしたが……ご迷惑でしょう」
「とんでもありません。捜索はアルシラで用を済ませてからになりますが、必ずお連れします」

 飾り気のない言葉であったが、ホルガーの目は何よりも雄弁にヘレンの身を案じていた。
 老人の目に涙が滲む。

「……かたじけない。有難い。私は村長としてこの村を離れられない。そうでなくとも足が言うことを聞かない」
「私たちもお孫さんのことが気にかかるだけですから、どうか気にしないでください」

 アサトが宥めると、老人はようやく頭をあげた。

「善良な方々よ。恩に着ます」

 馬車が村を走り出てなお、彼はいつまでも、遥か北の方角を見つめ続けていた。


* * *


 アルシラとは、フレイローズ国最北に位置する、北の砦である。

 北の大国シルヴァ国と、スメラギ山脈を挟んで睨み合い、長年拮抗状態を保ってきた。
 そのため、民の間でも「北の不毛の地」というイメージが定着している。
 しかしその実、領土が東西南北に広いため、領内の気候や文化は多様であった。

 王都にほど近い南部は、真冬であってもひどい積雪は滅多になく、湿度が低いため、国内一農業が盛んな地域である。
 また、大陸一の面積を誇るサフラ湖も知られた存在であった。

「そして今回我々が向かっているのは、アルシラの中でも特に南端に位置する、シュトラという街です。会談用の迎賓館があるので、アルシラでの会議は大抵そこで行われます」

 馬車で揺られながら、ルコットはまだ見ぬアルシラに想いを馳せていた。
 畑に実る野菜に、巨大な湖。
 きっと美しい土地なのだろう。
 しかし、何より重要なのは、そこが最北の地であることだ。
 
「もし、ヘレンさんが国内にいらっしゃるとしたら、やはりアルシラのどこかということになるでしょうか?」
「そうでしょうね。この国であの規模の吹雪が吹くのは、アルシラくらいでしょう」

 ホルガーが請け合うと、ルコットは手元の人形をぎゅっと握りしめた。
 
「国外の可能性は低いと思いますよ」

 馬車台から、アサトが思案げに口を挟む。
 
「スメラギ山脈を越えれば、地表の雪が溶けることはまずありません。気候を鑑みればアルシラの北部でまず間違いないかと」

 驚くルコットに、ホルガーが目配せする。

「アサトは頭脳派なんです。剣も大したものですが」
「いいえ、まだまだです。もっと強くなりますよ」

 嫌味のない爽やかな笑顔に、迷いのない言葉。
 宣言通り、彼はこの先もっともっと強くなるのだろう。そんな予感が確かにした。

「ところで大将」

 周囲に感知されない、軍人特有の囁き声で、アサトが呼びかける。
 ルコットに聞かれてはまずい話かと、ホルガーもまた声をひそめた。

「何だ?」
「……ルコットさんとのデートコースは、きちんと考えてあるんですか?」

 からかっているわけではなく、真剣に心配しているのだろう。
 彼の生真面目さは、ときにどんな無礼な部下よりもたちが悪い。

「……今晩アルシラに到着してから食事でも……と思っている。それから、明日会議前に湖を案内できれば……と」

 気恥ずかしさから言い淀んでしまったが、それでもアサトはどこか満足げに「心得ました」と頷いた。

「これでフリッツ大佐に顔向けできます」
「……そんなことだろうと思った」
「お二人にきちんと休んでいただくことが、私の任務でもありますから」
「……そうなのか?」
「そうですよ! お二人があんまり亀の歩みだから、皆心配してるんです!」

 返す言葉もないとホルガーは眉間に皺を寄せた。
 結婚後、怒涛のような日々を過ごす中で、屋敷のことは全てルコットに任せきりになっていた。
 その間、なるべく寂しい思いはさせないようにと努めてはいたが、作れた時間はせいぜい一日一時間程度。
 これが世の女性であれば、とっくに見限られていてもおかしくはない。
 彼女の優しさに甘えている自覚は十二分にあった。

「せっかく一日中一緒に過ごせるんですから、もっと積極的にいきましょう!」

 ホルガーの頬がじわりと染まる。
 それから、視線がちらりと馬車内のルコットへと移った。
 彼女は、木々を飛び移るリスに目を奪われているようで、時折車内へと吹き込む風が、ふわふわと髪をそよがせている。

(まるで一枚の絵のようだ)

 ホルガーは旅の眩しい一情景として彼女の姿を焼き付けたのち、咳払いをした。

「……殿下にはスノウ殿下から仰せつかった役割がある。そして俺には、そんな殿下をお助けする使命がある」

 アサトはため息とともに天を仰いだ。

「大将、そもそもルコットさんはもう殿下ではないんですよ。王族からは抜けられたんですから」
「それは、分かっているが……何とお呼びすれば良いか……」
「何照れてるんですか」

 後にも先にも、アサトがこれほど呆れた顔をすることはないだろう。
 ホルガーは生唾を飲み込み、この先は慎重に言葉を吟味することを誓った。

「確かに、殿下は王族から抜けられた身だが、それでも何というか神聖なんだ……軽々しく触れて良い方ではない……」
「……まさかこんな拗らせ方をしているとは」

 アサトの呟きはホルガーの耳には入らなかったが、場の空気が数度下がったことだけは分かった。

「アサト、何故怒るんだ」
「……怒ってませんよ。今回の任務は手強そうだと思っているだけです」

 ホルガーは眉尻を下げ、「すまない」と謝る。
 よく分からないが、この若者が行く末を案じてくれていることだけは伝わってきた。
 アサトはといえば、頭痛をほぐすようにこめかみを揉むと、もう一度大きなため息をついた。
 それから、幾分穏やかになった声色で「いいですよ」と告げた。
 その顔には、親愛のこもった苦笑が浮かんでいた。

「不器用なのは大将の長所でもありますから」

(幸い、ルコットさんは気の長い方のようですし)

 そして幸い、アサトは世話焼きな性質だった。

 涼しい風を額に受ける。
 落ち葉の香りはどこか頭をすっきりとさせた。

(とりあえず、今日の昼食はお二人を隣同士の席にしよう)

 長丁場になることを覚悟しつつ、そんな二人を見守るのも悪くはないとアサトは思い始めていた。
 その口元が緩んでいることには、本人でさえ、気づいていない。


しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

そのまさか

ハートリオ
恋愛
「そのまさかですわ、旦那様!」 ーーベナ・マギネは、16才の誕生日の前日、ギネオア邸3階からロープで脱出しようとして失敗、その際、残念前世をうっすら思い出し、今世をちゃんと生きようと、先ずは旦那様を色仕掛けで骨抜きにしようとトッチラカル・・! 前世が残念な事もある・・・何のスキルも無い事だってある・・・そんなベナが全力でトッチラカリます! 設定ゆ~るゆるです。緩い気持ちで読んで頂けると助かります。 第15回恋愛小説大賞にエントリーしました。 読んで、良いなと思ってもらえたら、投票お願いします。 短編ではないので長編選びますが、中編だと思います。

雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜

川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。 前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。 恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。 だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。 そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。 「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」 レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。 実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。 女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。 過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。 二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。

「私に愛まで望むとは、強欲な女め」と罵られたレオノール妃の白い結婚

きぬがやあきら
恋愛
「私に愛まで望むな。褒賞に王子を求めておいて、強欲が過ぎると言っている」 新婚初夜に訪れた寝室で、レオノールはクラウディオ王子に白い結婚を宣言される。 それもそのはず。 2人の間に愛はないーーどころか、この結婚はレオノールが魔王討伐の褒美にと国王に要求したものだった。 でも、王子を望んだレオノールにもそれなりの理由がある。 美しく気高いクラウディオ王子を欲しいと願った気持ちは本物だ。 だからいくら冷遇されようが、嫌がらせを受けようが心は揺るがない。 どこまでも逞しく、軽薄そうでいて賢い。どこか憎めない魅力を持ったオノールに、やがてクラウディオの心は……。 すれ違い、拗れる2人に愛は生まれるのか?  焦ったい恋と陰謀+バトルのラブファンタジー。

妃殿下、私の婚約者から手を引いてくれませんか?

ハートリオ
恋愛
茶髪茶目のポッチャリ令嬢ロサ。 イケメン達を翻弄するも無自覚。 ロサには人に言えない、言いたくない秘密があってイケメンどころではないのだ。 そんなロサ、長年の婚約者が婚約を解消しようとしているらしいと聞かされ… 剣、馬車、ドレスのヨーロッパ風異世界です。 御脱字、申し訳ございません。 1話が長めだと思われるかもしれませんが会話が多いので読みやすいのではないかと思います。 楽しんでいただけたら嬉しいです。 よろしくお願いいたします。

侯爵令嬢ソフィアの結婚

今野綾
恋愛
ソフィアは希少なグリーンアイを持つヴィンセントと結婚した。これは金が欲しい父の思惑と、高い爵位が欲しいヴィンセントの思惑が一致したからに過ぎない。 そもそもヴィンセントには恋人がいて、その恋人は身分に大きな差があるために結婚することは叶わないのだ。 結婚して早々、ソフィアは実家から連れてきた侍女夫婦とあばら屋に住むように言われて…… 表紙はかなさんのファンアートです✨ ありがとうございます😊 2024.07.05

恋詠花

舘野寧依
恋愛
アイシャは大国トゥルティエールの王妹で可憐な姫君。だが兄王にただならぬ憎しみを向けられて、王宮で非常に肩身の狭い思いをしていた。 そんな折、兄王から小国ハーメイの王に嫁げと命じられたアイシャはおとなしくそれに従う。しかし、そんな彼女を待っていたのは、手つかずのお飾りの王妃という屈辱的な仕打ちだった。それは彼女の出自にも関係していて……? ──これは後の世で吟遊詩人に詠われる二人の王と一人の姫君の恋物語。

【完結】灰かぶりの花嫁は、塔の中

白雨 音
恋愛
父親の再婚により、家族から小間使いとして扱われてきた、伯爵令嬢のコレット。 思いがけず結婚が決まるが、義姉クリスティナと偽る様に言われる。 愛を求めるコレットは、結婚に望みを託し、クリスティナとして夫となるアラード卿の館へ 向かうのだが、その先で、この結婚が偽りと知らされる。 アラード卿は、彼女を妻とは見ておらず、曰く付きの塔に閉じ込め、放置した。 そんな彼女を、唯一気遣ってくれたのは、自分よりも年上の義理の息子ランメルトだった___ 異世界恋愛 《完結しました》

助けた騎士団になつかれました。

藤 実花
恋愛
冥府を支配する国、アルハガウンの王女シルベーヌは、地上の大国ラシュカとの約束で王の妃になるためにやって来た。 しかし、シルベーヌを見た王は、彼女を『醜女』と呼び、結婚を保留して古い離宮へ行けと言う。 一方ある事情を抱えたシルベーヌは、鮮やかで美しい地上に残りたいと思う願いのため、異議を唱えず離宮へと旅立つが……。 ☆本編完結しました。ありがとうございました!☆ 番外編①~2020.03.11 終了

処理中です...