軍事大国のおっとり姫

江馬 百合子

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第二章 北の大地 アルシラ

第三十八話 出航

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――お待たせ致しました。
  間も無く、シュトラ行き、シャロン号が出航致します。
  お乗りの方は、速やかに乗船手続きをお済ませください。

 アナウンスを聞きながら、私たちは船着場の受付に駆け込みました。

「お姉さん! 大人二人!」
「はい、良い船旅を」

 チケットを受け取るや否や、今度は乗船口へ駆け出します。

「ルコット! 急いで! これを逃すと次は明日よ!」
「ヘレンさんは足が速いのですね」
「何のんきなこと言ってるのよ!」

 私の体力のなさを抜きにしても、ヘレンさんは身軽でした。
 私の手を引いて、すいすい進んで行かれます。

――シャロン号、出航致します。

 アナウンスと同時に、私たちは乗船口に着きました。

「お兄さん! 待って! 乗るわ!」

 目を丸くした乗務員の方々が、慌ててこちらに手を差し伸べ、脇の下をすくってくださいました。
 体がふわりと浮き、船と桟橋の間を飛びます。

「……まぁ」

 驚いているうちに、とん、と船の甲板の上に降ろしてくださいました。

「お嬢さん方、無茶するなぁ」

 からからと笑う彼らに、ヘレンさんは笑い返します。

「ごめんなさい、急いでたの。お兄さんたちが力持ちで良かったわ、ありがとう」
「助かりました。ありがとうございます」

 慌てて頭を下げると、お二人は、感じの良い笑顔を返してくださいました。

「いやいや、間に合って良かった」
「あぁ、可憐なお嬢さん方、良い船旅を」

 ひらひらと手を振って、お二人は業務に戻って行かれました。
 ほっと息をついて、ヘレンさんを振り返ります。

「これぞ駆け込み乗船! でしたね」
「……はぁ、あなたといると気が抜けるわ」

 彼女はどさりと荷物を置くと、その場に仰向けに座られました。
 さやさやと吹く風が、前髪を揺らしています。
 寒いはずなのですが、走ったおかげか、額に汗が滲んでいました。

 船は、澄んだ湖を、滑るように進んで行きます。
 空を見上げると、澄んだ青に、薄い雲がゆっくりと流れていました。
 
「揺れないのですね」
「そっか、船初めてだったわね。蒸気で動かしてたときは揺れてたらしいけど、最近の船の動力は、安い魔石だから」
「魔石で船が動くのですか?」
「炎の魔石に風の魔石をぶつけて、エネルギーにしてるのよ」

 安価な魔石といえば、もっぱら兵器に使われるものでした。
 種類は大まかに、炎、水、風、土、木。
 炎の魔石は銃に、氷は剣に、風は馬に。
 フレイローズでは、様々なものに属性を付加して、より強い兵器を作り出していました。
 ちなみに、通信魔水晶も魔石の一種なのですが、「水晶」と呼ばれるものは、魔石よりも純度が高い分、高価なのだそうです。

「魔石は、魔力を注げば半永久的に使えるから、蒸気より経済的にも良いみたいよ」
「知りませんでした」

 それなら、部屋の明かりやキッチンの竃かまども、炎の魔石を使えば良さそうな気がします。
 それだけでなく、水の魔石を使えば、井戸まで水を汲みに行く必要もありません。

「ただ魔石って、すぐに魔力が切れちゃうし、魔力を持つ人が補充しながら使わないと、ただの石ころになっちゃうのよね」
「補充ですか……」

 それでは、家庭で使うのは難しそうです。
 魔力のある人は、世界中にほんの一握りですし、その方々は皆、王室魔導師団に所属しなければなりません。
 現にこの船も、魔導師団から派遣された方が動かしているようでした。

「……もし、魔石に魔力を補充できる魔石があったら」
「え?」

 思わずもれた呟きに、ヘレンさんはぽかんとされています。

「面白いこと言うのね。魔石が魔力を補充するなんて、考えたこともなかったわ」

 まじまじと見つめられて、思わず俯いてしまいます。

「ルコット、あなた世間知らずだけど、それがかえって突飛なアイデアに繋がるのかも」
「……褒めてますか?」
「もちろん、褒めてるのよ」

 ちらりと顔を上げると、ヘレンさんは親しげに微笑みかけてくださいました。

「帰ったらお仲間に話してみなさいよ。びっくりされるから」

 お仲間。
 そう言われて思い浮かぶのは、大らかに送り出してくださったアサトさま。
 そして、あのとき、何かを叫ばれていたホルガーさま。
 胸が、つきり、と痛みました。

(あんな悲しい顔をさせたかったわけじゃない……)

 彼の幸せを願うこの気持ちは、本物のはずなのに。
 好きになればなるほど欲の出るこんな気持ちを、私はもう、どうすれば良いのか分かりませんでした。

「ちょっと、ルコット、どうしたのよ……?」

 冷たい風が吹き始めました。
 先程まであんなに晴れていた空に、灰色の雲が急速に流れてきます。
 通り雨にしては、何か空気がおかしいのが、私にもわかりました。

「……何でもないんです」

 そんなことより、早く船内に入りましょう。そう言いかけたところで、鋭い雷が鳴りました。
 それを合図に、真っ黒な空から滝のような雨が、ばちばちと落ちてきます。
 それは毎秒ごとに勢いを増して、気づいたときには一寸先も見えない大雨になっていました。

「何だこの雨は!」
「早く船内へ!」

 周囲の人々が荷物をかき集めて、慌ただしく船内へと駆け込んで行きます。
 湖面がうねっているのか、船が前後左右に大きく揺れ始めました。

「ルコット! 私たちも入りましょう!」
「はい!」

 投げ出していた荷物を抱えて、通用口ハッチへと走ります。
 そのとき、ふと聞き覚えのある声に呼ばれた気がしました。
 思わず足を止めて振り返ります。
 しかしそこには、真っ黒の空と湖が広がるばかりです。
 風と雨で、徐々に体が冷えていくのがわかります。
 それでも何故か、体が動きませんでした。

「ちょっと、ルコット! 何ぼさっとしてるの!」

 遠くに、ヘレンさんの声が聞こえます。
 返事をしなくては。呼ばれている気がするのだと。
 そのとき。

――こちらへ来い、人間。

「そっちは湖よ! ルコット!」

 ヘレンさんが割れそうな声で叫びながら、私の手を掴みます。
 目を合わせると、あの日のホルガーさまと同じ、泣き出しそうな顔をされていました。
 
「……そんな顔をされないでください」
「……ルコット?」

 心配、しないでください。
 
「私は、すぐに戻りますから」
「こんな雨の中、どこに行くのよ!」
「呼んでいるんです。女の人が、悲しい声で」

 その瞬間、ヘレンさんの顔が、驚愕に固まりました。

「……それって」

 彼女が言い終わらないうちに、再び大きな波が私を飲み込みました。

「ルコット!」

 水に飲み込まれる直前、私はつんざくような悲鳴を聞きました。
 その唇の動きを見て思います。
 あぁ、そうだったのか、と。

 あのとき、ホルガーさまは泣きながら、私の名前を呼んでくださっていたのかもしれません。

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