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5. いつも俺の日常は
34枚目 もう一度君と
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「……そういえば今日は公園に行ってないな」
いつもならまっすぐ帰らず、桜の大樹があるあの場所へ行くのだ。葵と待ち合わせるために。
けれど、郁と一緒に帰っていたから必然的に行かなかった。
部屋にある壁掛け時計の秒針は、三時になろうかとしている。
今から行けば葵は居るだろうか。
(居たら良いけど、部活もあるよな)
この一ヶ月で、随分と葵のことを知った。
麗よりも早く生まれ変わったのは、再会する前から薄々分かっていたが、麗の予想を遥かに超えていた。
今の葵は高校二年生で、十歳も年が離れているとは思わなかったのだ。
どんなに歳が離れていても葵が好きなことには変わりないが、時々あまりにも麗に対する態度が淡々としていて寂しくなる。
(会いたい、なぁ)
流石に毎日は会っていないため、麗としても早く会って話したかった。
心だけは大の大人だが、寂しいのはどうにも誤魔化せなかった。
こうしているうちも葵が公園に来ていて、待っていてくれているのかもしれない。麗が、前世の夫が来るまで健気に。
そう考えると、いじらしくなると同時に愛しさが込み上げる。
パシン!
「痛っ……!」
想像だけで自然と緩む頬に、一度二度と平手を入れる。
軽く叩いたつもりだが、今の身体では強過ぎるのだろうか。
「いや、軟弱過ぎるだろ」
思わず自分に突っ込んだ。
麗が思っていたよりもずっと、頬がヒリヒリと痛む。
「絶対赤くなってるよな、これ」
もちもちと柔らかい自分の頬を撫で擦り、独りごちる。
つい最近も走っていて転ぶ事があった。血は出ていなかったが段々と痛みが強くなり、泣いてしまった事は記憶に新しい。
日本男子たるものが転んだだけで泣くなど、情けない。そう頭で分かっていても、勝手に涙が溢れてくるのだ。
小さな子供はこんなにも軟弱なのか、と時々思う。
しかし、頬の痛みも葵に会ったらすぐに引いてくれるだろう。
仮に痛みが引いていなければ、葵の細い指先で頬を撫でてくれるに違いなかった。
「よし、公園に行こう」
そんな妄想をしていると、会いたいという欲がぐんぐん高まってしまうのは仕方ない。
ギラリと瞳を光らせ、起き上がる。
鼻歌を歌いつつ、葵に慰めてもらいたい、という大きな下心を持って麗は階下へ降りた。
「あー……母さんならさっき出掛けたぞ?」
珍しくソファで寛いでいた将英が、遠慮がちな声音で話し掛けるまで、リビングや廊下、果てにはもう一度二階を見にいってみた。
けれど、早希はどこにもいなかった。
「……そう」
その事に少し落胆してしまったが、無表情を貫く。きっと買い物にでも出掛けて、入れ違いになってしまったのだろう。
早希が居ないからと言って、将英に出掛ける事を言えばいいだけだ。
けれど、喉に何かがつっかえたかのように声が出ない。いつも将英に対してはそうだ。
前世のトラウマがあるからといって、五年ほど前の両親の確執があったからといって。
今と昔の記憶にある出来事は、ずっと麗の心の中に眠っている。
特に前世あった悪夢のような日々を忘れられなくて、恐怖の方が勝ってしまう。
今世の両親は違うのに、だ。
「──い、麗。どうした。父さんに言えないことか?」
「っ」
いつの間にか将英が麗の傍にしゃがみこみ、目線を合わせていた。
驚くと同時に後退りしつつ、麗はじっと将英の瞳を見つめた。
翡翠のように澄んだ瞳には、ただただ息子を心配している、という心情が見て取れた。
(言わないと、だろ。和則、お前はそんなに小心者だったか!?)
自然と手の平を握り締め、自分を叱咤する。このまま何も言わずに出掛けても良かったが、それでは将英から早希に伝わって、結果的に二人を心配させてしまうだろう。
早希に、母親に迷惑を掛ける事だけは避けたかった。
「あ……えっ、と」
翡翠色の瞳が、少しも逸らさずに麗を見ていた。何もかもを見透かされてしまいそうな、けれど早希が麗を見つめる時と同じ、慈愛に満ちた瞳が。
麗は将英の瞳をじっと見て、ゆっくりと言葉にした。
「うん」
「こう、えん……に」
「公園? ──あぁ、あのでっかい樹があるとこか。そこに行きたいのか?」
麗が自分で話すまで、将英は口を挟まずに聞いてくれた。
少しつっかえながらだが、言いたいことは伝わったらしい。
桜の大樹があるあの場所を、どうやら将英は知っていたようだ。
「そう、だから──」
出掛けてくる、と言う前に二回りは大きな手が麗の両手を掴んだ。
「ん?」
今日はよく手を掴まれるなと思いつつ、なんだろうと小首を傾げる。
「よし、一緒に行くか!」
にっこりと目を細め、将英は普段より少し声高に言った。機嫌が良さそうなのは気のせいだろうか。
「ん??」
麗の頭に大きなはてなが浮かんだ。
いつもならまっすぐ帰らず、桜の大樹があるあの場所へ行くのだ。葵と待ち合わせるために。
けれど、郁と一緒に帰っていたから必然的に行かなかった。
部屋にある壁掛け時計の秒針は、三時になろうかとしている。
今から行けば葵は居るだろうか。
(居たら良いけど、部活もあるよな)
この一ヶ月で、随分と葵のことを知った。
麗よりも早く生まれ変わったのは、再会する前から薄々分かっていたが、麗の予想を遥かに超えていた。
今の葵は高校二年生で、十歳も年が離れているとは思わなかったのだ。
どんなに歳が離れていても葵が好きなことには変わりないが、時々あまりにも麗に対する態度が淡々としていて寂しくなる。
(会いたい、なぁ)
流石に毎日は会っていないため、麗としても早く会って話したかった。
心だけは大の大人だが、寂しいのはどうにも誤魔化せなかった。
こうしているうちも葵が公園に来ていて、待っていてくれているのかもしれない。麗が、前世の夫が来るまで健気に。
そう考えると、いじらしくなると同時に愛しさが込み上げる。
パシン!
「痛っ……!」
想像だけで自然と緩む頬に、一度二度と平手を入れる。
軽く叩いたつもりだが、今の身体では強過ぎるのだろうか。
「いや、軟弱過ぎるだろ」
思わず自分に突っ込んだ。
麗が思っていたよりもずっと、頬がヒリヒリと痛む。
「絶対赤くなってるよな、これ」
もちもちと柔らかい自分の頬を撫で擦り、独りごちる。
つい最近も走っていて転ぶ事があった。血は出ていなかったが段々と痛みが強くなり、泣いてしまった事は記憶に新しい。
日本男子たるものが転んだだけで泣くなど、情けない。そう頭で分かっていても、勝手に涙が溢れてくるのだ。
小さな子供はこんなにも軟弱なのか、と時々思う。
しかし、頬の痛みも葵に会ったらすぐに引いてくれるだろう。
仮に痛みが引いていなければ、葵の細い指先で頬を撫でてくれるに違いなかった。
「よし、公園に行こう」
そんな妄想をしていると、会いたいという欲がぐんぐん高まってしまうのは仕方ない。
ギラリと瞳を光らせ、起き上がる。
鼻歌を歌いつつ、葵に慰めてもらいたい、という大きな下心を持って麗は階下へ降りた。
「あー……母さんならさっき出掛けたぞ?」
珍しくソファで寛いでいた将英が、遠慮がちな声音で話し掛けるまで、リビングや廊下、果てにはもう一度二階を見にいってみた。
けれど、早希はどこにもいなかった。
「……そう」
その事に少し落胆してしまったが、無表情を貫く。きっと買い物にでも出掛けて、入れ違いになってしまったのだろう。
早希が居ないからと言って、将英に出掛ける事を言えばいいだけだ。
けれど、喉に何かがつっかえたかのように声が出ない。いつも将英に対してはそうだ。
前世のトラウマがあるからといって、五年ほど前の両親の確執があったからといって。
今と昔の記憶にある出来事は、ずっと麗の心の中に眠っている。
特に前世あった悪夢のような日々を忘れられなくて、恐怖の方が勝ってしまう。
今世の両親は違うのに、だ。
「──い、麗。どうした。父さんに言えないことか?」
「っ」
いつの間にか将英が麗の傍にしゃがみこみ、目線を合わせていた。
驚くと同時に後退りしつつ、麗はじっと将英の瞳を見つめた。
翡翠のように澄んだ瞳には、ただただ息子を心配している、という心情が見て取れた。
(言わないと、だろ。和則、お前はそんなに小心者だったか!?)
自然と手の平を握り締め、自分を叱咤する。このまま何も言わずに出掛けても良かったが、それでは将英から早希に伝わって、結果的に二人を心配させてしまうだろう。
早希に、母親に迷惑を掛ける事だけは避けたかった。
「あ……えっ、と」
翡翠色の瞳が、少しも逸らさずに麗を見ていた。何もかもを見透かされてしまいそうな、けれど早希が麗を見つめる時と同じ、慈愛に満ちた瞳が。
麗は将英の瞳をじっと見て、ゆっくりと言葉にした。
「うん」
「こう、えん……に」
「公園? ──あぁ、あのでっかい樹があるとこか。そこに行きたいのか?」
麗が自分で話すまで、将英は口を挟まずに聞いてくれた。
少しつっかえながらだが、言いたいことは伝わったらしい。
桜の大樹があるあの場所を、どうやら将英は知っていたようだ。
「そう、だから──」
出掛けてくる、と言う前に二回りは大きな手が麗の両手を掴んだ。
「ん?」
今日はよく手を掴まれるなと思いつつ、なんだろうと小首を傾げる。
「よし、一緒に行くか!」
にっこりと目を細め、将英は普段より少し声高に言った。機嫌が良さそうなのは気のせいだろうか。
「ん??」
麗の頭に大きなはてなが浮かんだ。
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