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8. 前世の俺の一目惚れ

53枚目 過去から未来へ

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 葵は目を見開いた。まるで知っていたような口ぶりだからだ。

 「な、なんで……」

 わかるの、という言葉は声にならない。
 ただの一度も千秋に「緋龍なのか」と問い掛けた事はなかった。「前世の記憶があるのか」と問い掛けた事さえ、先週が初めてなのだ。

 「なんで? 少し考えたらわかるだろ」

 千秋がぽつりぽつりと言葉を紡いでいく。

 「お前は顔に出すぎなんだ。知らなかったみたいだけど、今も怖いって顔してる」

 そう言って、千秋は葵に手を伸ばしてくる。

 「っ……」

 反射的に肩がすくみ、ぎゅうと強く目を閉じる。

 (仮にも兄さんなのに、どうして)

 ──怖いと思ってしまうのだろう。

 仮にも兄と妹という立場だが今だけは、どうしてわかるのかという驚愕と、何をされるのかという恐怖とで震える。
 それもこれも、真実を伝えられたからだろう。

 そんな葵を見てか、千秋は小さく笑った。

 「葵、こっち見て」

 いつだって優しい声音は、自然と言うことを聞いてしまいそうな力を持っていた。
 葵は伏せていたまぶたを持ち上げ、恐る恐る千秋の方を見る。

 (……なんでそんな顔をするのよ)

 千秋は何かに耐えるように、ぎゅっと眉間に力を込めて葵を見ていた。
 今にも泣き出してしまいそうな、ともすれば懺悔ざんげをしそうな勢いだ。

 「葵」

 ゆっくりとした千秋の声が葵の名を呼び、そう広くない部屋に落ちては消える。

 「──ごめんな」

 やがて沈黙が部屋に満たされた時、千秋が深く頭を下げ、消え入りそうな声音で謝罪の言葉を口にした。


 ◆◆◆


『──のお芝居、素敵だったわね』

 唐突な歳若い女の声に緋龍──薫は、店先の引き戸を少し開けて外をうかがった。
 女学校帰りであろう二人組が、きゃあきゃあと談笑しながら歩いている。

『ねぇ、もし良ければ明日も見に行きません? 今度は少し遠出をして、違うお芝居を見に行くのも……』

 隣りを歩くもう一人の女子が提案すると、訊ねられた女子がぱんっと手を叩いた。

『まぁ、楽しそう! そしたらどこかでお食事をしましょうか。私、美味しいお店を知っているの』
『いいわね。では──』

 うふふ、と時折可愛らしい笑い声を漏らしながら、薫の店の前を通り過ぎていく。
 二人組の姿が見えなくなると、薫はがらりと引き戸を開けて外へ出る。
 空はあまねく快晴で、いっそ憎らしいほどだ。

『……いい天気だな』

 顔の前に手をかざし、ひとちる。
 どこまでも澄み渡った青い空とは裏腹に、薫の店は閑古鳥かんこどりが鳴いていた。

 少し歩いた先に市場があるからか、はたまた饅頭屋が手前にあるからか。薫のいとなむ店に寄り付く客はいない。
 居たとしても、冷やかしにくる者がほとんどだろう。

(この見た目も関係してる……か)

 店の景観は傍目から見れば寂れ、人ひとり住んでいる気配がなかった。
 およそ店だとわかるのは、引き戸近くに立て掛けた「緋ノ龍ひのりゅう」──そこらで拾ってきた板に、薫が手ずから書いたもの──という看板だろう。

(変えられたら世話ないんだが)

 資金は実家に余りあるから、見た目は薫が変えようと思えばすぐにでも変えられる。
 しかし、勝手に使っては父がなんと言うだろうか。
 元から薫が簪屋をやる事に、賛成していない人間だ。資金を送ってくれと言っても、取り付く島もないのは明らかだった。

(爵位ってのは、なんでこんなに面倒なのかなぁ。ただ偉ぶって酒飲んで、偉いさんに媚びを売る。終いにゃ、子に爵位を継がせるのが正しいってんだから。本当にどうかしてる)

 薫の家は、華族の中で最高位の公爵位をたまわっている。
 薫が生まれるずっと前の戦争では、日本各地──特に北日本──が数多あまたの損害を受けたという。
 そこには、まだ歳若かった祖父が参加していたらしい。

 何度となく敵の陣地を攻めたのだ、と本人が自慢げに話していたのを覚えている。
 どんなに怪我を負おうとも、どんなに味方が死んでいっても、祖父は誰よりも強く果敢かかんに戦ったとも言っていた。

 そうして、戦争が始まり二年が経とうとした頃。
 敵方の軍が降伏したため、終結という形で落ち着いた。
 祖父はその技巧ぎこうを買われ、のちの華族令が発布されたとき公爵の位を賜ったのだ。

 鷹司家にとって輝かしい偉業だ、と祖母含めた周囲の人間が祖父を持てはやした。
 そう何度となく聞かされてきた。
 しかし薫にとっての「爵位」という肩書きは、自分を雁字搦がんじがらめにする鎖でしかない。

 将来が約束されていると言えば聞こえはいいだろうが、好きこのんで爵位を継ぐ気にはなれなかったのだ。
 幼い頃から何かを作るのが好きで、大人になったらものを作る職人になりたい──そう思い描いて、二十年あまり。

 薫は今年で二十五の節目を迎えたが、それと同時に公爵になれ、と現当主である父がひっきりなしに言ってくるのだった。
 薫は鷹司家の長男だから、不満があろうと甘んじて受け入れるべきだろう。

 しかし、父の言う通り爵位を継いでしまえば、薫の自由は本当になくなってしまう。
 その言葉から逃げるように「簪屋になりたい」と置き手紙だけを残し、着の身着のまま家を飛び出した。

(それに比べて、坂城さかきさんたちには感謝してもしきれない)

 ざあざあと雨が降る夜だった。
 ねずみになって、どこへ行く当てもなく、一人とぼとぼと歩いていた。
 そんな薫を快く迎え入れてくれたのが、自分たちの住む民家を貸し出してくれた老夫婦だ。
 二人のお陰で、こうして夢だった簪屋をやる事が出来ている。

 普段、老夫婦は二階を移住としており、薫は一階を与えられていた。
 二人が薫をあわれんで迎え入れてくれたのだとしても、住む場所を与えてくれただけでありがたかった。
 それだけでなく「店をやってもいい」と言ってくれたのだから、坂城夫妻は恩人だ。

(いつか……恩返しをしないとな)

 青い空を見つめ、思う。
 老夫婦の家に住み着いて数ヶ月が経っていた。
 薫を本当の息子のように可愛がってくれる二人に、恩を返したかった。
 その時は爵位を継いでいるかもしれないが、薫に出来るのはそれくらいしかない。

 そんな思いを胸に秘め、今日も薫は店に立つ。
 客が来なくても、ただただそれで良かった。
 幼い頃からの夢を、援助がありつつも自分の手で叶えられたのだから。

『──さて。今日も頑張るかね』

 その場で一度大きく伸びをし、店に入る。
 近いうちに、まだ見ぬ客が来ることを信じて。
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