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第五十九話 冥界の力

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両足の踵で無理矢理ブレーキを掛ける。ガリガリと床の木を抉りながらどうにかこうにか突進の速度を落とす頃にはギニュエルの変化は始まっていた。

「が、ぐぁ……ぁああっ!」

 この世とあの世を繋ぐ剣、《鏡冥剣ネフィリム》を悪喰の力で丸ごと飲み込んだギニュエルは変化に逆らうかのように震え、自身を抱くように、しかし爪を立てる。爪が喰い込んだ腕からは血が垂れ落ち、蒸発するように赤い霧となって回復していく。それが繰り返されていくうちに血の色が明るい赤からどす黒い赤へと明度を落としていった。

「ぎぇぇあああああ!」

 とんでもない苦しみなのか、頭部を引っ掻き、顔の皮を剥ぐかのように掻き毟る。血が溢れても気にもせずに自身を痛めつける姿は正に狂気そのものだった。

「どうなってるのよ」
「分からない。けど……」
「今まで以上に厄介になることは間違いなさそうだよ」

 ギニュエルから距離を置いて皆と合流した。此処から攻撃を加えたいところではあるが、何が起こっているのかも分からない状況での手出しは自殺行為になりかねない。ヒーローの変身シーンに悪役が攻撃を仕掛けないのも実際、こういう理由があるのかもしれないな。

 ギニュエルから流れ出る血はもはや漆黒となり、量を増していく。蒸発する血の霧はバチバチと火花を生み出す。やがてそれは青い火となり、ギニュエルを飲み込んだ。

「アアアアアアアアアア!!!」

 壮絶。まさにその言葉が相応しい。冥界の力を引き出そうとした結果がこれだ。もしかしたらこのまま死ぬんじゃないか……そう思える状況なのに、まったくそう思えなかった。青黒い炎の中から現れたギニュエルは膨れ上がり醜く崩れた体でありながら、底の見えない力を秘めていた。

「ぎ、ひひ……」
「狂ったか……」
「わだ、ジは……ぜンぶ、喰うゥゥゥウウ!!!」

 悪喰の亜獣神グランギニュエルは冥界の力を取り込もうとして壊れた。今此処にいるのは狂った獣だ。目の前にあるもの全てを喰い散らかすことしか考えていない化物。知能は恐らく低い。だがそれ以外の全てが今までとは段違いに上がっているのが見て分かる。

 体の色んな箇所から漏れ出ていた血は今や蒼黒の炎に成り替わっている。体中の血が炎に変化したように血が燃え続けているのだろう。その所為か、体格が先程よりも二回りくらい膨れ上がっている。威圧感は神としては合格だろう。

「ギェア!」

 その場から動かずに腕を振るう。すると薙いだ軌跡のまま炎が飛来する。それを慌てて剣の力、《星の光盾ディヴァイン・シールド》で防ぐ。

「防げるもんなのか……冥界の炎」
「防ぐだけならいいのだけど、これじゃあ攻撃ができないわ!」

 ハニカムの盾周辺に散らばる炎は木を燃やし、炭に変えていく。ボロボロに崩れた傍から神世樹が成長し、その穴を埋めるので落下の危険はないが動きが制限されるのはきつかった。

「魔法は駄目、防御はナナヲ様頼り。これじゃあ拉致が明かない……!」
「僕が行く! ギニュエルの攻撃は引き受けるから流れ弾だけはシエルとエレーナで全力防御! ミルルさんは僕のサポートをお願いします!」
「はい……!」

 杖を握るミルルさんが返事と共に魔法の準備を始める。

「死なないでよね、死んだら私も死ぬんだから!」
「大魔術師ユーラシエル・アヴェスターこと邪神アンラ=マンユの実力、見せてあげますか……!」
「行くぞ!」

 攻撃が止んだ瞬間、盾を解除して走り出す。その瞬間ギニュエルがまた炎を振り撒くが僕はそれを体を捻って避ける。速度は落とさず、駆け抜ける。炎が頬を翳めるが、すぐにミルルさんの魔法で火傷は癒える。痛みはあるが怪我は気にしないで戦えそうだ。

 相手は神。僕の手には勇者の剣。まるでファンタジーだ。神に対面する人間が僕だっていうのが今でも信じられない。まるで物語の主人公みたいだ。そう思うと気合いが入ってくる。今だけは僕も物語の役者なのだ。

「力に溺れた悪神ギニュエル、世界の敵よ! 今、此処でお前を討滅する!」
「ナァナァァヲォォォオオオオオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!!」

 知性の欠片しかない悪神と成り果てたギニュエルは辛うじて僕のことは理解できるようで、大根役者の安い挑発にまんまと乗せられてくれた。大根よりも安っぽい悪神は僕を敵と認定して襲いに来る。これで3人への直接的な被害は少なくなるだろう。

 振り下ろされた腕に星天剣の切り上げを合わせて一旦切断する。其処から溢れ出てくるのはやはり血ではなく青黒い炎だった。爆炎と共に吹っ飛ぶ腕は、導火線のように繋がった炎の糸に引っ張られて再びくっ付く。

「なるほど、生えてくる系じゃないのな」
「ガァァウ!」

 噛み付き攻撃は此奴の場合致命傷だ。どんな場面でも出てくるのを予想して常に距離を取れる歩幅で動いているから喰らわない。

 眼前でガチンと強く鳴る歯。その顎を剣の石突で殴り上げる。砕ける牙からまた火が溢れる。クソ、これじゃあ何処を殴っても斬ってもその後の回避が必要になってくる。面倒臭い敵になってしまったギニュエルから距離を取り、《久遠の星オービタル・ピリオド》の出力を上げる。僕の頭上の環が激しく回転し始める。

「《勇者戦術ブレイブアーツ 弐ノ断にのたち"炎陽えんよう"》」

 神速の火属性二撃はギニュエルの腹部を中心に体を上下に分断する。これは冥界の力とかいう蒼黒の炎に《勇者戦術ブレイブアーツ》の火をぶつけるとどうなるかという実験だ。

 その結果は面白いことになった。冥界の炎と勇者の炎がお互いを喰い合っていたのだ。互いの炎を燃料に燃え続ける謎の現象がギニュエルを焼く。流石に喰い合った所為か、燃焼はすぐに終わったがダメージは思ったよりでかい。だがそれもすぐに回復してしまう。

「ゼェ……ゼェ……グ、ガハッ……!」

 それでも内部まで焼けたのはまだ回復しきらないようで、肺か気管でも焼かれたのか苦しそうに胸を上下させるギニュエルに追撃の戦術をぶち込んだ。

「《墓守戦術グレイブアーツ 一葬飛んで三葬”骨喰み彼岸返し”》」

 これは独自に編み出した戦術の組み合わせだ。一葬による最速のダッシュ斬りに三葬の彼岸返しによる連続攻撃を加えた超高速連続戦術。ダメージを負ったギニュエルもこれには対応できなかったようで、一葬による一撃によろめき、三葬の剣撃と蹴りで地面に倒れ伏す。

「とどめだ!」

 倒れ込んだ背中へジャンプし、体重を乗せた一撃を脊髄へ叩き込む。炎で爛れ、膨れ上がった首はその一撃で胴体と切り離される。当然、その後に溢れ出る冥界の炎を避ける為、僕はすぐにその場を離れた。

 首を失ったギニュエルから断末魔は聞こえない。その代わり、のたうち回り地面を抉る轟音と血の爆発音が鳴り響いた。

「壮絶ね……」
「危ないから離れてて」
「却下よ。離れ過ぎたら援護できないじゃない」
「無茶だけはしないで」
「勿論よ」

 着地点にいたエレーナと短いやり取りをする。彼女も戦ってくれるのはありがたいが、あの血炎は油断できない。何が起きるか分からない相手に、フィンギーさんの大切な仲間を向かわせるなんて僕にはできなかった。それでもエレーナは僕を信頼して補助してくれる。それがとても嬉しく、心強かった。勿論、それはミルルさんも同じだ。彼女の支援には本当に助けられてきた。

「シエル、2人を頼んだ」
「まっかせて! 私も何かできないか探ってるから、ナナヲ様も無理しないで!」
「了解!」

 複数表示されたホログラムキーボードを叩くシエルを横目に、ギニュエルに向き直る。首は無事にくっ付いたようだが、上手く神経の接続ができなかったのか視点が定まっていない。まるでとても上手に作った顔の模型を乗せているような、そんな有様だ。

「不気味な奴め……」
「ブジュルルルル……」

 声すらも失ったらしい。聞こえてくるのは湿った肉が震えるような気色の悪い音を出しながら四つん這いで此方を見る。見えてるのか見えていないのか、だがその動きは確実に僕を捉えていた。
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