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第三章 役立たず付与魔術師、魔術学院に通う

第三五話「吠えろ、ヴァズラ」

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 掲示板 【錬金術科のアグラアト先生】クネシヤ魔術院 453【美魔女すぎてやばい】

 719:名無しの冒険者
 魔法陣がえぐいぐらいに光ってるww
 なんぞこれww

 720:名無しの冒険者
 なんか魔力吸われてるような気がするんだが
 気のせい?

 721:名無しの冒険者
 空が揺れてる件

 722:名無しの冒険者
 誰か焚火してる? さっきから各地で煙が上がってる

 723:名無しの冒険者
 >719
 魔法陣光ってるねえ
 これ、ずっと学校作った人のデザインだと思っていたわ
 きちんと発動するんだね

 724:名無しの冒険者
 うるせえ
 誰の喧嘩やっちゅうねん

 725:名無しの冒険者
 え、さっき空曲がらんかった?

 726:名無しの冒険者
 やばいな
 本格的にあかん感じの魔力をびんびんに感じるわ

 727:名無しの冒険者
 だれかチェルシーちゃんの泣き顔うpして

 728:名無しの冒険者
 >722
 ゴキブリ捕獲用のグッズが煙噴いてるわ
 誰がこんな仕掛けを……

 729:名無しの冒険者
 >724
 錬金術科の研究棟から異常な魔力を検知してる
 もしかしたら誰か決闘をしてるのかも

 730:名無しの冒険者
 夜中なのにくそうるせえと思ったら
 襲撃事件のせいで夜出歩けなくてイライラしてるのに、どこの馬鹿が戦ってるんだか

 731:名無しの冒険者
 あかん、魔法陣がさっきからめっちゃ魔力を吸ってくる
 だれか止めて、怖い

 732:名無しの冒険者
 ゴシップストーンがめっちゃ震えててわろた

 733:名無しの冒険者
(この書き込みは削除されました)










 魔術合戦となる前に泥沼の試合に持ち込む――これは俺の計算だった。
 言うなれば、泥仕合になればこちらが有利である。

 目まぐるしい肉弾戦中であっても、並列思考    によって極めて質の高い治癒魔術を行使できる俺は、逆に肉弾戦のさなかでもパイルバンカーの必殺の一撃を警戒して一瞬たりとも気を抜けない相手と比べて、遥かに有利に立てる。

 俺の手札を先に開示したことも徐々に効果を与えている。あの荘厳な宗教音楽、あの複雑怪奇な曼荼羅魔法陣、そのどちらもが奥の手として隠されている・・・・・・
 すなわちまだミロクはまだ手札を温存している、先にすべてをさらけ出したら負ける。
 と、相手はきっと俺の出かたを伺うはずである。

 そうすれば奇妙な牽制が戦いに生じる。ミロクは最善手を選ぶはず、だがミロクは極めて効果の高いバフ魔術をなぜか使ってこない。その理由を探り当てないと――と相手の思考に一抹の疑問を与えられる。

 事実、狂戦士と化して自らをかなぐり捨てるような戦いをする俺に、アシュタロトは終始翻弄されている。魔術を練る時間も呪文を唱える時間もろくに存在しない。
 無我夢中で襲いかかる俺と、パイルバンカーの一撃や俺の切り札に気を払ってどうしても後手を踏みがちな彼女では戦いの勢いが全く違うというもの。
 お互いが血みどろになるような試合展開は、完全に想定外だったに違いなかった。

(……逃がすものか、お前は必ず、ここで)

 一瞬の隙さえ与えない。
 少しでも離れようものなら、退魔の付与魔術を加えた石礫をこれでもかと投擲しながら一気に詰め寄る。
 相手は大罪の魔王。わずかな油断も死につながる。

 だから俺は、戦いのすべてを自分のペースで運ぶことを計算して――。



「鬱陶しいわね」



 ごしゃ、と水のような音。どこからそんな音が鳴ったのか、と最初は全く理解できなかった。
 俺の左手の指が、全部あり得ぬ方向に曲がっていると気づいたのは遅れてのこと。これで俺は左手で投擲ができなくなった。
 血が止まらない。

「……設置していた?」

「ご明察ね、ミロク君」

 何ということだ――あの漆黒の夜を駆ける鞭は、設置型のトラップにもなるのだ。
 背筋が凍る。
 咄嗟に俺は血を呑んだ。
 背中のコートの聖書詩編が輝いて「じつにこれは、新しくそして永遠なる契りの、私の血のカリスである(Hic est enim calix sanguinis mei)」という意味の典礼言語が展開される。

 緊急手段の聖体降ろし。潰されていた左手が再び形を取り戻す。
 聖体拝領唱(コンムニオ)までの正式な手順を踏まない分は魔力が劣るが、俺の身体は数分間だけ”救済者”としての権能を行使できる。
 胸に刻んだ魔法陣が赤熱する。一度使えば数日は使い物にならない、たった一度きりの仕切り直し――。
 急いで勝負を決めねば、と焦りが胸に芽生える。

「あら、残念ね」

 瞬間、目に見えない虚構の弦楽器が幾重にも掻き鳴らされる。
 その音は容赦を忘れ、辺りのすべてを苛烈に叩き荒らす。
 俺は直感した。ずっと記憶の底を洗っていた並列思考が、演奏スキルと鑑定スキルが、その音の正体を俺に囁いた。
 闇を操るそれは。

「――私、もう、余裕がないみたい。いままで楽しかったのだけれど、残念ね」

 虚ろなる弦楽器(ヴィーナ)の旋律が激しさを増した。
 血だらけで満身創痍のアシュタロトは、俺が"救済者"の付与魔術を身にまとったのを見て、ついに奥の手を発動させるのだった。





 古い神話の物語。
 かつてイシュタルは栄誉と名声のため、エビフ山を滅ぼさんと決心した。
 かの山を滅ぼす準備を進め、神々の始祖アヌに祈祷をささげるも、始祖アヌは「エビフ山は恐ろしい山である。逆らっても無駄だ」とイシュタルに告げた。
 それを聞いたイシュタルは憤怒し、とある弓を手に執って大嵐を呼び、大洪水と暴風を起こした。エビフ山へ赴くと山の根幹を掴んで雷鳴の如く吠え、森の木々を罵り、呪い、火を放ってこれらを殺した。
 かくしてエビフ山は滅び、イシュタルは勝利する。

 彼女が手に取る弓は、遥か古くの弦鳴楽器、ハープの一種。
 紀元前4000年のエギペトと紀元前3000年のメソポタミアに起源するその弦鳴楽器は、古代の叙事詩、壁画、聖書、さまざまな場面に現れて人の世に伝わっていった。
 狩人の弓が形を変えたものと言われるそれは、弓の形のまま、サンスクリット世界とヒンドゥー世界へヴィーナとして伝わる。





(七つ頭の武器「シタ」――棍棒だと思っていたが、七つの鞭を弦鳴楽器の音で自由自在に操る武器だったのか!)

 七つの嵐が吹き荒れる。
 空を、夜を、天を奔る暴力の塊。
 享楽と虚無にふけるその者は、天の中心のアシュタロト。

「――ペルシア七曜の金曜・金星を司るもの、アナーヒター。"水を持つ者、湿潤にして力強き者"、ハラフワティー・アルドウィー・スーラー(Harahvatī Arədvī Sūrā)は、弦楽器のヴィーナを自在に操る女神だった」

 甘く溶ける、歌うような絶望の声。

「――アッカド語で元来は金星を意味するもの、イシュタル。ローマ神話のウェヌス、ギリシア神話におけるアフロディーテの原型となったその女神は、音楽や歌や香で包まれる豪華な神事を好み、気まぐれで残忍な女神だった」

 それは他者からの理解を諦めた、ただの独り言のような囁き。

「――バアルの御名 (šm b‘l [šumu ba‘ala]) とも呼ばれ、バアルの陪神として、我が夫、偉大なるバアル・ハダトのそばにあったもの、アシュタロト。
 同じ豊穣神として水を司る海神、七つの頭のリタン、ヤム=ナハルと深い関係にあり、恥じ入るべき存在である私を、我が夫は、我がバアルは、深い慈悲で迎え入れてくれた」

 七つ頭の暴力の中心に住まう彼女は、ただ、虚ろな表情でその場にある。
 憂鬱の大罪は――わずかな哀しみを声色に乗せた。

「バアル、偉大なる我がバアルよ」

 夜が震えた。
 彼女の身にまとう夜空の衣は、未亡人の喪服のような黒の色。

「あなたを蘇らせたら、もう一度、私と」

 その声は、静かな祈り。










「――それでよけりゃ、俺も手伝ってやるぜ? 麗しの天のお嬢さん」

 七つの暴威を、血みどろになって前に進む。
 無尽蔵とも思える聖体降ろしの魔力が、そして愚直なまでに才能を注ぎ込んできた治癒魔術が、そして愚直なまでにただひたすらに鍛錬を繰り返した付与魔術が俺をそれでも前へと押し進ませる。

 七つ頭の武器「シタ」――七つの頭のリタンリヴァイアサンは、もうすでに俺が討伐している悪魔である。
 怖くない。怖くあるものか。
 骨が折れ、血が飛び散ろうと、今の俺に不可能はない。

「な――」

「そのための錬金術だったんだな。道理で医術に詳しいと思った。人を生き返らせようとするなんて、さすがは冥界から蘇ったイシュタル様らしい発想だ」

 だが、その錬金術が、俺を今強くさせている。
 ユナニ医学とガレノス理論に基づく、四体液の制御が。
 アーユルヴェーダ医学に基づく、マントラ呪文と癒しの宝石が。
 漢方医学に基づく、ありったけの生薬が。

 今のこの俺を、一歩、また一歩と前に進ませる。

「吠えろ、ヴァズラ」

 炸裂するパイルバンカー。七つ頭をまっすぐ貫くそれは、俺を一つの道筋へといざなった。
 電光石火。
 今この身は"救世者"の英雄の身。
 血はメシア。名はマイトレーヤ。我が権能は英雄神ミトラ。
 胸に刻んだ魔法陣が、魂の融解炉が、ただ一瞬のために灼熱と化した。

 血に濡れた金剛曼荼羅が展開し、六字大明呪がマニ車となって周囲を旋回する。

 普通なら耐えきれないはずの暴力の嵐――それを辛うじて抗えるのは、俺の"英雄"の付与魔術が完成したからに他ならない。
 全てはただ、その瞬間のために。



「馬鹿な、聖歌は」

「そこで世界一の歌姫・・・・・・が詠唱してくれてるのさ」

 再び交差する七つの暴力。全てを叩き潰さんとするそれを、俺は渾身の意地で無理やりに押しとおる。



 歌声は拙くとも。
 世界最高の魂の器レベルを持ったクロエが、静かに聖歌を紡いでいる。

 入祭唱イントロイトゥス昇階曲グラドゥアーレ 詠アレルヤ|唱《トラクトゥス)、続唱セクエンツィア奉献唱オッフェルトリウム――聖体拝領唱コンムニオまでをつなぐただ一念の声。

 俺は戦闘中に詠唱をしなかったのではない。考えもなく狂戦士のように突っ込んだのではない。
 詠唱スキル・・・・・は、すべてこの瞬間のためにクロエに託してきたのだ。

 ――魔術言語の勉強は難しかったに違いない。
 迷宮の中でうんうん唸りながら、ただひたすらにシナイ詩編の勉強をしてくれた彼女は、本当に俺にとってかけがえのないパートナーである。
 そして、詠唱スキルと魔術言語スキルを付与した今の彼女にならば、きっと歌いきることができるはず。



「させぬ!」

「させねえよ!」

 敵の叫びに先んじて冒険者ギルドのタグを発光させる。
 闇を消し飛ばす【瑠璃色】の光。閃光が全ての視界を塗りつぶす。
 夜の闇なんて、いつだって光が振り払うのだ。



「今ですミロクっ!」

 クロエの投擲したエメラルドの宝石のアゾット剣が空を切る。
 元々は錬金術師パラケルススが霊薬を持ち運ぶのに使っているとされたアゾット剣は、今や別の魔術的意味コンテクストを帯びている。
 宝石魔術に彩られたそれは、「シャムシール・エ・ゾモロドネガル」。エメラルドのビーズがちりばめられた、元々ソロモン王が持っていたとされる悪魔払いの剣だ。

 ビーズには祈りを。
 俺の付与魔術と、クロエの宝石魔術が込められた渾身のそれは、大罪の悪魔へ格別の効果を生む。
 悪魔を使役したソロモン王の剣が悪魔に効かぬ道理はない。



 大罪が痛みに絶叫する。
 空間が全て波打って、この世の全てを呪わんと暴れ狂う。
 夜が慟哭に震えた。



「先生、あんたすげえ強かったよ――でも、魔力供給源のそばにネズミ捕りに模した細工を置いて、魔力を遮る煙を焚いておけば、魔力吸収効果は半減するんだぜ」

「まだ、まだ終わらぬ! 我が名は天の――」

「吠えろ、ヴァズラ。今度はありったけ、血の限り」

 我が血はカリス。
 我が血は恵み。
 そのすべてを付与したトンファーは、さながらロンギヌスの槍のように膨大なる魔力を渦巻いて胎動している。

 夜が全てを俺に集結させる。
 天ねじれる一撃はまさしく古来の神を思わせる凶悪な暴力。その暴力の先でアシュタロトは全てを潰滅させんと吠えていた。

 迎え撃つは英雄神ミトラの金剛杵(ヴァズラ)による天裂き穿つパイルバンカーの一撃。
 それはさながら雷霆。天空と雷霆が全てをここに集結させて連鎖的に爆ぜた。



 決着。

 その地にあるのは、ただ一人。

 偉大なる天の主人、虚ろなる大罪、アシュタロトは、胸に刺さったアゾット剣にヴァズラの追撃をまともに受けて、その場に伏してもう動きを見せなかった。


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