2 / 68
2.説明している暇はない
しおりを挟むエディエットは遠くから聞こえる賑やかな声に背中を向けた。向かう先は後宮。表の喧騒とは縁のない場所だ。そんななか、一際大きく鐘の音が聞こえた。
(始まったな)
大広間で王太子とその婚約者のお披露目が始まったのだ。鐘の音は入場の合図だ。たった今、宰相の娘であり第二王子の生母である側室のお気に入りのアマリアは、王太子の婚約者として紹介されたのだ。
(急がなくては)
人気のない廊下をエディエットはもはや走っていた。時間はない。この隙に行動をしなくては未来などないのだ。
笑ってしまうほどに誰もいなかった。本来ならいるはずの後宮の門番さえいなかった。誰も彼もが王太子とその婚約者のお披露目のために大広間に、又はその準備のために王城に行ってしまったのだ。
「母上、ご機嫌麗しく」
扉を開けて直ぐに挨拶をする。いつも通りの言葉を告げれば、少女のように微笑む母がいた。
『このドレス、地味ではなくて?』
相変わらず妃であるはずの母は、この国の言葉を話さない。幼い頃は不便で仕方がなかったが、エディエットは母の生まれた国の言葉も覚えることで不自由では無いようにした。もちろん、それがいけなかったのだとは今更だけど。
「リズ、ありがとう」
「勿体なきお言葉です。エディエット様」
母の侍女であるリズに軽く礼を言うと、今更ながらにエディエットは気分が悪くなった。
(本当に気付いていないのか?)
言葉が分からないからと言って、本当に今日王城で行われることを知らないのだろうか?元々後宮は静かな場所ではあるが、今日はさらに静かなのだ。巨大な後宮であるのに、いるのはこの三人だけ。
『さっきの鐘の音はなぁに?』
あどけない顔で聞かれては、エディエットも苦笑するしかない。ソレは聞こえていたのだ。けれど、回りの静かさには気付いていないというわけだ。
『母上、しばらく寝てください』
『え?なぁに?』
聞き返されたけど、返事はしなかった。説明するだけ無駄なのだ。エディエットは母の瞼を手のひらで軽くなぞった。
途端に力が抜けて母は動かなくなる。リズが直ぐに袋を渡してきた。
「ありがとう」
エディエットは袋を母の頭から被せると、そのまま全身を袋の中に入れる。そうして靴を脱がせた。
次に腰にぶら下げているポーチに部屋の中のあらゆるものを詰めていく。天蓋付きの大きな寝台、美しい装飾のあるタンス。ティーセットに飾り棚。クローゼットの中に入り用途の分からない大量の靴を手当たり次第に詰め込んでいく。
何もかもを部屋の中から無くしてしまい、最後にカーテンまで取り外してみれば、母の部屋はなんと広いことか。さすがは王妃の部屋である。後宮で一番広いのだろう。明日からは第二王子の生母が住むことになるだろうから、片付けておくのは礼儀だとエディエットは自分に言い聞かせた。
「リズの荷物は?」
「こちらです」
仕事のできる侍女は自身の荷物を綺麗にまとめていた。旅行カバンにたった二つ。膨大な母の荷物と違ってなんと慎ましいことだろう。
「分かった」
エディエットは二つのカバンを素早く腰のポーチに入れた。
「いつ見ても素晴らしい空間魔法にございますね」
「ありがとう」
母からは一度たりとも褒められたことの無い空間魔法を施したポーチである。母にも可愛らしいポシェットに空間魔法を施してプレゼントをしたけれど、ついぞ使っているのを見たことがない。それどころか、どこにしまわれてしまったのだろうか?今更探すのもだいぶ手間である。
「いくよ」
エディエットに言われてリズが後に続く。リズは元々侍女の服を着ているから、なんの問題もなく後宮の廊下を走る。エディエットは素早く王太子の上着を脱いで腰のポーチにしまうと、母を入れた袋を担いでリズに続く。
本当に誰もいない後宮に、エディエットとリズの足音だけが響いた。
応援ありがとうございます!
1
お気に入りに追加
263
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる