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36.業務改善命令と進捗
しおりを挟む意識が浮上はしたけれど、全体的に体が重たかった。窓のない部屋は表の喧騒を届けない代わりに時間も何も知らせてはくれない。
「ん 水」
喉がざらつく感じがして無意識に口にした。ゆっくりと頭を動かせば、そこだけハッキリとした明かりに灯されて、水差しとコップが置かれているのが見えた。魔法が使えないから、仕方なくエディエットはノロノロと起き上がり、自分でコップに水を注ぐ。一口飲んで気がついたのは、そのテーブルが時計になっていた事だろう。帝国は巨大になった際、色々を統一していた。時間や暦を基本に、税収や道路水道の整備までしていた。
それこそが帝国の力の誇示であり、帝国の傘下に入ることは民は豊かで安全な生活を手に入れられる。故に、無駄な争いを避けて属国化する小国が多かった。
「確か時計は海の方の小国の技術だったな」
ガラスの下に文字盤があり、ゆっくりと動く針を眺めると、その奥で忙しなく動く機械の音が聞こえてくる。動力はもちろん魔石で、こんなところでも帝国の皇帝たる力が垣間見えた。もちろん、平民の一般家庭にある時計なら、動力は魔石ではなく手動のネジ巻きだろう。朝の日課になっていると聞いたことがある。時間のズレは教会の鐘の音で修正するらしい。
「って、こんな時間 かよ」
時計の細工に意識を取られていたけれど、水を飲み干し冷静になってみれば、随分といい時間になっていた。
慌てて薄布の上掛けを引っ掛けて扉を開ければエディエット付きの侍女が待ち構えていた。
「おはようございます。第二妃夫人」
壁際にいる侍女までが静かに頭を下げる様は壮観ではあるが、寝坊をしたと思うエディエットはこの時間さえ惜しいと思う。
「ああ、おはよう」
口の中で舌打ちを隠しながら、隣に立つ侍女を見れば名前が思い出される。
「セシル、今日の予定は?」
「はい。第二妃夫人におきましてはまずは湯浴みからなされますか?それともココアを飲まれますか?」
予定を聞いたのに質問が反ったきたのには驚いた。だが、それを顔に出すわけにも行かず、エディエットは一瞬考え込む。恐らく、恐らくではあるが、昨夜エディエットが申し立てたことに対する対応なのだろう。
「風呂に」
エディエットが短く答えれば、壁際の侍女が数名動き、エディエットが湯殿に進むための道が作られる。進んでいけば湯殿からは直ぐに湯の熱が感じられた。着ていたものは薄布の上掛けだけだから、エディエットは侍女の手を借りずともそのまま脱ぎ捨て湯殿へと向かった。
もちろん、エディエットが湯に浸かれば直ぐに侍女がエディエットの髪を洗い始めた。
「この後はゆっくりとお食事を取られてから執務室に向かって頂きます。本日は皇帝陛下とは夕餉が予定されております」
本日は、ではなく本日も、だ。毎日毎日夜に食事をしてからそのままの流れで閨に連れ込まれる。確かに正殿宮は皇帝の住まいであるから、衣食住の全てを済ませる場所ではある。先日後宮にの正妃へと赴いて、なぜにこうなのかがようやく理解出来たところだ。
「後宮に入れる新しい人材のリストは?」
「午後にはとり揃います」
セシルがそう答えればエディエットは小さく頷くに留めた。つまりこういうことなのだ。第二妃夫人であるエディエットが指示を出せば、それに対して従僕や事務官が動くのだ。ウルゼンにいた時のようにあれもこれもをエディエットがする必要は無いのだ。
「優秀な侍従がいるとはありがたいことだな」
エディエットがそう言葉にすればセシルは礼の言葉をサラリと述べた。帝国においてはこれが普通のことなのだ。
そうやって湯から上がれば髪を乾かされその間にハーブのきいたミルクティーを飲まされて、食卓につけばたっぷりの新鮮な野菜に焼きたてのパンがあり、色とりどりのジャムが添えられていた。温かなスープは毎日違う味で、よく焼かれた肉と魚が同時にさらに乗せられているのをエディエットは毎日驚きながら眺めていた。
「今日も朝から豪勢だな」
さすがは帝国と言ったところなのだろう。ウルゼンにいた頃のエディエットは、母であるフィナの所でついでに食事を貰っていた。王族の食堂で食べるのはリスクが大きかったからだ。だから、こう言ったいかにも貴族らしい食事は食べなれてはいなかった。
「第二妃夫人でいらしゃるのですから、もっと出してもいいほどです」
セシルはそう言いながら、エディエットが気に入ったと口にしたコーヒーを出してきた。やたらと飲み物が充実しすぎて、エディエットは起きている間ずっと何かを飲んでいる気がするのだ。
執務室にいても従僕がエディエットにはコーヒーを出してくるから、体の中からの排泄物がやたらと頻繁になった。ウルゼンにいた頃はお尻と椅子の座面が離れる時間など寝る時ぐらいだったのに。
そうしてゆっくりと食事を取ってから執務室に行けば、エディエットの机の上には揃えられた書類が小さく山を作っていた。
「写真もつくのか」
椅子に座ってひとつを見てみれば、新しく後宮に雇用するための人員の紹介状だった。貴族令嬢から商人の未亡人までとても豊かな人選にエディエットは目を瞬かせる。
「何かございましたか?」
エディエットの表情が豊かなので、従僕の一人が不思議そうに聞いてきた。今日は執務室に皇帝の姿がないからこその出来事だ。
「さすがは帝国だと思っただけだ」
エディエットは一通り紹介状に目を通した。公主を同じとする貴族からの紹介状は身元を保証するものだ。後宮に入るということは敵意は無いとの意思表示が必要となる。知性と教養に優れた者が後宮に入り、出る時は死体となった時だけだ。そもそもこちらでは乳母という立場は無い。女は子を産み育てるから、乳母の乳を吸わせるなんてとんでもないことなのだ。
「アルネット様に先触れを」
「承知致しました」
従僕が恭しく頭を下げて退室する。エディエットは腰にぶら下げているポーチに紹介状を詰め込んだ。ウルゼンから持ち込んだコレは、一度はアラムハルトに取り上げられたけれど、直ぐに取り戻すことが出来た。取引として、アラムハルトにも空間収納魔法を施したポーチを作ることになったからだ。
「……っと」
後宮のアルネットの所に先触れを出しに行った従僕が戻ってきて不思議そうな顔をした。
「どうした?」
「あ、あの いえ、お荷物……は?」
どうやら机の上から消えた紹介状の山を探していたらしい。
「ああ、ここだよ」
そう言ってエディエットが腰のポーチを示せば、従僕は納得したように頷くのだった。
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