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57.参考までにとは言わない
しおりを挟むルシェルが盆の上のペンを取りインクを丁寧に付けて、真新しい羊皮紙に名前を書く。事前に細工が施されていないことは、招待客の一人がわざわざ頼んでもいないのにやってくれた。
侍従の持つ盆の上で書いているから文字が多少寄れているのだと自身に言い聞かせ、ルシェルは金の玉璽を手に取った。魔道具であるから使用者を選ぶ。その大きさの割に重たく感じるのは素材のせいだと思い込み、ゆっくりと羊皮紙に面を押し付けた。
だが、なんの反応もないのが見て取れた。
正当な利用者であると判定されれば、玉璽が光印が押されるのだ。
「そ……んな、はず、は」
玉璽を手にしたままルシェルは呟いた。玉璽を押し付けた羊皮紙にはなんの模様もついてはいない。
「その方がウルゼン国王太子では無いことが証明されたようだな」
アラムハルトが抑揚のない声で告げれば、侍従がルシェルの手から玉璽を取り戻そうと手をかける。
「何を言うか!私はウルゼン国王太子であり、来月には即位をするのだぞ」
叫ぶルシェルをアラムハルトは冷ややかな目で見た。魔道具である玉璽から正当な利用者として認められなければ、他国からも認められないと言うことに直結する。まして、ここは帝国で近隣諸国のみならず、皇帝の招待により世界中から国王や公主、貴族が集まっているのだ。
「残念だったな、弟よ。お前には使用の権限が与えられていなかったようだ」
ずっと静かに皇帝の隣に立っていたエディエットがようやく口を開いた。
「どういう意味だ」
ルシェルが怒鳴るように言葉を紡ぐが、エディエットは見事なアルカイックスマイルを見せ、ゆっくりとルシェルの前に立った。
皇帝の第二妃夫人が動き喋ったと、招待客は内心喜びを爆発させた。まるで置物のように動かないでいたから、ガラス細工の何かかと疑う程であったのだ。
「これだよ」
言うなりエディエットは何かをルシェルの前に放った。それは金の光を放つ小さな二つの塊だった。
「なっ バカな」
それがなんなのか認識した時、ルシェルの顔が一気に赤くなった。そして慌てて床に転がる二つの金の塊を手にした。
「な、なぜ なぜだっ」
二つの塊を持ち、悠然と立っエディエットを睨みつける。だが、エディエットは表情を変えず、取り繕う様子も見せずにルシェルを見下ろし口を開いた。
「分からないなんて、お前は本当にバカだな。宰相に傀儡にされていることにも気づいていないとは、なんて可哀想なのだろう。ここまで来るのに、どこの転移門を利用した?どこからどこに繋がっていた?そんなことも考えなかったのか?調べれば気づけたのにな、ウルゼン国がどうなっているのかを」
そう言って、エディエットは一枚の羊皮紙をルシェルの前に出した。何が書かれているのかすぐには読めなかったけれど、一瞬で理解出来たのはそこにウルゼン国国王の玉璽が押されている事だった。
大きく目を見開き、ルシェルはその上に書かれた文字を読む。何がどうしてどうなっているのか、ルシェルはようやく理解した。
「な んて こと、を だ、れ が、書い た、と 」
ルシェルの口が酸欠の魚のように何度も開く。紡がれた言葉はウルゼンの言葉であるがため、理解できる者は少ない。
「お前 かっ、お前、なのだな」
ルシェルが突如として立ち上がり、その両腕をエディエットに伸ばした。だがしかし、ルシェルの手が届くより早く騎士がルシェルを取り押さえる。
そうして、その向こうでエディエットは皇帝の腕の中にいた。
「痴れ者が、私の妻に何をしようとした」
皇帝たる威厳を持ってアラムハルトが口を開けば、騎士に取り押さえられたルシェルが下から睨みつける。
「エディエット、お前、なにを 」
ルシェルがそう口にした時、アラムハルトがすぐに口を挟んだ。
「私の妻の名を勝手に口にするな。許可などしてはおらぬ」
アラムハルトが語気を強めて言えば、エディエットが怯えたような仕草でアラムハルトの首に腕を回しその膝の上におさまった。
「何を勝手に国王の玉璽を使った。エディエット、お前になんの権限があるという。お前など、廃嫡された王太子ではないか」
ルシェルがそう怒鳴りつけるように言えば、エディエットは更に怯えたようにアラムハルトの首に頬を擦り寄せた。
「面白いことを言う。その書状には間違いなくウルゼン国王の玉璽が押されている。それはすなわち、ウルゼン国王太子が帝国の皇帝たる私の元に嫁ぐ際の持参金が記載されているのだ。だからそうだな、私の妻は確かに王太子の位から廃嫡されたと言っていいだろう」
言いながらアラムハルトはエディエットの衣服に手をかけた。ちょうどルシェルたちの方へとエディエットは背中を向けており、肩のあたりから衣服を背中に落とせば、左肩の辺りに証が刻まれているのがよく見えた。
「だが、女神の聖水により刻まれた証は消えてはおらぬ」
ルシェルだけではなく、招待客たちもその証をその目で確認した。間違いなくウルゼン国王族としての証が刻まれていた。
「故に、ウルゼン国王太子であるエディエットは、私の求婚に答え持参金として己の持ちえる全てを私に捧げてくれたのだ」
それがすなわち王太子の地位からの廃嫡と言うならば、持参金として捧げたものは言わずもがな、となるわけだ。
「そんな ばかな こ、とが 」
ルシェルは茫然自失でエディエットを見つめた。そして、傍らに転がる金の塊をみた。そうして、自分が玉璽を押せなかった理由をようやく理解した。
「安心しろ、そうは言っても私の妻の弟には違いない。帰りは我が騎士団をつけてやろう。ゆっくりと離宮で過ごすがいい」
アラムハルトの言葉に合わせ、侍従たちがルシェルを両脇から支えるようにして退場させる。面白い余興をみた招待客たちはルシェルが見えなくなったあと、視線を皇帝へと戻した。
既にエディエットの衣服は戻され、見せつけるように皇帝の頬へと唇を寄せるその姿に目線をそらす羽目になる。
「さて、余興は楽しんでもらえたようで何よりだ。私はこれにて退場させていただこう」
アラムハルトはそのままエディエットを抱えて宴の席を後にした。
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