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第一章

霧の中の幽霊船~潜入~

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 薄暗い石畳の一室。青緑の炎が灯り、ゆらゆらと揺れている。
 燭台が円を描く中心には台座が1つ。

「これは……」

 僅かに驚いたような響きを持つ低い声は、耳元で甘く囁かれたらゾクリと震えてしまいそうな質だ。

「見つけた見つけた宝物♪騙して奪った宝物♪返せ返せと子猫が鳴いた♪」

 対するのは楽しげに歌う幼い子供の声。歌いながらくるくると男の周りを廻って笑う。炎に合わせて影が伸びたり縮んだりを繰り返し、どこか不気味に蠢いた。

 ◇◇

 気絶させるほど貪って、翌朝。腕の中で居心地が悪そうに身動いだアサギの首筋に唇を押し付けキツく吸い上げると、白い肌に小さく赤い花が咲く。

「……見えるとこに跡つけるな」

「ギリギリ見えねぇよ」

 昨日意識を失う前までは素直で可愛かったのに、と苦笑しながらもう1つ。赤く色付いた箇所に軽く口付け満足げにしているケイをチラリと振り返ったアサギの頬にも唇を落として体を起こす。釣られたように起きるアサギの頭を撫でて、まだ寝てろ、と口を開く……その前に部屋の扉が乱暴にノックされた。

「船長、すぐ来てください」

 ただ事ではないリツの声音に一瞬顔を見合わせて脱ぎ散らかされた服を手に取りながら

「どうした」

 と扉の向こうに声をかけるが、リツにしては珍しく言い淀むかのような間が空く。
 怪訝に思いつつ適当に服を着込んで扉を開けると僅かにホッとした顔。後ろをついてきていたアサギもその様子に首を傾げている。

「……海の様子が変なんです」

「変?」

 甲板に出、“変”の意味を知った。
 昨日の海の様子や空の様子、風の流れから今日は快晴の筈。なのに今、船の周りは先も見えない霧で覆われている。海は波もなく不気味な程静かでそれがザワザワと不安を煽る。

「……羅針盤が途中で利かなくなりました」

 現在地がどこになるのかわからなくなる、それは見渡す限り目印になるもののない海の上でかなり致命的だ。まとわりつく濃い霧に不安を煽られたらしいアサギがケイの服の裾を握って辺りを見回し動きを止めた。

「……アサギ?」

「……あれ」

 そう一言呟いて指を指した方向に目を向けて、一瞬の間の後ケイは叫んだ。

「船影!舵を切れッ!!照明弾、撃て!」

 静寂の中響いた声を聞き留めた操舵手ジルタが舵を切り船が旋回を始めるがゆっくり近付いてくる船との距離は思いの外近い。しかも向こうは真っ直ぐこちらの船へ向かってきており避ける素振りも見せない。それは照明弾で辺りが一瞬眩く光っても変わらなかった。相手はただ真っ直ぐこちらへ向かってくる。
 それでも何とか正面衝突を避けた、と一瞬安堵しかけた瞬間ガクン、と船が大きく揺れ動きを止めた。今まで進んでいた船が唐突に、である。
 止まったのはケイ達の船だけでなく、相手側の船も同様。完全に横につけられた形で停まっている。
 その上、ガンッ!と響いた音に霧の中目を凝らせば板が渡されていた。

「……船長」

 気付けばアサギと反対の腕にリツが張り付いており、代わりにアサギはどこか興味を引かれた様子で渡し板をかけたきり動きのない謎の船へと視線を向けている。
 相手の船に識別旗は掲げられていない。

「……この展開はあれだな」

「……幽霊船?」

 どことなくワクワクした響きを持つ声色で話す二人を恨めしげに見つめるリツはケイの腕を掴んでいた事に気付いたか、バッと手を離したもののそこから離れはしない。

「幽霊なんているわけないでしょう」

 口調だけはいつもの強気だが。しかし

「船長ォォォォォ!!めっちゃ気持ち悪いんすけどぉぉぉ!」

 甲板に飛び出してきたカルの叫びにビクリと大きく跳ねてまたもケイの腕にしがみつく。何か現れれば彼を盾にして逃げかねないほどしっかりと。

(……面白い……)

 怖がるリツが珍しく、つい面白がってしまいながら息を整えているカルへと視線を向ける。アサギは相変わらずワクワクした様子でケイから離れ、船縁に手をついて隣の船を観察中だ。

「す、す、す、スクリューに!毛が……っ!」

「……毛?」

「これっす~。髪の毛っぽくないですかー?」

「うわ、ちょっと!持ってくんなよ!」

 のんびり間延びした声はアーセルムだ。その手に握られているのは確かに人の毛に見えなくもない黒く長い何か。海草ではないようだ。
 流石に少し気味悪く感じながら、アサギはカルの発した“スクリュー”に首を傾げる。

(帆船にスクリュー……??)

 修理の時に一緒に改造でもしたのだろうか。それを訊こうと口を開く前にふと視線を感じて振り返った。隣で沈黙を続ける謎の船の艦橋付近、白いワンピースが翻る。一瞬旗の残骸を見間違えたかと目をこすってからもう一度。見間違えるような物は何もない。

「……何かいた、かも……」

 小さな呟きは静寂の中響き、全員の視線がアサギへと集まった。

「な、何かって?何かってなんだ?」

 わかりやすく狼狽えているカルに答えていいものかと艦橋を指さしかけた体勢で動きを止めると、それはそれで恐怖を煽ってしまったらしくガッと肩を掴まれる。

「な、な、なんだよ!言いかけてやめるなよ!」

「落ち着け、カル」

 苦笑いのケイに声をかけられただけでもビクリと跳ねるカルに笑って……気付いた。
 ケイの腕にはまだリツが張り付いている。ケイも特に何も言わず好きにさせている。

(……?何だ、これ)

 何だか腹の辺りがモヤモヤする、と思わずギュッと服を握った。

「……まあ何にせよどうも呼ばれてるみたいだしな。行ってみるか」

 船はまだ錨を下ろしてないにも関わらず一ミリも動かない。加えて隣の船から板が渡されたとなれば誘われている、と言う他ない。

「……危なくないんですか」

 腕を離さないリツにニヤリと笑う。

「何だ、怖いのか?」

「怖いはずないでしょう!幽霊なんていませんから!」

 ハッと気付いてまた腕を離すリツにバレないよう小さく笑いながら

「はい、隣行くヤツー」

 言って見渡せばアサギとアーセルムは自分で、カルはアーセルムに無理矢理挙手させられている。

「やだやだ!俺行かないっすよ!?」

「えー?今手挙げたじゃん」

「無理矢理挙げさせただけじゃないすか!イヤだ!行かないからな!」

 アーセルムがジタバタ暴れるカルの首に腕を回しグッと絞め、カルの口からはグェ、とカエルが潰れたような声が洩れるけれどそれでも暴れるのをやめない。

「先輩命令~」

「知らないすよそんなん!行かないったら行かないー!はーなーせー!何とか言って下さい船長!」

「んー……面白いから連れていこう」

「船長の裏切り者ぉぉぉぉ!」

 既に泣きそうなカルをアサギが宥めすかしている間にチラリと隣の船を見る。ひら、と翻ったのはアサギが見たという何か、なのだろうか。それが本物の人なのかこの世ならざる者なのかはまだわからない。

「本気で行くんですか」

 無自覚の不安顔で問いかけてくるリツの額にデコピンを食らわせたら仕返しとばかりに腹に一撃食らった。

「おいこら……、腹狙うなっつったろ……!」

「知りません」

 つん、とそっぽを向かれホントにアサギと兄弟みたいだな、などと苦笑して

「どっちにしろここから動けねぇみたいだしな。どう考えても原因はコイツだろ。行くしかないと思うぞ」

そう言えばため息を1つ。

「……わかりました。すぐにでも脱出できる準備はしときます。何かあったら置いて逃げます」

「いや、逃げんな」

「全速力で逃げます」

「置いてかないで、お願い」

 逃げるも何も動けないのだから逃げようもないだろうがリツならばどんな手を使ってでも無理矢理逃げそうだ。
 本気で置いて行かれたらどうしよう、と一抹の不安を抱えつつ半泣きのカルを引き摺るアーセルムとワクワクした顔のアサギを連れて渡し板に足をかけた。

 ギィ、ギィ、と波に揺れる船体が軋む。何かがいた艦橋に上がるには反対側の甲板に出るしかなく、その為には船内を歩く必要があるのだがケイの掲げるランプの灯りでは遠くまで見渡せず、見える範囲だけでも相当年季の入った様相にカルはアーセルムにしがみついたままビクビクしている。

「あ、骸骨」

 暗がりに炎を反射する何かを見つけ近寄れば壁に寄りかかるように座り、腹に刃を刺された人の骨が一体。随分錆びた刃の何に反射したのかと思っていたら

「うわぁぁぁ!もうやめろよ!いちいちそんなん見つけんな!」

 泣き声のカルに怒られた。

「あー、ごめん。……あ」

「何!?」

「カルびびりすぎだってぇ」

「あああアム兄が無理矢理連れて来るからじゃないすか!俺やだって言ったのに!暗い怖い帰りたいもう歩けない!」

 船内最年少のカルは年が比較的近いアーセルムやジルタをアム兄、ジル兄と呼び普段は慕っている。最近では弟分のアサギが来たからか兄貴風を吹かせているのを見かけるけれど、元々の仲間からすればまだまだ頼りないヒヨッ子だ。
 それでもアサギの前では頼れる兄貴でいたいカルの背伸び具合は仲間内では微笑ましい、と話題に上ることが多かったのだが、今はその“頼れる兄貴”の仮面を脱ぎ捨ててアーセルムにしがみつく。

「怖い、やだ、帰る!」

「なぁカル、ここにオバケいないよ。ただの骸骨じゃん」

 アサギの声で恐る恐る視線を向け、ひぃ、と引きつった声が出た。
 アサギが握ってカタカタ揺らすのは骨になった人の腕だ。

「……お前案外強いな……」

 流石のケイも若干引き気味である。

「体は器、魂が抜けたらただの脱け殻だ。何も起きないよ」

 骨を持ち主の体に置いて首の骨に引っ掛かっていた錆びた鎖を柔らかく撫でる。鎖に繋がっているのは小さな写真入れ。蓋を開ける時についたらしい血痕は既に変色し、写真入れもボロボロになっている。

(……恋人かな)

 穏やかに微笑む若い女性。美人、とも可愛い、とも形容しがたい。素朴、がしっくりくるだろうか。恐らく彼は最後に、この写真の彼女を想いながら亡くなったのだろう。
 ランプの灯りを反射した小さな宝石がついた写真入れが落ちないようにソッと指を離し立ち上がる。

「……この船で何が起きたんだろう」

 船の出入り口近くにこんな他殺白骨死体があるということは、奥に行けばもっと凄惨な何かがあるかもしれない。それを察したカルが

「なあ、もう帰ろ?帰ってスクリューのアレ外したら船動くって。だから帰ろうよ」

 そう泣き言を言った瞬間、バァン!!と勢いよく入り口が閉まった。

「……閉まったぞ」

「閉まりましたねー」

「ぎゃーっ!もうやだー!帰る!怖い怖い怖いーーー!!」

 ついにアーセルムの背中によじ登ってしまったカルを背負い直しながら入り口を確認しに戻るケイについていく。
 アサギが来ていない事に気付いたのは入り口の扉が全く動かない事を確認した後。アサギは先程の場所に立ち、何かを見ていた。琥珀の瞳が炎で揺れてどこか不思議な光彩を放っている。

「アサギ?」

 ケイに声をかけられ、無言で指を指したそこでは丁度曲がり角を曲がっていく誰かのワンピースが翻った所だった。

「あれは何だ?幽霊か?」

「……誰かの、強い思念だ」

 誘われるように白いワンピースの誰かが曲がった角へ歩き出すアサギについて行きながら、

(それを幽霊って言うんじゃないのか?)

 と僅かに思う。

 ぐすぐすとカルの鼻を鳴らす音の他に聞こえるのは風の音くらいか。時折足元を過っていく虫以外生き物の気配はない。

「……にしてもひでぇ有り様だな」

 ランプで辺りを照らせば入り口の骸骨と同じような状態の物がそこかしこに打ち捨てられている。
 頭蓋に穴が開いている者もいれば長い年月にそうなったのか、それともその状態で死んだのか上半身と下半身が離れている者、首から上がない者、様々だ。

『――――こっち』

 小さな少女の声が聞こえたのはその瞬間だった。骸骨を見下ろしていたアサギが顔を上げ、ケイが灯りを向ける。カルは恐怖に震え今にも失神しそうな有り様でアーセルムはもう一度カルを背負い直した。

「……呼んでるな」

「……うん」

 おいでおいで、と手招く少女の体は闇の中薄ぼんやり光っているのに、何故か顔ははっきり見えず、足は床から5センチ程離れている。

『――――こっち、……こっち……』

 おいで、ともう一度手招いてひらりと身を翻した彼女はまた曲がり角の先に消えアサギはそっちへと向かっていく。少し不安になって見下ろせば、彼の琥珀はしっかりした意思を持って闇の先を見つめていた。取り憑かれている、とかではなさそうだ。
 安堵した途端バキッ、と激しい音が響き次いで

「うわ……!?」

「ぎゃあ!?」

 アーセルムの悲鳴と、その悲鳴に驚いたカルの悲鳴、それに驚き振り返った二人の目の前で板を踏み抜いたアーセルムの体が傾ぐ。カルを背負った彼には体勢を立て直す間がない。

「――っ!アム!」

 ケイが伸ばした手は紙一重で届かなかった。




 頭上から降り注ぐ木片と、

「カル!アーセルム!」

「カルー!おーい!」

 ケイ達の声にカルは恐る恐る目を開けた。ずっと目を閉じていたからわからないけれど状況的には階下に落ちた筈。

(痛くない……)

 手をついた場所が床にしては柔らかく不思議に思って暗闇の中目を凝らす。

「いってててて~……」

「え、アム兄?」

 体の下で小さく声を上げながらもぞりと動いたのはアーセルムだった。
 落下の間に体勢を入れ替えて落下の衝撃を受け止めてくれたらしい。

「おーい!カルー!アーセルムさーん!」

「二人共無事か!返事しろ!」

 上からはまだケイ達の声が聞こえる。ものすごく距離が離れているわけではないらしく、ケイの掲げるランプの灯りは思いの外近いけれどこの暗闇が邪魔をしてよく見えないらしい。

「大丈夫です!」

 叫んでから、アーセルムは大丈夫なのかと彼の体から降りて視線をやるとぽんぽん、と頭を軽く叩かれた。

「二人共無事っすよ~。それより船長、そっち戻るの無理そうなんでぇ、俺達別の道探してきますねー」

 どうやら2階分落下したようで、上でケイが掲げる灯りにうっすら穴の開いた天井が見えている。よじ登るのは無理そうだ。

「わかった。こっちも降りる階段を探す。見つけたらそこで待機してろ」

「了解っす~」

 その返事のあとゆらり、と灯りが揺れてそのまま見えなくなった。辺りは完全な暗闇だ。隣のカルが震えてしがみつく。

「アム兄、怪我は?」

 怖がりながらも案じてくる弟分の鼻を指先で弾いて立ち上がるけれど

「……っ」

 思わず息を詰めた。
 激痛が走ったのは右足首。受け身を取り損ねてなんとか踏ん張った足を捻ってしまったようだ。

「アム兄……?」

 暗闇で見えないらしいカルの不安そうな声に軽く息を吐く。
 我慢できない程ではない。

「大丈夫ー。てゆーかお前怖がりすぎ~。こっから先は自分で歩けよー?」

 我慢できない程ではないがおぶれる程軽い痛みでもなく、それと悟らせないように敢えて軽めの口調で告げると、恐怖に苛まれているカルは特に違和感を感じなかったらしく微かに頷いた気配がした。
 ついでクイ、と引かれた袖に「ん?」と首を傾げると

「こ、怖いから手握っててもいい……?」

 控え目な声音に吹き出した。

「笑うな!」

「最近ボウヤに“お兄ちゃん”してるから関心してたけどぉ、またまだガキだなぁー」

 むしろカルの弟分の方が肝が座っている。かなり意外だったが。

「だ、だから俺は行かないって言ったじゃん!無理矢理連れて来たのアム兄だろ!責任とって下さい!」

「はいはい、僕ちゃん。お手々繋いで行きましょうねぇ。早くしないと置いてきますよー」

 怒るかと思ったけれどやはり恐怖には勝てないらしく、カルは無言でアーセルムの手に縋りついた。

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