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メイド長
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夕方までアステラ達と過ごしたキールは自室として与えられた部屋でいそいそと日記を取り出した。魔法の板は書いた物が消えてしまう。でも日記ならそのまま残るから、と復習も兼ねて書くようにフォルティアから日記帳とガラスペンをプレゼントされたのだ。
(綺麗……)
自分と同じく黄色が主体で端にいく程緑が混ざっていく色合いのガラスペン。ペン自体はキールが落として割ってしまう可能性も踏まえて凝った物ではないけれど小さくキール、と名前が掘ってある。
今日届いたというそれを灯りに透かせばきらきらと輝いていて、その輝きをしばらく眺めてからソッとインク壺へと入れた。螺旋のようにインクを吸う様が不思議で面白くて、尾羽がふるふると震えている。
楽しい。嬉しい。最初の一文字は何にしよう。
ワクワクとまだ真っ白なページに文字を書こうとしたその時だった。
ガタン!と音がして小さく蝶番の音と共に扉が開く。
(メイド……長?)
いつもはきっちり結ってシニヨンを布でリボン状に覆っていた髪はバサバサに散っている。
メイド服ではない私服は少し流行の過ぎた地味めなドレスで今から眠る格好ではない。
何か用事だろうか。
もしかしたら今日雪掻きをちゃんとしなかったから叱りに来たのかも知れない。
慌てて日記とガラスペンを机に置いてメイド長の元に駆け寄った。
言い訳になってしまうかも知れないけれど、今日は王太子殿下とその護衛の人が一緒にお茶をするように、と言いキールを離してくれなかったのだ。
フォルティアもイアンも何も言わなかったし問題ないと思ってしまった。
駆け寄ったメイド長がブツブツと何か呟いている事に気が付いたのはあと一歩の所だ。
「お前さえ来なければ!!!!」
鬼の形相で腕を振りかぶりバシンとキールの頬が音を立てる。
いくら女性の力と言えど細身のキールでは持ちこたえられず叩かれた頬を押さえて床に座り込んでしまった。
何が起こったかわからなくて呆然としている間にメイド長は机の上の日記とペンに目を留める。
「こんな物!たかが男娼風情が!」
(やめて!!)
机の上を薙ぎ払う手がインク壺を飛ばし真っ白だった日記は真っ黒に染まって、宙を舞ったガラスペンが柱に当たりパリン、と音を立てた。
真ん中からヒビが入って欠けたガラスペンが絨毯の上をコロコロとインクで汚しながら転がっていく。
震える手で拾って掲げて見たけれど両手にインクが漏れてくる様を見ればもう使えないのは明白だ。
(どうして……)
ほろ、と零れた涙を鼻で笑ったメイド長はキールの手からガラスペンを奪い取ろうとする。
「こんな物叩き潰してあげるわ!」
(やめて!)
インクで汚れるのも構わず胸に抱え込んでメイド長の手からペンを守るキールの頭に何度も固い靴の踵が当たった。
耳羽が何本か折れてはらはら落ちるけれど我慢してぎゅう、っとペンを握る。割れた部分で手が切れてインクと滴る血が混ざってどす黒い染みを作って、踏まれ続ける頭からも生暖かい物が垂れてきた。
「奥様がおられたらお前のような下賎な輩、決して家には入れなかっただろうに!鳥人族と言えどたかだか男娼風情が貴族の一員にでもなったつもりでいるの!?」
そんなつもり欠片もない。
キールはいつだって自分は卑しい身の上でフォルティアの温情で置いてもらってると思っている。
それなのにメイド長からはそう見えていたのだろうか。
痛みに耐えながらそう考えるキールだったが、キールの知らない所で下されたフォルティアと同様の扱いをするようにという命令自体が普通ではないのだ。
疑問を抱いた使用人も多かったけれど主人の命令は絶対である。
ただ前辺境伯夫妻に仕えていたメイド長の中ではフォルティアは主人ではなく、あくまで前主人の息子であり守るべき存在だったのだ。
狂ったように笑うメイド長の声が聞こえたのだろう。ようやく他のメイドが来て部屋の惨状に悲鳴を上げる。
駆けつけた使用人達に引き剥がされたメイド長は尚も叫んでいたけれど静かに現れたフォルティアを見て顔色を変えた。
「ぼ、坊っちゃま……」
フォルティアの怒りは静かだ。
まるで気付かない内にしんしんと降り積もる雪のように静かに、けれど確かに辺りを染めていく。
ゆっくりと部屋の惨状を眺めたフォルティアは奥で縮こまったまま動かないキールを見る。黄色い髪にべったりつく赤は何度も木靴で踏みつけられた箇所が切れているからだろう。
部屋の空気がぴり、と緊張を伴いながら冷えていく。
魔法騎士と呼ばれるフォルティアが得意とするのは氷魔法。
怒りの余り漏れ出た魔力で部屋がぴきぴきと凍りついて暖炉の炎までもが氷に覆われて消える。
キールの周りだけ暖かな春の陽気に囲まれているけれど、すぐ側にいるメイド長の足は床に凍りついた。
「メイド長。どうやらお前に耳は必要ないようだな?」
フォルティアとアステラ、どちらからの忠告も軽視した行動だ。
保護令が出ている鳥人族を傷つけただけでなく、フォルティアと同じように扱えという指示も無視した行動。
それでもメイド長は言い募る。
「男娼を家にあげるなど、奥様が生きていらっしゃったら決して許しはしなかったでしょう!しかもキールはアルバス領の鳥人族を奴隷狩りに売り渡した張本人ですよ!彼1人の為に何人の鳥人族が犠牲になったか……!奥様も心を痛めておいでだったのを知っておられる筈です!」
その瞬間メイド長の口を氷が覆う。手で取ろうと踠いても取れる事はない。
「お前が従うべきは母上か?だったら母が死んだ時お前も死ぬべきだった」
それとも今その鼻も塞いでやろうか、と静かな声が響く。
フォルティアの怒りと自分が奴隷狩りに仲間を引き渡したと言われ呆然としていたキールは我に返ってふらつく体を起こした。途端にぼたぼたと垂れてくる血の量に驚くけれど今はそれどころではない。
静かな怒りを湛えたままのフォルティアに向かって緩く首を振る。
本当は悲しいし痛いし、ほんの少し怒りもあるけれどフォルティアに親しい人を傷つけて欲しくなかったから。
「……パスカル。つまみ出せ」
「はいはい、汚れ仕事は私ですね!全く面倒な!」
「んー!!んんーーー!!」
夜のアルバス領は極寒だ。
濡れたタオルはたちまち凍るし2時間も外にいたら何の対策もしていない人間は凍死してしまう。
メイド長の必死な叫びは無視してパスカルがパチン、と指を鳴らせば真っ赤な魔法陣が現れあっという間にメイド長ごと消えた。
「一応荷物ごと町の真ん中に放り出しましたから凍死はしないでしょう。だからさっさと部屋の氷を何とかしてください!」
頭を何度も踏みつけられた所為かぐわんぐわんと揺れる視界が徐々に真っ暗になってキールは意識を手放した。
(綺麗……)
自分と同じく黄色が主体で端にいく程緑が混ざっていく色合いのガラスペン。ペン自体はキールが落として割ってしまう可能性も踏まえて凝った物ではないけれど小さくキール、と名前が掘ってある。
今日届いたというそれを灯りに透かせばきらきらと輝いていて、その輝きをしばらく眺めてからソッとインク壺へと入れた。螺旋のようにインクを吸う様が不思議で面白くて、尾羽がふるふると震えている。
楽しい。嬉しい。最初の一文字は何にしよう。
ワクワクとまだ真っ白なページに文字を書こうとしたその時だった。
ガタン!と音がして小さく蝶番の音と共に扉が開く。
(メイド……長?)
いつもはきっちり結ってシニヨンを布でリボン状に覆っていた髪はバサバサに散っている。
メイド服ではない私服は少し流行の過ぎた地味めなドレスで今から眠る格好ではない。
何か用事だろうか。
もしかしたら今日雪掻きをちゃんとしなかったから叱りに来たのかも知れない。
慌てて日記とガラスペンを机に置いてメイド長の元に駆け寄った。
言い訳になってしまうかも知れないけれど、今日は王太子殿下とその護衛の人が一緒にお茶をするように、と言いキールを離してくれなかったのだ。
フォルティアもイアンも何も言わなかったし問題ないと思ってしまった。
駆け寄ったメイド長がブツブツと何か呟いている事に気が付いたのはあと一歩の所だ。
「お前さえ来なければ!!!!」
鬼の形相で腕を振りかぶりバシンとキールの頬が音を立てる。
いくら女性の力と言えど細身のキールでは持ちこたえられず叩かれた頬を押さえて床に座り込んでしまった。
何が起こったかわからなくて呆然としている間にメイド長は机の上の日記とペンに目を留める。
「こんな物!たかが男娼風情が!」
(やめて!!)
机の上を薙ぎ払う手がインク壺を飛ばし真っ白だった日記は真っ黒に染まって、宙を舞ったガラスペンが柱に当たりパリン、と音を立てた。
真ん中からヒビが入って欠けたガラスペンが絨毯の上をコロコロとインクで汚しながら転がっていく。
震える手で拾って掲げて見たけれど両手にインクが漏れてくる様を見ればもう使えないのは明白だ。
(どうして……)
ほろ、と零れた涙を鼻で笑ったメイド長はキールの手からガラスペンを奪い取ろうとする。
「こんな物叩き潰してあげるわ!」
(やめて!)
インクで汚れるのも構わず胸に抱え込んでメイド長の手からペンを守るキールの頭に何度も固い靴の踵が当たった。
耳羽が何本か折れてはらはら落ちるけれど我慢してぎゅう、っとペンを握る。割れた部分で手が切れてインクと滴る血が混ざってどす黒い染みを作って、踏まれ続ける頭からも生暖かい物が垂れてきた。
「奥様がおられたらお前のような下賎な輩、決して家には入れなかっただろうに!鳥人族と言えどたかだか男娼風情が貴族の一員にでもなったつもりでいるの!?」
そんなつもり欠片もない。
キールはいつだって自分は卑しい身の上でフォルティアの温情で置いてもらってると思っている。
それなのにメイド長からはそう見えていたのだろうか。
痛みに耐えながらそう考えるキールだったが、キールの知らない所で下されたフォルティアと同様の扱いをするようにという命令自体が普通ではないのだ。
疑問を抱いた使用人も多かったけれど主人の命令は絶対である。
ただ前辺境伯夫妻に仕えていたメイド長の中ではフォルティアは主人ではなく、あくまで前主人の息子であり守るべき存在だったのだ。
狂ったように笑うメイド長の声が聞こえたのだろう。ようやく他のメイドが来て部屋の惨状に悲鳴を上げる。
駆けつけた使用人達に引き剥がされたメイド長は尚も叫んでいたけれど静かに現れたフォルティアを見て顔色を変えた。
「ぼ、坊っちゃま……」
フォルティアの怒りは静かだ。
まるで気付かない内にしんしんと降り積もる雪のように静かに、けれど確かに辺りを染めていく。
ゆっくりと部屋の惨状を眺めたフォルティアは奥で縮こまったまま動かないキールを見る。黄色い髪にべったりつく赤は何度も木靴で踏みつけられた箇所が切れているからだろう。
部屋の空気がぴり、と緊張を伴いながら冷えていく。
魔法騎士と呼ばれるフォルティアが得意とするのは氷魔法。
怒りの余り漏れ出た魔力で部屋がぴきぴきと凍りついて暖炉の炎までもが氷に覆われて消える。
キールの周りだけ暖かな春の陽気に囲まれているけれど、すぐ側にいるメイド長の足は床に凍りついた。
「メイド長。どうやらお前に耳は必要ないようだな?」
フォルティアとアステラ、どちらからの忠告も軽視した行動だ。
保護令が出ている鳥人族を傷つけただけでなく、フォルティアと同じように扱えという指示も無視した行動。
それでもメイド長は言い募る。
「男娼を家にあげるなど、奥様が生きていらっしゃったら決して許しはしなかったでしょう!しかもキールはアルバス領の鳥人族を奴隷狩りに売り渡した張本人ですよ!彼1人の為に何人の鳥人族が犠牲になったか……!奥様も心を痛めておいでだったのを知っておられる筈です!」
その瞬間メイド長の口を氷が覆う。手で取ろうと踠いても取れる事はない。
「お前が従うべきは母上か?だったら母が死んだ時お前も死ぬべきだった」
それとも今その鼻も塞いでやろうか、と静かな声が響く。
フォルティアの怒りと自分が奴隷狩りに仲間を引き渡したと言われ呆然としていたキールは我に返ってふらつく体を起こした。途端にぼたぼたと垂れてくる血の量に驚くけれど今はそれどころではない。
静かな怒りを湛えたままのフォルティアに向かって緩く首を振る。
本当は悲しいし痛いし、ほんの少し怒りもあるけれどフォルティアに親しい人を傷つけて欲しくなかったから。
「……パスカル。つまみ出せ」
「はいはい、汚れ仕事は私ですね!全く面倒な!」
「んー!!んんーーー!!」
夜のアルバス領は極寒だ。
濡れたタオルはたちまち凍るし2時間も外にいたら何の対策もしていない人間は凍死してしまう。
メイド長の必死な叫びは無視してパスカルがパチン、と指を鳴らせば真っ赤な魔法陣が現れあっという間にメイド長ごと消えた。
「一応荷物ごと町の真ん中に放り出しましたから凍死はしないでしょう。だからさっさと部屋の氷を何とかしてください!」
頭を何度も踏みつけられた所為かぐわんぐわんと揺れる視界が徐々に真っ暗になってキールは意識を手放した。
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