33 / 82
第五幕 四 「名探偵主催の作戦会議に期待しましょう」
しおりを挟む
四
「先生?」
廊下に出た途端、突然立ち止まったヒョウの背中にリンはドンとおでこをぶつけた。
窓から外を眺めるようにして立っているヒョウ。
慌てて隣に並ぶと、リンは頭一つ分以上高いヒョウの顔を見上げた。
「リン。あちらを見てみて下さい。」
微笑を浮かべ、ヒョウはどこか楽しげな調子で庭の一角を指差す。
リンは頷いて首の鈴を鳴らすと、ヒョウが指し示す方角に視線を向けた。
そこには、ガラス張りの宝石箱のような温室があった。
「先生?」
リンは、また首を傾げる。温室は見えるが、ヒョウの指し示すものは温室のことだけではないのだろう。
「もっと、よく見て下さい。リン、面白いものが見えますから。」
ヒョウに促され、リンは眉間に皺を寄せながら、じっと温室の方を見つめた。
そして、きっちり三秒後、やっとヒョウの指し示していたものが分かり、嬉しそうな声を上げた。
「先生、あれ。」
「そうです。巧サンとメイドの杏子サンです。」
ガラス張りの温室は、側面はバラによって目隠しになっていたが、バラの目隠しのない天井からは中の様子が丸見えだった。バラの花に囲まれた中央には、巧の作業スペースが見え、そこには巧とメイドのお仕着せを着た杏子、二人の姿があった。
「うわあ~。」
思わず呟くリン。
「彼女は通行許可証を持っているようですね。」
イツ子の話にもあったように、どうやら温室に入るには特別の許可のようなものがいるらしい。半ば強引に入っていったヒョウとは違い、天井からの景色を見る限り杏子は特別に許可されているようだった。
「見られてないと思ってるんだよね?」
「そうでしょうね、多分。あまり公にできるような関係ではないでしょうからね。いくら時代を経ようとも、身分の差が障害になることは多々あります。それに、孝造氏は権威を重んじる方。火遊びだとしたのなら孝造氏にとっては何ともありませんが・・・・。」
唐突に言葉を切ったヒョウ。
リンは温室からヒョウの横顔に視線を戻した。
「少なくとも彼は本気なのでしょう。でなければ、彼女はあの温室には入れません。あの場所は、彼にとっては母親の胎内と同じなのでしょうから。」
「ふーん。」
リンはヒョウと温室を交互に見遣りながらヒョウの話に頷いていた。
「では、そろそろ行きましょうか。」
ヒョウが温室の観察を止め、リンへと視線を戻す。
リンの鈴は肯定を鳴らす。
「しかし、恋が盲目とはよく言ったものですね。」
廊下を悠々自適に進みながら、ヒョウは微笑を深くする。
「あまりに迂闊。秘密というのは、こういうところから少しずつ広まっていくのですね。」
階段を下りながら、ヒョウは語り続ける。どこか楽しそうなヒョウの足元は軽やかで、ステップを踏んでいるようだ。
「知っていましたか?リン。ローマ時代に、バラの花を天井に吊るした宴会で交わされた会話は秘密になるという風習があったそうですよ。慣用句のUnder the Roseの語源ですね。」
「先生、楽しそうだね。」
ヒョウにつられて、リンも嬉しそうにしている。リンはスキップでもしそうな勢いだ。
「ええ。やっと楽しくなってきました。リン、考えてもみて下さい。温室からの眺めを楽しめる絶好のスポットは、亡くなった野村サンの部屋の前です。野村サンが二人の秘密に気付かなかったと思いますか?」
リンの鈴は答えを決めかねて鳴るのを控えた。
「それに、例えば高校時代甲子園のヒーローだった青年が、こんなところで秘書として他人にこき使われる。エースで四番、主役だった男がですよ。心の中に野心めいたものが巣食っても、誰かに嫉妬心が起きても、それは不思議なことではないでしょう?」
用の無くなった使用人専用の別棟を後にして、二人は庭を臨む廊下へと繰り出す。
「これだけ材料が揃えば、私好みの事件の真実とやらの脚色も出来そうです。殺人鬼がやってきて偶然殺したなどというより、上手い言い訳が出来そうです。しかし、まだ完全とは言い切れません。そうですね、名探偵殿が何やら面白い材料を持ち込んでくださるかもしれません。名探偵主催の作戦会議に期待しましょう。」
「先生、お腹空いた。」
リンがぐーと鳴った自分の腹部を押さえている。
「そうですね。ひとまず昼食にした方が良さそうですね。」
今日もすっきりと空は晴れ渡っている。真っ青な空に映える白い入道雲。高く高く上がった太陽からは、燦々と熱を帯びた光が地上に注がれる。
地上の楽園のようなガラスの温室の中では、何も知らない恋人達が仲睦まじく抱き合っている。
Under the Rose
『秘密に』
温室での密会が二人だけの秘密と信じて疑わない恋人達は、闇の深淵から覗かれていることを、まだ知らない。
「先生?」
廊下に出た途端、突然立ち止まったヒョウの背中にリンはドンとおでこをぶつけた。
窓から外を眺めるようにして立っているヒョウ。
慌てて隣に並ぶと、リンは頭一つ分以上高いヒョウの顔を見上げた。
「リン。あちらを見てみて下さい。」
微笑を浮かべ、ヒョウはどこか楽しげな調子で庭の一角を指差す。
リンは頷いて首の鈴を鳴らすと、ヒョウが指し示す方角に視線を向けた。
そこには、ガラス張りの宝石箱のような温室があった。
「先生?」
リンは、また首を傾げる。温室は見えるが、ヒョウの指し示すものは温室のことだけではないのだろう。
「もっと、よく見て下さい。リン、面白いものが見えますから。」
ヒョウに促され、リンは眉間に皺を寄せながら、じっと温室の方を見つめた。
そして、きっちり三秒後、やっとヒョウの指し示していたものが分かり、嬉しそうな声を上げた。
「先生、あれ。」
「そうです。巧サンとメイドの杏子サンです。」
ガラス張りの温室は、側面はバラによって目隠しになっていたが、バラの目隠しのない天井からは中の様子が丸見えだった。バラの花に囲まれた中央には、巧の作業スペースが見え、そこには巧とメイドのお仕着せを着た杏子、二人の姿があった。
「うわあ~。」
思わず呟くリン。
「彼女は通行許可証を持っているようですね。」
イツ子の話にもあったように、どうやら温室に入るには特別の許可のようなものがいるらしい。半ば強引に入っていったヒョウとは違い、天井からの景色を見る限り杏子は特別に許可されているようだった。
「見られてないと思ってるんだよね?」
「そうでしょうね、多分。あまり公にできるような関係ではないでしょうからね。いくら時代を経ようとも、身分の差が障害になることは多々あります。それに、孝造氏は権威を重んじる方。火遊びだとしたのなら孝造氏にとっては何ともありませんが・・・・。」
唐突に言葉を切ったヒョウ。
リンは温室からヒョウの横顔に視線を戻した。
「少なくとも彼は本気なのでしょう。でなければ、彼女はあの温室には入れません。あの場所は、彼にとっては母親の胎内と同じなのでしょうから。」
「ふーん。」
リンはヒョウと温室を交互に見遣りながらヒョウの話に頷いていた。
「では、そろそろ行きましょうか。」
ヒョウが温室の観察を止め、リンへと視線を戻す。
リンの鈴は肯定を鳴らす。
「しかし、恋が盲目とはよく言ったものですね。」
廊下を悠々自適に進みながら、ヒョウは微笑を深くする。
「あまりに迂闊。秘密というのは、こういうところから少しずつ広まっていくのですね。」
階段を下りながら、ヒョウは語り続ける。どこか楽しそうなヒョウの足元は軽やかで、ステップを踏んでいるようだ。
「知っていましたか?リン。ローマ時代に、バラの花を天井に吊るした宴会で交わされた会話は秘密になるという風習があったそうですよ。慣用句のUnder the Roseの語源ですね。」
「先生、楽しそうだね。」
ヒョウにつられて、リンも嬉しそうにしている。リンはスキップでもしそうな勢いだ。
「ええ。やっと楽しくなってきました。リン、考えてもみて下さい。温室からの眺めを楽しめる絶好のスポットは、亡くなった野村サンの部屋の前です。野村サンが二人の秘密に気付かなかったと思いますか?」
リンの鈴は答えを決めかねて鳴るのを控えた。
「それに、例えば高校時代甲子園のヒーローだった青年が、こんなところで秘書として他人にこき使われる。エースで四番、主役だった男がですよ。心の中に野心めいたものが巣食っても、誰かに嫉妬心が起きても、それは不思議なことではないでしょう?」
用の無くなった使用人専用の別棟を後にして、二人は庭を臨む廊下へと繰り出す。
「これだけ材料が揃えば、私好みの事件の真実とやらの脚色も出来そうです。殺人鬼がやってきて偶然殺したなどというより、上手い言い訳が出来そうです。しかし、まだ完全とは言い切れません。そうですね、名探偵殿が何やら面白い材料を持ち込んでくださるかもしれません。名探偵主催の作戦会議に期待しましょう。」
「先生、お腹空いた。」
リンがぐーと鳴った自分の腹部を押さえている。
「そうですね。ひとまず昼食にした方が良さそうですね。」
今日もすっきりと空は晴れ渡っている。真っ青な空に映える白い入道雲。高く高く上がった太陽からは、燦々と熱を帯びた光が地上に注がれる。
地上の楽園のようなガラスの温室の中では、何も知らない恋人達が仲睦まじく抱き合っている。
Under the Rose
『秘密に』
温室での密会が二人だけの秘密と信じて疑わない恋人達は、闇の深淵から覗かれていることを、まだ知らない。
0
あなたにおすすめの小説
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
後宮なりきり夫婦録
石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」
「はあ……?」
雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。
あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。
空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。
かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。
影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。
サイトより転載になります。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
~後宮のやり直し巫女~私が本当の巫女ですが、謂れのない罪で処刑されたので後宮で人生をやり直すことにしました
深水えいな
キャラ文芸
明琳は国を統べる最高位の巫女、炎巫の候補となりながらも謂れのない罪で処刑されてしまう。死の淵で「お前が本物の炎巫だ。このままだと国が乱れる」と謎の美青年・天翼に言われ人生をやり直すことに。しかし巫女として四度人生をやり直すもののうまくいかず、次の人生では女官として後宮入りすることに。そこで待っていたのは後宮で巻き起こる怪事件と女性と見まごうばかりの美貌の宦官、誠羽で――今度の人生は、いつもと違う!?
芙蓉は後宮で花開く
速見 沙弥
キャラ文芸
下級貴族の親をもつ5人姉弟の長女 蓮花《リェンファ》。
借金返済で苦しむ家計を助けるために後宮へと働きに出る。忙しくも穏やかな暮らしの中、出会ったのは翡翠の色の目をした青年。さらに思いもよらぬ思惑に巻き込まれてゆくーーー
カクヨムでも連載しております。
炎華繚乱 ~偽妃は後宮に咲く~
悠井すみれ
キャラ文芸
昊耀国は、天より賜った《力》を持つ者たちが統べる国。後宮である天遊林では名家から選りすぐった姫たちが競い合い、皇子に選ばれるのを待っている。
強い《遠見》の力を持つ朱華は、とある家の姫の身代わりとして天遊林に入る。そしてめでたく第四皇子・炎俊の妃に選ばれるが、皇子は彼女が偽物だと見抜いていた。しかし炎俊は咎めることなく、自身の秘密を打ち明けてきた。「皇子」を名乗って帝位を狙う「彼」は、実は「女」なのだと。
お互いに秘密を握り合う仮初の「夫婦」は、次第に信頼を深めながら陰謀渦巻く後宮を生き抜いていく。
表紙は同人誌表紙メーカーで作成しました。
第6回キャラ文芸大賞応募作品です。
短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜
美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?
烏の王と宵の花嫁
水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。
唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。
その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。
ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。
死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。
※初出2024年7月
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる