靴職人と王女と野良ウサギ ~ご主人様が絶望しているからボクは最高に幸せだよ~

マルシラガ

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Where am I?(ここどこ) 1

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 カタン。ガタガタッ。

 外からの不審な物音にラチアは眠りを妨げられた。

「……ちっ」

 ラチアは目を瞑ったまま眉間にシワを寄せて舌打ちをすると、ひどく物憂げに目を開けて不機嫌そうにベッドから出て隣室に向かった。

 隣室と言ってもベッドルームとリビングの二間しかない小さな家。
 元々は猟師たちの休憩所として建てられた家だから狭くて、作りが雑で、そんなに古くもないのに一歩足を踏み出す度にギシリと床が鳴った。

 十歩足らずでリビングに着いたラチアは、窓の戸板を少しだけ押し上げてその隙間から外の様子を覗った。
 窓枠を額縁に見立てて外の景色を絵とするならば、タイトルは『山間の月夜』というところだろうか。

 青と白の絵の具だけで描かれたような色彩の乏しい鄙びた景観が秋らしい白々とした月光に照らし出されている。
 絵として見ると全くと言っていいほど面白味のない構図で、唯一のアクセントになっているのは木々の間を縫うように延びている細い道の先に十数件の民家がぽつねんと浮かび上がっているところくらいだ。

 絵心を心の内にしまって視点を近くに戻すと、母屋から少し離れたところにラチアが普段仕事に使っている作業小屋がある。

 まだ眠気のとれない目をしょぼつかせながらよく見ると、小屋の扉が僅かに開いていた。

『ん? 誰が来たんだ? 急患か?』

 ラチアは訝しげに目をすがめた。

 ここは人里から少し外れた丘の上の一軒家。
 そこで一人暮らしをしているラチアの所へ訪ねてくる人なんて滅多にいない。
 いたとしても患者くらいだが、患者なら作業小屋ではなく母屋のほうに来るはず。

『まさか、泥棒……?』

 眠そうだったラチアの目に緊張の色が走り、ぐっと腕と肩の筋肉が盛り上がった。

 戦う前の高揚感。
 久しく感じることの無かった甘美な疼きが全身を駆け巡る。

 暖炉の側にあった薪を拾い上げて、それを棍棒の代わりにして戦おうとし……ふっと鼻息を漏らすと、薪を元に戻した。

「ばからしい」

 吐き捨てるように言うとラチアは首を回して筋肉の緊張をほぐしながら家の外に出た。

 外に出た途端に凛とした外気が鼻腔から肺へと入ってくる。
 まだ秋になったばかりだとはいえ山間の里の夜気はすでに冷たく、ラチアの熱くなりかけた体は急速に冷まされた。

「泥棒なんて来るはずがないのにな……」

 ラチアはそう考えてしまった自分に嫌気がさした。
 馬を使えば半日で王都につくのだから盗みを生業なりわいにしている者がわざわざこんな辺鄙な里で仕事をするはずがない。
 駆け出しのコソ泥だってもう少しましな家を選ぶことだろう。

 靴作りを本業にしているラチアの作業小屋には素材になる獣皮が陰干しされている。
 おそらく小屋に潜り込んだのはその臭いに釣られてきた野生動物。
 少し考えればわかることなのに、敵だと思って興奮しかけた自分があまりにも滑稽でラチアは自虐的な笑みを浮かべた。

 小屋の前に来たラチアは少しだけ開いている扉に指をかけて勢いよく開いた。

「こらっ! こんなところに食い物なんてないぞ、さっさと山に帰れ!」

 ガサッ! ガサガサッ!

 中にいた動物がラチアの大声に驚いて樽の陰に慌てて隠れたが、隠れた樽の上からピョコリと細長い耳が出ている。
 その耳は離れていてもわかるくらいに震えていた。

「その耳……ウサギか。樽を囓られるのは困る、さっさと出て行ってくれ」

 中にいたのが危険性皆無のウサギだったためすっかり気の抜けたラチアは、獣なんかに言葉が通じるはずがないと分かっていながらもそう声を掛けた。
 返事を期待しないただの愚痴のつもりで。しかし、

「ごめんなさい! ごめんなさい! 樽なんて齧らないから、もうボクをぶたないで!」

 樽の後ろから予想外の返事がきたのでラチアは一瞬困惑した。

「人……なのか?」

 樽の向こうの侵入者は答えない。
 とても作り物には見えないウサギの耳が無言でプルプル震えている。

「いや、違うな。人はそんな耳なんてしてない」

「――っ!?」

 侵入者は慌てて耳を手で押さえて隠した。

「なるほど。半人半獣アニオンか」

 耳を隠すときにちらりと見えたその手は人のものではなく獣の前足だった。

「まいったな……。どうせお決まりのパターンで、キツイ仕事にたまりかねて飼い主の所からの逃げてきたのだろう?」

「…………」

 侵入者は何も答えない。

「返事くらいしたらどうだ? 言っておくが俺は逃げ出したアニオンを匿ってやるほどお人好しじゃない。ましてやそれでアニオン泥棒の疑いをかけられるのもまっぴらだ。面倒なことにならないうちに帰ってくれ」

「…………」

「おい、聞いているのか? オマエに居座られるといろいろと面倒なんだよ」

「…………」

 何度声を掛けても樽の向こうからの返事はなかった。

「こら、いいかげんにしろよ」

 説得するのが面倒になってきたラチアは、力尽くで小屋から追い出そうと思って樽の後ろを覗いたら――、

「なっ――!?」

 アニオンは血まみれになって倒れていた。

「おい! 大丈夫か!?」

 ラチアは八歳児くらいの小さなアニオンを慌てて抱き起こした。どうやら気を失っているようで反応がない。
 アニオンの体には多くの外傷があった。古い傷ではなく、ついさっきつけられたばかりのようで、青く膨れた瘤は熱を持ち、傷口からは今もまだ血がしたたっている。

「くそっ! どんな飼い主か知らないが非道いことをする。殺す気か?」

 ラチアは指をアニオンの首にあてた。……脈が弱い。体温も恐ろしく低い。

「まずい……かなり血を失っているようだ」

 戦場で幾人もの仲間の死を看取った経験のあるラチアは、この幼いアニオンが生死の境にいると判断して急いで母屋へと駆け戻った。
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