靴職人と王女と野良ウサギ ~ご主人様が絶望しているからボクは最高に幸せだよ~

マルシラガ

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Police! Police!(警備兵さん、こっちです!) 4

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「ラチアどこに行ったの?」

「あそこが登記所。先輩は登記の申請をしに行ったんだよ。本当はおチビちゃんも一緒に行かなきゃならないんだけど、申請してから手続きが始まるまでけっこう待たされるんだよね。ただ待ってるって退屈だから先輩が先に行って申請しに行ったんだよ」

「ふ、ふぅん……」

「あははは。そんな不安そうにしてなくてもいいよ、登記はおチビちゃんの特徴を書類に書き込むだけの事務手続きだから。別に痛いことされるわけじゃないし、間違ってもおチビちゃんがあの上に立たされることなんてないから」

 パイラがそう言って市場のステージに目をやった。

「続いて出品番号四十四!」

 進行役に促されて、ステージの脇からさいタイプのアニオンが引き出されてきた。

「あ……」

 ステージに上がった犀のアニオンを見てラヴィは思わず足をひいた。
 犀は競りに来ている人たちが「おぉ……」とざわめくほどに禍々しい氣を周囲に放っている。

 自由を奪われて気が立っているのか、犀の息は荒く、口からは泡混じりの涎が糸を引いて垂らしている。
 見上げるほどの巨体は優に人間の三倍はあり、手も足も大木のように太い。
 それだけでもかなり威圧感があるのに犀の皮膚はいかにも硬そうで、まるで鎧を装備しているかのようだった。

 もしあれが暴れ出したら……。

 そう考えると恐怖を感じずにはいられない。

 犀の鼻先には二本の角が生えていたらしいが、それは根元から切り落とされている。
 他にも、犀は色々な拘束がされていた。
 さっきの狼よりも太い手錠が二つ、その他に足枷も嵌められている。
 足枷から延びている太い鉄鎖の先にはスイカの倍はありそうな大きな鉄球もつけられていて、過剰なくらい厳重な拘束。
 おそらく、買い手たちに安心して競りに参加して貰うためのパフォーマンス的な意味もあるのだろう。

 けれど、どんなに厳重に拘束されていてもラヴィには犀が怖いらしく、パイラの腰にしがみついて震えていた。

「大丈夫。何かあったらすぐ取り押さえられるようになってるから。ほら」

 パイラはステージの下に控えている豹タイプと熊タイプのふたりのアニオンを指差した。
 豹は皮鎧と槍で、熊は鉄の胸当てと剣で武装している。

「何かあったら、あの衛兵が取り押さえてくれることになってるから」

 パイラがそう言ってラヴィをあやしている一方で、ステージ横の進行役の男は声を張り上げて集まっている買い手たちを煽っていた。

「出ました今回の目玉商品。屈強な兵が欲しいのならこれを見逃す手はない! きっと華々しい戦果をあげてくれることでしょう! 何も兵にするだけが使い道じゃないですよ。一攫千金を狙って円形闘技場コロシアムにエントリーさせるのも良い選択かもしれません! コイツならトロフアイの闘技場で現在八十七連勝中のフラヴィオにだって勝てるかもしれません! さあさ、気になる最低金額ボトムプライス。まずは二十万Fから!」

 進行役が競りの最低金額を提示したところで、買い手たちのざわめきが大きくなった。

「二十万F!? ばかな、いくらなんでも高過ぎだ!」

 最初はあまりにも高い金額に反発する反応がほとんどだったが、ざわめきが小さくなるにつれ、冷静に値踏みをする者が現れた。

「見れば見るほど強そうだ……ひょっとしたら本当にフィラヴィオに勝てるかもしれん」
「やめとけ、やめとけ。あんなバケモノに勝てる奴なんてこの世のどこにもいやしねぇよ」

「しかしアイツの試合は賭けで動く金が桁違いだ。もし本当にあのフラヴィオに勝てたら……一攫千金どころの話じゃねぇ。三代先まで遊んで暮らせる金が半日で手に入る!」

「ふむ、確かにそうだな……おっしゃ! 俺はあの犀に掛けてみるぜ。二十万二千!」
「いや、俺が貰う! 二十万五千だ!」

 一度買い値の声が上がり始めると、会場は一気に熱気を吹き上がらせた。

「二十六万八千。他には――おっと、早くも三十万きました!」

 進行役はどんどん吊り上がる値段に興奮して声を大にし、それに釣られて衛兵までも買い手たちの熱狂ぶりに目を奪われていた。

「……おチビちゃん。あたしの後ろに下がって」

 その場のほとんどの者が競りの流れに注意を奪われている中でパイラだけは冷静にステージ上にいる犀を見ていた。

 犀から不穏な気配が漂い始めている。

「きたぁ! 四十万だぁ! 四十万、きましたぁー!」

 競り値が最低提示金額の倍に届いて、進行役がイってしまうくらいに興奮した時、会場の熱気を切り裂く鋭い声が後方から上がった。

「衛兵、何やってんの! ソイツから目を離すな!」
「へ?」

 進行役の男が間の抜けた疑問符付きの声を出して注意を促す者の方へ目をやると、買い手たちの一番後ろにウサギタイプのアニオンを連れている女性の巡回警備兵が奴隷が引き出されているステージを指している。

 指先を視線で追ってステージを見ると犀が手錠を力任せに引きちぎろうとしているところだった。

「なっ――!?」

 ビンッ!

 男が驚きの声を上げたのと同じタイミングで犀を拘束していた手錠のボルトが弾け飛び、一つ目の手錠が外れてしまうと、もう一つの手錠はいとも容易く捻じ切られた。

「うわああああああ!」

 買い手たちが一斉に逃げ出す。パニックになった群衆に巻き込まれないようにパイラはラヴィを抱き上げて登記所へと逃げた。

「衛兵! 早く取り押さえろ!」

 何も指示せず真っ先に逃げてしまった進行役に代わって、パイラが走りながら怒鳴る。

 突然のハプニングで頭が回らずに固まっていた衛兵はその指示でハッと我に返って動きだした。
 熊の衛兵が剣を抜いてステージに足をかけて上がろうとしたとき――、

 ドシュ!

 豹の衛兵が同僚の熊の横腹を槍で刺した。

「な、に……を?」

 同僚に突然槍を突き刺された熊は、小刻みに震えつつ唖然とした顔を豹に向けた。
 豹はその問いに応えずにニヤリと口元を歪めて黄色い牙を剥き出し、さらに槍を深く突き入れた。

 鉄板のような平べったい胸当てではガードされていない脇腹。
 そこから突き入れられた槍の穂先は、熊の内臓を抉りながら胸の表面まで到達し、胸当てを裏からカチンと叩いた。

「ガハッ!」

 鮮血を吐いて崩れ落ちる。

 豹は同僚の死体に足を掛けて槍を引き抜くと、ステージに跳び上って犀に近づき、犀の足に繋がれている鉄球の鎖を槍の石突きで破壊した。

「ア……アイツ、なにやってんの!?」

 豹の奇怪な行動は犀にも意外だったようで、豹をいぶかしげに睨みつけていた。

「へ、へへっ、そんな目で見ないでくれよ旦那。逃げるんだろ? なら俺も一緒に連れてってくれ」
「便乗……か……」

 犀は拘束されていた間に凝り固まった体の筋肉をほぐしながら豹を見下ろした。

「あ、あぁ。旦那についていけば俺も逃げられそうだからな。な、いいだろ?」

 交渉を持ちかけている豹も犀が怖いらしい。
 ビクビクと、やや逃げ腰になりながら媚びた作り笑いをしている。

 誰の目から見ても信用のおけない下卑た笑い。
 じっと豹を見下ろしていた犀は、やがて興味なさげに鼻息を噴いて豹に背中を向けた。

「……好きにしろ」
「あ、ありがてぇ!」

 のっそりとステージを下りる犀の後ろを、豹は尻尾をピンと立てて付き従った。

「待て!」

 買い手たちが逃げ散った奴隷市場から悠々と出て行こうとしているふたりに対して、パイラが大声を上げた。

「ここは王都だ、どれだけの警備兵がいると思っている!? 逃げられはしないぞ!」

 犀は首を回してパイラを見たが、何も言わずに首を戻して、のそりのそりと歩き始めた。
 代わりに豹がパイラに中指を突き立てて挑発する。

「るせぇ! 俺ぁもう人間なんかにコキ使われるのはまっぴらなんだ! どうせ死ぬまで働かされるなら、少しでも未来があるほうに賭ける。文句があるならかかってきやがれ!」
「文句? 大ありだよ!」

 言葉だけでは止められないと判断したパイラは側にいたラヴィを登記所の中に避難させて、胸に提げていた警笛を思いっきり吹いた。

 ピイイイイィィィィ!

「ちっ! あのメス、仲間を呼びやがった!」

 豹が顔を引き攣らせる。

「旦那、先に行っててくれ。俺ぁアイツを黙らせてから行く!」

 この場でパイラが一番厄介な敵だと判断した豹は、歩みの遅い犀を先に行かせて全身に怒気を漲らせながらパイラに向かって突進してきた。

「仲間がいなきゃ何もできない臆病者チキン無駄吠むだぼえしてんじゃねぇよ!」

「仲間を殺す外道があたしを侮辱するな!」

「俺たちを家畜扱いする人間のほうが、よっぽど外道じゃねぇか!」

「くっ!」

 豹が槍をしごきながら突っこんで来る。
 豹の言葉に怯んで迎撃のタイミングが遅れたパイラは剣を抜くのを諦めて素手で応戦の構えをとった。

 相手が自分よりも格段に筋力の劣る人間、しかもタイミングを逃して抜刀できなかったマヌケだと侮った豹は力任せに槍を大きく振りかぶり横にいだ。

「はっ、ド素人が!」

 パイラは豹のあからさまな胴狙いの攻撃を見切り槍の柄を神速の早さで振り上げた足の裏で受ける。

「なっ!?」

 振り回した槍をあっさり止められて、豹の顔が強ばった。次の瞬間――。

 ガツッ!

 豹の顔が鈍い音と共に後ろにズレた。
 平衡感覚が失われ、よろよろと後ずさり、たたらを踏む。

 豹は何が起きたのか理解できなかった。

 視界が歪み、一呼吸遅れて、顔が痛みだす。
 口の中に鉄の味がじわりと滲む。
 鼻からボタボタと鮮やかな赤色の血が落ちた。

 歪んでいた視界が元に戻ると、なぎ倒そうとしていた人間のメスが拳を突き出していた。

「覚えておくんだね。槍はそういうふうに使うものじゃないんだ。近づきすぎると拳すら避けられなくなるんだよ」

「くっ……」

 一合交えただけでパイラの実力を把握した豹は殴り折られた鼻骨を押さえながら後ろへと跳んだ。
 豹が槍の届かない間合いまで下がり、そこでパイラはようやく腰の剣を抜く。
 水の膜が張っているかのように美しく煌めく剣身。
 形こそ一般兵が装備している剣と同じクレイモア型だが、刃の輝きが明らかに違っていた。

「アンタじゃあたしに勝てないよ。大人しく武器を捨てて降伏しな」

 パイラが剣先を豹に向けて降伏を促す。

「っるせぇ! 人間のくせに!」

 屈辱に体を震わせ、カッと目を剥いた豹は、槍を手繰りつつ再び突進してきた。

 怒り狂って猛然と襲い掛かってくる豹とは対照的に、パイラは冷ややかな表情で剣の柄を両手で握り、剣先を地に向けた。

 槍の穂先に、突進する勢いと全体重を乗せて豹が渾身の一撃を突き出す。

 パイラは右足を半歩左にずらして、突き出された豹の槍先を難なく躱し、剣で槍を掬い上げて、突きの勢いを殺さずにシュルンと槍の柄を刀身の上で滑らせた。
 豹が繰り出した必殺の一撃はパイラの剣技で打点をズラされてむなしく空を突く。
 豹の体が泳ぎ、重心が前にずれた。

「くっ!」

 豹の顔から血の気が失せる。

『この人間、相当訓練を積んでやがる!』

 刺突の攻撃を見事に躱し、逆にそれ利用して一気に間合いを縮められたのだ。
 槍と剣では有効な間合いが違う。
 この間合いは明らかに槍に不利。

 だが、豹は渾身の一撃を外されても突進をやめずにさらに踏み込んできた。
 バックステップを踏むことで距離を取るよりもパイラの胸を蹴って突き離し、再び槍に有利な間合いにしようと瞬間的に判断した。

 豹が片足を上げる。パイラは瞬時にその動きに呼応して身を屈めた。

「うっ!?」

 蹴りを当てる前に標的の位置が下がってしまい、豹は大きくバランスを崩した。
 結局何も蹴ることができないまま豹の足は地を踏んで一瞬動きが止まる。
 体の重心が前へと行きすぎてすぐには次の動作に移れない。

 豹は武道で言うところの《死に体》に陥った。

 パイラはその瞬間をを見逃さず、屈んだ状態から一気に飛び上がって豹の脇の下をくぐり抜ける。
 すれ違う瞬間、容赦のない斬撃を豹の腹部に叩き込んで皮鎧ごと斬り裂いた。

「ごはぁ!」

 腹を切られた直後、豹はまだ戦意を失っていなかった。
 斬られた腹部を押さえながらよろよろと三歩足を進め、振り返った。

「次こそ、この一撃を……」

 豹はそう言って槍を構え直し、再び足を前に出そうとしたが……ぐるんと白目を剥いて仰向けに倒れた。

「だから降伏しろと言ったのに……」

 パイラは剣に付着した血液を振り払って苦々しげに言い捨てた。

「ここを統括してるのは誰!? このアニオンを早く医務室へ! 治療が早ければ助かるかもしれないんだから!」

 パイラに怒号のような指示をされて、登記所の中で震えていた職員の何人かがようやくノロノロと動きだし、斬り伏せられた豹を登記所の奥へと運んでいった。
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