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戦いを終えて帰ってきたラチアは採取した《木霊の皮》を作業小屋の中で削っていた。
「《木霊の皮》は何の部品になるの?」
ふたりでとってきた《木霊の皮》がどのように使われるのか興味津々で、ラヴィはラチアの作業をずっと見ていた。
「最初の解読文は靴底の作り方が書かれてあった。《木霊の皮》が靴底のベースになって《赤竜の爪》がヒールになる」
ラチアは靴底の形に切り出した《木霊の皮》を手にとって、ぐっとしならせてみた。
「それにしても木霊の皮を靴底にする発想はすごいな。革の靴底だと柔らかくて歩きやすいが痛みやすくて小石などを踏んだ場合にはすぐに破れてしまう。一方、木の靴底は長持ちするが重くて歩きにくく疲れやすい。だが《木霊の皮》を靴底にするとその両方の欠点を克服して長所のみが残される」
ラチアがしならせた木霊の皮から指を離すと皮は垂直に立てたペンが倒れるくらいの速度で元の形に戻った。
「強度や耐性は普通の木の倍。けれど軽く獣皮のように柔軟性がある。元の形に戻ろうとする復元性は疲労軽減の一助になるだろう。考えてみればこれほど靴底に適した材料は他にない。実に理に適っている」
そう言って溜息混じりに感嘆しているラチアを見ているとラヴィはなんだか心がムズムズしてくる。
ラチアが語る靴の理論なんて正直言ってラヴィにはどうでもいい。
そんなことよりも靴について夢中になって話すラチアの顔がいい。
きらきらと眩しくて、楽しそうで、まるで子供のような屈託のない笑顔。
それを横から眺めているだけでラヴィは幸せな気分になれた。
「ね、マスター。次はいよいよ《赤竜の爪》?」
「いや、新しいメモが届いていた。二番目のメモは爪先の部分の解読文で、材料は《黄金椎茸の胞子》と《黒水蛇の腹の皮》だそうだ。赤竜は最強クラスのモンスターだから他の材料の指示があるうちは後回しにする」
「《黄金椎茸の胞子》と《黒水蛇の腹の皮》かぁ……」
「この二つになにか心当たりはあるか?」
「ううん。ごめんね」
「そうか……。あ、いや。気にするな。木霊のいるところを教えてくれただけでもかなり助かっている。時間をかけて探索するのが本来のやり方なんだから」
しゅんと項垂れるラヴィを気遣ってラチアがフォローを入れた。
「じゃぁ、今度の冒険はちょっと長くなりそう?」
「そうだな。村や町で情報を集めて、それを元に探索……という流れだな。二、三日は野宿もするだろう、冬の野宿は厳しいから今回は留守「ボクも行く!」って返事早いな!?」
家に置いて行かれそうな口ぶりだったのでラヴィはそのセリフが終わる前に言葉を被せて行くと宣言した。
「ボク、元々山の中で暮らしてたから野宿なんてへっちゃらだよ。それにマスターよりは鼻が利くから椎茸の匂いを嗅ぎ分けることもできるよ!」
腕にしがみついて全身で『置いていかないで!」と意思表示しているラヴィにラチアは苦笑した。
「面倒だったら来なくてもいいって言おうとしただけだ。来たいなら来い。よほど危険じゃない限り俺はオマエに留守番してろって無理強いするつもりはない。前にも言ったろ?」
「よかったぁ……あ! 出発はいつ? 明日? わかった、ボクも今から準備しておくね!」
ラチアたちの材料集めは、順調に進んでいた。
砂漠で《黒水蛇の腹の皮》を入手し、鍾乳洞で《黄金椎茸の胞子》を見つけた。
第三の解読文のメモは踵部分の《ヒールカウンター》に使う《玉蛙のヒゲ》を集めるよう指示されていて、それも先ほど採取してきた。
「雨、降ってきたのかな?」
月明かりすら届かないほど密に繁った森の中。
遙か上方からざらざらと葉を鳴らす音が聞こえてラヴィは心配そうに顔を上げた。
「そのようだな」
家へと戻る途中で日が暮れてラチアたちは森の中でキャンプを張ることにした。
「今日はここで寝るんだよね? 葉っぱの雨避けでも作っておく?」
「いや、降り始めたばかりだからそこまでしなくていい。これだけ葉が密になっているんだから雨粒が地表に落ちてくるのはおそらく明日の朝以降だろう。……しかし寒いな」
小さな焚き火の前でチーズとソーセージを鉄串に刺しながらラチアが小さく身体を震わせた。
「じゃあ薪をもっと集めておくよ。火を大きくしても朝まで大丈夫なくらい」
ラヴィはラチアが返事をする前に近くの雑木の中に入って落ちている枯れ枝を探し始めた。
『本当に、よく気のまわる奴だ』
ラチアは口にこそ出していないがラヴィの働きぶりに感心していた。
これまでずっと靴の材料集めに同行してきているラヴィは思いの外いい働きをしている。
ラヴィは人間には感知できない小さな物音を聞き分けて獲物の臭いを嗅ぎとることができる。
戦闘になった場合には自分に戦闘能力がないのをきちんと理解していて、余計な手出しはせずに身を隠してくれている。
《役に立ち、足を引っ張らない》
同行者としてこれほど理想的なパートナーはちょっと見あたらないくらいにラヴィは気が利いた。
「これくらいでいい?」
ラヴィが両腕の上にたくさんの薪を積み上げてアゴ先で押さえながら戻ってきた。
「あぁ充分だ。ちょうどこっちもできたところだ。食事にするぞ」
炙っていたチーズの表面がとろりと溶けてソーセージに絡みついている、それをパンに挟んだだけの簡易な食事だが空っぽのお腹を宥めるくらいにはなった。
ふたりがこうして野宿をするのは、これで七度目。
膝を曲げて焚き火にあたっているラチアの足の間に「合体!」と、はしゃぎならラヴィが入り込んでくるのはもう恒例となっている。
食事が終わるとラチアはラヴィに本を読み聞かせる。
最初こそラチアの朗読はぎこちなかったけれど、一度始めてしまえばどんな事でも努力を惜しまず全力でやり抜く性分のせいで今ではセリフに感情を込めて読めるくらいに上達していた。
「ガラスの靴かぁ……ボクも大人になって靴が履ける足になったら履いてみたいなぁ」
ラヴィは冬毛でもふっと膨らんでいる自分の足を撫でた。
ガラスの靴を履いた自分を想像しているのかうっとりとした顔をしているラヴィに、靴職人のラチアは夢のない現実を語った。
「素材がガラスだとすぐ割れるぞ。そんなの履いて歩いたら、あっという間に足が血まみれだ」
「もぅマスター。そういうのは分かってても言わないでよ。せっかくのステキなお話なのに雰囲気がぶち壊し! このお話を考えた人だって悲しむよ」
「悲しむ? それはないな。この話を作った原作者は『ガラスの靴』とは書かなかったそうだ」
「え? 本当はガラスの靴じゃないの?」
「元々《毛皮の靴》だったのを、この物語を翻訳した奴が《ガラスの靴》って間違えたんだ。で、皮肉なことにそっちのほうが原作より広まって定着したらしい。まぁ、これはあくまでも噂で本当はどうなのかなんて俺は知らないんだけどな」
「そうなんだ……。でも、それってなんだか残念……」
ラチアはしょんぼりしているラヴィの頭を軽く撫でてからブランデーの詰まった皮袋をバックバックから取り出した。
読み聞かせが終わるとラチアは眠気が降りてくるまでこうして酒を愉しみ、ラヴィはその間に読んで貰ったページの文字を覚える。旅の一日を締めくくるまったりとした時間だ。
「ねぇマスター。訊いていいかな?」
「なんだ、分からない単語があったか?」
「ううん、そうじゃなくって」
ラヴィはなんだか言いにくそうに訊いてきた。
「こないだ、ね。宰相さんの話を聞いてて思ったんだけど……。お姫様が隣の国に嫁がなかったら、マスターは……お姫様と結婚するの?」
ラチアの足の間にすっぽりと収まって背中を向けているラヴィは、さっきまでゆるゆるにリラックスさせていた体をなぜかカチコチに硬くしている。
それは緊張のせいなのだけれど、夜気で寒さを感じているのだと勘違いしたラチアは足を少し閉じてラヴィを挟み、その小さな背中にぴったりと胸を押し当てた。
「それはない。貴族だった時でも身分に差があって無理だったんだ。今の俺じゃあ……そんなのは夢のまた夢だな」
「そう……なんだ」
ラヴィの体がゆるゆるとほぐれてくる。
やっぱり寒かったんだと確信したラチアは肩に掛けていた毛布を前に回してラヴィを包むように被せた。
「じゃあ、姫様は宰相さんと結婚するの?」
「それもないな」
「そうなの?」
「アイツは同盟締結後に処刑される。さすがに死人と結婚はできないだろう」
「え? 処刑? なんで!?」
「王の許可無く《神代の遺物》を作って、しかもそれを他国に渡すという大罪を犯すんだぞ。その首謀者は当然処刑される」
「だ、だって、それはお姫様を護ろうとしたからで、王様だってお姫様を渡したくなんて……」
「動機はどうであれ重罪には変わりない。アイツもそれを覚悟したうえで俺に靴の注文をしたんだ」
「でもでも、内緒で靴を渡すんだよね? バレなきゃ大丈夫だよね?」
「作っている最中ならともかく、献上品に使ってバレないわけがないだろう。外交で贈られた物品は目録となって両国の公式記録にされるんだから」
「マスターはそれを分かってて引き受けたの?」
「残念なことに俺とアイツは付き合いが長いからな。アイツが何を考えているかくらいは分かってしまう。あの日が俺とアイツが顔を会わせる最期の日なんだとお互いに分かっていた」
そう言いながらラチアはあの日にアルベルトが別れ際に言った言葉を思い出した。
《これからもずっと、俺はキミのことが大嫌いだ》
『意地っ張りのアイツらしい別れの言葉だ……』
ラチアがフッとニヒルな笑みで口の端を歪ませるのを見てラヴィは別の事を考えた。
『そうまでして、あの宰相さんはお姫様を守りたいって思ってるんだ……』
ラヴィは宰相の行動が不思議に思えた。
王女のことが好きだから、守りたいから、ラチアに靴を作らせようとしている。
……そこまでは理解できる。
『でも、それで自分が殺されてもいいのかな? それで、宰相さんは幸せになれるのかな? 姫様を隣国の王様から守った後、自分がこの世からいなくなって……それでもいいのかな?』
ラヴィは胸がきゅっと痛くなった。
でもそれは、ひとりで森の中にいたときに感じていたきゅんきゅんな痛みとはちょっと違う……そんな気がした。
なんだか体が内側から寒くなってきてラヴィは背中を丸めてぷるりと体を震わせた。
すると大きな腕が後ろからヌッと現れてラヴィは強く抱きしめられた。
「マスター……?」
顔を上げるとラチアが心配そうな眼差しで見つめていた。
「今日のオマエは寒がりだな。風邪でもひいたか?」
「そうじゃないよ。……ただ、宰相さんはどういう気持ちでそこまで思い詰めたのかなって」
「別にアイツだけが特別なわけじゃない。戦場に立つ一介の兵士だって自分が愛している者を守りたくて戦っている。誰かを守るために命を懸けるのは兵士だけの特権じゃないんだ」
「マスターも……そうなの?」
「俺は――……」
ラチアはそこで言葉を途切れさせた。
「どうしたのマスター? とあっ!?」
ラチアはラヴィを抱きしめたままころんと横になった。
当然ラヴィも横倒しになる。
「今日はもう寝よう」
これ以上この話をするのが面倒になったのか、ラチアは強引に寝る体勢になってバックパックを頭の下に置くと懐炉代わりのラヴィを抱いて目を瞑った。
「もぅ……」
話を強制的に終わらされたのが不満だったけれどラヴィはラチアの腕の中でもそもそと半回転して向き合って、その太い腕を枕にした。
ラヴィは目を瞑っているラチアの顔を間近に眺めながら、さっきラチアが言いかけた言葉の続きを心の中で補完した。
『マスターもお姫様のために戦ってるんだよね……』
今までの材料集めでラチアは三度モンスターと戦っている。
《木霊》《黒水蛇》《玉蛙》
どの戦いも普通の人間なら死んでもおかしくはないほど危険な戦闘だった。
戦っているのがラチアだから余裕があるように見えるだけで、本当はそうじゃないってことはずっと側で見ているラヴィは分かっている。
今日だって玉蛙が吐き出した毒針をラチアは双剣で全て弾き返していた。
そんなのはラチアほどの使い手だからこそできる芸当だ。
『マスターがこんな危ない事をするのは宰相さんと同じ気持ちだから……なんだよね?』
ラチアは宰相を嫌っているようだけれどラヴィには二人がとても似ているように思えた。
二人とも王女とは結婚できない。
二人とも報われることがないと分かっている。
それでも、二人は命を懸けて王女を護ろうとしている。
それほど強く王女を想っている。
『いいな……』
それほどまでに想われている王女がラヴィは羨ましいと感じた。
ラチアはラヴィにとても良くしてくれている。
胸がきゅんきゅん痛むと言うと頭をなでなでしてくれるし、ラヴィの将来を考えて文字を教えてくれている。
もし誰かに「これ以上何を望む?」と問われてもラヴィはきっと何も思いつかない。
それほどラヴィは満たされていた。
『でも……』
でも……なんだろう?
自分でも何を求めているのか分からない。
だけど、なんだか胸の中がモヤモヤする。
焚き火の仄かな明かりが、彫りの深いラチアの顔を赤く浮かび上がらせている。
顔がこんなに近くにあって、体の温もりをこうして感じていられるのに、さっきの話を聞いてしまった後ではなんだかラチアが遠くに行ってしまったような……そんな気がした。
なんとなく、ラチアの顔に触れてみたくなった。
ラチアの腕の中でもぞもぞと動きながら手を上げて顔に触れようとしたらラチアにぎゅっと強く抱かれて腕を圧迫された。
ラチアは目を瞑っているけれどまだ眠ってない。
無言のぎゅっは『早く寝ろ』という意味なんだろう。
ラヴィはラチアの顔に触れるのを諦めて、見るだけにした。
目を閉じているラチアはラヴィがずっと見つめていることに気付いていない。
ラヴィが切なそうな顔をしていることにラチアは気付いていない。
『マスター……今、何を考えているんだろう? 誰のことを考えてるんだろう?』
ラヴィはまた胸がきゅっと痛くなった。
でも、寝ようとしているラチアに「撫でて」とは言えず、ラヴィは唇を噛んで痛みに耐えた。
『パイラがマスターを見てて《しんどい》って言ってたけど、今ならその気持ち分かる気がするよ』
はふぅ……。
自然にラヴィの口から洩れた吐息は甘く切ない匂いがした。
『……ボクもしんどいや』
「《木霊の皮》は何の部品になるの?」
ふたりでとってきた《木霊の皮》がどのように使われるのか興味津々で、ラヴィはラチアの作業をずっと見ていた。
「最初の解読文は靴底の作り方が書かれてあった。《木霊の皮》が靴底のベースになって《赤竜の爪》がヒールになる」
ラチアは靴底の形に切り出した《木霊の皮》を手にとって、ぐっとしならせてみた。
「それにしても木霊の皮を靴底にする発想はすごいな。革の靴底だと柔らかくて歩きやすいが痛みやすくて小石などを踏んだ場合にはすぐに破れてしまう。一方、木の靴底は長持ちするが重くて歩きにくく疲れやすい。だが《木霊の皮》を靴底にするとその両方の欠点を克服して長所のみが残される」
ラチアがしならせた木霊の皮から指を離すと皮は垂直に立てたペンが倒れるくらいの速度で元の形に戻った。
「強度や耐性は普通の木の倍。けれど軽く獣皮のように柔軟性がある。元の形に戻ろうとする復元性は疲労軽減の一助になるだろう。考えてみればこれほど靴底に適した材料は他にない。実に理に適っている」
そう言って溜息混じりに感嘆しているラチアを見ているとラヴィはなんだか心がムズムズしてくる。
ラチアが語る靴の理論なんて正直言ってラヴィにはどうでもいい。
そんなことよりも靴について夢中になって話すラチアの顔がいい。
きらきらと眩しくて、楽しそうで、まるで子供のような屈託のない笑顔。
それを横から眺めているだけでラヴィは幸せな気分になれた。
「ね、マスター。次はいよいよ《赤竜の爪》?」
「いや、新しいメモが届いていた。二番目のメモは爪先の部分の解読文で、材料は《黄金椎茸の胞子》と《黒水蛇の腹の皮》だそうだ。赤竜は最強クラスのモンスターだから他の材料の指示があるうちは後回しにする」
「《黄金椎茸の胞子》と《黒水蛇の腹の皮》かぁ……」
「この二つになにか心当たりはあるか?」
「ううん。ごめんね」
「そうか……。あ、いや。気にするな。木霊のいるところを教えてくれただけでもかなり助かっている。時間をかけて探索するのが本来のやり方なんだから」
しゅんと項垂れるラヴィを気遣ってラチアがフォローを入れた。
「じゃぁ、今度の冒険はちょっと長くなりそう?」
「そうだな。村や町で情報を集めて、それを元に探索……という流れだな。二、三日は野宿もするだろう、冬の野宿は厳しいから今回は留守「ボクも行く!」って返事早いな!?」
家に置いて行かれそうな口ぶりだったのでラヴィはそのセリフが終わる前に言葉を被せて行くと宣言した。
「ボク、元々山の中で暮らしてたから野宿なんてへっちゃらだよ。それにマスターよりは鼻が利くから椎茸の匂いを嗅ぎ分けることもできるよ!」
腕にしがみついて全身で『置いていかないで!」と意思表示しているラヴィにラチアは苦笑した。
「面倒だったら来なくてもいいって言おうとしただけだ。来たいなら来い。よほど危険じゃない限り俺はオマエに留守番してろって無理強いするつもりはない。前にも言ったろ?」
「よかったぁ……あ! 出発はいつ? 明日? わかった、ボクも今から準備しておくね!」
ラチアたちの材料集めは、順調に進んでいた。
砂漠で《黒水蛇の腹の皮》を入手し、鍾乳洞で《黄金椎茸の胞子》を見つけた。
第三の解読文のメモは踵部分の《ヒールカウンター》に使う《玉蛙のヒゲ》を集めるよう指示されていて、それも先ほど採取してきた。
「雨、降ってきたのかな?」
月明かりすら届かないほど密に繁った森の中。
遙か上方からざらざらと葉を鳴らす音が聞こえてラヴィは心配そうに顔を上げた。
「そのようだな」
家へと戻る途中で日が暮れてラチアたちは森の中でキャンプを張ることにした。
「今日はここで寝るんだよね? 葉っぱの雨避けでも作っておく?」
「いや、降り始めたばかりだからそこまでしなくていい。これだけ葉が密になっているんだから雨粒が地表に落ちてくるのはおそらく明日の朝以降だろう。……しかし寒いな」
小さな焚き火の前でチーズとソーセージを鉄串に刺しながらラチアが小さく身体を震わせた。
「じゃあ薪をもっと集めておくよ。火を大きくしても朝まで大丈夫なくらい」
ラヴィはラチアが返事をする前に近くの雑木の中に入って落ちている枯れ枝を探し始めた。
『本当に、よく気のまわる奴だ』
ラチアは口にこそ出していないがラヴィの働きぶりに感心していた。
これまでずっと靴の材料集めに同行してきているラヴィは思いの外いい働きをしている。
ラヴィは人間には感知できない小さな物音を聞き分けて獲物の臭いを嗅ぎとることができる。
戦闘になった場合には自分に戦闘能力がないのをきちんと理解していて、余計な手出しはせずに身を隠してくれている。
《役に立ち、足を引っ張らない》
同行者としてこれほど理想的なパートナーはちょっと見あたらないくらいにラヴィは気が利いた。
「これくらいでいい?」
ラヴィが両腕の上にたくさんの薪を積み上げてアゴ先で押さえながら戻ってきた。
「あぁ充分だ。ちょうどこっちもできたところだ。食事にするぞ」
炙っていたチーズの表面がとろりと溶けてソーセージに絡みついている、それをパンに挟んだだけの簡易な食事だが空っぽのお腹を宥めるくらいにはなった。
ふたりがこうして野宿をするのは、これで七度目。
膝を曲げて焚き火にあたっているラチアの足の間に「合体!」と、はしゃぎならラヴィが入り込んでくるのはもう恒例となっている。
食事が終わるとラチアはラヴィに本を読み聞かせる。
最初こそラチアの朗読はぎこちなかったけれど、一度始めてしまえばどんな事でも努力を惜しまず全力でやり抜く性分のせいで今ではセリフに感情を込めて読めるくらいに上達していた。
「ガラスの靴かぁ……ボクも大人になって靴が履ける足になったら履いてみたいなぁ」
ラヴィは冬毛でもふっと膨らんでいる自分の足を撫でた。
ガラスの靴を履いた自分を想像しているのかうっとりとした顔をしているラヴィに、靴職人のラチアは夢のない現実を語った。
「素材がガラスだとすぐ割れるぞ。そんなの履いて歩いたら、あっという間に足が血まみれだ」
「もぅマスター。そういうのは分かってても言わないでよ。せっかくのステキなお話なのに雰囲気がぶち壊し! このお話を考えた人だって悲しむよ」
「悲しむ? それはないな。この話を作った原作者は『ガラスの靴』とは書かなかったそうだ」
「え? 本当はガラスの靴じゃないの?」
「元々《毛皮の靴》だったのを、この物語を翻訳した奴が《ガラスの靴》って間違えたんだ。で、皮肉なことにそっちのほうが原作より広まって定着したらしい。まぁ、これはあくまでも噂で本当はどうなのかなんて俺は知らないんだけどな」
「そうなんだ……。でも、それってなんだか残念……」
ラチアはしょんぼりしているラヴィの頭を軽く撫でてからブランデーの詰まった皮袋をバックバックから取り出した。
読み聞かせが終わるとラチアは眠気が降りてくるまでこうして酒を愉しみ、ラヴィはその間に読んで貰ったページの文字を覚える。旅の一日を締めくくるまったりとした時間だ。
「ねぇマスター。訊いていいかな?」
「なんだ、分からない単語があったか?」
「ううん、そうじゃなくって」
ラヴィはなんだか言いにくそうに訊いてきた。
「こないだ、ね。宰相さんの話を聞いてて思ったんだけど……。お姫様が隣の国に嫁がなかったら、マスターは……お姫様と結婚するの?」
ラチアの足の間にすっぽりと収まって背中を向けているラヴィは、さっきまでゆるゆるにリラックスさせていた体をなぜかカチコチに硬くしている。
それは緊張のせいなのだけれど、夜気で寒さを感じているのだと勘違いしたラチアは足を少し閉じてラヴィを挟み、その小さな背中にぴったりと胸を押し当てた。
「それはない。貴族だった時でも身分に差があって無理だったんだ。今の俺じゃあ……そんなのは夢のまた夢だな」
「そう……なんだ」
ラヴィの体がゆるゆるとほぐれてくる。
やっぱり寒かったんだと確信したラチアは肩に掛けていた毛布を前に回してラヴィを包むように被せた。
「じゃあ、姫様は宰相さんと結婚するの?」
「それもないな」
「そうなの?」
「アイツは同盟締結後に処刑される。さすがに死人と結婚はできないだろう」
「え? 処刑? なんで!?」
「王の許可無く《神代の遺物》を作って、しかもそれを他国に渡すという大罪を犯すんだぞ。その首謀者は当然処刑される」
「だ、だって、それはお姫様を護ろうとしたからで、王様だってお姫様を渡したくなんて……」
「動機はどうであれ重罪には変わりない。アイツもそれを覚悟したうえで俺に靴の注文をしたんだ」
「でもでも、内緒で靴を渡すんだよね? バレなきゃ大丈夫だよね?」
「作っている最中ならともかく、献上品に使ってバレないわけがないだろう。外交で贈られた物品は目録となって両国の公式記録にされるんだから」
「マスターはそれを分かってて引き受けたの?」
「残念なことに俺とアイツは付き合いが長いからな。アイツが何を考えているかくらいは分かってしまう。あの日が俺とアイツが顔を会わせる最期の日なんだとお互いに分かっていた」
そう言いながらラチアはあの日にアルベルトが別れ際に言った言葉を思い出した。
《これからもずっと、俺はキミのことが大嫌いだ》
『意地っ張りのアイツらしい別れの言葉だ……』
ラチアがフッとニヒルな笑みで口の端を歪ませるのを見てラヴィは別の事を考えた。
『そうまでして、あの宰相さんはお姫様を守りたいって思ってるんだ……』
ラヴィは宰相の行動が不思議に思えた。
王女のことが好きだから、守りたいから、ラチアに靴を作らせようとしている。
……そこまでは理解できる。
『でも、それで自分が殺されてもいいのかな? それで、宰相さんは幸せになれるのかな? 姫様を隣国の王様から守った後、自分がこの世からいなくなって……それでもいいのかな?』
ラヴィは胸がきゅっと痛くなった。
でもそれは、ひとりで森の中にいたときに感じていたきゅんきゅんな痛みとはちょっと違う……そんな気がした。
なんだか体が内側から寒くなってきてラヴィは背中を丸めてぷるりと体を震わせた。
すると大きな腕が後ろからヌッと現れてラヴィは強く抱きしめられた。
「マスター……?」
顔を上げるとラチアが心配そうな眼差しで見つめていた。
「今日のオマエは寒がりだな。風邪でもひいたか?」
「そうじゃないよ。……ただ、宰相さんはどういう気持ちでそこまで思い詰めたのかなって」
「別にアイツだけが特別なわけじゃない。戦場に立つ一介の兵士だって自分が愛している者を守りたくて戦っている。誰かを守るために命を懸けるのは兵士だけの特権じゃないんだ」
「マスターも……そうなの?」
「俺は――……」
ラチアはそこで言葉を途切れさせた。
「どうしたのマスター? とあっ!?」
ラチアはラヴィを抱きしめたままころんと横になった。
当然ラヴィも横倒しになる。
「今日はもう寝よう」
これ以上この話をするのが面倒になったのか、ラチアは強引に寝る体勢になってバックパックを頭の下に置くと懐炉代わりのラヴィを抱いて目を瞑った。
「もぅ……」
話を強制的に終わらされたのが不満だったけれどラヴィはラチアの腕の中でもそもそと半回転して向き合って、その太い腕を枕にした。
ラヴィは目を瞑っているラチアの顔を間近に眺めながら、さっきラチアが言いかけた言葉の続きを心の中で補完した。
『マスターもお姫様のために戦ってるんだよね……』
今までの材料集めでラチアは三度モンスターと戦っている。
《木霊》《黒水蛇》《玉蛙》
どの戦いも普通の人間なら死んでもおかしくはないほど危険な戦闘だった。
戦っているのがラチアだから余裕があるように見えるだけで、本当はそうじゃないってことはずっと側で見ているラヴィは分かっている。
今日だって玉蛙が吐き出した毒針をラチアは双剣で全て弾き返していた。
そんなのはラチアほどの使い手だからこそできる芸当だ。
『マスターがこんな危ない事をするのは宰相さんと同じ気持ちだから……なんだよね?』
ラチアは宰相を嫌っているようだけれどラヴィには二人がとても似ているように思えた。
二人とも王女とは結婚できない。
二人とも報われることがないと分かっている。
それでも、二人は命を懸けて王女を護ろうとしている。
それほど強く王女を想っている。
『いいな……』
それほどまでに想われている王女がラヴィは羨ましいと感じた。
ラチアはラヴィにとても良くしてくれている。
胸がきゅんきゅん痛むと言うと頭をなでなでしてくれるし、ラヴィの将来を考えて文字を教えてくれている。
もし誰かに「これ以上何を望む?」と問われてもラヴィはきっと何も思いつかない。
それほどラヴィは満たされていた。
『でも……』
でも……なんだろう?
自分でも何を求めているのか分からない。
だけど、なんだか胸の中がモヤモヤする。
焚き火の仄かな明かりが、彫りの深いラチアの顔を赤く浮かび上がらせている。
顔がこんなに近くにあって、体の温もりをこうして感じていられるのに、さっきの話を聞いてしまった後ではなんだかラチアが遠くに行ってしまったような……そんな気がした。
なんとなく、ラチアの顔に触れてみたくなった。
ラチアの腕の中でもぞもぞと動きながら手を上げて顔に触れようとしたらラチアにぎゅっと強く抱かれて腕を圧迫された。
ラチアは目を瞑っているけれどまだ眠ってない。
無言のぎゅっは『早く寝ろ』という意味なんだろう。
ラヴィはラチアの顔に触れるのを諦めて、見るだけにした。
目を閉じているラチアはラヴィがずっと見つめていることに気付いていない。
ラヴィが切なそうな顔をしていることにラチアは気付いていない。
『マスター……今、何を考えているんだろう? 誰のことを考えてるんだろう?』
ラヴィはまた胸がきゅっと痛くなった。
でも、寝ようとしているラチアに「撫でて」とは言えず、ラヴィは唇を噛んで痛みに耐えた。
『パイラがマスターを見てて《しんどい》って言ってたけど、今ならその気持ち分かる気がするよ』
はふぅ……。
自然にラヴィの口から洩れた吐息は甘く切ない匂いがした。
『……ボクもしんどいや』
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