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一章

これってモラハラ?

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「君ってほんとうになんにも出来ないんだね」

 眼鏡のフレームにくいっと指をかけながら夫の裕一ゆういちがそう言った。彼の視線の先にはすこし焦げてしまったまるいハンバーグが二つ、申し訳なさそうに白いお皿に乗っかっている。
 ソースをたくさんかけてごまかそうとしたのだけど、ひと口めを口にする前に目ざとい彼は気づいてしまったのだ。

「ごめ……ん。ちょっと、メールしてて……」

 わたしは謝りながら苦笑いした。ハンバーグは一応、わたしの得意料理だ。今日は本当に、久しぶりにちょっとだけ焦がしてしまった。でも、食べられないわけじゃない。ちゃんと味見もしたのだから、大丈夫なのに。

「でも、全然食べられるよ。ソースは美味しく出来てるから、ね」

 笑顔でサラダのボウルをテーブルに置いた。だが彼はハンバーグのお皿をぐいっとテーブルの向こうに追いやると、お箸でサラダをつつき始める。

「いらないよ、そんなの」

 君が食べなよね、とわたしをちらりと見てから、呆れたように「君ってさ、いったい、何年主婦やってるの?」と言ったのだ。






 蔭山かげやま莉子りこ。三十三歳。無職。(主婦)

 これが履歴書に書くいまのわたし、全部だ。

 短大を出て地元の企業に就職。合コンで出会った銀行員の裕一と結婚して、社宅に住み始めた。初めはわたしも仕事を続けていたのだけれど、裕一の転勤が決まったのを機に、退職することにしたのが十年前。

「働いてたら、家のことあんまり出来ないでしょ?だからこれでよかったんだよ」

 それなりに仕事を楽しんでいたわたしにとってはすこし寂しい話だった。でも、栄転の裕一に励まされるように言われて泣く泣く辞表を出したのだ。そのあとは、少しお洒落なイタリアンレストランでパートタイマーとして働いていたのだが、去年、そこが閉店してしまった。

 今では十年前に会社を辞めたことを週に一回は後悔している。


『残念ながら、当社との条件と合わず、今回は採用を見送らせて頂くこととなりました。また機会がございましたら是非……』

 メールの本文を最後まで読まずにわたしは携帯をベッドに投げ出した。


 



「ああ……。やっぱりダメだよね。わかってた」

 そう呟いて枕に顔を埋める。遠い昔に事務を数年やっていただけの主婦をいきなり本採用するような会社なんてないに決まっている。わかってはいたけど……。

 さっき裕一に投げつけられた
「君ってなんにも出来ないんだね」
「何年主婦やってるの」
 が、ぐるぐると頭のなかを駆け回っている。悔しくて、情けなくて、また目尻に涙が滲んできた。

 この言葉はでも、初めてじゃないのだ。
 半年くらい前だったろうか。忙しくて洗濯物を取り入れずに買い物から帰ってきた時のこと、たまたま直帰していた裕一が先に家に帰っていた。

 彼はさっきと同じように呆れ顔でベランダを指差しながら、「周り見てみなよ。こんな時間まで洗濯物干してるの、ウチだけだよ」
と刺々しく言った。私は慌ててエコバッグを置いてベランダに駆け寄って、
「そんなことないでしょ。まだ六時前だよ。それに前、夜に干すって言ってた人もいたもの」
と明るく反論した。裕一が冗談混じりで言ったのだと思ったのだ。



「それは、昼間忙しく働いている女性じゃないの。君とは違うから」

 肩をすくめて洗面所へ向かう彼を、わたしはあっけに取られて見つめるしか出来なかった。

 せっかく始めたパートを、体裁悪いからやめてほしいって言ったの、そっちじゃない!

 そう叫んでしまいたいのをぐっと我慢して洗濯物を取り入れることに気持ちを集中したのだ。口論になって、家の中の雰囲気が重たくなるのが嫌だった。彼はさばさばしたところもある人なので、少し経ったらまた普通に話しはじめるに違いない。だから、いまはちょっとだけこのモヤモヤをがまんしよう。

 そんなふうにやり過ごしてきてしまったからなのかな。

 今では何かにつけて、自分が大した人間じゃないことを思い知らされている気がする。

「昔は、あんなふうじゃなかったんだけどな」

 前はもっと、お互い笑いながら話していたと思う。何が裕一を変えてしまったのか、わからないまま三、四年経つ。寝室はもう、とっくに別々だ。

わたしは、投げ出した携帯をのそのそと拾い上げてもう一度不採用メールを確認してから、削除ボタンをタップした。ごろんと仰向けになって、また、求人サイト巡りをはじめる。すると、メッセージの通知が画面に流れてきた。

『あなたの作品が購入されました』

「あっ!」

 小さく叫んで飛び起きる。ノートパソコンに走り寄って、ハンドメイド専用のオンラインマーケット『モネ』の画面を開いた。ここは趣味からビジネスまで誰もが自作のハンドメイド品を登録して、自分だけのお店を作れるサイトだ。

もともとハンドメイドが大好きだったわたしは、布やビーズを集めるのが癒しだった。転勤を機に処分してしまったのだが、去年パートを辞めてから再びハンドメイド熱を取り戻して、いろいろ作っていたのだ。そして、このサイトの存在を知り、思い切って登録したのがひと月前。少しずつ購入されていくのが励みになっていた。

『おめでとうございます。ricco様の作品が二点、購入されました』
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