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秒読みの復讐
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二月……。
オレを乗せたルフトハンザ452便は、予定より二十分早くロスアンジェルス空港に到着した。時刻は金曜日の午後、三時〇五分。もちろんパシフィックタイムでね。
カルネヴァーレが終わるのは、毎年マルディ・グラの日と決まっている。――マルディってのは火曜日って意味――でもオレは、お祭り期間中ずっと、トランペットの演奏で忙しかったからって、さらに二日間、休みがもらえていろいろ観光できたんだ。だから今日、LAに着いたってわけ。
スーツケースには、シャーリーンへの贈り物、ヴェンキ(Venchi)のチョコレートが入ってる。イタリアといえばヴェンキと言われるくらい、有名な老舗だ。そこで見つけた、宝石みたいなジャンドュイオットは、ヘーゼルナッツのクリームが絶品だった。アーモンドペーストのホワイトチョコをミルクチョコで挟んだ、三層のクレミノは、ほんとに口に入れるのがもったいないくらいの芸術作品だ。
もちろんヴェネツィア滞在期間中、UCLAの授業を休まなくてはならなかったんだけどさ。コンクールに優勝するのは名誉なことだから、この五日間は欠席扱いにしないって、大学がエクストラ・クレディットをくれた。
うーん、気持ちのいい青空。
帰りの飛行機の中でぐっすり眠れたから、気分はよかった。
着陸態勢に入って高度を下げていく飛行機の窓から見えたサンタモニカの海は、陸に近づくにつれて深いネイビーからコバルトブルーへ、そしてターコイズへと、だんだん色が淡くなって、ビーチにレース模様の波を打ち寄せてたな。
エンジェルの街へ帰ってきた嬉しさで、飛行機を降りても、そんなさっき見た風景を思い出していた。もっともオレの心を占めているエンジェルはただ一人……ハニーブロンドの女の子だけだ。
そういえば彼女にもらったマフラーはヴェネツィアではすごく役に立ったし、あのおしゃれなイタリア人たちからもセンスいいって褒められちゃった。
入国審査を通りスーツケースを捜し出したところで、着信音。画面の端にシャーリーンの名前を見つけた。
『お帰りなさい、到着予定より早かったのね』
タイミングのいいメッセージに、オレも『チャオ!』とひと言返す。
天使からのメッセージを到着後まっ先に受け取って、オレの手は宙を飛んでいる恋のキューピットとハイタッチでも交わしたように舞い上がっていた。スーツケースをトロトロと押しながら出口の方へ向かう。
で税関を抜けてようやくロビーに出てきたってわけ。あの出迎えの人が、名前書いた紙を持って待ってたりするとこね。
「ビエンヴェヌート! キャメロン」
聞き慣れた声に思わず振り向く。……と、ハニーブロンドを輝かせて、手を振っている女の子がいた。
あれ? 君って?
「シャーリーン」
「来てくれたの? あ、そうか。だから飛行機が定刻前に着いたことわかったんだ」
さっき受け取ったメッセージで、気づくべきだった。
久しぶりに――って言っても一週間足らずだけど――会ってみてわかったんだ。ああ、なんかこの女の子、オレにとってなくてはならない存在になってきてるって。
「あとで君に見せたいものがあるんんだ。実は……」
夢中でハグをしたオレは、急に恥ずかしそうなそぶりをする彼女を見て、ここはアメリカだったことを思い出す。
「……あ、ごめん。ついイタリア式の挨拶が出ちゃって」
「……」
キスっていっても、ほんとに頬に唇を触れるわけじゃないんだよ。
ヨーロッパ式の挨拶は、互いの頬と頬を触れあわせて、口でキスの音をさせるのが一般的。左右一回ずつ合計二回ね。まあ二人の関係によって、頬に唇でキスしたり、男同士の時は、目上にあたる人がシャイだったりすると握手だけの場合もあるけど。男女の時は、初対面でも絶対この頬と頬を触れるキス。
イタリア滞在中は、オーケストラのメンバーや役所の人に、ほぼ強制的にこの挨拶を躾られたっていうか……、そんなこんなで、もう無意識のうちにシャーリーンにしちゃってた。
あれ? でも、シャーリーンがここにいるっていうことは……、
たじろぎまがら、オレの目はあの人を捜していた。
うあ! い、いらしてたよ、ダンディなシャーリーンのパパ。ロビーの、カフェテリアに。
も、申し訳ありませんっ! お嬢さんのほっぺに触れてしまいました。なんでも言うこと聞きますから、許してください!!
ミスター・グレンヴィルは、余裕のある笑みを浮かべて近づいてくると、オレに右手を差し出した。
「やあ、キャメロン」
「こ、こんにちは……」
あ、握手ですね。怒ってないんですねっ?
「はじめまして、キャメロン」
うっわあ!! お隣の、ものすごい綺麗な人、もしかして、シャーリーンのママなんですかっ?
「……はじめまして」
握手の感触……、シャーリーンと同じくらい柔らかくてドキッとした。
そんなこんなであたふたしてたオレは、ロビーの人混みの向こうにあいつがいることなんて、全く気づかなかった。
「イージー、イージー、Kー9」
ウィリアムは叔父から借りた麻薬探知犬の尖った耳をそっと撫でた。
大型の黒いジャーマン・シェパードで、体重が40キロもある。両耳をピンと立てて、まるで狼のようだ。人間を怖がらせないよう躾けられた麻薬探知犬にしてはめずらしく荒い息遣いのこの犬と、ここ数週間ずっと、ターゲットを見つけた時のための秘密の訓練を続けてきた。
「いい子だKー9。わかってるな? 奴を見つけたら……」
そう、ターゲットを発見したらその時こそは……。
ごろごろと震えるK-9の首に手を添えて、ウィリアムはその時をただひたすら待っていた。
「よかったら、私たち送って行きましょうか? 寮に帰るの? それともお家?」
「あ、えっと……」
「マリブなら、ここからそんなに遠くないでしょ」
シャーリーンのママは、麗しげな笑顔で、まつ毛を揺らしながら「ねえ」とご主人に同意を求めている。ああ、なんて上品な人なんだろう。
それに、恥じらいを見せながらも、嬉しそうに微笑んでパパに哀願するシャーリーンのこんな可愛い顔は、初めて見たよ、オレ。
「確かうちの両親が、迎えに来るって言ってたんですけど……」
「そう、ご両親がいらっしゃるの」
「はい、オ……僕が、予定より少し早く着いちゃったから……」
しどろもどろになりつつもスマホの画面を見ると、母さんからのメッセージが届いていた。
「あ、なんか渋滞に巻き込まれたけど、もう空港に着いたそうで」
オレが入り口の方をきょろきょろ捜してたら、ミスター・グレンヴィルがつぶやいた。
「ふーむ、マリブのミスター・コールドウエル……、君のお父さんは、もしや建築デザイナーの?」
「はい、そうですけど、どうしてそれを?」
「前に、うちのクライアントだった……」
ええっ! そうなんですか?
「キャメロン」
母さんの声が、風に乗って運ばれてきた。入り口から手を振りながら、ニコニコ近づいてくる細身の女の人と、背の高い男の人……、間違いなくうちの両親だ。
「いた! 奴だ。ゴー・ゲット・ヒム!」
「バウッ、バウ、バウ、バウ!」
その瞬間だ。巨大なジャーマン・シェパードが、オレめがけて突進してきたのは!
「うわあああっ!」
シャーリーンをかばいながら、彼女から離れようと横に飛ぶ。犬はそのままオレを突き倒し、全体重をかけて前足で肩を押さえつけられた。
す、すげえ力だ。なんだ? いったい何が起こってる!?
耳まで裂けた口が目の前に迫って……、うあぁ、だめだ……。オレは両腕で頭をかばった。
次の瞬間、荒い息が顔に吹きつける。
食われる!!
がぶりと犬の顎が噛んだ……音を聞いた。オレの肉は……、いや、オレの肉は噛まれてない。ぅん? 待てよ、確かに何かオレの体から引き剥がされた……気がした。恐る恐る目を開けて、ゆっくり上体を起こした。
「あ、フィドー」
ジャーマン・シェパードがそのでかい口にくわえているのは、オレがヴェネツィアで見つけた犬のパペットだった。そう、尻ポケットに入れてたんだ。手を入れて、犬になりきってシャーリーンと遊ぼうと思って。
え? 何、パペットの手を入れろって?
ジャーマン・シェパードに促されるまま人形に手を入れると、人が変わったように(いや犬が変わったように?)飛び上がって喜んでいる。
「なんだよお前、遊んで欲しかったの?」
バウ、ワウ、ワウン
「ってお前、どこの犬だよ」
起き上がって辺りを見回したけど、飼い主らしき人物の姿はどこにもない。シャーリーンは驚いて立ちすくんでる。
「キャ、キャメロンッ!!」
「な、なんとか生きてる」
「大丈夫? ケガはない?」
「うん、だいじょぶ……みたい」
ていうか、じゃれてるよね。この犬」
オレの左手を突っ込んだパペットのフィドーに、牙を立てないで口ではむはむしてる。なんか人懐っこいんだよね。たった今到着したばかりのオレの両親は、状況がよく呑み込めてなくて、不思議そうに眺めながらこっちに歩いてくる。
「あ、これ? もししかしたら」
オレは別のポケットに入れてたビーフジャーキーの封を切った。ジャーマン・シェパードが飛びついてくる。今思い出したよ。向こうにいた時、このパペットで子犬に餌をあげてたことがある。だからきっと、まだその匂いがついてたんだ。
オレはパペットにビーフジャーキーを持たせて、ジャーマン・シェパードにあげてみた。すっげえ喜んで食べてる。
「Shit! K-9」
ウィリアムは悔しそうに吐き捨てた。
「ほんと? ほんとに何ともないのね」
両腕を差し出して、オレを立ち上がらせてくれるシャーリーン。
それにしても、こんなところでオレとシャーリーンの両親が初顔合わせとか……どうしよう。オレはまだ、心の準備ができてない。どんな風に紹介したらいいんだ? いや、紹介ぐらいはできるけど、その後何を話したらいい?
「キャメロンのご両親、素敵な方たちみたいね。それに、優しそう。仲良くしていただけるかしら?」
いや、待ってシャーリーン。犬の騒ぎのせいで忘れそうになったけど、ついさっき君のパパが言ってたことって、すっごい大変なことなんじゃないか?
だって、シャーリーン。君のパパ、弁護士なんだよ。オレの親父がそのクライアントだってことは、仲良しだと思ってる? いいかい、敵側じゃなくてクライアントだからって、仲がいい保証はどこにもないんだ。むしろいがみあってる可能性のほうがずっと高い。もしかして訴訟に負けたかもしれないし、仮にネゴシエーションに持ち込んだり勝ったりしてたって、弁護士とクライアントが互いに不満を抱いているケースは、十分過ぎるほどあるじゃないか。
ってことは、まさか、キャピュレット家とモンタギュー家みたいな展開に……とか?
ええっ! そしたらオレたちは、ディカプリオと……。
いやいや、ロミオとジュリエットの仮装をした人たちなら、三日前にヴェネツィアのサン・マルコ広場で大勢見かけたばかりなんだけどさ。
ああ、シャーリーン。君は、どうしてシャーリーンなんだ?
いや、ま、待てっ!
そうじゃない。違うっ! 違うぞ!
現代に生きるオレたちは、ロミジュリとは状況が違うんだ。毒薬なんか、飲んだりしない!
「ねえ、キャメロン。パパ達が笑って話してる」
そうだよ……戦うんだ。
「え、笑ってる?」
シャーリーンに腕を引っ張られて振り向くと、四人は仲良く握手を交わしていた。
「あれ? オレたちの戦いは、これからじゃ?」
P.S.
その後シャーリーンが「さっき見せたいものがあるって言ってなかった?」とか話しかけてきた。オレはまだ両親たちの反応に半信半疑だったんだけど、ちょっと遅めのバレンタインのチョコレートを渡した。
それから……。
もっと大切なもの――ずっと頑張ってきたオレのオリジナル曲が完成したことを彼女に伝えた。行き詰っていた創作に、ヴェネツィアでひらめきが訪れたんだよ。シャーリーン、君のことを思い出してた時に。
【おわり】
オレを乗せたルフトハンザ452便は、予定より二十分早くロスアンジェルス空港に到着した。時刻は金曜日の午後、三時〇五分。もちろんパシフィックタイムでね。
カルネヴァーレが終わるのは、毎年マルディ・グラの日と決まっている。――マルディってのは火曜日って意味――でもオレは、お祭り期間中ずっと、トランペットの演奏で忙しかったからって、さらに二日間、休みがもらえていろいろ観光できたんだ。だから今日、LAに着いたってわけ。
スーツケースには、シャーリーンへの贈り物、ヴェンキ(Venchi)のチョコレートが入ってる。イタリアといえばヴェンキと言われるくらい、有名な老舗だ。そこで見つけた、宝石みたいなジャンドュイオットは、ヘーゼルナッツのクリームが絶品だった。アーモンドペーストのホワイトチョコをミルクチョコで挟んだ、三層のクレミノは、ほんとに口に入れるのがもったいないくらいの芸術作品だ。
もちろんヴェネツィア滞在期間中、UCLAの授業を休まなくてはならなかったんだけどさ。コンクールに優勝するのは名誉なことだから、この五日間は欠席扱いにしないって、大学がエクストラ・クレディットをくれた。
うーん、気持ちのいい青空。
帰りの飛行機の中でぐっすり眠れたから、気分はよかった。
着陸態勢に入って高度を下げていく飛行機の窓から見えたサンタモニカの海は、陸に近づくにつれて深いネイビーからコバルトブルーへ、そしてターコイズへと、だんだん色が淡くなって、ビーチにレース模様の波を打ち寄せてたな。
エンジェルの街へ帰ってきた嬉しさで、飛行機を降りても、そんなさっき見た風景を思い出していた。もっともオレの心を占めているエンジェルはただ一人……ハニーブロンドの女の子だけだ。
そういえば彼女にもらったマフラーはヴェネツィアではすごく役に立ったし、あのおしゃれなイタリア人たちからもセンスいいって褒められちゃった。
入国審査を通りスーツケースを捜し出したところで、着信音。画面の端にシャーリーンの名前を見つけた。
『お帰りなさい、到着予定より早かったのね』
タイミングのいいメッセージに、オレも『チャオ!』とひと言返す。
天使からのメッセージを到着後まっ先に受け取って、オレの手は宙を飛んでいる恋のキューピットとハイタッチでも交わしたように舞い上がっていた。スーツケースをトロトロと押しながら出口の方へ向かう。
で税関を抜けてようやくロビーに出てきたってわけ。あの出迎えの人が、名前書いた紙を持って待ってたりするとこね。
「ビエンヴェヌート! キャメロン」
聞き慣れた声に思わず振り向く。……と、ハニーブロンドを輝かせて、手を振っている女の子がいた。
あれ? 君って?
「シャーリーン」
「来てくれたの? あ、そうか。だから飛行機が定刻前に着いたことわかったんだ」
さっき受け取ったメッセージで、気づくべきだった。
久しぶりに――って言っても一週間足らずだけど――会ってみてわかったんだ。ああ、なんかこの女の子、オレにとってなくてはならない存在になってきてるって。
「あとで君に見せたいものがあるんんだ。実は……」
夢中でハグをしたオレは、急に恥ずかしそうなそぶりをする彼女を見て、ここはアメリカだったことを思い出す。
「……あ、ごめん。ついイタリア式の挨拶が出ちゃって」
「……」
キスっていっても、ほんとに頬に唇を触れるわけじゃないんだよ。
ヨーロッパ式の挨拶は、互いの頬と頬を触れあわせて、口でキスの音をさせるのが一般的。左右一回ずつ合計二回ね。まあ二人の関係によって、頬に唇でキスしたり、男同士の時は、目上にあたる人がシャイだったりすると握手だけの場合もあるけど。男女の時は、初対面でも絶対この頬と頬を触れるキス。
イタリア滞在中は、オーケストラのメンバーや役所の人に、ほぼ強制的にこの挨拶を躾られたっていうか……、そんなこんなで、もう無意識のうちにシャーリーンにしちゃってた。
あれ? でも、シャーリーンがここにいるっていうことは……、
たじろぎまがら、オレの目はあの人を捜していた。
うあ! い、いらしてたよ、ダンディなシャーリーンのパパ。ロビーの、カフェテリアに。
も、申し訳ありませんっ! お嬢さんのほっぺに触れてしまいました。なんでも言うこと聞きますから、許してください!!
ミスター・グレンヴィルは、余裕のある笑みを浮かべて近づいてくると、オレに右手を差し出した。
「やあ、キャメロン」
「こ、こんにちは……」
あ、握手ですね。怒ってないんですねっ?
「はじめまして、キャメロン」
うっわあ!! お隣の、ものすごい綺麗な人、もしかして、シャーリーンのママなんですかっ?
「……はじめまして」
握手の感触……、シャーリーンと同じくらい柔らかくてドキッとした。
そんなこんなであたふたしてたオレは、ロビーの人混みの向こうにあいつがいることなんて、全く気づかなかった。
「イージー、イージー、Kー9」
ウィリアムは叔父から借りた麻薬探知犬の尖った耳をそっと撫でた。
大型の黒いジャーマン・シェパードで、体重が40キロもある。両耳をピンと立てて、まるで狼のようだ。人間を怖がらせないよう躾けられた麻薬探知犬にしてはめずらしく荒い息遣いのこの犬と、ここ数週間ずっと、ターゲットを見つけた時のための秘密の訓練を続けてきた。
「いい子だKー9。わかってるな? 奴を見つけたら……」
そう、ターゲットを発見したらその時こそは……。
ごろごろと震えるK-9の首に手を添えて、ウィリアムはその時をただひたすら待っていた。
「よかったら、私たち送って行きましょうか? 寮に帰るの? それともお家?」
「あ、えっと……」
「マリブなら、ここからそんなに遠くないでしょ」
シャーリーンのママは、麗しげな笑顔で、まつ毛を揺らしながら「ねえ」とご主人に同意を求めている。ああ、なんて上品な人なんだろう。
それに、恥じらいを見せながらも、嬉しそうに微笑んでパパに哀願するシャーリーンのこんな可愛い顔は、初めて見たよ、オレ。
「確かうちの両親が、迎えに来るって言ってたんですけど……」
「そう、ご両親がいらっしゃるの」
「はい、オ……僕が、予定より少し早く着いちゃったから……」
しどろもどろになりつつもスマホの画面を見ると、母さんからのメッセージが届いていた。
「あ、なんか渋滞に巻き込まれたけど、もう空港に着いたそうで」
オレが入り口の方をきょろきょろ捜してたら、ミスター・グレンヴィルがつぶやいた。
「ふーむ、マリブのミスター・コールドウエル……、君のお父さんは、もしや建築デザイナーの?」
「はい、そうですけど、どうしてそれを?」
「前に、うちのクライアントだった……」
ええっ! そうなんですか?
「キャメロン」
母さんの声が、風に乗って運ばれてきた。入り口から手を振りながら、ニコニコ近づいてくる細身の女の人と、背の高い男の人……、間違いなくうちの両親だ。
「いた! 奴だ。ゴー・ゲット・ヒム!」
「バウッ、バウ、バウ、バウ!」
その瞬間だ。巨大なジャーマン・シェパードが、オレめがけて突進してきたのは!
「うわあああっ!」
シャーリーンをかばいながら、彼女から離れようと横に飛ぶ。犬はそのままオレを突き倒し、全体重をかけて前足で肩を押さえつけられた。
す、すげえ力だ。なんだ? いったい何が起こってる!?
耳まで裂けた口が目の前に迫って……、うあぁ、だめだ……。オレは両腕で頭をかばった。
次の瞬間、荒い息が顔に吹きつける。
食われる!!
がぶりと犬の顎が噛んだ……音を聞いた。オレの肉は……、いや、オレの肉は噛まれてない。ぅん? 待てよ、確かに何かオレの体から引き剥がされた……気がした。恐る恐る目を開けて、ゆっくり上体を起こした。
「あ、フィドー」
ジャーマン・シェパードがそのでかい口にくわえているのは、オレがヴェネツィアで見つけた犬のパペットだった。そう、尻ポケットに入れてたんだ。手を入れて、犬になりきってシャーリーンと遊ぼうと思って。
え? 何、パペットの手を入れろって?
ジャーマン・シェパードに促されるまま人形に手を入れると、人が変わったように(いや犬が変わったように?)飛び上がって喜んでいる。
「なんだよお前、遊んで欲しかったの?」
バウ、ワウ、ワウン
「ってお前、どこの犬だよ」
起き上がって辺りを見回したけど、飼い主らしき人物の姿はどこにもない。シャーリーンは驚いて立ちすくんでる。
「キャ、キャメロンッ!!」
「な、なんとか生きてる」
「大丈夫? ケガはない?」
「うん、だいじょぶ……みたい」
ていうか、じゃれてるよね。この犬」
オレの左手を突っ込んだパペットのフィドーに、牙を立てないで口ではむはむしてる。なんか人懐っこいんだよね。たった今到着したばかりのオレの両親は、状況がよく呑み込めてなくて、不思議そうに眺めながらこっちに歩いてくる。
「あ、これ? もししかしたら」
オレは別のポケットに入れてたビーフジャーキーの封を切った。ジャーマン・シェパードが飛びついてくる。今思い出したよ。向こうにいた時、このパペットで子犬に餌をあげてたことがある。だからきっと、まだその匂いがついてたんだ。
オレはパペットにビーフジャーキーを持たせて、ジャーマン・シェパードにあげてみた。すっげえ喜んで食べてる。
「Shit! K-9」
ウィリアムは悔しそうに吐き捨てた。
「ほんと? ほんとに何ともないのね」
両腕を差し出して、オレを立ち上がらせてくれるシャーリーン。
それにしても、こんなところでオレとシャーリーンの両親が初顔合わせとか……どうしよう。オレはまだ、心の準備ができてない。どんな風に紹介したらいいんだ? いや、紹介ぐらいはできるけど、その後何を話したらいい?
「キャメロンのご両親、素敵な方たちみたいね。それに、優しそう。仲良くしていただけるかしら?」
いや、待ってシャーリーン。犬の騒ぎのせいで忘れそうになったけど、ついさっき君のパパが言ってたことって、すっごい大変なことなんじゃないか?
だって、シャーリーン。君のパパ、弁護士なんだよ。オレの親父がそのクライアントだってことは、仲良しだと思ってる? いいかい、敵側じゃなくてクライアントだからって、仲がいい保証はどこにもないんだ。むしろいがみあってる可能性のほうがずっと高い。もしかして訴訟に負けたかもしれないし、仮にネゴシエーションに持ち込んだり勝ったりしてたって、弁護士とクライアントが互いに不満を抱いているケースは、十分過ぎるほどあるじゃないか。
ってことは、まさか、キャピュレット家とモンタギュー家みたいな展開に……とか?
ええっ! そしたらオレたちは、ディカプリオと……。
いやいや、ロミオとジュリエットの仮装をした人たちなら、三日前にヴェネツィアのサン・マルコ広場で大勢見かけたばかりなんだけどさ。
ああ、シャーリーン。君は、どうしてシャーリーンなんだ?
いや、ま、待てっ!
そうじゃない。違うっ! 違うぞ!
現代に生きるオレたちは、ロミジュリとは状況が違うんだ。毒薬なんか、飲んだりしない!
「ねえ、キャメロン。パパ達が笑って話してる」
そうだよ……戦うんだ。
「え、笑ってる?」
シャーリーンに腕を引っ張られて振り向くと、四人は仲良く握手を交わしていた。
「あれ? オレたちの戦いは、これからじゃ?」
P.S.
その後シャーリーンが「さっき見せたいものがあるって言ってなかった?」とか話しかけてきた。オレはまだ両親たちの反応に半信半疑だったんだけど、ちょっと遅めのバレンタインのチョコレートを渡した。
それから……。
もっと大切なもの――ずっと頑張ってきたオレのオリジナル曲が完成したことを彼女に伝えた。行き詰っていた創作に、ヴェネツィアでひらめきが訪れたんだよ。シャーリーン、君のことを思い出してた時に。
【おわり】
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