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確かナポレオンって胃が弱かったよね
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「えぇ……っと、今日はかなりお待ちいただくことになりますね」
リネンのエプロンを巻いたギャルソンは、予約ノートを見て難しそうな顔をした。
というわけでリナと俺は、パレードの後で「じゃあ一緒に食事でも」ってことになって、サン・ジェルマンにあるレストラン「ル・プロコープ」(Le Procorpe)にいた。
いや、サン・ジェルマンっていうよりサン・ミッシェルかな。ポン=ヌフを渡ってちょっと行ったところ。サン・ジェルマンとサン・ミッシェル、どっちにも含まれる場所ね。
落ち着いた緑の枠の磨き抜かれたそのガラス扉を押したのは、パリ最古のレストランって書かれた年代物のプレートが目についたからだ。
やっぱこの日に予約なしってのは、無謀だったか。
「どうする、リナ?」
「私は別に、待っても構わないけど……」
「おや」
その時また、ガラス扉を押して入ってきた人がいた。
おお何と!
午前中俺たちの横でパレードを見ていたあのおっさんじゃん。へーえ、ちょっと意外だけど、帽子を脱ぐしぐさとか、歩き方とか、よく見るとなんかこの店のクラシックな雰囲気によく似合ってるんだよね。
「ほう君たち、予約してないんだったら、私と同席でよければ遠慮はいらないよ。エアフォースの話も詳しく聞きたいし。何しろ私がエコール・ミリタリーの生徒だった頃は、まだ空軍が無くて……」
へえぇ、この人エコール・ミリタリーに通ってたんだ。え、でもどういうこと? エアフォースが無かっただとおぉ?
「ああ、確かヴォルテールのサロンのテーブルを、お一人で予約されていたムッシュ・ブォナ……」
すかさずやってきたメイトロディーに案内されて、混み合う店内をスタスタと大理石の階段をのぼって行くおっさん。俺としてもリナを何時間も待たせたくなかったし、もう一度おっさんが振り向いたとき、それに甘んじることにした。
忙しいはずなのにギャルソンたちの効率的な身のこなしのおかげで、俺とリナはまもなくオニオン・グラタンスープを前にしていた。何て言うか、ここの名物メニューっての? 夏でもグラタンスープを頼む人多いんだ。
おっさんが頼んだのはホロホロ鳥の煮込みで、なんか冷めないようにピッカピカの銅の鍋に入れられて運ばれてきてた。テーブルで給仕が盛りつけソースをかけるという豪華さだ。そういえばこの鳥、高級でくせがなく、牛肉よりも胃に優しいんだって言ってた。
この部屋にあるテーブルって本当に昔ヴォルテールが食事してたらしくて、近くの劇場で彼の作品が上演された後に本人がこっそり変装してやってきて、みんながどんな批評をするのか聞いてたので有名らしい。
いやま、そういうことしてたのが有名だったのなら、こっそりでもないんだろうけどさ。
批評してるほうは、わざと本人に聞かせるように大声で話してたりとかもあったかもね。あ、俺なんか今、来学期のレポートのテーマがひらめいた。「史上最古のステルス・マーケティング」って。
「そういえば若き日のナポレオンがここで食事をして、支払いができずにその代わりに黙って帽子を置いて立ち去ったというエピソードがある……らしい」
と、おっさん。
「ええぇ? それって税金を私用に使ったってこと? だって軍から支給された帽子でしょ。間接的にとはいえ、市民の血税じゃん」
「ノン!」
俺の反応に、おっさんは思わずワインを吹きそうになった。
「ノン、ノン、違う! あれは、わた……いやボナパルトの私物だ。さっき入り口の近くの席に飾ってあっただろう? ちゃんとガラスの扉つきで大切に守られてだな……」
「えー、だって混んでたからよく見てないなぁ、あ、帰る時ちゃんと見るよ」
「あら、でもナポレオンは、その後このお店に食事に来られなくなっちゃったんじゃありませんか?」
「だよねー。たとえ帽子の値段のほうが飲食代より高かったとしても、顔を出しにくいだろうね」
俺はリナに賛同した。っていうかツッコミどころはちゃんと逃さないんだ、この子も。やるなぁ。
「そのエピソードには、後日談があってだな。才能に恵まれた彼はすぐに出世して、ある日この店をもう一度訪れる。今度はちゃんと食事の代金を払い、前回の借りも支払うと支配人に告げた。すると支配人は『その分はもう結構です。あれは当店のライブラリーに保管させてください』と答える。つまり、彼はすでにそこまで有名人になっていたわけだな」
うーん、まあ確かにね。貴族しか通えない陸軍士官学校に、国費で通わせてもらうくらい優秀で、しかも普通は二年かかるところを一年で卒業しちゃったんだしね。
「彼は特に数学が得意だった。それを生かして砲兵士官となった」
「あ、わかる。なんかフランス人ってみんな数学が得意そうだよね」
ほら数の数え方だって、数字の単語は1から60までしかなくてさ。70は『ソワソンディス』──60と10、80は『キャトルヴァン』──4×20って言うじゃん。あれって、会話しながら頭の中でささっと計算できちゃうってことだよね。
おっさんは「まあね」とまんざらでもなさそうだった。
リネンのエプロンを巻いたギャルソンは、予約ノートを見て難しそうな顔をした。
というわけでリナと俺は、パレードの後で「じゃあ一緒に食事でも」ってことになって、サン・ジェルマンにあるレストラン「ル・プロコープ」(Le Procorpe)にいた。
いや、サン・ジェルマンっていうよりサン・ミッシェルかな。ポン=ヌフを渡ってちょっと行ったところ。サン・ジェルマンとサン・ミッシェル、どっちにも含まれる場所ね。
落ち着いた緑の枠の磨き抜かれたそのガラス扉を押したのは、パリ最古のレストランって書かれた年代物のプレートが目についたからだ。
やっぱこの日に予約なしってのは、無謀だったか。
「どうする、リナ?」
「私は別に、待っても構わないけど……」
「おや」
その時また、ガラス扉を押して入ってきた人がいた。
おお何と!
午前中俺たちの横でパレードを見ていたあのおっさんじゃん。へーえ、ちょっと意外だけど、帽子を脱ぐしぐさとか、歩き方とか、よく見るとなんかこの店のクラシックな雰囲気によく似合ってるんだよね。
「ほう君たち、予約してないんだったら、私と同席でよければ遠慮はいらないよ。エアフォースの話も詳しく聞きたいし。何しろ私がエコール・ミリタリーの生徒だった頃は、まだ空軍が無くて……」
へえぇ、この人エコール・ミリタリーに通ってたんだ。え、でもどういうこと? エアフォースが無かっただとおぉ?
「ああ、確かヴォルテールのサロンのテーブルを、お一人で予約されていたムッシュ・ブォナ……」
すかさずやってきたメイトロディーに案内されて、混み合う店内をスタスタと大理石の階段をのぼって行くおっさん。俺としてもリナを何時間も待たせたくなかったし、もう一度おっさんが振り向いたとき、それに甘んじることにした。
忙しいはずなのにギャルソンたちの効率的な身のこなしのおかげで、俺とリナはまもなくオニオン・グラタンスープを前にしていた。何て言うか、ここの名物メニューっての? 夏でもグラタンスープを頼む人多いんだ。
おっさんが頼んだのはホロホロ鳥の煮込みで、なんか冷めないようにピッカピカの銅の鍋に入れられて運ばれてきてた。テーブルで給仕が盛りつけソースをかけるという豪華さだ。そういえばこの鳥、高級でくせがなく、牛肉よりも胃に優しいんだって言ってた。
この部屋にあるテーブルって本当に昔ヴォルテールが食事してたらしくて、近くの劇場で彼の作品が上演された後に本人がこっそり変装してやってきて、みんながどんな批評をするのか聞いてたので有名らしい。
いやま、そういうことしてたのが有名だったのなら、こっそりでもないんだろうけどさ。
批評してるほうは、わざと本人に聞かせるように大声で話してたりとかもあったかもね。あ、俺なんか今、来学期のレポートのテーマがひらめいた。「史上最古のステルス・マーケティング」って。
「そういえば若き日のナポレオンがここで食事をして、支払いができずにその代わりに黙って帽子を置いて立ち去ったというエピソードがある……らしい」
と、おっさん。
「ええぇ? それって税金を私用に使ったってこと? だって軍から支給された帽子でしょ。間接的にとはいえ、市民の血税じゃん」
「ノン!」
俺の反応に、おっさんは思わずワインを吹きそうになった。
「ノン、ノン、違う! あれは、わた……いやボナパルトの私物だ。さっき入り口の近くの席に飾ってあっただろう? ちゃんとガラスの扉つきで大切に守られてだな……」
「えー、だって混んでたからよく見てないなぁ、あ、帰る時ちゃんと見るよ」
「あら、でもナポレオンは、その後このお店に食事に来られなくなっちゃったんじゃありませんか?」
「だよねー。たとえ帽子の値段のほうが飲食代より高かったとしても、顔を出しにくいだろうね」
俺はリナに賛同した。っていうかツッコミどころはちゃんと逃さないんだ、この子も。やるなぁ。
「そのエピソードには、後日談があってだな。才能に恵まれた彼はすぐに出世して、ある日この店をもう一度訪れる。今度はちゃんと食事の代金を払い、前回の借りも支払うと支配人に告げた。すると支配人は『その分はもう結構です。あれは当店のライブラリーに保管させてください』と答える。つまり、彼はすでにそこまで有名人になっていたわけだな」
うーん、まあ確かにね。貴族しか通えない陸軍士官学校に、国費で通わせてもらうくらい優秀で、しかも普通は二年かかるところを一年で卒業しちゃったんだしね。
「彼は特に数学が得意だった。それを生かして砲兵士官となった」
「あ、わかる。なんかフランス人ってみんな数学が得意そうだよね」
ほら数の数え方だって、数字の単語は1から60までしかなくてさ。70は『ソワソンディス』──60と10、80は『キャトルヴァン』──4×20って言うじゃん。あれって、会話しながら頭の中でささっと計算できちゃうってことだよね。
おっさんは「まあね」とまんざらでもなさそうだった。
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