北畠の鬼神

小狐丸

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37 朽木谷

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 弘治二年(1556年)七月

 side 明智光秀

 妻の煕子が嬉しそうに手鏡を見ている。

 照子には結婚前に患った疱瘡の痕が顔に残っていた。

 それがどうだ。今や殆ど分からぬくらいになっていた。

 これも殿のお陰だ。



 あれは左馬介が郎党や煕子を迎えに行き、戻って来て次の日だった。

 殿に挨拶に伺った時だった。

「失礼を承知で言うが、煕子殿の疱瘡の痕を薄く出来るが試してみないか」
「ほ、本当ですか!」

 私は煕子の顔に疱瘡の痕があろうとも、その愛情に変わりはないが、同時に照子が気にしているのも知っていた。

 殿は、仙術の応用だと仰った。
 若い殿が仙術を会得している事に驚くが、今は煕子の痕が少しでも薄くなるならと、一も二もなく頷いた。

 殿が手のひらから治癒の為の氣を、煕子の痕に流して整えるのだそうだ。

 実際、側から見てもよく分からないが、一度目ではっきりと薄くなっているのが確認できた。

「数日掛けて行えば、殆ど目立たぬようになると思う」
「「ありがとうございます」」

 その夜、屋敷に戻って二人抱き合い泣いたものだ。
 このご恩は、身命を賭して奉公する事でお返しせねば……



 そして煕子がおかしな事を言い出した。

「娘を沢山産まねばなりませんね」
「? いったい何を言うのだ」
「殿方は若い女子を好むと言います。殿に私の産んだ子を側室にあげます」
「……何を言うと思ったら」

 煕子はおおらかで出来た妻だが、こういう変わったところもある。

 その後、適当に返事をしていたが、煕子は本気かもしれない。





 side 源四郎

 大樹からの書状が頻繁に来るようになった。

 近江の朽木谷で逃亡生活も長くなり、ストレスが溜まっているのだろう。

 細川殿からのヘルプの書状が来る間隔が短くなってきた。

 そろそろ一度、大樹のガス抜きに行かねばならないか。

「朽木谷ですか?」
「ああ、大樹から書状が頻繁に来てね。そろそろ一度顔を出さないと、弟弟子としては不味いからね。どう、十兵衛も一緒に行く?」

 顔見せも兼ねて、十兵衛と左馬介も連れて行こうと思い、声を掛けてみた。

「是非、お供させて下さい」
「そう、十兵衛なら細川殿と話も合うだろうし、誼を通じておくのもいいだろう」

 細川殿は、当代一の文化人だから十兵衛と気が合うだろう。

 本来なら明智光秀が知り合っていた筈の人間のうち、害にならない者と人脈を築くのは悪い事じゃないと思う。



 実は、近江朽木谷へ行くのも簡単じゃない。

 現在、六角家とは停戦状態であって、和睦とは言い難い。

 そこで少数で行って帰ろうと思う。

 メンバーは、俺以外に、六郎、慶次郎、久助、十兵衛と左馬介だ。

 虎慶は存在そのものが目立つので、今回はお留守番だ。




 勿論、俺達が進む中、陰ながら八部衆が護衛している。

 十兵衛と左馬介には、まだ八部衆の存在は教えていない。

 黒影が念話で、俺達を監視する間者の存在を指摘する。

『六角側の甲賀者がちょろちょろとしているな』
(ああ、空から翡翠も警戒しているから大丈夫だろう)
『おっ、佐助と小南が頑張ってるな。飛び加藤とか言う爺いも居るじゃねぇか』
(なら、直ぐに終わるな)

 俺がそう黒影に返すと、丁度始末は終わったようだ。

 懲りないんだよな、三雲定持。

 きっと意地になっているんだと思うが、お前が間者の命を使い捨てにしちゃいかんだろう。

 北畠八部衆の他国での仕事では、基本方針として、必ず生きて情報を持ち帰るだ。
 失敗して逃げる事も許容している。逃げ帰ってこそ、何故失敗したのか分析も出来る。

 神戸城で休憩を取り、六角家領内を駆け抜け朽木谷に到達した。




 朽木谷は、近江高島郡の小さな所領であるが、京に近く大軍が動かせない立地故、独立を保ってきた。
 当主の朽木元綱は、父を幼い頃に戦さで亡くし、僅か二歳で家督を継いだ。

 現在、八歳ながら父と同じく京より逃亡して来た将軍義輝を匿っている。

 史実では、信長、秀吉、家康と仕えたが、最後まで厚遇される事はなかった。

 運の無い、間の悪い人だったんだろう。少し不憫に思えて来た。



 大樹は俺達を歓迎してくれた。

 近江の朽木谷はとても良い所だが、将軍なのに京に帰れない事は、大樹にとって忸怩たる思いなのだろう。

 大樹と稽古で汗をかき、その後は宴会になだれ込む。
 与五郎(朽木元綱)殿にも稽古をつけてあげた。母親が飛鳥井家の出だからか、上品な可愛らしい子供だった。若いながら当主として苦労しているのだろう。

「与一郎、伊勢の清酒を持て、鬼王丸いや源四郎と宴だ」

 大樹は終始上機嫌で、飲み過ぎて運ばれて行った。

「左少将殿、今日は感謝します。大樹も余程嬉しかったのでしょう」
「兵部大輔殿、源四郎でお願いします。兵部大輔殿は同門の兄弟子ですから」
「なら、某も与一郎と呼んで下さい。兄弟子とは言っても、源四郎殿のその腕は、某などと比べ遥かに高みに登られていますから」

 細川殿も苦労しているみたいだ。

「大樹は、源四郎殿が華々しく戦さで活躍するのを喜んでいるのです。ですが、北畠家に六角家と力を合わせて三好長慶を討てとは言えない事で鬱憤が溜まるのでしょう」
「…………」

 北畠家の当主は兄上だ。
 しかも大樹は武家の棟梁だが、北畠家は公家大名だ。お互いの立場が微妙で、積極的に働きかけ難い。

 細川殿は聡明な人なので、もう大樹が主導で一度や二度、三好長慶に戦さで勝ったとしても、昔のように足利幕府で世が治まらないと分かっているのだろう。
 だけど幕臣として、自分の役割を全うしようとしている気がする。





 side 明智光秀

 近江の朽木谷に滞在する大樹と目通りが叶った。

 細川兵部大輔殿とは、有意義な時間が持てた。彼からは色々と学ぶ事が多い。

 そして我が殿とその周囲の人間が、想像を絶する強者だった事を教えられた。

「殿、大殿は別格としても、六郎殿、慶次郎殿、彦右衛門殿のお三方までが、あれ程の剣の腕前だとは、驚きました」
「私も城下の噂で聞いたのだが、殿達は一騎当千を地で行くらしい」

 それが本当なら戦略や策謀など役に立たなくなる。
 一度そう殿に言ってみたのだが、自分達以外には戦略も策謀も必要なのだと言われた。

 北畠家が大きくなれば、自分で動けない場合も出て来る。殿の体は一つなのだから。

 だからこそ十兵衛の様な将が必要なのだと言って下さった。

 北畠家は、恐らく日ノ本で一番火縄銃を持つ大名だろう。火縄銃の改良も鉄砲傭兵の雑賀衆や根来衆よりも進んでいるだろう。

 私と左馬介も、日々訓練で鉄砲の腕を磨いている。

 火薬の値を考えれば、他家では到底無理だろう。

 今は彦右衛門殿が鉄砲隊を指揮しているが、私も一部隊預かる事が決まっている。

 北畠家の兵は、乱取りによる乱暴狼藉を禁止している。

 乱取りを禁止するのは賛成だが、これは北畠軍の高い統率力と規律を表している。

 禄に見合う配下を増やす必要があるな。

 美濃を当たってみるか。内蔵助殿を臣下に加えられれば、今よりも殿の期待に応えられるだろう。

 帰ったら早速、手紙を送ってみよう。



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