・グレー・クレイ

くれいん

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第2話 教練

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 失われた僕自身の記憶。
「かつての僕」とはどういう人間だったのか。どこで生まれ、誰と暮らし、どう育ってきたのか。何を得意とし、何が苦手だったのか。好きな食べ物、嫌いな食べ物は何だったのか。

 幸いなことに知識は残っていた。地名だとか、偉人の名前だとか、警察や病院といった名称。食べ物の名前だって、色々と出てくる。ハンバーグとか寿司とか、スパゲッティとか……。

 だが、そういった「知っているもの、こと」を整理する度、自分の頭の中にある不自然な空白が際立って感じられた。記憶ではなく記録だけを持っているような感覚。脳にある事典を開いてそれを読むことはできるが、それら単語に自分を絡めたイメージができない。学校に通う「僕」も、どこかで働く「僕」も、ハンバーグや寿司を食べる「僕」も、家族と一緒に暮らす「僕」も……。

 もしかしたら「僕」という人間は、あの日、あの時、あの廃墟の出口で、首を折られて死んだのかもしれない。……いや、よく考えてみれば記憶が無いことに気づいたのは死ぬ直前だ。それは、。そう考えると、あの廃墟での記憶は、「今の僕」にとっての最古の記憶ということになるのか。

 「明星」に身を置いて、早くも3日が経った。
 「今の僕」の始まり、あの廃墟での出来事は、明日になればもう一週間も前のことになる。さらに日が経てば、一か月、二か月……一年と、もっともっと前のことになる。

 それは、「かつての僕」から離れてしまうことのようで、大きな不安が感じられた。

 だが、過去に囚われすぎるのも良くないだろう。
 今も「僕」は生きていて、食べ物と睡眠と休息を必要とする身だ。

 それに、仮の名前と住処を提供してもらっている以上、彼ら……「明星」のために働かなくてはならない。
 明日は頑張るとしよう。

 ……「かつての僕」が得意としていたことは未だ分からないが、「今の僕」が得意とすることは見つけられた。

 案外、魔術は苦手ではないらしい。

 ……以上。
 2049.5.6.FRI. PM9:00。今日の日記、終わり。


 魔導組織、『明星みょうじょう』。
 その目的は、「現世の世界と魔術の世界の狭間を取り持つこと」。
 具体的な活動は、『異界』から現世へと飛び出した魔物を狩ることの他、現世の人間に対して危害を加えようとする魔術師の拘束。霊的な力を持つ道具の回収。開かれた『異界』の封印。その他、「依頼」として入ってきた業務等……多岐に渡る。

 この三日間、僕はその仕事に同行できるだけの力を付けるため、ひたすらに魔術の知識を頭に詰め込み、魔術の修練を行っていた。

 当然、困惑はあった。
 記憶が無いとはいえ、魔術なんてものが本当に存在するとは思っていなかったし、自分がそんな術を扱えるとは到底思っていなかったからだ。

 それに、最初の方は自分の記憶を取り戻すこと。そして、自分を知る者がいないかを探しに行きたいという思いが強く、まるで何も手がつかなかった。
 だが、僕が目覚めるまでの間に、できる限りの調査はしたと、『明星』が集めた 、警察関連と思われる書類や行方不明者リストに目を通し……僕の写真が資料の中に一枚も無かったことを確認して、思った以上に先行きが長いことを知った。

 ……正直言って期待していた。誰かが、急にいなくなった「僕」のことを探してくれていたんじゃないかと、勝手に希望を抱いていた。だから、つい涙を流してしまった。けれども、もう気持ちの整理はついた。

 今はひとまず、「やれること」と「やるべきこと」に集中する。そう決めた。

 
 それからは早かった。
 服も患者服めいたそれから、寝ていた三日間に用意してくれた白のYシャツと黒のズボンに着替え、『明星』の人達による「魔術師育成」のための教練を受けることとなった。

 魔術の基礎知識に関しては、白衣の少女……「シノ」さんに習った。
 彼女は見た目こそ子供ではあるが、その知識量と教え方に関しては、纏う白衣に見合うほどに達者だった。こちらの質問にも丁寧に、時間をかけて答えてくれたのも助かった。

 特に、『属性』については かなり身を入れて勉強したし、彼女も最重要項目として熱を入れて教鞭を振るった。場所が教室のような場所だったこともあって、「教室で勉強をする『僕』」のイメージは掴むことができた。しかし、何も思い出さなかったということは、学生ではなかったのかもしれない。

 兎も角、僕にとっては有意義な時間だったし、授業だと思った。

 ただ、
「早く宿代と飯代と調査代を稼いでもらわなきゃならんからな。さらにここに勉強代も追加だ。さぁ、学べ、育て。お前はもう私達のモノだ」
 と、笑いながら呟くのは、シンプルに おっかなかった。

 
 魔術の基礎鍛錬に関しては、三色メッシュの青年……「テス」さんが担当してくれた。
 彼は僕が時、復活する僕を目にして、『明星』へと回収してくれた人だった。最初に会った時、その表情が暗かったのは、何故かと聞いてみると、
「もっと早く着いていれば、君を助けられたかもしれなかったから」
 と言われ、派手な身なりによらず結構繊細な人だと感じた。

 ただ、彼の教え方は基本的に体を動かしての実践がメインで、「習うよりも慣れろ」といったスタンスだった。場所は、射撃訓練場を思わせる薄暗い部屋の中。MRIのような機械といい、『明星』はどれほどの資金力があるのか、底が知れない。

「魔術師にとって、戦闘能力は重要だ。元々そういう仕事だからね。だから、俺から君に教えるのも、自分の身を守る以上に他者を傷つけられる技術ということになる。……やれそう?」

 そう低い声で前置きをする彼に、僕は頷いて、
「よし……。じゃあ、まずは魔力を認識するとこからやろう」
 と、基礎の基礎から長い時間をかけ、一対一で僕の修練に付き合ってくれた。

 最終的に、魔力を光の弾として放つ基礎魔術や、魔力を用いた防御の仕方等を教わることができた。ただ、体術や近接戦を想定しての体の動きに関しても教わると思っていたがそういったことが無かったため、

「魔術師ってやっぱこう……遠距離での戦闘がメインになるんですかね?」
 と聞くと、
「……………いや。近接については、別のやつが教える」
「はぁ。……でも、残ってるのは、あと……」
「……まぁ、君は何というか、イレギュラー枠だからね。即戦力に仕上げるなら、一回強く揉んでもいいって判断なんだろうが、トップも酷なことをする……。……君、死ぬなよ」
 と、答え──。


「いいね! やっぱり君は私と同じタイプだと思った!」



 ──銀髪の、未目麗しい彼女……「ハト」さんによる「実戦講義」にて、僕はテスさんの言葉の意味を知った。

 場所はマットが広く敷かれた運動場のような部屋。まだこんなにも広い部屋があったとは……。僕はその中で、いつも通りの白ブラウスと黒のロングスカートに身を包んだ彼女と対面した。彼女は威風堂々とした仁王立ちで、その顔にキラキラとした笑顔を浮かべ、
「魔力の使い方とか、そういう基礎は学べた?」
 と僕に聞いてきた。

「はい。あとは、体術とか近接訓練とかを……えと、ハトさんが教えてくれるんですか?」
 思わずそう聞いてしまう。

 細い腰、しなやかな腕。身長こそ僕よりも上ではあるが、その華奢な体は乱暴に触れてしまえば折れてしまいそうで、その彼女が訓練を行うイメージは湧かなかった。
 
 すると、彼女は僕の思考を察したのか、不満そうに頬を膨らませて、
「あれ? 疑ってる? ちょっと失礼じゃない?」
「あ、いや、その……」
「まぁいいよ! そんなの、すぐに分かることだしさ!」
 そう言って、彼女は両手を床に、左膝を立て、クラウチングスタートの姿勢を取る。

「優しくしてあげるけど、痛かったらごめんね?」

 僕はその言葉を聞


「いいよ、そう、そこで蹴り!」


「攻撃はできるだけ避けて、当たりそうなものだけ防御してね! いくよ!」


「大丈夫!? 血吐いてるけど、内臓とか潰れてない……?」


「立ち上がれるの偉い! 歩けてて偉い! 攻撃を、私に当てられて、偉い!」


「楽しくなってきた!」


「そう、『属性』の表出! うまいよ!」


「使えるもの全部使って! 隙見つけたら魔力で攻撃していいよ!」


「よし、じゃあ最後に! 私も『属性』使っちゃおう! 大丈夫、死なないよう気を付けるから!」


 ……僕は、何か勘違いをしていたのかもしれない。
 そりゃそうだ。勘違いだ。僕はとんだバカだった。

 あんな、僕の、人の首を容易く潰せるような魔物を倒せる存在が、魔物アレより弱いはずがない。当然だ。しかも、それを生業としているのなら尚更だ。

 それでも、奇策とか、僕が習ったような魔力を発射しての遠距離狙撃とか……イメージで言うと、熊撃ち、みたいな。そういった、猟銃が魔術に、獲物が獣から魔物に変わっただけ、みたいな。そういう倒し方をしてるって、無意識に、そう思っちゃってたのかな。

 ハッキリ言おう。
 魔術師は、化け物だ。
 彼女に限らず、きっと、彼らも皆なんだろう。

 そして──首が取れようと、内臓が破裂しようと、全身をバラバラに引き裂かれようと、元通りになる僕も、魔術師化け物だ。

 ……──と、色々考えてみたが、結局この実戦が一番僕のになった。

 魔術師の闘争、人外の狩りとはどういったことなのか。魔力をどう使えばいいのか。
 人の殴り方と蹴り方。殴られた時、蹴られた時どのように避ければ、防御すればよいのか。
 知識だけだった『属性』の使い方。自分の傷がどのようにして治るのか。
 ……「今の僕」とはどういう存在なのか。
 
 実に多くのことを学べた。
 特に、一番の収穫だと思ったのは。

「よく頑張ったね! 君は凄いよ!」

 彼女のとした励ましと、太陽のような笑顔を、間近で拝めたこと。
 そう心中で思い、彼女への慕情が「本物」であることを知り、苦笑した。


「ハハハハハ! お前頭がおかしいんじゃないのか!?」
 
 三日間、彼らの教練を終えて、そのレポート……というよりかは感想文に近い……を提出し、シノさんに読んでもらったところ、彼女は嬉しそうな顔をして言った。

「アイツと、ハトと本気でやり合って、それで無事? 五体満足? ハハハッ! んで、その感想が『ためになった』って……いや、確かに私は学べ、育てとは言ったが、ここまでかぁ~ッ! アハハハハハッ!」

 ヒィーッ、と彼女はオレンジの髪を振り乱し、足をバタつかせて大爆笑する。どうやらツボに入ったようで、時折激しく咳き込んでは息を整えようとし、また笑いをこらえ切れずに咳き込む。それを繰り返していた。正直、この三日間で見た彼女の姿で、一番「子供っぽい」仕草だなと感じられた。

「あぁ~っ、トップも酷いことをするとは思ったが、順応してしまうお前もお前だ。お前の天職は間違いなく魔術師だよ! ハハハハハッ」
「いや~そうですかねぇ?……そう言えば、テスさんも言ってましたけど、トップって……」
「うん? ……あ~私のことだと思ってたのか?」
「まぁ、ご自分で『偉いひと』って言ってましたんで」
 そう言うと、ようやく落ち着いたのか、シノさんは何度か深呼吸をした。

「まぁね、そりゃ間違っちゃいない。でもトップじゃないよ。私は三番目だ。今いる面々……お前やハトやらの中では、私が一番『偉いひと』になるのかね」
 三番目。それを聞いて、新たな疑問が浮かんできた。

「『明星』のメンバーってどれくらいいるんです?」
「あ~……ちょっと待ってろよ……」
 シノさんはぶつぶつと呟きながら指折りで数えていき、

「お前を含めて7人だ。お前がまだ会ってないのは、トップとナンバーツー、あとお前が入る一か月前に来たばかりの新入りだな。……以外に少ないって思ったか?」
 また僕の考えを見抜いたように言う。僕は頷く。

「まぁ、人数が少ないのは不安に思うかもしれんが、安心しろ。世界の危機レベルの修羅場には駆り出されんさ。なんせ一番強いトップが中の上くらいだからな。……さて、『クレイン』」
「!」
 思わず背筋が伸びる。名前で呼ばれたのは、この三日間で初めてのことだ。
 ハトさんとの実戦の時とは質感の違う緊張が背に走るのを感じた。

「もう少し修練を積ませようかと思ったが、お前は想像以上のスペックの持ち主らしい。それに、この三日間で少し仕事が溜まってしまっている。そこで、お前と誰かもう一人……二人で組んで仕事をこなしてもらおうと思う」
 
 それは、初めての任務。
 『明星』の一員としての、第一歩。

「しばらく忙しくなるし、色々な場所を飛び回ることになるだろう。……色々なものを見て、色んなことをやってみろ。案外、すんなりと記憶が戻るかもしれんな?」


 ──紫煙が漂う寂れたバーの中で、二人の男が話していた。

「仕事だ。……『明星』を知っているか」
 黒いスーツに身を包み、色付きメガネをかけた男が問う。
「ああ、ヤツらに目論見を潰された犬どもが、よく吠えてるのを耳にする。……それで?」
 グラスに注がれた琥珀色の酒を飲み干しながら、皮膚が乾ききったミイラ然とした男が答える。
「お前には『明星』のヤツを一人消してもらう」
「……なるほど。犬呼ばわりして悪かったよ」
 包帯の男は続けて、
「細かい指定はあるか? 若いのがいいとか、女がいいとか」
「ない。見つけ次第殺せ。証明として指を切り落としてここに持ってこい。期日は1週間後の14日まで。報酬は……『結晶』はここの店主に預けておく。終わったら店主に指を渡して報酬を受け取れ」
「オー、ケィ~……承った」
 包帯の男はテーブルに金を置くと、椅子に掛けていた黒のコートと、煤けたシルク・ハットを手に取る。

「ああ、最後に……」
 店に出る直前、コートを羽織り、帽子を被ったミイラ顔の男は問う。
「全部燃やしちまったら、炭になった指を持ってきゃいいか?」
「そうなったら、報酬は無しだ。……行け」
 包帯の男は口角を吊り上げ、店を出た。
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