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《21》月とミドリガメ(5)

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 一人で住むには明らかに広すぎる部屋へと入り、促されるままソファーに座る。
 すぐにお茶を用意した大和が湯呑に茶を入れると、香ばしい香りが立ち昇った。ほうじ茶だろうか。茶葉の芳しい香りが広がった。
 軽く礼を告げてから、一口飲み込む。胃が温まると全身がポカポカと温まってくる。

 湯呑をテーブルに置くとすぐに手を取られた。大和の膝の上で、指を絡めるようにして繋ぐ。

「……嫌、だった?」
「……?」
「先週、俺としたの」

 大和の弱弱しい声なんて初めてで、一瞬理解が遅れた。

(何においてもパーフェクトな大和が、地味な私のことで悩んで……? まるで私に想いを寄せているみたいな……いやいや、そんなわけない。きっと何かの間違いだよね)

 まさか大和が自分のことを想っているなんて、ありえない。大和の言葉の意図が読み取れなくて、返答に迷う。

「俺としたの、後悔したから、何も言わずに帰った……?」
「え、と、違います。なんか、恥ずかしくて」
「本当にそれだけ?」
「はぃ……」 

 真意を確認するように瞳を覗き込まれて心臓が跳ねる。

「瑛美に嫌われたかもしれないと思って。今週は仕事に集中できなかった」
「えっと、そんなこと一ミリもなかったと思いますが」

 今週の大和の仕事ぶりを思い出してきっぱりと否定する。いつも通りの『締切の鬼』だった。仕事量も容赦なくカツカツに詰め込まれた。あの般若のような形相で。

 大和の頭が肩に寄り掛かる。
 なぜか構ってもらえなくていじけた大型犬のような仕草に、胸がくすぐったくなる。

「私みたいな女は、大和の隣には似合わないなぁって思ったんです」
「はぁ? なんで」
「見た目も中身も……百人見たら百人ともそう言うと思います」

 愛らしいひかりの笑顔が脳裏に浮かぶ。
 自分もひかりのように可愛かったら。社交的で友達も多かったら。社長令嬢という肩書があったら。人に自慢できるような特出した何かがあったら――

 ハッとしたときには目の前に端正な男性の顔があって、反射的に仰け反って距離をとる。

「誰かにそう言われたのか?」
「いいえ違います。私がそう思って……」
「……なぁ瑛美。俺は今、猛烈に腹が立ってるんだけど?」

 更にぐいっと目の前に大和の貌が近づく。
 三十路手前にして、初めて面と向かって腹が立つと言われた。一瞬キョトンと目を丸くする。
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