雨とえび天

有箱

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 子供の頃の私は、雨を怖い先生のように思っていた。抗えないけれど、心では全力で反発する――そんな存在だ。

 今以上に、私は雨日が嫌いだった。苦い野菜や、転んで怪我した時より嫌いだったかもしれない。
 頻繁に訪れる辛さはストレスになり、何度も母に八つ当たりした。母はただ受け入れ、一つも否定しなかった。

「あ、頭痛いの来ちゃってる?」
「……うん、もう嫌だよぉ……」
「そうだね。天気予報晴れ続くって言ってたのに残念だね。夕方頃には降っちゃう感じか。じゃあ今日も奴を出しますかー」

 そんな母は、私の頭痛を見抜く力を持っていた。私が発信するより前に言い当て、必ず冷凍庫を開ける。それが恒例の流れだった。窓の外が太陽光でギンギンでも、母は一切惑わされない。

 取り出すものは、常備してある海老だ。それも一本単位で売られているような、立派な体型の物である。

 海老は私の大好物で、雨と同程度の感情が備わっていた。無論、好きの方で。母はそれをレンジに放り、幾つかボタンを押す。
 内部が橙の光に包まれ出すと、馴染みの流れでコップに水を注いだ。それから、リビングにて救急箱を開き、薬の箱を取りだし、錠剤のシートを抜き、二粒だけ手に取る。それを水と共に渡してきた。

「取り敢えず薬飲んで寝てな」
「はーい……」

 一滴残さず飲み干し、ソファに横たわる。
 嘗ては自室で眠るよう推奨されたが、寂しいからと言ったら許してくれた。それから、ソファが私の仮眠場となった訳だ。
 
 雨の雑音を、脳に響かせ目蓋を閉じる。もちろん眠くない日もあったが、痛みに抗うため目だけは瞑った。
 そうしている内に夢の国に迷い込むのが恒例の流れである。結局、痛みで追い返されるのだが。

 目覚めた時、脳がクリアな日はほぼ無かった。薬ってなんやねん……と当時は訝しんでいたものだ。今は、薬効以上の痛みがあっただけの話だと分かるが。もし薬が無かったら。なんて考えたくもない。

 とにもかくにも、快適な日常を奪われ不快な訳がなかった。目覚めイコール最悪は組み込まれ、必然的に発動した。
 それを緩和したのが音だった。海老天を思い出す、切欠になる音だ。

 さあああ。ぱちぱち。ぴちゃん。じゅああ。ぱちっぱちちっ。ざあざあ。しゅっ。
 
 キッチンから聞こえてくる、雨によく似た、けれどとても楽しい音。その音に気付いた瞬間、不快感は圧縮され、期待感が入り込む。

 大好物の海老。それが、一番大好きな料理に変身している。そんな音。
 キッチンにて展開する劇場を、目蓋の裏でいつも見ていた。

 海老が肌着をサッと纏い、海の中へと飛び込んで行く。楽しそうに躍りだし、雨粒をはじけさせる。そうして数分、素敵なドレスに衣替えして生まれ変わる! 
 そうしたら、私の大好きな海老天の完成だ。

 音が尽きるまで、私はずっと耳を傾け続けていた。パフォーマンスが終わる頃には、雨音は劇場にすっかり溶け込む。
 そうして虜になったところで、決まって海老天が運ばれてきた。

「そろそろ起きてる? 海老天揚がったよ」

 そう言いながら。ここまでが定番の記憶である。
 
 雨が降ると、必ず海老天が食卓に現れる。それが我が家のお決まりだった。
 逆に、晴れの日は一切姿を見せなかったが。けれど、それが特別感の演出をしていたのだろう。

 幼い頃からの恒例行事であり、私にとっては馴染みのルーティンでしかなかった。ゆえに、疑問も意味も深堀りしたことはなかった。単純に雨イコール海老天としか認識していなかった。今思えば、逆に凄いと思う。

 意味に気付いたのは結婚後である。何気なく旦那に話をして「想われていたんだね」と返答され、気付いた。
 そうか、あれは母親なりの優しさだったのだろう、と。

 雨を閻魔でなく、先生程度の嫌悪に抑え込めたのは、あの海老天があったからだ。プラマイゼロとまではいかなかったが、随分と救われていたのだ。

 当たり前すぎて気付かないこともあると言うが、まさにそれだったらしい。習慣とは恐ろしいものである。
 
 母親は、私の嫁入り直前に他界した。なぜ母がと随分悲しんだものだ。
 ゆえに、本意の全てを知ることはできない。しかし、母のことだ。きっと、予想は間違っちゃいないだろう。
 
 習慣が絶えた今も、雨音を聞くと必ず海老天を思い出す。時には夢の中で食べることもある。
 "美味しい"とは、人に活力を与えるものだ。愛情のスパイスも、旨味に影響を与えていたに違いない。
 それから、美味しいを告げた時の母の笑顔も。それら全てが、私を知らず知らず慰めていたのだ。
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