さようなら、私の愛したあなた。

希猫 ゆうみ

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二章

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夏を待つ匂いに満ちた森を抜けると、広陵な大地が顔を出した。
馬車の小窓から光の帯が差し込んでくる。

「おさらいするか?」

マルムフォーシュ伯爵がそんなふうに声をかけてきたのは、丘の上に聳え立つ優美な城がぽつんと見える位置まで旅をしてきた証だろう。

「はい」

斜向かいに座るマルムフォーシュ伯爵に視線を戻した。
マルムフォーシュ伯爵は普段の印象と大差ないやや軽薄そうな笑みを浮かべながら軽く腕を組んで頷いた。

この甘く危険な美貌に酔わされ、自ら糸に飛び込む数多の蝶がいたはずだ。それを思えば、不埒な噂の数が物足りないような気がしないでもない。

「今回はレクセル侯爵夫妻からの調査依頼だ」

馬車は既にレクセル侯爵領に入って一日経過している。堅牢ながら壮麗な美しさも醸し出す砦で賓客用の寝室を与えられ、安全で上質な持て成しを受けた。
市街地の城壁まで、まだ距離がある。

「息子であるラルフ卿が寝室に籠城を決め込んで一ヶ月経った時点で、一度、遊びに連れ出してくれないかと打診があったが、俺は別の調査で長く留守にしていた」

レクセル侯爵令息ラルフ卿の印象は、高潔、冷徹、やや高慢。直接の面識はないけれど、概ねそのように認識している周囲からの受け売りで私もそのように認識している。これが先入観であることは充分考慮すべきだとも考えている。

「今現在、二ヶ月半。ラルフ卿は未だ籠城を決め込んでいるが、先日、仲睦まじかったはずの婚約者に手酷い別れの手紙を書いたらしい」
「……」

助手である私を慮る義理がないのもわかるけれど、最初の調査は私の心を激しく揺さぶっている。
それを隠す為に、私は無礼な鉄仮面を貫いている。

「レクセル侯爵は年の離れた弟を後継者に決めいていたから、ラルフ卿はフォーシュバリ侯爵家に婿入りする予定だった。だから婚約者のユーリア嬢の嘆きもさることながら、フォーシュバリ侯爵家の動揺も凄まじい」

最初にこの話を聞いた時、私は素直に疑問を口にした。

『フォーシュバリ侯爵家は少し風変りな印象を受けますけれど、それが原因の心変わりでは?』

フォーシュバリ侯爵領は北の辺境に近い渓谷一帯であり、外敵の侵入を防ぐ防衛力として長く王国に貢献している。
国軍と別扱いなのは明確で、名誉と栄誉と絶大の信頼を寄せられながら、酷く内向的で滅多に公の場に現れない。

マルムフォーシュ伯爵はきっぱりと否定した。
どうやら、ラルフ卿にとってフォーシュバリ侯爵家の全てがお好みに合ったらしい。

要は、あらゆる点に於いて相性が良かったのに、急に疎遠になり、唐突に別れを望み寝室に引き籠っているラルフ卿から理由を聞き出すのが第一の調査となる。

「ラルフ卿の本心を探り、仲直りをさせたいというのがレクセル侯爵夫妻の望みだ。正式な婚約破棄ではないと夫妻は主張している」

傷心の私に課せられた、拗れた婚約関係を調査するという試練。

気を紛らわせるというよりも、何か理由がわかるかもしれない。私とステファンがこうなった理由の一つでも、察することができるかもしれない。
そんな想いが静かな火種となっている。

「私なら、突如として尋ねてきた赤の他人に繊細な心の機微は打ち明けませんけれど」
「ところが、誰にも警戒されないのが俺の強みなんだな」
「言われてみると、納得です。私も何故か無防備にこうして助手として付き従って今ここにいるわけですから。……」

え?
私、むしろお邪魔じゃない……?

「どうした?お嬢さん」
「……いえ。私……」
「うん」
「私自身の存在意義について疑問を……」
「可愛い子が傍に居ると、俺が和む」
「……」

愛人?

「そんな顔するなよ」
「……え?」
「人それぞれ好みもあるが、君を可愛いと思わない奴はもう人間として合わないと割り切って付き合うしかない。そうだろ?」
「……お人形かしら……」
「ん?なんだって?」

私の呟きに対してあっけらかんと追及してくる素振りを見て、脱力と共に虚しさを覚える。こちらも深く考えるのをやめた。

ここまで来てしまったし、一人で帰るのは難しい。
ステファンと決別した心の傷から目を逸らす為にも、今はひきこもり令息に集中するのがいいだろう。

「不健康ですね」
「食った分は動くし、酒も溺れるほど飲まないけどな」
「あなたの話ではありません」

あ、と目を丸くして、マルムフォーシュ伯爵が口角をあげた。瞳の奥に煌めく光。私のことを面白がっている。
でも、悪い気はしない。

両親のような腫れ物に触る態度はますます私の心を沈めるばかりだったけれど、これくらい軽いとこちらもつられて身軽になれる。

「お伺いしたところ、城からではなく寝室から出てこないのですよね?二ヶ月半」
「そうなんだよ」
「よほど蒼白く痩せ細っていらっしゃるでしょうね。或いは、だらしなくお太りになっていらっしゃるか」
「前者だな。全く食事に手をつけていないらしい」
「死んでしまうのでは?」

それは軽口ではなく純粋な疑問だった。
併しマルムフォーシュ伯爵は口元に笑みを浮かべたまま、すっと目を細め声を潜めた。

「それが生きているから、不思議なんだな」
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