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二章
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「帰ってくれ……僕は、一人で此処で死ぬんだ……!」
悲痛な叫びは同情を掻き立てるには充分な悲壮感を放つ。
私はまた、一歩、奥へと足を進めた。
「御病気ですか?」
「そうだよ……!」
もう、関係ないとも言わない。
私が誰であるかではなく、私たちの背後に誰の意志があるかということが、何より重要なのだ。
「そう、打ち明けられたのですか?」
「言えるわけないだろう……言えるわけないだろう……ッ!」
それとも、無関係な私だからこそ、今、その感情を吐露する気になったのだろうか。
「お伝えにならなければ、ユーリア様はただ嫌われたのだと勘違いしてしまいますよ。それも、突然」
「煩い!!」
まるで悲鳴。
そう。
まるで、私の悲鳴。
心の底から別離を拒む、悲鳴だった。
「ラルフ様」
「煩い、煩い……!」
「愛する人が病に臥せられたとしたら、多くは、助けになりたいと願うものです」
「煩い……っ、君は何もわかっていない……!」
「ユーリア様を愛していらっしゃるから、黙って身を引こうとなさっているのですね」
「黙れ……!来るな……!」
「うつしてしまうのが恐いのですか?私を気遣ってくださるなら、その分の優しさをユーリア様へ今一度向けられては?」
「来るなと言っているんだ!」
「うつりませんよ。もし、そうなら。ラルフ様はマルムフォーシュ伯爵や私と悠長にお話しなさるはずありません」
「来るな!」
「そう仰られても、諦めて頂くしかありません。私は、ラルフ様のお話を聞くのが務めです」
「君は知らない!君は関係ない!それ以上来るな!僕に近寄るな!」
一歩、また一歩。
私がベッドへと近づいていく毎に、レクセル侯爵令息は拒絶して叫ぶ。
逃げもしない。
ただ痛々しい声を張り上げるその様は、まさしく無力な病人だ。
憐れみは、少しだけ妬みを伴った。
「愛していらっしゃるなら、ユーリア様に打ち明けるべきです。きっと、ラルフ様も同じくらい愛されています。病に臥しているならばこそ、お傍にいたいと願われるはずです」
その時、シーツの擦れる音がして、私は腕を掴まれた。
間近に迫った私に、ベッドの上で這い寄ったレクセル侯爵令息が掴みかかったのだ。
「……っ」
息が、止まる。
異様なほど力強く、そして、冷えた手の感触。
え?
なに……?
冷たすぎる。
まるで、雪のような体温。
「君は、僕の話が、聞きたいか?」
掠れた囁きはこれまでと違う悪意によって妖しく彩られ、私に嫌悪と恐怖を与える。正直、足が竦んだ。ベッドの端がそこにあるので物理的にも次の一歩などないのだけれど、私は、引く事さえできなくなっていた。
「受け止める勇気があるか?ましてや、君の口から彼女に伝える余裕があるかな?」
「ラルフ様……っ?」
寒い。
掴まれた腕から伝う冷気は、異常に低い体温を強調している。まるで雪の中で氷の像と対峙しているかのように、存在そのものから放たれる強烈な冷気に迫られる。
「……?」
暗闇に、微かに光る、揺れた瞳。
違和感は色のせいなのだろうか。色なんて、まるで判別できないというのに。
「僕は病気なのかって?違う。わかるように言ってやっただけだ」
痛い。
「病気かもしれない。ああ、病気だろう。でもそれは、人の罹る病じゃない」
恐い。
「僕は狂っていた。でも、愛を知った。それがいけなかった。僕は悪魔だ。きっとそうに違いない。悪魔が母の胎に胤を植付けて僕を産ませたんだ」
「ラルフ様、落ち着いて……っ」
「僕は愛する人の全てを知りたい。味わいたい。その中を見たいんだよ」
「……────」
言葉の意味を遅れて理解した私は、ついに恐怖の正体を知る。
「好きで好きでたまらない。紅くなめらかな、温い、血の甘さ。肌の柔らかさ。全て、味わい尽くしたいんだよ」
異常だ。
レクセル侯爵令息は、自身の愛が異常だと気づき、自分という悪魔から愛する人を守る為に身を引いたのだ。
それは、誰にも言えない。
言いたくもない。言えるはずもない。
己一人で抱えていくしかない、昏い秘密。
「君の思う愛とは違う」
耳に吹き込まれる凍てついた囁きによって、私は強烈な恐怖に突き動かされ、それによって力を取り戻したのだろう。
レクセル侯爵令息の手を振り払うことに成功した。
私はそのまま、本能的に距離を取った。歩いた先に分厚いカーテンが垂れていた。
「閉め切って、気が滅入られたせいで、そんな妄想をなさるのです……!」
我ながら、息も絶え絶えによく言ったものだと思う。
震える手で一気にカーテンを開けた。
「やめろ!!」
制止する声に反抗したくて窓も開けた。
「うっ」
レクセル侯爵令息の呻き声を背中に聞いて、微かな勝利に安堵する。
併し。
私は漂う臭気と微かな音に、更なる恐怖を認めずにはいられなかった。
「……?」
シュウ、シュウ……と、何かが溶ける音がする。
「……」
恐る恐る振り向くと、窓から差し込む陽光に頬のこけた白い顔が向けられていた。余りに痩せた頬より、窪む眼窩より、ずっと恐ろしいのは音の正体。
陽光に焼かれ、微細な煙を放つ、白い皮膚。
「ラルフ様……」
「言っただろう。これは、人の罹る病じゃないと」
では、あなたは────
悲痛な叫びは同情を掻き立てるには充分な悲壮感を放つ。
私はまた、一歩、奥へと足を進めた。
「御病気ですか?」
「そうだよ……!」
もう、関係ないとも言わない。
私が誰であるかではなく、私たちの背後に誰の意志があるかということが、何より重要なのだ。
「そう、打ち明けられたのですか?」
「言えるわけないだろう……言えるわけないだろう……ッ!」
それとも、無関係な私だからこそ、今、その感情を吐露する気になったのだろうか。
「お伝えにならなければ、ユーリア様はただ嫌われたのだと勘違いしてしまいますよ。それも、突然」
「煩い!!」
まるで悲鳴。
そう。
まるで、私の悲鳴。
心の底から別離を拒む、悲鳴だった。
「ラルフ様」
「煩い、煩い……!」
「愛する人が病に臥せられたとしたら、多くは、助けになりたいと願うものです」
「煩い……っ、君は何もわかっていない……!」
「ユーリア様を愛していらっしゃるから、黙って身を引こうとなさっているのですね」
「黙れ……!来るな……!」
「うつしてしまうのが恐いのですか?私を気遣ってくださるなら、その分の優しさをユーリア様へ今一度向けられては?」
「来るなと言っているんだ!」
「うつりませんよ。もし、そうなら。ラルフ様はマルムフォーシュ伯爵や私と悠長にお話しなさるはずありません」
「来るな!」
「そう仰られても、諦めて頂くしかありません。私は、ラルフ様のお話を聞くのが務めです」
「君は知らない!君は関係ない!それ以上来るな!僕に近寄るな!」
一歩、また一歩。
私がベッドへと近づいていく毎に、レクセル侯爵令息は拒絶して叫ぶ。
逃げもしない。
ただ痛々しい声を張り上げるその様は、まさしく無力な病人だ。
憐れみは、少しだけ妬みを伴った。
「愛していらっしゃるなら、ユーリア様に打ち明けるべきです。きっと、ラルフ様も同じくらい愛されています。病に臥しているならばこそ、お傍にいたいと願われるはずです」
その時、シーツの擦れる音がして、私は腕を掴まれた。
間近に迫った私に、ベッドの上で這い寄ったレクセル侯爵令息が掴みかかったのだ。
「……っ」
息が、止まる。
異様なほど力強く、そして、冷えた手の感触。
え?
なに……?
冷たすぎる。
まるで、雪のような体温。
「君は、僕の話が、聞きたいか?」
掠れた囁きはこれまでと違う悪意によって妖しく彩られ、私に嫌悪と恐怖を与える。正直、足が竦んだ。ベッドの端がそこにあるので物理的にも次の一歩などないのだけれど、私は、引く事さえできなくなっていた。
「受け止める勇気があるか?ましてや、君の口から彼女に伝える余裕があるかな?」
「ラルフ様……っ?」
寒い。
掴まれた腕から伝う冷気は、異常に低い体温を強調している。まるで雪の中で氷の像と対峙しているかのように、存在そのものから放たれる強烈な冷気に迫られる。
「……?」
暗闇に、微かに光る、揺れた瞳。
違和感は色のせいなのだろうか。色なんて、まるで判別できないというのに。
「僕は病気なのかって?違う。わかるように言ってやっただけだ」
痛い。
「病気かもしれない。ああ、病気だろう。でもそれは、人の罹る病じゃない」
恐い。
「僕は狂っていた。でも、愛を知った。それがいけなかった。僕は悪魔だ。きっとそうに違いない。悪魔が母の胎に胤を植付けて僕を産ませたんだ」
「ラルフ様、落ち着いて……っ」
「僕は愛する人の全てを知りたい。味わいたい。その中を見たいんだよ」
「……────」
言葉の意味を遅れて理解した私は、ついに恐怖の正体を知る。
「好きで好きでたまらない。紅くなめらかな、温い、血の甘さ。肌の柔らかさ。全て、味わい尽くしたいんだよ」
異常だ。
レクセル侯爵令息は、自身の愛が異常だと気づき、自分という悪魔から愛する人を守る為に身を引いたのだ。
それは、誰にも言えない。
言いたくもない。言えるはずもない。
己一人で抱えていくしかない、昏い秘密。
「君の思う愛とは違う」
耳に吹き込まれる凍てついた囁きによって、私は強烈な恐怖に突き動かされ、それによって力を取り戻したのだろう。
レクセル侯爵令息の手を振り払うことに成功した。
私はそのまま、本能的に距離を取った。歩いた先に分厚いカーテンが垂れていた。
「閉め切って、気が滅入られたせいで、そんな妄想をなさるのです……!」
我ながら、息も絶え絶えによく言ったものだと思う。
震える手で一気にカーテンを開けた。
「やめろ!!」
制止する声に反抗したくて窓も開けた。
「うっ」
レクセル侯爵令息の呻き声を背中に聞いて、微かな勝利に安堵する。
併し。
私は漂う臭気と微かな音に、更なる恐怖を認めずにはいられなかった。
「……?」
シュウ、シュウ……と、何かが溶ける音がする。
「……」
恐る恐る振り向くと、窓から差し込む陽光に頬のこけた白い顔が向けられていた。余りに痩せた頬より、窪む眼窩より、ずっと恐ろしいのは音の正体。
陽光に焼かれ、微細な煙を放つ、白い皮膚。
「ラルフ様……」
「言っただろう。これは、人の罹る病じゃないと」
では、あなたは────
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