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酷い話と一言で片づけられない壮絶な過去だった。

私は以前、悲劇に見舞われた公爵家の話を聞いたことがあったと思い出した。
ただ私はまだ幼かったので、父も周りの大人たちも詳細までは説明しなかったのだ。第一、私自身が御伽噺の中の悲劇のように遠く感じていた。
遠い昔の戦争のように、事実であっても自分とは結びつかない悲劇だった。

私が領地経営を学び始めた頃にはもう、カヴァナー公爵領はなかった。

「エスター」

言葉を失い黙り込んでいると思われたのかもしれない。
オーウェンは窓辺からこちらに歩み寄ると、テーブルにそっと指先を置いた。

「ルシアン・アトウッドの商売がうまくいったのは、あなたが貴族の扱いを教えてしまったからだと思わなくていい。ヴェロニカが傍で支えていた」

私はオーウェンの手に自分の手を重ねた。彼の手が驚いたようにぴくりと反応する。

「それでルシアンを探したのね。彼女を見つけるために」
「ああ」
「見つかってよかった。ここに居てくれてよかったわ」

私は席を立ちオーウェンを抱きしめた。

「あなたは悪くない」

ルシアンとの破局から逃げ続けた私は、易々と利用され領内で私腹を肥やされ、教皇庁や宮廷にまで迷惑を掛けていたことでこの数日は酷い罪悪感を覚えていた。

オーウェンの苦悩は、私の罪悪感など笑ってしまえるほど果てしなく深い。

「逃げ切ってよかったのよ。情けなくなんてない。まだ子供だったもの」
「だが領地を手放した。この手で敵も討てず、領民を見棄てた。あなたは偉い」
「いいえ、私とは違う」
「どこが?」
「あなたは殺されかけたけれど生き延びた。それだけで偉いの」

強く抱きしめると、オーウェンは小さな笑いを洩らした。そして私の腕に手を掛ける。

「神に救いを求め、今はこうして元気でやってる。ありがとう、エスター。私は大丈夫だよ」
「……」

壮絶な過去を持っているとは思いもよらない程、オーウェンは心身共に健康に見えていた。確かに取り乱しはしないけれど、今此処にいる自分とは切り離して語る必要がある程の傷を抱えている。当然ながらそれはオーウェンの弱さではない。

彼の強さが生き続ける道を選ばせた。
簡単ではないし、軽々しく口に出せないけれど、今もオーウェンが生きていることを彼は誇るべきだ。

ミシェルを思い出した。
いつも私の為に怒ってくれる可愛いミシェル。

今オーウェンを抱きしめて燃えるこの胸の炎がやっと、彼女に追いついた。誰かの為に在りたい、誰かの為に強くなりたい。そう思えて初めて奮い立つ心があるのだと知る。

「言葉が見つからない。でも、私はいます。マクミラン司祭とオーウェンの傍に」
「ああ。とても、あたたかいよ」

オーウェンが低く囁き、私の存在を確かめるようにゆっくりと抱擁を返した。
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