身代わり令嬢は愛されすぎて逃げられない

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第3話

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ダルクール伯爵家の応接間は、夕方の光に染まっていた。
西日が窓から差し込み、部屋全体を琥珀色に染め上げている。
レースのカーテンが風に揺れるたび、暖かな陰影が壁や床に揺らめいた。
重厚な調度品が並ぶ部屋の中央、豪華な革張りのソファに青年が二人、ローテーブルをはさんで向かい合って座っていた。
「まったく何を考えてるんだ、リュカ」
金髪を無造作にかき上げて、ナタンが呆れた声を出した。
その仕草は長年の友人だからこそ許される、気の置けない雰囲気を醸し出している。
向日葵のように明るい癖っ毛の金髪に、宝石のようなエメラルドグリーンの瞳。
その目には幼なじみ特有の遠慮ない光が宿っていた。リュカの前で足を組んで座っているのがその証拠だ。
他の貴族の前では決してしない、くつろいだ姿勢。
騎士らしい引き締まった体格は、日頃の鍛錬の賜物だった。
制服の下からは鍛え上げられた筋肉の存在が窺える。
「別に、問題ないだろう? セリーヌ・モンフォールと接触する機会を増やせば、彼女がぼろを出す可能性が増える」
リュカは窓から見える外の薔薇園を眺めていた。
まるで先ほどの彼女との逢瀬を思い出すかのように、その視線は遠くを見つめている。
夕日が彼の整った横顔を照らし、灰色の瞳に複雑な色を与えていた。
普段は冷静沈着なリュカの表情に、珍しく柔らかな雰囲気が漂っている。
「の、割には楽しんでたみたいだけど?」
ナタンが片眉を上げ、意味ありげな笑みを浮かべた。
その表情は、悪戯を見つけた子供のようでもあった。
「今日の彼女は可愛かったからな」
リュカが鼻を鳴らして、薄く微笑んだ。その笑顔には、普段の冷静な彼には珍しい、温かみが含まれていた。
「はあ? 可愛い? あの王都で未婚の童貞坊やを手玉に取って、金を巻き上げてとんずらした女狐が可愛いとか、正気か? とうとう目ん玉腐ったか?」
ナタンが大仰に両手を広げ、リュカを指さした。
その指には、騎士の証である銀の指輪が光っている。
リュカは落ち着いた動作で、ナタンの指を押し戻した。
「今日の彼女は、と言っただろう。おそらくあの子は替え玉だ」
ナタンは大きくため息をつき、革張りの応接間のソファに身を投げ出した。
背もたれに体を預け、天井を仰ぐ。
ローテーブルに足を上げる姿は、お世辞にも礼儀正しい騎士とは言えない。
ブーツの爪先をせわしなく動かす。小刻みに震える足先――貧乏ゆすりはナタンのクセだ。
考え事をしている時や、落ち着かない時に必ず出る癖だった。

「はあ……俺も顔は見たが、そっくりだったぞ。なあ、ローザンヌ爺さん」
部屋の隅で優雅に紅茶を淹れている老侍従にナタンは声をかけた。
磨き抜かれた銀のティーポットから、琥珀色の液体が流れ落ちる様子が美しい。
セリアを最初に出迎えた老人――ローザンヌだった。
白い口髭を丁寧に整え、燕尾服を一分の隙もなく着こなしている。
元軍人か、六十を過ぎた老侍従とは思えぬぴんとした背筋だった。
深い皺が刻まれた顔には、長年の経験から来る洞察力が宿っている。
「確かに顔は似ておりましたが、慣れない靴に足をとられそうになっていたところを見受けると、あながち坊ちゃまの言葉も嘘とは断言できませんな」
ローザンヌが穏やかに答えながら、リュカの手元へティーカップを給仕した。
そして、もう一つ用意したティーカップを持ったまま着席する。
「俺の分は?」
ナタンが不満そうに声を上げる。
眉をひそめ、自分の前に紅茶が置かれていないことに気づいた表情だ。
「テーブルに足を上げるような輩に渡す紅茶はない」
ちぇ、とナタンは渋々と足を下ろしてソファから立ち上がった。
自分で紅茶を給仕する。
不貞腐れた態度で、ティーポットを持ち上げた。
「で? どうするよ辺境伯閣下」
銀色に輝くポットから紅茶を注ぎながら、ナタンはリュカに水を向けた。
「今の俺はダルクール伯爵だ。ナタン」
リュカが軽く眉をひそめ、給仕された紅茶に口をつける。
「ダルクール、ねえ。王都の人間がいたら、飛び上がるぞ。西の辺境伯様が王家ゆかりの首飾りを回収するためだけに狩り出された、なんて知ったら」
ナタンの言うとおり、リュカの本当の家名はダルクールではない。
リュカ・サルヴェール辺境伯。
それがリュカの本当の名だ。
ダルクール伯爵は今回の任務のために、貴族管理台帳を偽造して作られた偽の家名だった。
王家からの密命を遂行するための、一時的な身分だ。
「俺の顔を知る者はまだ少ない。だからこそ、殿下も俺を指名されたのだ。仕方ない」
リュカは静かに答えた。
辺境にいることが多く、王都の社交界にはほとんど顔を出していない。
それが今回、利点となった。
「ったく。あの女狐が宝物庫の管理人を口説いて、王家ゆかりの品を盗まなきゃ俺は休暇を楽しめたってのに」
ナタンが苦々しげに吐き捨て、紅茶を一気に飲み干す。

紫水晶の首飾り――それがセリーヌ・モンフォールが盗み出した代物だった。

代々、王太子妃に贈られる品で、外交の場では必ず身に着けるものとして王国中で有名だった。
深い紫色の宝石が連なる美しい首飾りは、王家の威信の象徴でもある。
王太子妃がこの首飾りを身に着けることで、隣国からの客を賓客として歓待していることを意味する。
それが無くなったとあれば、国家間の信頼を揺るがす大問題だ。
来たる三か月後には隣国からの外交使節がやってくる。
その時までに首飾りがなければ、王家の面目は丸潰れだ。
期限までに首飾りを取り戻すこと。
それがリュカたちに課せられた使命だった。時間は限られている。
リュカは辺境伯家の嫡男として生まれ、動かせる私兵は他家の貴族よりも多い。
辺境という土地柄、武力に長けた家系だ。
ナタンはリュカの乳兄弟であり、幼い頃から共に育った無二の親友。
ローザンヌは幼いころからのお目付け役だ。
二人とも辺境伯家で多くの功績を打ち立てており、戦闘から諜報まであらゆる面でリュカを支えてきた。この任務にはうってつけだ。
「今はとにかく替え玉の彼女から情報を引き出すのが先だ。おそらく彼女は本物のセリーヌと顔を合わせている」
リュカはカップをソーサーに戻し、紅茶をもう一杯飲もうとしていたナタンに声をかけた。
立ったまま、ナタンが応じる。
「なんでそう思う?」
ナタンが投げやり気味に問いかけた。
友人の推理がどこまで正確なのか、確かめるような口調だ。
その言葉にリュカはフッと微笑んだ。予想していた質問だという顔で、答えを用意していたかのように淀みなく語り始める。
「今日の態度からして、彼女はおそらく平民の出だ。手の動き、歩き方、貴族の礼儀作法を必死で真似ようとしている様子が見て取れた」
リュカは思い出すように目を細めた。セリアの頬を赤らめた表情が、脳裏に鮮明に浮かぶ。ぎこちない仕草、緊張した面持ち、それでも一生懸命に貴族令嬢を演じようとしていた彼女の姿。
「彼女があんなドレスを一人で準備できたとは思えない。おそらくセリーヌとの間に連絡役がいるか、彼女がセリーヌ本人と会っているかの、どちらかだ」
リュカは思い出すように目を細めた。セリアの頬を赤らめた表情が、脳裏に浮かぶ。
「つまり彼女を洗えば――」
ナタンが指を鳴らし、理解の色を示した。
「女狐の居所も掴める、ということですな」
ローザンヌがナタンの言葉を継いだ。
「その通り」
リュカが満足げに頷き、窓の外に視線を向けた。薔薇園は夕闇に包まれ始めていた。
「まあ、そこは良いとしても、だ。替え玉にドレス贈る必要あるのか?」
ナタンが呆れたように肩をすくめた。
セリアが帰ったあと、リュカにドレスの手配を頼まれたのは誰あろうナタンだった。
人懐っこい外見の彼は、今回の任務でダルクール伯爵家の侍従の一人として動いている。
給仕カートに乗せっぱなしだった書類を手に取る。紙をめくる音が静かに響いた。
書面には、リュカが手描きしたドレスのラフ画が丁寧に描かれていた。細部まで考えられた、美しいデザイン。
「可愛い女性にはドレスを贈るべきだろう?」
リュカの口元に、悪戯っぽい笑みが浮かんだ。まるで少年のような、無邪気な笑顔。それを見たナタンは、大げさに天を仰いだ。両手を広げ、もう呆れて何も言えないという表情だ。
「お前の女の趣味が分からなくなってきたよ。兄弟」
ナタンが両肩を竦め、デザイン画をカートに戻した。
そこには"今日の彼女"によく似あいそうな、暖かなタンジェリンオレンジのドレスが描かれていた。
まるで太陽の光を纏ったような、明るく優しい色合い。
セリアの雰囲気にぴったりの、温もりを感じさせるドレスだった。



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