どこまでも付いていきます下駄の雪

楠乃小玉

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十六話 自己犠牲

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 翌日、五月二十五日。
 伝令の報告によると花倉方は久能山の久能寺で挙兵。

 兵一千を出陣し今川館に向こうているようであった。

 たかが千人で今川館を攻めるとは嘗められたものである。

 敵の大将は黒鉄の兜に、
 金色の板に黒く南無八幡大菩薩と掘抜いた飾りを付けていたそうだ。

 素性も分からぬ無名の者であった。

 今川館での軍議中、諸将がざわめいた。

 「駿河衆を嘗めくさりおって」

 孕石光尚ルハラミイシミツナオがうめき声をあげた。

 この人は駿河人らしからず短気で粗野な処がある。


 「敵は音に聞こえし高天神衆ぞ、誰とて侮ってはならぬ」

 義元公が戒められた。

 「されば、勝手知ったる某が参りましょう」

 朝比奈泰能殿が声をあげた。

「ならば、某も助太刀いたす、幸い、先頃調達した雑兵三百が無駄にならずに済みました」

 左兵衛も声をあげた。

「野伏を今は 使うてはならぬ、それは後に取っておけ」

 雪斎様が左兵衛をいさめる。

「ならば、某の兵を連れて行くがよい」

 父、一宮宗是が申し出てくれた。

 朝比奈勢三千、一宮勢三百が今川館を出て花倉方の高天神衆と対峙した。

 「やあやあ我こそは清和源氏の一党
 河内源氏の源頼信を祖としたる小笠原氏が末裔、
 一宮左兵衛なるぞ」

 左兵衛は刀を引き抜き、声高らかに叫んだ。

 「はははっ、名乗るということは、
 我に討たれてその名を末代まで語り継いでほしいということであろう、
 ならばせいぜい励んで我を楽しませてみよ、
 多少なりと歯ごたえがあればその名憶えてやるぞ」

 その声には張りがあり、よく通った。

 「おのれ」
 左兵衛は馬をせき立て前に突進した。

「危ない、前に出るな」

 朝比奈泰能殿が叫ぶ。
 前を見ると一斉に左兵衛に向けて弓を射ようとする雑兵を、
 あの大将が止めている。完全に嘗められている。

 「死ねい」

 左兵衛が刀を振り上げた前に父の郎党が飛び出した。

 「危ない」

 敵大将の槍がその郎党の目を突き抜く。
 郎党は声もなく倒れた。

 「危ない、若、お下がりください」

 雑兵が後ろから左兵衛を引っ張り、馬から引きずり降ろした。
 
 そして郎党がよってたかって左兵衛を掴み上げ、担いで後方に引いた。

 「ええい、離せ!武門の恥辱ぞ!ここで死なせろ!」

 「いいえ、なりません、あなた様は名門一宮家のお世継ぎですぞ」

 郎党が叫んだ。

 「あはは、これは愉快、一宮とやら、そちの名憶えたぞ、楽しませてくれるわ」

 敵大将が大笑いしている。

 「進め!」

 朝比奈泰能が兵を進める。

 「これは朝比奈殿、好敵成り、我が名は福島孫九郎。
 生きて逃げ帰る事が出来たなら、子々孫々我と戦うた誉れを語り継ぐがよい」

 泰能殿は無言のまま郎党を引き連れ黒鉄の玉のように密集した魚鱗の陣で突き進んだ。

 「弓放て」

 福島孫九郎が弓を射るよう命ずる。

 間髪入れず、孫九郎の軍勢の中に泰能殿の軍が突っ込み、乱戦となる。

 「我らも遅れるな」

 左兵衛も号令をかけ、突撃した。

 「これはたまらぬ」

 泰能殿の猛攻に耐えかねたか、孫九郎は兵を置いて一人逃亡した。

 それを見た敵の郎党たちは慌ててその後を追う。

 「はははっ、口ほどにもないわ」

 敵の意外なもろさに左兵衛は嘲りの声をあげる。

 「ご油断めさるな、敵の郎党は算を乱して逃げ惑うておるように見えて、
 誰一人武器を投げ捨てておらぬ。決して狼狽しておりませぬぞ」

 福島孫九郎の逃げ足は速く、瞬く間に森の方へ逃げ散っていく。

 「山中に逃がすな、平野で討ち取れ」

 左兵衛は兵を励まし突進した。孫九郎は峻険な崖に挟まれた細道に逃げ込む。

 「馬鹿め、そちらは行き止まりじゃ、袋の鼠ぞ」

 左兵衛が叫んだ。

 「左兵衛殿待たれい、伏兵ぞ」

 朝比奈泰能殿が叫んだ。

 「なに」

 左兵衛は馬を止めた。

 ヒュンと目の前に敵の矢がかすめる。

 切り立った崖の上から射てきている。

 「左兵衛殿、さがられよ」

 「承知いたした」

 左兵衛が慌てて後方に撤退すると朝比奈泰能殿は前にせり出した。

 「あ」

 左兵衛は面食らって振り返った。

 「お気にめさるな、殿(しんがり)でござる」

 父の郎党が叫んだ。

 「されど」

 「こちらが早く引かねば、朝比奈方の被害が増えまする。ささ、早う」

 「そうなのか」

 状況があまり飲み込めないまま左兵衛は馬を急がせた。

 振り返ると泰能殿の兵たちは福島方に矢を射かけながら後ろ向きのまま後ずさりして後退していた。

 遠くで微かに孫九郎の声が聞こえる。

 「石で頭を潰してやろうと思うたに、おしい事をしただにい、
 一宮なにがし、おぬしの道化ぶり、楽しませてもろうたぞ、ははは」

 左兵衛は歯を食いしばった。
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