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三章 自警団と虹の石

18話 駆け抜ける影

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 イルバニア王国の国境近くに建てられた天幕の中で、王国騎士隊長のベルモンド、エカテリーン、そしてユーリウスが卓を囲んでいた。四角い卓の上に広げられているのは近辺の地図、その上に点々と置かれているのは自軍や敵軍を示す木の駒だ。

「奴らに動きはあったか」

 剣術士隊の長、ベルモンドがユーリウスに問う。

「んーん。なんか勢いがなくなってきてるね」

 弓術士隊隊長のユーリウスは、左右にゆらゆらと揺れながら答えた。

「あのひとたちが乗ってるおっきな竜、怪我しちゃうと治るまで時間がかかるみたいだからかもね」
「魔術師隊にはまだ余力がある。竜人たちが魔法に対抗する術を身につける前にこのまま押し切るのが良いのではないか」

 魔術師隊を率いるエカテリーンがやや前のめりになって言った。
 ベルモンドは同意とも否定ともとれるような吐息混じりの声を漏らし、卓の上の戦場を見渡した。
 王国の、ひいては大陸の安寧のため蛮族を圧するという目標をエルトマイン公爵が掲げ、はや一年。騎士団の犠牲者の数は決して少なくない。だがそれは竜人族も同じだった。泥沼化していく戦いは、どちらがいつ白旗をあげてもおかしくはない。
 だが、エルトマイン公爵は決して降伏を選びはしないだろう。騎士団が壊滅状態になりそうなら、隊長自ら前線に出ろというはずだ。彼の中では騎士隊長も駒の一つに過ぎない。
 あるいは、都合よく始末する機会と思っているかもしれない。傭兵あがりの男に、たまたま才能をもつ兄弟が生まれなかったために隊長になった女、まだ子供と言ってもいいほど年若い少年――全員、公爵にとっては目障りな国王が自ら任命した者たちなのだから。
 ベルモンドが口を開きかけたと同時に、天幕に何かが飛び込んできた。

「ベルモンド様、お取込み中申し訳ございません!」

 鎧を着こみ、腰に剣を下げたベルモンドの部下だった。息を切らしている。

「何事だ」
「魔物に乗った男が突然現れて、隊長がたにお目通り願いたいと」
「魔物だと!? ここに魔物の侵入を許したのか!」

 エカテリーンの鋭い声がとぶ。ベルモンドは片手をあげてそれをなだめた。

「そいつは今どこにいる」
「すぐ近くに。待機していた騎士たちで抑えております」

 ベルモンドはエカテリーンとユーリウスを連れ、部下にその者のところまで案内を頼んだ。外には平原が広がっており、騎士たちの詰所である天幕が他にいくつもある。
 それに紛れて騎士たちが集まっているのが見えた。騎士隊長たちが近づいてきたのに気づき、数人の騎士がその場を譲る。
 一人の男が地面にうずくまっていた。手足を魔術師が生成魔法で生み出した鎖で縛られている上に、剣の切っ先がいくつも向けられている。その姿を見てもベルモンドは動じなかった。それはよく知っている顔だった。

「何のつもりだ、グレイル」

 グレイルはわずかに顔を上げた。亜麻色の髪の下に見える目は憔悴しょうすいしきっている。

「この人、エルトマイン公爵のお友達じゃん」

 ユーリウスが何の躊躇ためらいもなくグレイルの傍らにしゃがんでその顔を覗き込んだ。

「大丈夫? ひっどい顔してるよ、ちゃんと寝てる?」

 エカテリーンも大股で彼に詰め寄った。
 
「魔物はどこにいる?」
「……隠れている。私が命じなければ、誰も襲わない……」

 縛られているためか、うめくような声でグレイルは答えた。エカテリーンがふんと鼻を鳴らす。

「信用などできるか。魔物を飼い慣らすなどできるはずもないだろう」
「よせ、エカテリーン。今はそのようなことで問答している場合ではない」

 ベルモンドはグレイルを見据えた。

「私の質問に答えてもらおう。なぜここに来た?」
「力を、貸して欲しい。このままでは王国も、竜人族たちも危ない……!」

 必死に身を起こし、グレイルは声を絞り出した。

「エルトマイン公爵は、両方を手中に収めようとしている。魔物を操って……計画は動き出した。近いうちに王都の地下水路から、多くの魔物が這い出て街を占領する……王都に留まっている騎士だけでは……とても対処できないはずだ……初めからこうなることを狙って、奴は戦争を起こしたんだ……」

 エカテリーンが眉をひそめた。

「何だ……? 何を言っている?」
「本当なんだ……! 私は、道を踏み外した。だが、これ以上大切なものを失う訳にはいかないんだ……! 頼む、信じてくれ」
「おじさん、どうするの?」

 ユーリウスがしゃがんだまま顔だけをベルモンドの方へ向けて問う。グレイルの話が本当なら、王都は壊滅的な状況になるはずだ。王都に残っている騎士は貴族の警護に充てられている者ばかりで、非力な民たちが魔物の餌食になる。王都を食らいつくした魔物たちが次に向かうのは、近隣の町や村だろう。
 騎士隊の長といえど帰還命令が出ていない以上、身勝手なことはできない。しかしこのままではエルトマイン公爵の思うつぼだ。ベルモンドの真の主君ならば、きっと――

「エカテリーン、ユーリウス、戦力を連れて王都に戻れ」

 エカテリーンが目を見開く。
 
「こいつの言うことを信じるというのか!?」
「我らが仕えているのは国王陛下だ。あの方なら、民が傷つくおそれが少しでもあるならばそれを防ぐべく動くはずだ。違うか?」

 エカテリーンが口をつぐむ。女でありながら魔術師たちを率いる立場を任せてくれた国王の人となりは、彼女もよく知っているはずだ。
 ユーリウスがすっと立ち上がった。

「大急ぎでも三日はかかると思うけど」

 それに答えたのは拘束されたままのグレイルだった。

「おそらくは……間に合うはずだ……」
「急げ。この場は私が引き受ける」

 ベルモンドの言葉に、エカテリーンはもう反論しなかった。一刻を争う事態に対し頭を切り替え、王都へ向かう準備のため駆け出していく。

「おじさん、死んじゃだめだよー。そこの人もねー」

 ひらひらと手を振り、ユーリウスがエカテリーンを追う。残されたベルモンドは再びグレイルの方へ目をやった。

「私を、殺すのか……」

 息も絶え絶えにグレイルが問う。ベルモンドは答える代わりに彼を取り囲む騎士たちに声をかけた。

「解放してやれ。剣も納めろ」

 騎士たちはまごついたものの、剣を持っている者はそれを鞘に納め、魔術師はグレイルを拘束する術を解いた。縛るものが無くなったグレイルはいちど地面に突っ伏すように倒れ、再び身を起こした。

「なぜ……」
「私ひとりにお前を裁く権限はない。それに、まだ為すべきことが残っているのだろう?」

 グレイルの顔に驚きが浮かび、小さく震えながら頷く。

「ああ、そうだ、私にはまだ、償いが……」

 その言葉は最後まで続かなかった。糸の切れた操り人形のように、グレイルの体がまたくずおれる。

「空いている天幕に寝かせておけ。見張りは必要ない」

 グレイルはどうやらほぼ休まずに王都からこの場所まで来たのだろう。極度の疲労状態のようだった。
 ベルモンドは更に部下たちにてきぱきと指示を出す。

「早馬と伝令の用意を。行先はアレクサンドル殿下の元だ」
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