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二十二話 懐かしい場所へ

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 わだかまりはすっかり無くなって、エリーズの甘い日常が再び戻ってきた。ヴィオルは政務を終えると飛ぶようにエリーズの所へやって来て、離れていた間の分をとたっぷりの愛を示してくれる。
 ある日の夜、寝室で待つエリーズの元へ帰ってきたヴィオルはいつになく浮足立った様子でいた。

「実はね、三日後にまるまる一日の休暇をとれることになったんだ」
「まあ、そうなの?」

 多忙な身のヴィオルがまる一日休むというのはエリーズとの結婚式の翌日以来、初めてのことだ。彼も余程嬉しいのか、エリーズの肩を抱いてうっとりしながら髪に口づけを落としてきた。

「一日を君のためだけに使える……何がしたい? この間の埋め合わせが全然できていないから何でも言って」
「もう気にしていないって言ってるのに……。わたしはあなたと一緒なら何をしても楽しいし、何もしなくてもいいわ。ヴィオルの方こそ、何かないの?」
 
 夫に身を委ねながら、エリーズは微笑んでみせた。国王のたまにしかない休日だ。できれば彼のことを優先させたかった。
 エリーズに言われてヴィオルは少し考え込むような素振りを見せ、それなら、と切り出した。

「行きたいところがあるんだけれど、一緒に来てくれる?」
「ええ、もちろん。どこに行くの?」
「それは当日のお楽しみ」

 ヴィオルが悪戯っぽい笑みを浮かべ、エリーズの唇にキスをする。二人はそのまま甘い世界に沈んでいった。

***

 三日後。エリーズはヴィオルと一緒に馬車に揺られていた。二人の近衛であるローヴァンとリノンにもせっかくだからと休暇が与えられたため、今日護衛としてついて来ているのは別の騎士だ。今頃、彼らも夫婦水入らずの時間を過ごせているといいのだが。
 エリーズの服装は華やかさよりも快適さの方に重きを置いた、控えめに花柄の刺繍ししゅうが施された薄黄色のドレスだ。ヴィオルも国王の務めの間は必ずしている手袋をつけず、若草色のジャケットとベージュのトラウザーズという素朴な恰好をしている。
 今日の行先はまだ知らされていない。途中の景色で分かってしまうかもしれないからと、馬車の窓はカーテンで閉め切られた状態だ。それでもエリーズは退屈だとは少しも感じなかった。ヴィオルと色々な話をしたり、彼が得意とする硬貨を一瞬で消したり移動させる手品を見せてもらっているとあっという間に時間が過ぎる。

「何回見せてもらっても不思議だわ……」
「はは。もちろん実際に消えたりしている訳じゃないよ。そういう風に見せているだけで」

 ヴィオルはそう言いながら、軽く握った手の指の間で硬貨を転がすようにして言ったり来たりさせた。

「君に可愛くおねだりされたら、どうやっているのか洗いざらい喋ってしまうだろうなぁ」

 魅力的な誘いではあったが、エリーズはきゅっと口を結んでそれを断った。

「いいえ、いつかわたしの力で見破るわ!」
「楽しみだ」

 そうしているうちに馬車が止まった。扉がノックされた後に開かれ、従者が顔を覗かせる。到着したようだ。

「さあ、行こうか」

 先に馬車から降りたヴィオルが、エリーズに向かい手を差し伸べる。その手をとって馬車を降りたエリーズの目に映ったのは、予想だにしていなかったものだった。

「え……?」

 エリーズが生まれヴィオルと出会うまでの間を過ごした、ガルガンド家の屋敷――だがエリーズが最後に目にした荒れた外観はいずこかへと消え去り、今あるのはエリーズが幼かった頃と同じ、何もかもが楽しかった時の美しい姿だった。くすんだ色だった屋根は塗り直され、傷んでいたところも修繕されている。
 よく似た別の場所なのかと思ったが、周囲の景色はエリーズの記憶にあるものとすべて一致している。一体どういうことなのか――エリーズは答えを求めてヴィオルの顔を見た。

「驚いた? 間違いなくガルガンド家の屋敷だよ」
「どうしてこんなに綺麗に……」
「エリーズ、ここはね、君の家なんだよ」

 エリーズの目をじっと見つめながらヴィオルは言った。

「本当なら、君が成人した時点でガルガンド家の財産はすべて君に渡されるべきだった。それをガルガンド伯爵代理とそのご息女は……言い方は悪いけれど不当に占拠していた。しかも君の了承なしに勝手に財産を売り払うなんていうことは以ての外だ」
「そう、なの……」
「だからこちらで手続きを進めさせてもらった。この屋敷の持ち主を君として、伯爵代理たちには元いた場所にお戻り願ったよ。君に完璧な状態で引き渡せるように準備をずっとしていて、ようやく整ったから今日君を連れてきたんだ」

 あまりにも急な話でついて行くのがやっとだったが、ヴィオルの話が本当ならこの屋敷の主は今はエリーズで、養父たちはもういない。
 いつの間にか使用人が一人、屋敷の玄関から出てきていた。エリーズたちのために正門を開き、お待ちしておりましたと頭を下げる。草が伸び放題になっていた屋敷の周りも、綺麗に整備されていた。
 まるでこの屋敷だけ時間が巻き戻ったかのようにも見えエリーズは未だに驚き戸惑っていたが、ヴィオルに腕を差し出されておずおずと玄関へと向かった。

***

 修繕されていたのは無論、外観だけではなかった。エリーズ一人ではなかなか綺麗に保つことができなかったエントランスは見違えるように明るい雰囲気になっている。そして、驚くべきことは更にあった。
 出迎えてくれた使用人たちの顔を見て、エリーズは衝撃のあまり言葉を失った。

「マーシャ……?」

 小さなエリーズを可愛がってくれた、かつてガルガンド家で料理番として働いていた女性――少し痩せて髪に混じる白いものの量が増えていたが、間違いなく彼女だった。マーシャはエリーズの姿を見るなり、ぼろぼろと涙を零し始めた。

「ああ、お嬢様……!」

 エリーズの見知った顔は彼女だけではない。

「マテオ、トビアス……」

 ガルガンド家の庭を手入れしていた、腕のいい庭師の親子だ。

「あんなに小さかったのに、すっかり立派に……」
「奥様にそっくりだ……我々のことを覚えていてくださったのですね」
「ええ、覚えているわ。それにアンメリーも……!」

 エリーズの七つ年上で姉のように慕っていた女中のアンメリーも、エリーズの姿を見て目に涙を浮かべている。他にもかつてガルガンド家に仕えていた者たちばかりがいて、エリーズは懐かしさをこらえ切れず彼らの元へ駆け寄った。

「申し訳ございません、お嬢様……」

 料理番のマーシャが頭を垂れてエリーズに詫びた。

「お嬢様をお助けすることができないまま、わたしたちはここを出て行くしかありませんでした……あの時何もできず、本当に申し訳ございませんでした……」

 使用人たちが口々にエリーズへ謝罪の言葉を述べる。だがエリーズに彼らを責める気はまったくなかった。使用人たちを顧みずまともな給与を支払わないガルガンド伯爵代理のもとにいつまでもいたら、彼らも生活が立ちいかなくなってしまっていただろう。

「そんな風に言わないで。また皆に会えてとっても嬉しいわ……でもどうしてここに?」
「僕が声をかけたんだ」

 答えたのはヴィオルだった。

「この屋敷をできるだけ元の状態に戻すためには彼らの存在が必要だと思ったからね。当時の全員を集めることは叶わなかったけれど、ここにいる皆はまた君のために働いてくれる人たちだよ。足りない人手は、きちんと信頼のおける人物を選んでいるから安心して」

 喜びと感動と驚きが混ざった思いでエリーズの胸はいっぱいになっていた。これ程までに尽くしてくれる夫に、果たして自分は何ができるだろう?

「ヴィオル、もうどうやってお礼をしたらいいのか……本当にありがとう……」
「お礼なんていいんだよ。喜んでもらえて良かった」

 ヴィオルが優しく微笑み、再びエリーズに腕を差し出した。

「屋敷を案内してもらえる?」
「ええ、もちろん!」

 エリーズは答え、彼の腕をとった。
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