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同い年のバーテンダー
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バーカウンターにて二人きりになってしまった雫と綾瀬。雫は目の前に置かれているカシスオレンジを眺める。そして盗み見るように綾瀬をチラ見した。綾瀬は雫と同じで戸惑っていたが、グラスを拭き始めていた。そういうパフォーマンスなのだろうか。磨いているグラスはすでにピカピカだ。落ち着いている表情をしているが、綾瀬は割と緊張しいなのかもしれない。とか分析している雫の方がよっぽど緊張しているし、よっぽど顔に出ている。
「…お客様は普段お酒は飲みますか?」
「へ!?…えっと、飲まないですね~。」
「そうですか……。」
また沈黙。綾瀬が気を使って振った話題も二言で終わった。雫は申し訳なくなり、今度はこちらから話題を振る。
「綾瀬さんは?…このお仕事してるってことはお酒好きなんですか?」
「…好きではないですね。」
「あぁ、そうですか。」
おいおい。二人とも会話って知ってる?嘘でも良いから盛り上がるように言葉繋いで~。
「…好きではないですけど、強い方だとは思います。酔ったことなくて。」
「…へ~。私、すぐ寝ちゃうから飲みの席とかあんま楽しめないんですよね~。」
「俺も同じですよ。酔えないから周りの浮ついた感じにノれなくて。」
「確かに。それはそれでしんどいですね。綾瀬さんはおいくつですか?」
「…いくつに見えますか?」
「質問に質問で返すって、それお父さんからの入れ知恵ですか?」
雫は図星を突くように綾瀬の顔を覗いた。
「…なんでわかったんですか?」
「ふふっ、会話が盛り上がる初歩テクですからね。綾瀬さんが自分でそういうことしようとする人にも見えないし。」
「…そうですか。」
「…あ!別に会話下手って言ってるわけじゃないですよ!?」
「……精進します。」
「なんかすみません……。」
なんだこの焦ったい会話は…。雫は申し訳なさそうに俯きながらカシスオレンジを一口飲んだ。
「二十二です。歳。」
「…え!そうなんですね!私もなんですよ!」
「知ってます。修二さんから伺ってるので。」
「そう、ですか…。そしたら綾瀬さん、ここはいつから?」
「二十歳の時からです。」
「へ~。すごいですね~。」
「あ。」
綾瀬は何かに気づいたのか、スタッフルームの方に消えていった。綾瀬の姿が見えなくなって間も無く、店内BGMが流れる。しっとりとしたジャズが流れた。ボリューム調整をしているのだろうか。音楽が小さくなったり大きくなったりした後、照明もついた。デスクライトだけでなくカウンターのガラスでできた酒棚にも下から照明が当たる。
「わぁ…。綺麗…。」
雫が感動しているところに綾瀬は帰ってきた。
「すいません。この時間は太陽光の明るさで十分なんでライトつけてなくて。暗かったですよね。」
「いえいえ。なんか急にバーって感じになりましたね。」
綾瀬はクスッと笑う。
「ですよね。音楽と照明だけで結構酔えるのがバーのいいところかもしれないです。」
「……。」
「…どうかされましたか?」
「綾瀬さん、笑うんですね。接客なら笑っていた方がいいんじゃないんですか?」
「……俺、今笑ってましたか?」
「自覚なく笑ってるんですか?」
「営業スマイル何度も練習してるんですけど、引き攣っちゃって。修二さんには無理して笑わなくていいって言われてます。」
「……ふふっ、じゃあ今のはレアな笑顔だ!」
雫は満面な笑みを綾瀬に向けた。綾瀬は急な笑顔に目を見開き、再びグラスを手に取って磨き始めた。眉間には皺が寄る。
(…無自覚はどっちだよ。)
綾瀬が何も言わずにグラスを拭き始めたので、雫は少し戸惑う。ほんのり赤くなった綾瀬の耳に雫は怒らせてしまったのでは、と一つ溜息をついた。そしてもう一口かシズオレンジを飲む。さすが雫。この少量で酔いが回る。顔が熱くなっているのがわかった。
「…雫さんは、何か話したいことないんですか?俺の話ばっかで。」
「え……うーん。話すとなると一つしかないんですよね~。」
雫は恥ずかしながらも、でもゆっくりと初恋こじらせの話と同窓会リベンジの話をした。綾瀬は黙って雫の話を聞いていた。聞き入ったのか時々、グラスを拭く手が止まることもあった。雫は話が止まらなくなり、お酒を飲むペースも上がる。話が終わる頃にはカシスオレンジのグラスも空になっていた。
「…でもぉ、会ったところで話せる話がぁ、ないんですよぉ。」
酔い方がなんかおばさん臭い雫。火照った顔を両手で包みカウンターに肘をついていた。目もとろんとして早速寝そうだ。雫のあまりの酒の弱さに綾瀬はまたも自然に笑みをこぼした。
「…その初恋の人は、雫さんのことどう思ってるんですかね?」
「…どうでしょうね。嫌われてるかも…。というか、もうどうでもよくなってて、今私が話した思い出も全部忘れてるかも…。興味も何もないのかも…。だとしたら嫌われるよりもっと辛い。」
「俺もその可能性の方が高いと思いますよ。」
「うっ、綾瀬さん、言いますね…。」
「でも、会ったことないし分かんないけど、話聞いてる限りかなり口下手な人なんじゃないですか?」
「…確かに。あんまおしゃべりな方ではないと思います。」
「じゃあ、雫さんなら大丈夫ですよ。俺が保証します。」
「どうして?」
「俺が口下手だからです。」
綾瀬は拭いていたグラスを置き、雫の空になったグラスを下げた。代わりに小さなスナック菓子を出す。
「あの修二さんが心配するほど俺は口下手です。だから今こうして雫さんで練習させてもらえてるわけで。近所のお客さんも修二さんの教え子ってだけでよくしてくれてますけど、十分なおもてなしができているかは分かりません。そのくらいの、口下手。…でも、雫さんはなんだか話しやすいですよ。他の人と話すより。だからその人ともちゃんと二人の時間作ったら話してくれるんじゃないですか?ラブレターの暴露の件も、言いかけてやめた話も。」
綾瀬は手を止め真剣な眼差しで雫を励ました。雫は頭はポーッとしていたが、綾瀬の真剣な眼差しを受け止める。
「…そう、か。じゃあまずは二人でゆっくり話せる関係にならないと、ですね。」
「そうですね。…頑張ってください。」
綾瀬は雫が納得したような表情を見せるとおもてなしができたと満足したのか、再びグラスを手に取った。
「綾瀬さん。」
「はい。」
「綾瀬さんは別に口下手のままでいいんじゃないですか?」
「え?」
「…確かにこういう職柄、話は上手い方がいいと思います。父が働いてるところなんて見たことないけど、きっといろんなお客さんの心に入り込んでお酒が美味しくなるような話でもしてるんでしょうね。それも一つのおもてなしだと思う。でも、あくまで父や綾瀬さんはバーテンダーでしょ?一番大事なのは美味しいお酒を作ることですよね。というよりむしろそれができたならあとはプラスアルファでいいんじゃないでしょうか…。素人でしかもお酒の弱い私ですけど、今飲んだカシスオレンジだって美味しかったですよ。」
「……。」
「父の真似なんかしなくていいです。綾瀬さんは綾瀬さんのスタイルでいいと思います。…ほら、『口下手のバーテンダー』。おしゃれで余裕な感じに見せかけて、不器用さが出る!ギャップですよ!ギャップ!」
雫よ。それを言うなら『不器用で無愛想だけど、お酒は絶品』だろう。それだと、ただのマイナスイメージではないか。それはギャップではなく、落胆だぞ。
「…ギャップ、か。」
妙に綾瀬が納得したところで、修二が店に戻ってきた。気づけばいつの間にか二時間が過ぎていたのだ。
「どう?盛り上がってる?」
「修二さん…。」
「ん?なんか吹っ切れたって顔してるけど、なんかいい話でもできたの?」
「まぁ、はい…。」
「雫は?…ってもう酔ってんのか。」
修二は雫を笑いながら見た。雫はすでにカウンターに突っ伏して眠りについてしまった。
「これじゃ、同窓会が心配だ。」
「…本当ですね。」
「あれ?やっぱ色々話して盛り上がったのか?」
「はい。…少しだけですけどアドバイスというか応援はできたと思います。…今日はありがとうございましたって伝えといてください。」
修二は雫を背中におぶりながら、綾瀬の表情を見て鼻で笑った。
「綾瀬。今自分の顔見てこいよ。まるで好きな女見てる時の笑い方になってんぞ。」
そう言われた綾瀬は咄嗟に無自覚の笑顔をやめ、代わりに眉に皺を寄せた。これが精一杯の彼の照れ隠しの表情だ。
「…そんなんじゃないっす。」
「雫はやめとけよ。」
「だからそんなんじゃないっす。」
「ふーん。まぁ、百歩譲って許可しても一人前のバーテンダーになってからだな。」
修二は厳しい言葉とは裏腹に優しい笑顔を綾瀬に向けた。
「…頑張ります。」
「え?あれ?今認めたの?」
「……。」
「おーい。綾瀬?」
「………俺、まだ店の支度終えてないんで戻ります。」
綾瀬は修二のしつこい絡みに耐えきれずスタッフルームへと消えた。
「…尚美の娘は罪な女だな。」
修二はどこか面白そうなものを見るように笑うと、雫をしっかりと持ち店の外に出た。
しばらく時間が経ち、雫は目を覚ました。いつの間にか修二の車の助手席に乗っている。あたりはもう暗くなっていた。
「…あれ?私寝ちゃった?」
「おー。起きたか。本当にお酒弱いのな。」
「……あ~、綾瀬さんとの話の途中で寝ちゃった気がする。」
「大丈夫。綾瀬も今日は楽しかったみたいだよ。ありがとうございましたって伝えといてって。」
「…そっか。それならよかった。私も話聞いてくれてありがとうございますって伝えといて欲しい。」
「オッケー。」
車は海の見える街を遠ざかり、ちょっとした市街地を通り過ぎ雫の地元である田舎町へと進んでいった。長い長い修二とのデートも終わり、雫の家に到着する。
「よし。着いた。今日はありがとうな。」
「ううん。私も楽しかった!てか、ほとんどお父さんと話してないけど。」
「そうだな。昼も食べずに終わっちゃったな。」
「今度はお父さんのお店のハンバーガー食べに行きたい!」
「お!いいな。綾瀬も喜ぶよ。」
「うん!」
雫は荷物をまとめると車を降りようとドアに手をかけた。
「雫。」
「ん?」
振り返った雫の顔を修二は見つめた。女の子は大きくなるにつれて母親に似ていくというが、まさにその通りだ。ここ最近で一気に尚美に似てきた気がする。
「本当に綺麗になったよ。尚美の娘なんだから、自信持って頑張れよ。」
「……お父さん。」
雫は降りようとして外に向けた体を修二に向けた。
「どうした?名残惜しいか?」
「それもあるけどさ…。ずっと気になってた。どうしてお父さんはいつも『尚美の娘』って言うの?親権はなおちゃんにあってもお父さんだって私の親だよ。もう苗字も違うけど、私の体に流れてる血の半分はお父さんのだよ?私は『尚美の娘』でもあるけど、『修二の娘』でもあるんだよ。」
修二は雫の言葉に体を固めた。明るくは振る舞ってみているが、過去の後悔は消えるものではない。ずっと尚美と雫に対して罪悪感を抱えている。自分は幸せになってはいけないとすら感じている。不倫相手とはあっけなく別れ、自暴自棄になって何人かの女性と夜を過ごしたが、そんなものでは満たされない失ったもの。もし自分があの時浮つかなければ。他の家庭のように温かい家庭を築けたかもしれない。雫の立った瞬間すら知らない。雫の毎日を知らない。一年単位でしか雫の成長を見れていない。その虚しさ、寂しさを誰かに吐露することは一切なかった。そんな自戒の毎日を過ごしてきて、ここにきてそれを砕くような娘の言葉に感動と驚嘆を隠しきれない。
「……ありがとうな。そうだよな。…『修二の娘』だもんな。」
雫は満足そうに笑うと車を降りた。修二は窓を開け、雫が完全に家に入ったところまで見送る。ふぅ、とため息をつき、修二は帰路に向かった。
その日の夜、雫がルンルンで自室に戻っていったのをリビングにいた尚美は見送った。その時、着信音が響く。相手は『修二』。尚美はなんの気も無しに電話をとった。
「もしもし、修ちゃん。今日は雫のことありがとうね。すごく楽しかったみたい。」
<…そうか。尚美は?元気か?>
「うん。おかげさまでピンピン。」
<…そっか。>
尚美は修二の元気のなさそうな声に気付き、スピーカーボタンを押した。
「どうしたの?なんかあった?」
<なんかって言うもんでもないけどさ。…今日、雫に「私は『修二の娘』でもあるんだよ」って言われて、なんかハッとしちゃってさ。>
「何今更のこと言ってんの。雫は私たちの娘でしょ。」
<…うん。そうだよな。>
「うん。」
修二が何を言おうとしているのか尚美にはわからなかったが、ただ電話越しにでも伝わる哀愁に無言で寄り添った。
<…俺さ、尚美に酷いことしてさ。>
「うん。したね。」
<すげーバカな人間じゃん?>
「ははっ、本当だよ。」
<なのにさ、こんなこと言うの、資格ないと思うんだけど…>
「…何?」
<尚美、もう一回やり直さないか?>
「……。」
<もう一回チャンスくれないかな?俺頑張るからさ。>
それは真剣勝負の賭け。男の叫び。尚美はその言葉に沈黙を続けた。別に完全になしなわけではない。修二には沢山傷つけられたが、今ではそこらの冷め切った夫婦よりは仲がいい自信がある。ただ、もう一度信頼してまた裏切られるのはごめんだと言う気持ちも未だにある。
「…いいよ。」
<…そっか……。えぇ!!?いいの!?なんで!?>
「なんでって…そっちがプロポーズしたんじゃん。…ただ恋人から仕切り直しね?」
<…わかった。絶対に結婚してみせるから。>
「ハハッ!がんばれー、」
<なんだよ。それ。>
「…デート、いつにする?」
<そうだなぁ…。初心に還って、バーにでも行く?>
「お酒抜きでしょ?」
<ははっ、やば。懐かしいな!>
尚美は修二の無邪気な笑い声にニンマリと笑った。そこから二人はまるで高校生のカップルのように長電話をした。もう寝落ち通話とかしちゃうんじゃないかの勢いで。
五十過ぎのおじさん、おばさんもリベンジできんだから二十二歳がリベンジできないわけがないよね。両親の恋の発展も知らずにスヤスヤと眠る雫であった。
頑張れよ!雫!
同窓会まで、あと一ヶ月半!!
「…お客様は普段お酒は飲みますか?」
「へ!?…えっと、飲まないですね~。」
「そうですか……。」
また沈黙。綾瀬が気を使って振った話題も二言で終わった。雫は申し訳なくなり、今度はこちらから話題を振る。
「綾瀬さんは?…このお仕事してるってことはお酒好きなんですか?」
「…好きではないですね。」
「あぁ、そうですか。」
おいおい。二人とも会話って知ってる?嘘でも良いから盛り上がるように言葉繋いで~。
「…好きではないですけど、強い方だとは思います。酔ったことなくて。」
「…へ~。私、すぐ寝ちゃうから飲みの席とかあんま楽しめないんですよね~。」
「俺も同じですよ。酔えないから周りの浮ついた感じにノれなくて。」
「確かに。それはそれでしんどいですね。綾瀬さんはおいくつですか?」
「…いくつに見えますか?」
「質問に質問で返すって、それお父さんからの入れ知恵ですか?」
雫は図星を突くように綾瀬の顔を覗いた。
「…なんでわかったんですか?」
「ふふっ、会話が盛り上がる初歩テクですからね。綾瀬さんが自分でそういうことしようとする人にも見えないし。」
「…そうですか。」
「…あ!別に会話下手って言ってるわけじゃないですよ!?」
「……精進します。」
「なんかすみません……。」
なんだこの焦ったい会話は…。雫は申し訳なさそうに俯きながらカシスオレンジを一口飲んだ。
「二十二です。歳。」
「…え!そうなんですね!私もなんですよ!」
「知ってます。修二さんから伺ってるので。」
「そう、ですか…。そしたら綾瀬さん、ここはいつから?」
「二十歳の時からです。」
「へ~。すごいですね~。」
「あ。」
綾瀬は何かに気づいたのか、スタッフルームの方に消えていった。綾瀬の姿が見えなくなって間も無く、店内BGMが流れる。しっとりとしたジャズが流れた。ボリューム調整をしているのだろうか。音楽が小さくなったり大きくなったりした後、照明もついた。デスクライトだけでなくカウンターのガラスでできた酒棚にも下から照明が当たる。
「わぁ…。綺麗…。」
雫が感動しているところに綾瀬は帰ってきた。
「すいません。この時間は太陽光の明るさで十分なんでライトつけてなくて。暗かったですよね。」
「いえいえ。なんか急にバーって感じになりましたね。」
綾瀬はクスッと笑う。
「ですよね。音楽と照明だけで結構酔えるのがバーのいいところかもしれないです。」
「……。」
「…どうかされましたか?」
「綾瀬さん、笑うんですね。接客なら笑っていた方がいいんじゃないんですか?」
「……俺、今笑ってましたか?」
「自覚なく笑ってるんですか?」
「営業スマイル何度も練習してるんですけど、引き攣っちゃって。修二さんには無理して笑わなくていいって言われてます。」
「……ふふっ、じゃあ今のはレアな笑顔だ!」
雫は満面な笑みを綾瀬に向けた。綾瀬は急な笑顔に目を見開き、再びグラスを手に取って磨き始めた。眉間には皺が寄る。
(…無自覚はどっちだよ。)
綾瀬が何も言わずにグラスを拭き始めたので、雫は少し戸惑う。ほんのり赤くなった綾瀬の耳に雫は怒らせてしまったのでは、と一つ溜息をついた。そしてもう一口かシズオレンジを飲む。さすが雫。この少量で酔いが回る。顔が熱くなっているのがわかった。
「…雫さんは、何か話したいことないんですか?俺の話ばっかで。」
「え……うーん。話すとなると一つしかないんですよね~。」
雫は恥ずかしながらも、でもゆっくりと初恋こじらせの話と同窓会リベンジの話をした。綾瀬は黙って雫の話を聞いていた。聞き入ったのか時々、グラスを拭く手が止まることもあった。雫は話が止まらなくなり、お酒を飲むペースも上がる。話が終わる頃にはカシスオレンジのグラスも空になっていた。
「…でもぉ、会ったところで話せる話がぁ、ないんですよぉ。」
酔い方がなんかおばさん臭い雫。火照った顔を両手で包みカウンターに肘をついていた。目もとろんとして早速寝そうだ。雫のあまりの酒の弱さに綾瀬はまたも自然に笑みをこぼした。
「…その初恋の人は、雫さんのことどう思ってるんですかね?」
「…どうでしょうね。嫌われてるかも…。というか、もうどうでもよくなってて、今私が話した思い出も全部忘れてるかも…。興味も何もないのかも…。だとしたら嫌われるよりもっと辛い。」
「俺もその可能性の方が高いと思いますよ。」
「うっ、綾瀬さん、言いますね…。」
「でも、会ったことないし分かんないけど、話聞いてる限りかなり口下手な人なんじゃないですか?」
「…確かに。あんまおしゃべりな方ではないと思います。」
「じゃあ、雫さんなら大丈夫ですよ。俺が保証します。」
「どうして?」
「俺が口下手だからです。」
綾瀬は拭いていたグラスを置き、雫の空になったグラスを下げた。代わりに小さなスナック菓子を出す。
「あの修二さんが心配するほど俺は口下手です。だから今こうして雫さんで練習させてもらえてるわけで。近所のお客さんも修二さんの教え子ってだけでよくしてくれてますけど、十分なおもてなしができているかは分かりません。そのくらいの、口下手。…でも、雫さんはなんだか話しやすいですよ。他の人と話すより。だからその人ともちゃんと二人の時間作ったら話してくれるんじゃないですか?ラブレターの暴露の件も、言いかけてやめた話も。」
綾瀬は手を止め真剣な眼差しで雫を励ました。雫は頭はポーッとしていたが、綾瀬の真剣な眼差しを受け止める。
「…そう、か。じゃあまずは二人でゆっくり話せる関係にならないと、ですね。」
「そうですね。…頑張ってください。」
綾瀬は雫が納得したような表情を見せるとおもてなしができたと満足したのか、再びグラスを手に取った。
「綾瀬さん。」
「はい。」
「綾瀬さんは別に口下手のままでいいんじゃないですか?」
「え?」
「…確かにこういう職柄、話は上手い方がいいと思います。父が働いてるところなんて見たことないけど、きっといろんなお客さんの心に入り込んでお酒が美味しくなるような話でもしてるんでしょうね。それも一つのおもてなしだと思う。でも、あくまで父や綾瀬さんはバーテンダーでしょ?一番大事なのは美味しいお酒を作ることですよね。というよりむしろそれができたならあとはプラスアルファでいいんじゃないでしょうか…。素人でしかもお酒の弱い私ですけど、今飲んだカシスオレンジだって美味しかったですよ。」
「……。」
「父の真似なんかしなくていいです。綾瀬さんは綾瀬さんのスタイルでいいと思います。…ほら、『口下手のバーテンダー』。おしゃれで余裕な感じに見せかけて、不器用さが出る!ギャップですよ!ギャップ!」
雫よ。それを言うなら『不器用で無愛想だけど、お酒は絶品』だろう。それだと、ただのマイナスイメージではないか。それはギャップではなく、落胆だぞ。
「…ギャップ、か。」
妙に綾瀬が納得したところで、修二が店に戻ってきた。気づけばいつの間にか二時間が過ぎていたのだ。
「どう?盛り上がってる?」
「修二さん…。」
「ん?なんか吹っ切れたって顔してるけど、なんかいい話でもできたの?」
「まぁ、はい…。」
「雫は?…ってもう酔ってんのか。」
修二は雫を笑いながら見た。雫はすでにカウンターに突っ伏して眠りについてしまった。
「これじゃ、同窓会が心配だ。」
「…本当ですね。」
「あれ?やっぱ色々話して盛り上がったのか?」
「はい。…少しだけですけどアドバイスというか応援はできたと思います。…今日はありがとうございましたって伝えといてください。」
修二は雫を背中におぶりながら、綾瀬の表情を見て鼻で笑った。
「綾瀬。今自分の顔見てこいよ。まるで好きな女見てる時の笑い方になってんぞ。」
そう言われた綾瀬は咄嗟に無自覚の笑顔をやめ、代わりに眉に皺を寄せた。これが精一杯の彼の照れ隠しの表情だ。
「…そんなんじゃないっす。」
「雫はやめとけよ。」
「だからそんなんじゃないっす。」
「ふーん。まぁ、百歩譲って許可しても一人前のバーテンダーになってからだな。」
修二は厳しい言葉とは裏腹に優しい笑顔を綾瀬に向けた。
「…頑張ります。」
「え?あれ?今認めたの?」
「……。」
「おーい。綾瀬?」
「………俺、まだ店の支度終えてないんで戻ります。」
綾瀬は修二のしつこい絡みに耐えきれずスタッフルームへと消えた。
「…尚美の娘は罪な女だな。」
修二はどこか面白そうなものを見るように笑うと、雫をしっかりと持ち店の外に出た。
しばらく時間が経ち、雫は目を覚ました。いつの間にか修二の車の助手席に乗っている。あたりはもう暗くなっていた。
「…あれ?私寝ちゃった?」
「おー。起きたか。本当にお酒弱いのな。」
「……あ~、綾瀬さんとの話の途中で寝ちゃった気がする。」
「大丈夫。綾瀬も今日は楽しかったみたいだよ。ありがとうございましたって伝えといてって。」
「…そっか。それならよかった。私も話聞いてくれてありがとうございますって伝えといて欲しい。」
「オッケー。」
車は海の見える街を遠ざかり、ちょっとした市街地を通り過ぎ雫の地元である田舎町へと進んでいった。長い長い修二とのデートも終わり、雫の家に到着する。
「よし。着いた。今日はありがとうな。」
「ううん。私も楽しかった!てか、ほとんどお父さんと話してないけど。」
「そうだな。昼も食べずに終わっちゃったな。」
「今度はお父さんのお店のハンバーガー食べに行きたい!」
「お!いいな。綾瀬も喜ぶよ。」
「うん!」
雫は荷物をまとめると車を降りようとドアに手をかけた。
「雫。」
「ん?」
振り返った雫の顔を修二は見つめた。女の子は大きくなるにつれて母親に似ていくというが、まさにその通りだ。ここ最近で一気に尚美に似てきた気がする。
「本当に綺麗になったよ。尚美の娘なんだから、自信持って頑張れよ。」
「……お父さん。」
雫は降りようとして外に向けた体を修二に向けた。
「どうした?名残惜しいか?」
「それもあるけどさ…。ずっと気になってた。どうしてお父さんはいつも『尚美の娘』って言うの?親権はなおちゃんにあってもお父さんだって私の親だよ。もう苗字も違うけど、私の体に流れてる血の半分はお父さんのだよ?私は『尚美の娘』でもあるけど、『修二の娘』でもあるんだよ。」
修二は雫の言葉に体を固めた。明るくは振る舞ってみているが、過去の後悔は消えるものではない。ずっと尚美と雫に対して罪悪感を抱えている。自分は幸せになってはいけないとすら感じている。不倫相手とはあっけなく別れ、自暴自棄になって何人かの女性と夜を過ごしたが、そんなものでは満たされない失ったもの。もし自分があの時浮つかなければ。他の家庭のように温かい家庭を築けたかもしれない。雫の立った瞬間すら知らない。雫の毎日を知らない。一年単位でしか雫の成長を見れていない。その虚しさ、寂しさを誰かに吐露することは一切なかった。そんな自戒の毎日を過ごしてきて、ここにきてそれを砕くような娘の言葉に感動と驚嘆を隠しきれない。
「……ありがとうな。そうだよな。…『修二の娘』だもんな。」
雫は満足そうに笑うと車を降りた。修二は窓を開け、雫が完全に家に入ったところまで見送る。ふぅ、とため息をつき、修二は帰路に向かった。
その日の夜、雫がルンルンで自室に戻っていったのをリビングにいた尚美は見送った。その時、着信音が響く。相手は『修二』。尚美はなんの気も無しに電話をとった。
「もしもし、修ちゃん。今日は雫のことありがとうね。すごく楽しかったみたい。」
<…そうか。尚美は?元気か?>
「うん。おかげさまでピンピン。」
<…そっか。>
尚美は修二の元気のなさそうな声に気付き、スピーカーボタンを押した。
「どうしたの?なんかあった?」
<なんかって言うもんでもないけどさ。…今日、雫に「私は『修二の娘』でもあるんだよ」って言われて、なんかハッとしちゃってさ。>
「何今更のこと言ってんの。雫は私たちの娘でしょ。」
<…うん。そうだよな。>
「うん。」
修二が何を言おうとしているのか尚美にはわからなかったが、ただ電話越しにでも伝わる哀愁に無言で寄り添った。
<…俺さ、尚美に酷いことしてさ。>
「うん。したね。」
<すげーバカな人間じゃん?>
「ははっ、本当だよ。」
<なのにさ、こんなこと言うの、資格ないと思うんだけど…>
「…何?」
<尚美、もう一回やり直さないか?>
「……。」
<もう一回チャンスくれないかな?俺頑張るからさ。>
それは真剣勝負の賭け。男の叫び。尚美はその言葉に沈黙を続けた。別に完全になしなわけではない。修二には沢山傷つけられたが、今ではそこらの冷め切った夫婦よりは仲がいい自信がある。ただ、もう一度信頼してまた裏切られるのはごめんだと言う気持ちも未だにある。
「…いいよ。」
<…そっか……。えぇ!!?いいの!?なんで!?>
「なんでって…そっちがプロポーズしたんじゃん。…ただ恋人から仕切り直しね?」
<…わかった。絶対に結婚してみせるから。>
「ハハッ!がんばれー、」
<なんだよ。それ。>
「…デート、いつにする?」
<そうだなぁ…。初心に還って、バーにでも行く?>
「お酒抜きでしょ?」
<ははっ、やば。懐かしいな!>
尚美は修二の無邪気な笑い声にニンマリと笑った。そこから二人はまるで高校生のカップルのように長電話をした。もう寝落ち通話とかしちゃうんじゃないかの勢いで。
五十過ぎのおじさん、おばさんもリベンジできんだから二十二歳がリベンジできないわけがないよね。両親の恋の発展も知らずにスヤスヤと眠る雫であった。
頑張れよ!雫!
同窓会まで、あと一ヶ月半!!
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