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第二章 夫妻の贈り物

15、妻の劣等感

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 うろうろと登れる高い場所を探していると、度々声を掛けられた。皆、私を親とはぐれた子供だと思って親切に親を探したり、警備の所へ案内してくれようとするのだけど、さすがにそれは恥ずかしいので必死に断ってその場を離れる、を繰り返していたら目の前に塔が現れた。
 ぐいっと首を傾けて見上げた塔の先には、大きな時計盤があった。

 時計塔の下にまで来てしまった。迷子になってからどれくらい経つのだろう。ため息をついてぼんやりと目をやったその壁面に案内板が出ていた。なんの気無しにその文字を読んでいく。読むにつれ、だんだんと私の顔が近づいていった。

 えっ、時計盤の下に展望室があって、お金を払えば登って見られるの?! そこからならテオ様を探せるかも?!

 私は急いで塔の入口を探し、ポシェットから先日もらったばかりの食堂のお給料が入っているお財布を出して入場料を支払い、内部の古い木の階段をギシギシいわせながら駆け上がった。

 木造で古すぎるからか、皆登れると知らないのか、客は疎らだった。私は彼等の間をすり抜け、外が見える場所へ走った。

 灰色の髪、と口の中で繰り返しながら、目を皿のようにして眼下の人波から彼を見つけようと身を乗り出す。

「お嬢さん、何か探してるの? これ貸してあげるわ。よく見えるわよ」

 いきなり隣りにいた御婦人が私の手に筒のようなものを押し付けてきた。

「・・・えっと」
「あら、使い方がわからない? こうやって目に当てて覗いてごらんなさい」

 彼女が親切に身振り手振り付きで教えてくれたので、断りきれず私は恐る恐るその筒に目を当てた。じっと覗いて、驚いて外す、また覗きこむ。

「すごい、人の顔まで大きくよく見えます!」

 これなら見つけられそうと、筒をぐっと目に押し付けてテオ様を探した。

 ここから見える範囲だけでも本当にたくさんの人が行き交っていて、この中からたった一人、いるかもわからない人を探すのなんて無理かもしれないと思い始めたその瞬間、目の端を見慣れた灰色が掠めた。

 いた?! ずっと遠く、私が入ってきた方向と同じ公園の門付近にテオ様らしき人を見つけた。焦点を合わせた丸い視界の中で、彼はひどく切羽詰まった表情で周囲へ視線を配っている。

 ああ、やっぱり私を探してくれていた。分かっていたけど、何だかホッとした私は側で待ってくれていた御婦人へ丁寧にお礼を言って筒を返した。
 それから大急ぎで階段を駆け下り、テオ様がいると思われる方向へ走った。


「テオ様っ・・・?!」

 確かに彼だと分かる距離まで走ってきた私は、声を掛けようとして足を止めた。

 さっき筒で見た時とは違って、彼の側に女の人がいた。

 ・・・誰?

 とっさに横にあったベンチの後ろに隠れて二人の様子を窺う。

 なんだか女の人と彼の距離がやけに近い。それに彼女は明るい笑みを浮かべていて二人は親しげに見える。

 ・・・しまった、もう少し近くにすればよかった。ここだと話している内容を聞くには遠すぎる上に、テオ様の背中しか見えない。代わりに相手の顔はよく見えるけど。

 今更移動するわけにもいかず、私はどうしようか迷いつつ彼と話す女性を観察した。

 彼女は私より背が高くて、テオ様と顔が近い。お化粧もしっかりしているのか唇の色がキレイだ。

 思わず自分の唇に触れながら薄化粧しかしてこなかったことに後ろめたさを感じる。私は寝坊したからと、デートなのにお洒落をサボってしまったのだ。

 もしかして、テオ様はそんな私といるのが嫌で手を離した、とか・・・?  

 そういえば、あの女性はふっくらしていて柔らかそうで出るとこが出ていて、フリッツさんが言うところの『男なら一度は付き合ってみたい妖艶な美女』って感じでは?! 
 美味しいものを沢山食べさせてもらって、ふっくらはしてきたものの、出るとこが出ていない私と全く違うタイプ。

 テオ様も男の人なわけだし、惹かれてたらどうしよう・・・。

 急に頭の中にカミーユ様が現れて、『テオドール、もう妻に飽きたのか?!』とか『テオドールはモテるから』とか、『あんな女性に言い寄られて断るなんてもったいない』と騒ぎ始めた。

 私の頭からスーッと血の気が引いて身体が震えだす。どうしよう、と泣きそうになったところで、ふっと強気のチェレステさんが頭をよぎった。

 そうだ、テオ様があの女の人を好きになろうと、私が彼を好きという気持ちは消えない。それにまだ彼から嫌われたって決まってない!

 ええい、脳内カミーユ様、煩いですよ!

 私は頭の中で騒ぐカミーユ様をぶっ飛ばし、隠れていたベンチの後ろから飛び出して彼の背中めがけて真っ直ぐに走り出した。

「テオ様!」
 
 あと少し、というところで我慢できずに後ろから声を掛ければ、パッと振り返った彼が残りの距離を一気に詰めてきて私を力強く抱きしめた。

「フィーア、無事?! 怪我したり、怖い目にあったりしなかった?! 僕は君がいなくなって生きた心地がしなかったよ」
「はい、怪我もないし怖い目にもあってません」

 テオ様に会えた喜びと安堵でいっぱいになって私からもぎゅっと抱きしめ返した時、私の耳にねっとりとした声が入ってきた。

「あら、こんな小さな子を探してらしたの? それは、さぞ心配だったでしょう。歳が離れている妹さんかしら。よかったわねえ、お兄さんと会えて」

 彼女は艶々の唇を吊り上げ、ワザとらしい微笑みを浮かべながらテオ様の腕の中にいる私の頭を撫でようと手を伸ばしてきた。
 
 嫌だと、とっさに頭を振ってその手を避けたものの、迷子になっている間も散々子供に見られたことが頭をよぎり、こんな私が彼の妻だと言っていいのか躊躇してしまった。
 その迷いをのせたまま彼と目があった瞬間、冷たい彼の声が頭上から聞こえた。

「気軽に触れないでください。彼女は、僕の妻です。貴方がさっき街で見かけたという人物とは違っていたようですね。探し人が見つかりましたので、これで失礼します」

 女性に向かってアッサリと別れを告げた彼は、私の肩に腕を回してさっと女性に背を向けた。

 なんだか気になって後方をそっと窺えば、女性は目を丸くして私と彼を見比べていた。そして私と目があった途端、噴き出した。

「その子が妻って嘘でしょ?! 全く釣り合っていないじゃない。あり得ないわ」

 心からそう思っていることが分かるその様子に、私の何かがポッキリ折れた。

「ハハッ、私ってどこに行っても子供に見られて、テオ様も一緒にいると恥ずかしいですよね」

 へらりと笑いながら彼を見上げたら、テオ様の真剣な瞳とぶつかった。

「僕はフィーアといて恥ずかしいなんて一度も思ったことはないよ。でも、君にそう感じさせたことがあったのなら謝る」
「そんなこと一度もありません。でも、今日テオ様と離れている間、私は子供にしか見てもらえなくて、なんだか心が重たいのです・・・」
「そうか、それは辛くて悔しかったね」

 そう言ったテオ様の方が悲しそうな顔をしている。

 私は彼にこんな顔をさせたくない。

 心の中で気合いを入れ直すと、私はしっかりとその薄青の瞳を見つめて笑顔を作った。

「だけど、テオ様が私といて恥ずかしくないと思ってくれているのなら、私はもう気にしないことにします」
「うん、僕は恥ずかしいどころか、君が妻だと自慢したいと思っているから気にしなくていいよ」

 テオ様が優しい笑顔になって、ふわりと私を抱き上げた。
 それから女性の方へ振り返る。同時に彼の雰囲気がガラッと変わった。

 凄みのある笑顔といえばいいのだろうか、綺麗な笑みを浮かべているはずなのに寒気がする。抱き上げられたままで直ぐ近くで見ている分、なんだか怖い。私はこの彼からどんな言葉が出てくるのかと彼の口元を見つめた。

「貴方から見て僕達が釣り合っているかどうかなんて関係ない。誰がなんと言おうと僕の妻は彼女しかいないんだ。貴方のような心無いことを言う人は、二度と妻の前に現れないでもらいたい」

 ・・・夏前だと言うのに氷吹雪のようなこの声。もしかして、これは、とんでもなく怒ってる?

 言われた彼女の顔はみるみる青くなって、私をキッと睨むとスカートの裾を翻して足早に去って行った。

 私は詰めていた息をそっと吐いて彼女の背を見送った。
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