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うら若き有閑貴族夫人になったからには、安穏なだらだらニート生活をしたい。【1】

グレイ・ダージリン(28)

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 次の日の午後――城に戻った僕達は早速報告をしていた。人払いされた厨房、ジャルダン様とサイモン様立ち合いの下で馬ノ庄の氷室から貰って来たビートを使って実際に砂糖を作って見せるサリーナ。
 ビートを漬け込んだ液がとろみを増して行き、やがて砂糖の塊が出来上が
る。
 厨房いっぱいに広がった甘ったるい香りにジャルダン様とサイモン様は砂糖が出来たのだと理解したのだろう。
 本当にビートから砂糖が出来るとは、と驚いている。
 煮詰まった後に残った砂糖の塊を口に入れたお二人は、甘さを堪能するように目を閉じた。

 「うむ……確かに砂糖だ」

 「甘い」

 僕も昨日実際に口にした時は目玉が飛び出るかと思う程の衝撃だった。そう言うと、マリーは大げさね、と笑う。

 「これがあれば銀の心配は無くなるわ」

 そう言ったマリーを見つめて。じわじわと現実のものとして呑み込めてきたのだろう、笑みを浮かべるサイモン様。余程嬉しかったのか、手を伸ばして「でかした」とマリーの頭を撫でている。
 僕としてもこの砂糖が生み出す莫大な利益に、未来への期待が否が応でも膨らんでいた。

 「そこで相談があるんだけど……ビートって、高地とか涼しい気候でよく育つのよね? 今の所、ヘルヴェティアやうちの領地に工場を作って大量生産して、砂糖販売を教会の寛容派とキーマン商会にやってもらおうと思ってるわ。
 出来ればリュサイ様を助ける為にカレドニア王国を聖女の保護国家として認定して砂糖を作らせたい。でもそうするとアルビオン王国に知識を盗まれる恐れがあるのよね。どうしたら良いかしら?」

 サイモン様達は少し思案の後、カレドニア王国の内部浄化から始めて当面は砂糖販売のみさせるべきだと言われた。
 しかし大前提としてリュサイ女王や彼らの国の摂政にやる気があるかどうか。聖女の保護を受け、ヘルヴェティアのようになる覚悟があるかどうか――それを確かめない事には話が進まないだろう。

 「……そうね。先ずはそこからだわ。リュサイ様達と話をしなきゃ」

 トラス王国の傀儡国家になるのを渋っていた騎士ドナルドの顔を思い出した。果たして彼らは受け入れるのだろうか。


***


 夕日が西の空を染める夕方。
 僕が帰ってきた時には居なかったヤンとシャルマンが城へ戻って来た。

 「二人共お帰り。お疲れ様」

 ねぎらいの言葉をかけると、二人は僕の姿を認めてめいめい礼をする。

 「グレイ様こそ、お帰りなさいませ」

 「お帰りなさいませ。山は如何でしたか?」

 「ああ、二人共。綺麗な湖と草原の美しい風景を見たよ、楽しかった」

 「それは何よりでございました。何だか、甘い香りがしますが……」

 不思議そうな顔をする二人に僕はにっこりと微笑んだ。新たな砂糖の製法を発見した事はまだ機密事項だ。

 「ああ、マリーと砂糖をふんだんに使った菓子を食べたんだ。ところで例の買収の件はどうなっている?」

 「はい、今しがた交渉から帰って来たところです。最初こそは警戒されましたが、待遇を保証した上で聖女様の夫であるグレイ様の商会の傘下に入る事を伝えたところ、二つ返事で頷いてくれました。販路を広げて店を大きくする為にはその方が良いだろうと」

 任務の成功に、にこやかなシャルマン。ヤンがクスクスと笑っている。

 「実はベリエ商会の店主――アンディー・チェスターという方だったのですが、彼はあの日、新市街の広場で若奥様の起こされた奇跡を体験したとかで。それも一役買っていたみたいですよ」

 「ありがとう、思ったよりも滞りなく事が運んで良かったよ」

 これで第一歩を踏み出せた訳だ。次の一歩について考えていると、シャルマンがおずおずとこちらを窺っている。

 「あの、聖女様にお目通りしたいと言っておりまして……それも条件に入っていたのですが、大丈夫そうですか?」

 「ああ、うん。僕も同席の上で良ければ。賢者の儀式が終わった後で機会を設けよう」

 どの道買収した店主には会わねばならないだろう。信じられる人物かどうかマリーにも見て貰いたいし。

 「かしこまりました、では伝えておきます」

 シャルマンが頭を下げている傍で、ヤンがポケットから封筒を二通取り出している。
 「それは?」と訊くと、一通を僕に差し出した。

 「グレイ様、旦那様からの手紙が届いております。こちらはアルトガル様宛ですね」

 その時、扉がノックされた。カールが扉を開けに行くと、立っていたのはアルトガル。

 ……あまりにもタイミング良すぎないかな?

 「失礼致します。そろそろ手紙が届くと思いましてな」

 「……もしかして、聞いていた? 見計らったように来たけれど」

 「アルトガル殿は雪山のお仲間が街中にいますしー。最近妙な鳩も飛んでいましたからねー。何て事ないですよー?」

 にこやかに言うカール。成程、先触れがあったのだろう。
 アルトガルは驚いているヤンから手紙を受け取りながら肩を揺らした。

 「ふふふ、色々と便宜を図って頂いて感謝しております。グレイ猊下への手土産としてダージリン領に関しては現在有志で下調べをしておりますのでご安心を」

 「えっ、そうなの? ありがとう、助かるよアルトガル!」

 「我ら雪山の民の安寧は聖女様と猊下と共に……」

 アルトガルはニヤリと笑って騎士の礼を取った。カールが「僕も忘れないで下さいよー」と軽口を叩く。
 場が和んだところで、僕とアルトガルは受け取った手紙を開いた。

 『愛する息子 グレイ

 息災にしているか? アレマニア帝国の商人がこちらに接触を図って来た。
 豪商ヴァッガー家の話は聞いた事があるだろう。彼らがそれだった。
 ヴァッガー家は皇帝選挙や大司教に金を融通し、不寛容派とズブズブの仲だ。太陽神の恩赦状についても深く関わっていると聞く。
 話を聞けば、当主ではなくその息子からの使いだと言っていた。
 当主は不寛容派を守ろうとしているらしいが、息子は聖女様と現教皇にお味方したいのだと言っている。
 聖女たる三の姫の登場で不寛容派に逆風が吹いている今、こちらに鞍替えしたい。グレイに三の姫に取り成して欲しいという事だろう。
 アレマニアの商人達はそちらにも行っていると思うが、接触して好きな花を訊け。トケイソウと答えた者が息子の使いらしい。他は拘束しておいて構わんとの事だった。
 どうするかは任せる。

 名誉枢機卿の偉大なる父 ブルック』

 果たして罠か、それとも――。

 最後のふざけたような署名に呆れながらも、僕は思考を巡らせた。
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