遺書(虚構) 遠藤さくら(著作)

 お金があるのとお金がないのは、どちらが幸福ですか?
 一般的には、幸福の概念とは、お金の有り無しよりも、「心のゆとり」に目が向けられていますよね。時代の背景なんかも手伝うと思います。戦後には、お金が無いのは当然でした。しかし、人口は居ました。人々は、それぞれが努力をして、一丸になり、今よりもご近所付き合いを大切にしていました。だからといって、お金は降ってはきませんでした。金は天下の回りものなどという言葉を多用したのは、もっと後の時代だと思います。確かに、明治、大正でも、似たようなことはありましたが、金や銀に対する価値とは、現代社会ほどは、確立された価値観のようなものは存在しませんでした。だからといって、友人が居ないやご近所付き合いが活発だったので、現代ほどの孤立という部分では、「孤独死」などは、叫ばれていなかったように思います。誰かが、気付いて、救急車やお手伝いを率先して、行うのが日本の美徳と言われたのは、戦後から、昭和にかけて、そして外交を通して、世界は日本の状況に感嘆したという言葉を聴くようになりました。平成になってからは、お金が無いというよりかは、お金はあるのだけれども、物にあふれた社会にて、どのように、生きるのかが問われる時代の到来となりました。そして、現在の令和では、お金も物もある程度に満たされた国である、日本という国家においては、それでも満たされない気持ちがあふれているように思います。それは何だと思われますか?心ということになるのでしょうか……。はい。心の無さや心もとないなどの言葉を聴くようになりましたね。ですから、お金とか物ではなくて、それらに存分に満たされていても、足りないものとは、最初に戻りますが、心という名前の概念だと思えてなりません。それを、みんなで考えて、みんなで良くしてゆこうというのが、これからの時代なのだと思いました。誰でも多く持っているものが、幸福ではなくて、誰でも少なく持っているものが、不幸ではないということです。人々は、幸福とも不幸とも言えない中で苦しんでいます。それはお金でもなければ、物でもないからです。心とは、目には見えません。これを、埋めるのは、容易なことではありません。
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