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第114話 王太子の謝罪
しおりを挟む王太子妃は、容態が思わしくないため伏せっているということだ。彼女が公の場に姿を見せたのは一度きりで、とくに不可解なことでもない。
そしてエマの欠席について、こう説明した。
「聖樹エマヌエーレは、神の加護の循環期にあたり、本日は静養のため、欠席させて頂きます」
その声音は落ち着いているが、その瞳が鋭くレオナールを睨んでいることに気付いた。
(何か、あったのか?)
ルシアンは不審に思ったが、問い詰めるわけにもいかず、よそ行きの笑顔で儀礼どおりに乾杯する。
周囲と談笑を交わしながらも、先ほどのダリウの様子が頭から離れなかった。
(神の加護の循環期とは、つまり発情期のことだろう)
もしそうなら、突然の欠席も納得がいく。
発情期のオメガは、抑制剤を服用していなければ、理性を失うほどの苦痛に襲われる。アルファが近くにいれば、互いに制御を失う危険もあった。
それゆえ、王宮では発情期の聖樹を必ず隔離し、静養させているのだと推測できる。
(だが……エマは抑制剤を服用できていなかったはずだ)
抑制剤を継続して飲んでいれば、多少の発熱と倦怠感で乗り切れる。しかし普段から抑制剤を飲んでいなければ、鎮痛剤があってもほんの少し楽になる程度だ。
(王太子は、エマに目を掛けていたな)
だからダリウも、レオナールがエマに抑制剤を渡していないと、見抜いたのではないか。
その証拠に、レオナールはグラスを傾けながら、この場にいないエマを嘲った。
「帝国の賓客を送るこの時に、循環期などと……あれは己の身体ひとつ満足に制御できぬようです。王族の婚約者として、恥を知るべきでしょう」
「言葉が過ぎるぞ、レオナール」
ダリウが咎めるが、レオナールは聞こえぬふりをして薄く笑い、再びワインを口に含んだ。
ルシアンもダリウに加勢したい気持ちはあるが、ここで事を荒立てるのは得策ではない。
そう思い、怒りをこらえた。
(一刻も早く、この男からエマを救い出さなければ)
グラスを持つ指先に、力がこもる。
ワインが小さく揺れ、怒りの波紋がいつまでも広がっていた。
+ + +
晩餐会が終わり、宮廷楽師の弦が奏でる優雅な旋律とともに、夜会の幕が上がった。
ルシアンは使節団の一員として、王族や高位貴族へ挨拶を済ませる。その後は、ワイール伯爵へ接触する機会をうかがっていた。
その途中で、王太子ダリウに呼び止められる。
「デイモンド伯。少し、よいだろうか」
深紅の礼装に金糸を散らしたマントを纏い、王太子としての威厳を湛えたダリウは、この大広間の中でひときわ輝いていた。
「王太子殿下。お声がけいただき、光栄に存じます」
ルシアンが一礼すると、ダリウは周囲を一瞥し、声を落とした。
「先日のことだが……レオナールが貴殿に無礼を働いたと聞いた。兄として、あれの愚行を詫びたい」
思いもよらぬ言葉に、ルシアンはわずかに目を見開き、すぐに背筋を正す。
「殿下。そのようなお言葉を頂くには及びません。確かに不愉快ではありましたが、実害を受けたわけではございませんので」
「……そう言ってもらえると助かる」
ダリウは小さく息を吐き、微笑んだ。
「貴殿の寛容さに、感謝する」
「恐れ入ります。殿下のご厚情に、深く感謝いたします」
ルシアンは再び、頭を下げた。
ダリウは微笑んでいるが、その表情の奥には、長年の疲労と諦念が滲んでいた。
弟王子が起こす騒動の後始末を、いつも彼が背負ってきたのだろう。
(あのような愚かな者が身内にいるとは、王太子も不幸なことだ)
そんな思いを抱いていると、ダリウが探るような眼差しを向けてきた。
「デイモンド伯には、婚約者がいるそうだな」
その問いかけは、先日の王都視察でエマとデートした件を指しているようだ。
エマは表向き、王太子の公務に随行したことになっている。本物のエマが、ルシアンと一緒にいたことを知っているのは、ティエリーとルシアンの部下だけだ。
(私の連れの正体を、確かめたいのだろうな)
ダリウのこれまでの態度から、エマを不憫に思っていることは分かっている。
ルシアンは微笑み、小声で答えた。
「ええ。彼女はモンルージュ公爵家の末(すえ)の令嬢です」
「皇太子妃の縁者か」
「訳あって、公には知られていませんが……私にはもったいないほどの、女神のような御方ですので」
あの時の、春の女神のようなエマを思い出していると、ダリウは短く息をつき、グラスを揺らした。
「……貴殿がそこまで惚れ込んでいるのなら、さぞ素晴らしいご令嬢なのだろう」
ダリウが、静かな声で答える。
ルシアンをじっと見つめてくるが、それを軽やかにかわした。
この場で、ダリウに真実を話す必要はない。全てが片付くまで、エマへの思慕も隠さなければならないのだ。
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