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第115話 ワイール伯爵
しおりを挟む「王太子殿下。そろそろご挨拶すべき方々がおりますので」
「ああ、引き留めてすまない」
ルシアンは会釈し、ダリウのもとを離れた。
視界の端にレオナールの姿を捕らえたが、令嬢達の間に交じって下品な笑い声を上げていた。
(もう酔っているのか)
眉をしかめたが、無視してテーブルの間を歩き回る。
そして、任務の為に、静かにワイール伯爵へと歩み寄った。
彼は、レオナールの管轄領を預かる人物だ。そのため、この場に列席を許されているのだろう。
小太りの中年男は背丈も低く、しきりにハンカチで額の汗を拭っていた。ノワジエール侯爵や王太子への挨拶では、終始卑屈な笑みを浮かべて腰を折り曲げていたが、その目だけは油断ならない光を宿している。
一人になった瞬間を見計らい、ルシアンは軽やかに声をかけた。
「ワイール伯爵、少しお時間をよろしいでしょうか」
「おおっ、これはこれは……デイモンド伯爵!」
ワイール伯爵は驚きと喜びが入り混じった顔で、ルシアンを見上げる。
同じ伯爵位とはいえ、ルシアンは帝国の貴賓であり、皇太子の側近でもある。
そんな人物から声をかけられては、ワイール伯爵のような男が平静でいられるはずもなかった。
ルシアンに話しかけられたこと自体が、彼にとっては名誉なのだろう。
(小心で欲深い。だが、己の利に関わることには嗅覚が鋭い、か)
事前の調査書の内容を思い出しながら、ルシアンは口端を上げる。
「実は、ワイール伯爵に折り入ってご相談が」
「ほうほう。私に相談とは、どのような件でございましょう?」
「ここでは……少々、人目が多い」
ルシアンは軽くグラスを持ち上げ、何気ない仕草で周囲を見渡すと、大広間の隅へと伯爵を誘導した。
ワイール伯爵も察したように、恭しく会釈してついてくる。
二人は衝立の影に移動し、他の貴族たちから姿を隠した。
ルシアンはさりげなく部下を配置し、ノワジエール侯爵らの視線が届かぬよう注意を払う。
「ワイール伯爵。急な願いで恐縮だが、貴殿の領地にある、ロイヤルランクの鉱山を拝見させていただきたい」
「ほう? 我が領地の鉱山を、でございますか?」
「うむ。先日、皇太子殿下がオルフェン領の宝飾をお受け取りになられたのだが、それが実に見事でな。ブローチもネックレスも秀逸で、殿下もたいそうご満足だった」
ルシアンの脳裏に、あの時の光景がよみがえる。
ダリウが公務を休み、案内役をエマに任せた日のことだ。詫びの品として献上されたオルフェンの宝飾は、確かに一級品だった。
帝国の名門に生まれたルシアンの目から見ても、ピンクサファイアのネックレスは見事で、それに見惚れていたエマの横顔もよく覚えている。
(私も、エマに同じようなものを贈ろうと、あれからすぐ探し回ったな)
懐かしさを胸の奥に押し込み、ルシアンは落ち着いた声で話を続けた。
「ランダリエの宝飾が高名であることは承知していたが、帝国の名工にも劣らぬ技術には、心底感服した」
「ええ、それはもう。我が国の誇りは、原石の質だけではございません。研磨と細工の技術も、日々磨かれておりますゆえ」
ワイール伯爵は誇らしげに頷いた。
王国の主たる財源、ロイヤルランクのサファイア鉱山を預かる地位にあるだけに、宝飾技術だけは帝国にも引けを取らぬと胸を張る。
ルシアンはにこやかに微笑み、巧みに話を転じた。
「ワイール領の鉱山も、オルフェンに匹敵する名品を生むと聞く。実は殿下が、妃殿下へのご生誕祝いに、王国の宝石を用いたネックレスを贈りたいと仰せでな」
「おおっ、それはそれは! 我が領では、ロイヤルサファイアが豊富に採れますゆえ! 職人も腕利きばかり、必ずや両殿下にご満足いただける逸品をっ!」
伯爵は興奮のあまり、身を乗り出すようにしてまくし立てた。
「皇族の方々への贈り物となれば、それは特別な一点物に……。して、皇太子殿下より製作のご依頼を賜れる、ということで?」
その目には、抑えきれぬ野心と欲望が宿っていた。
帝国の皇太子からの依頼となれば、それは領主としても職人としても、何よりの名誉だ。
ルシアンは伯爵を眺めながら、微笑を浮かべる。
「妃殿下への贈り物ゆえ、慎重に進めている。依頼はまだ確定ではないが、同じ石を使い、耳飾りも一対にできればと思っている。実際に採掘された原石を見て、私が直接選びたいのだ。ワイール領の鉱山を拝見することは、可能かな?」
「むろんですとも! 我が領のサファイアと細工職人の技能は、オルフェンにも決して劣りませぬ。ぜひご覧いただきたいっ!」
鼻息荒く頷く伯爵を見て、ルシアンは満足げに目を細めた。
「快くお受けいただき、感謝する。……殿下がお気に召されれば、今後も贔屓にさせていただくことになろう。ゆえに、この件はくれぐれも内密に」
「ははっ、かしこまりました」
伯爵は興奮に満ちた顔のまま、頭を下げる。
ルシアンは軽く打ち合わせを交わしたのち、何事もなかったようにその場を離れた。
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