3×歳(アラフォー)、奔放。

まる

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本編

邂逅。

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「大佐、兵卒13名皆揃いました」

聖ウェルデント教会から少し離れた開けた場所に軍用機は整然と着陸、並列していた。
白い軍服を纏った一団はびしりと敬礼する。岩場に仁王立ちする上官へとその顔に緊張の色を走らせていた。
燃え盛るような赤毛は逆立ち、鍛え上げられた筋肉は隆起する。精悍な顔つきをより厳めしいものに感じさせるのは、じろりと睥睨する癖があるからかもしれない。
今回視察の任を受けた大佐は遥か遠く、教会に掲げられた時計をこの距離からも認めて低く呟いた。

「15時に城へ向かう。それまで一服だ」
「はっ!」

ザザと機体の方へと戻っていく兵卒たちを見遣り、中枢軍大佐・真田祐サナダ タスクは白い軍服の内ポケットを探りながら岩場を離れた。
少し潰れた煙草を咥えて顔を顰める。ライターは兵卒たちのジェット機の方に預けていたのを思い出し、そちらへと振り返った所で尚厳めしい顔は眉間にシワを刻んだ。

「誰だ?そこの神官か」
「イエ、隣の診療所のしがない医師デス」

ポイと放られる真鍮のライターを受け取り、真田は遠慮なく吸い込むと紫煙を吐き出した。肺を満たされ真田は少し口元を持ち上げてみせた。

「あんたがアルフォンス・エイントフォーフェンか。"異界の名医Mr.doc"」
「ンフフ。素敵な渾名ニックネーム、有難うデス」

思いの外力強くライターを投げ返されて、アルフォンスは苦笑しながら自分も煙草を咥えた。教会付近は禁煙を強いられているので、見物がてら出てきて早々に出会した佐官のまだ若い顔をしげしげと見遣った。

「サナダサン、遠路遥々献花の見物デスカ。ご苦労サマデス」
「俺を知ってるのか」
「中枢の軍人サンは皆、有名デス」
「そうか。あんたも大概有名人だけどな、ついでに捕獲して帰れと陛下に言われてる。荷をまとめておけよ」
「オヤ、まだ諦めてないデスカ」
「ここで腐ってるより余程有意義だろうに。中枢の研究職より若い花に囲まれてる方が良いのか」
「ンフフ。都会暮らしも良いデスネ。頃合いを見て徴集にも応えるつもりだったデスヨ」
「そうしろ。陛下をいつまでもお待たせするな」

派手な柄のシャツを目の端に収めながら真田は長閑な空へと向かって煙を吐き出した。薄く雲のかかる陽は穏やかな陽気をもたらしていた。
携帯灰皿を差し出され灰を落とし込むと、猫背な高い背を鋭い双眸は窺うように見据えた。

「あんたも知ってるんだろ、献花」
「フム。女王サマへの献花デスネ。ついでに教会のお花サンたちの晴れ舞台デス」
「フン、体の良い人身売買だろ。あの白狸もついに耄碌したか」
「やはりギュスサンの取締りデスカ。少し欲を出し過ぎてしまったデスカネ」
「大枚叩いて買う馬鹿も馬鹿だが、調子に乗り過ぎたな。まあ、それもついでだ」
「フム、という事は」
「女王の方だよ。あんたはどこまで知ってるんだ」

携帯灰皿に短くなった煙草を押し付けもう一本取り出しながら、真田は目を瞬かせるアルフォンスを胡乱げに見遣った。
垂れ目がちな人の良さそうな医師の眉が俄かに持ち上がる。真田は肩を竦めて乱雑に派手なシャツの胸ポケットから真鍮のライターを奪い火をつけた。

「まあ良い、こっちの仕事だ。あんたは祭典が終わったら大人しく連行されてろ」
「ンン、考えておくデス」
「逃さんぞ。そんな骨だらけの貧弱な体で抵抗されても秒で済む。怪我したくないだろ」
「ヒィ…痛いのはイヤデス」

フルフルと震えて身を抱えたアルフォンスに唇の端を持ち上げてみせると、緩やかな風に額当てから長く伸びた赤い布が流れた。
紫煙を燻らせる間も腰元の帯剣へと触れる屈強そうな手に隙の一分も見られなかった。

「観念するデス。ただ、ひとつお願いがあるデス」
「何だ、女か」
「ンフフ。面倒を見てる愛娘が居るデス。ご一緒出来るデスカネ」
「娘?居たのか」
「娘みたいなモノデス。溺愛してるデス、離れられないデス」
「ほう。あんたが来るなら陛下もお許しになるだろ、仕事は出来るのか?」
「要領の良い子デス、ある意味熟練の」

含み笑いを漏らすアルフォンスを真田は怪訝と見遣った。第一印象から胡散臭いので今更不審がるのも無意味か、とまだ吸いかけの煙草を医師の手元へと押し付けた。

「時間だ。祭典は明後日だったな」
「エエ。物騒な事にならぬよう願ってるデス」
「どうかな。警戒もするだろうが馬鹿の集いらしく尻尾を出してもらいたい所だ」

じゃあな、と足早に去っていく真田を見送ってアルフォンスは静かに携帯灰皿を閉じた。
中枢、と小さな呟きが漏れる。
流れ着いたこの西の地でギュスに目をかけられ診療所を構えさせてもらっていたが、どの地に居ても届く徴集の知らせにそろそろ大人しく従わなければならないと思っていた矢先の事だった。探し物も無事に見つかっていた。

「魔境へ、行くデスカ」

ポリポリと赤銅色の頭をかいて踵を返す。突然の出立を告げるとあの愛娘がどんな反応をするのか、容易く想像もついて苦笑が漏れた。
五月晴れの木漏れ日の中を行くと湿り気を帯びた風が吹き抜ける。
一雨くるかなと、それでものんびりと歩きながら細長い脚は診療所へと向けられていた。


***


聖ウェルデント教会に在籍する若いシスターは現18名。下は15歳上は28歳、様々な事情を抱え濃紺色の修道服に身を包んでいる。
飛ばされて拾われた身は果たしてその中で良い方なのか悪い方なのか。

雪妃はじょうろを手に薔薇園の側の軒下でシトシトと降り出した雨空を見上げていた。
水やりの手間が省けたと思う反面で、雑草抜きをどうしようかと逡巡していた。これくらいの降り方ならパパッと済ませてしまうべきなのか、雨具を取りに行くべきなのか。共用の雨具は布製な上綻びも中々凄まじいので気休めにもならなかった。

(飛行機が飛ぶくらいなんだから、撥水の合羽も傘もあるんじゃないの…?)

漠然と思いながら嘆息が漏れる。
わざわざ不便を強いてそれを喜び受け入れてお務めと称するような辺りは何とも腑に落ちないものがあった。
司教は高そうな身なりをしているし、参拝者も多いのでそれなりに蓄えはあるはずだと見えた。贅沢は言えた身ではないが、何でも慎ましく、で済まされてしまうのは歯痒いものがあった。

「はあ、金持ちのイケメンでも降ってこないかなあ」

空っぽのじょうろを胸に呟く声へ空は驟雨ばかりを注いでくれた。
濡れても入浴時間までシャワーすら浴びられない。薄地が脚に張り付く長い裾を払って、雪妃は濡れそぼつ薔薇の蕾をぼんやりと眺めた。

「降ってきちゃいましたね」
「ヒッ」

いつの間に居たのか、隣から声があって雪妃は思わずじょうろを落とした。
カランと小気味好い音を立てて転がるトタンの取手を長い腕が拾い上げた。

「すみません、驚かせてしまいましたかね」
「いえ…びっくりした」
「ぼんやりとしてましたもんね。水やりですか」
「そうなんだけど、手間が省けて」

一人分の隙間を開けて壁に寄りかかる男へと笑みを向け、雪妃はうおと思わず後ずさった。
様々な髪色の人が居る世界だなとは思っていたが、佇む姿からは空色の長い髪が腰元まで流れていた。にこりと穏やかに微笑んだ、整った顔にある双眸も澄んだ空の色をしている。艶っぽさも垣間見えるまさに色男だった。

(吾朗、涼、左衛門を凌ぐだなんて、こんなのがこんな所に…)

異世界恐るべし、と口元を思わず拭う雪妃に首を傾げて、空色の男は微笑みを湛えた。

「お嬢さんはこちらのシスターですか」
「そ、そうです一応。参拝者の方かな、もうすぐ閉まる時間だけど」
「そうですか。ただふらっと寄っただけなので大丈夫ですよ」

ゴロゴロと鳴り出す雷を見上げる横顔も美しかった。
襟のないシャツから爪先の革靴まで白く、ふとダリアの言っていた例の白い軍人なのかなと思ったが、細身で気品すら漂う穏やかな雰囲気はどちらかというと貴族の青年らしく見えた。
貴族のイケメンのお坊ちゃん。
しかしいざ目の前にするとその眩しさに立眩みを覚えてしまいそうだった。

「すぐ止みますかね、雨宿りご一緒してても良いですか」
「ど、どうぞ。貸し出せる傘もなくって」
「ありがとう。それは良いんです、綺麗なお花も眺められますしね」

薔薇園へと注がれる視線に、雪妃も少し緊張しながらそちらを向いた。
地を叩く雨の音は激しさを増して、あのまま雑草抜きに飛び出してなくて良かったと胸を撫で下ろした。

「すみません、かけてやれる上着を置いてきちゃってて」
「え?」
「少し冷えますかね、私は暑がりなので平気なんですが」
「大丈夫、です。ありがとう」

紳士が居る。雪妃は気恥ずかしくも答えながら曖昧に笑んだ。
若いイケメンにときめいてしまっている自分が急に痛ましく思えて、玉の輿への野望も少し考え直すべきなのかと自嘲した。金持ちのイケメン貴族でも、やはり年配の方が良い。一回りも二回りも離れていそうな若造に入れ込んでは、アルフォンスにも爆笑されてしまう。きっとそうだ。
腹を抱え涙を滲ませ笑う姿が思い浮かび、雪妃は口元を引きつらせながら拳を握りしめた。彼に恨みはないがあのニヤけた顔を殴ってやりたくなった。

「お嬢さん、戻らなくても平気ですか」
「え?う、うん。止んだら草毟りしないとだから」
「そうですか。では私も少し手伝って帰ります」
「それは叱られちゃうので、ありがとう。お気持ちだけ」

(ええ子や…)

雪妃は美貌の優しさをじんわりと身に浸らせながら笑顔で掌を振ってみせた。
穏やかな好青年の持つ空気はとても心地が良い。そこに存在するだけでこんなにも充足感を与えてくれるとは、やはりイケメンとは良いものである。

「そう言わず。折角お会いできたんです、もう少し一緒に居させてくださいよ」

にこりと向けてくる顔に、雪妃は笑みを貼り付けたままで首を傾げた。美貌の吐き出す優しい言葉は随分となけなしの乙女心を揺さぶってくれる。
ここには若く清らかなシスター目当てで来る邪な参拝者も少なくはなかった。
雪妃もこの半年で何人かに声をかけられたが、大体が裕福そうな恰幅の良い壮年男性だった。
面倒そうなのはよく分からないフリをして笑って流すのが一番だとジェラにも渋い顔で言われていた。

「奉仕の精神に溢れてらっしゃるんですね、でもその綺麗なお召し物が汚れてしまいますよ」
「そうでもないんです。お嬢さんのお手が汚れる方が困ります」
「わたしは汚れたら洗えばいいし。お気になさらず」
「ふふ。それは頼もしいですね。では共に汚れて洗い流しましょう」

通り雨はぴたりと止んで雲間に茜色が覗いていた。
流石自分の意は通す、それが恵まれた容姿からなのか貴族の身故からなのかは分からないが、気遣いは無用そうだ。雪妃は勝手にしやがれとにこりと微笑んだ。

「じゃあ、気が済むまでお願いします」
「ええ。ところで雑草ってどれを抜くんです?」
「雑草です。薔薇じゃないやつ」
こまいのを抜くんですね。お任せください」

じょうろを下に置いて腕まくりをする男を背に雪妃は薔薇園へと入った。
どうせ土いじりなんて無縁なやんごとなき御身である。虫の一匹でも湧いたら帰ってくれるかなと小さく息を吐いた。
濡れた地から雑草を引き抜き、薔薇の甘い香りに酔いしれる。すでに蕾も綻び始めた真紅は目にも鮮やかでうっとりとする程だった。
広くはないベランダで細々と育てていた鉢植えたちはきっと今頃枯れてしまっているのだろうと思い出し、顔も陰った。誰も水やりなんてしないし、存在すら知らないかもしれない。別に知らなくても良いのだけれど。

「お嬢さん、見て見て」
「うん?」

嬉々とした色男の声に雪妃は怪訝と振り返った。
鈍い色を持った濡れた小さな塊を摘んで掲げて見せる姿に、沈みかけていた顔にも思わず笑みが溢れた。

「蛙だね」
「蛙です。こんな所に居るんですね」
「あっちの川辺から来たのかな?虫食べてくれるし良い子なんだよね」
「へえ。良い仕事をしてくれるんですね」

無邪気にも笑って蛙を逃し、雑草抜きではなく生き物探しに精を出し始めた男に苦笑が漏れた。二十歳前後くらいだろうか、何とも可愛らしいものだった。

「あなたのお屋敷付近だとあんまり見ないの?」
「そうですね、蝶くらいなら飛んでるのをたまに見ますけど。自然もここまでないので、虫なんてほぼ見ないですよ」
「へええ。都会の方なのかな」
「中枢です。いてもすぐ駆除されてるのかな」
「噂の中枢かあ。ねね、洗濯機とか掃除機とかあるよね?」
「ええ、ありますよ。こちらは色々と不便そうですね」
「やっぱりあるんだ。そう、不便で」
「エコで良いとは思いますけどね。便利なのに慣れちゃうととても戻れません」
「そうだよねえ。良いなあ、都会暮らしかあ」

実家は田舎の山の中だったが、結婚して都会へと移りその利便性に当初は感動したものだった。
その田舎よりも更に緑溢れた文明の利器もない土地へと投げ出された。
そういう世界なのだと甘んじていたが、そうではないと知っては憧れも出てしまう。
雑草を抜き泥に汚れた雪妃の手元を眺めた男は、薔薇の蕾に触れながら徐に微笑んだ。

「行きますか、都会へ」
「へ?」
「どう口説き落とし連れて行こうかと悩んでたんです。丁度良かったですね」

知らずがくりと泥へ手をつきながら雪妃は唖然と男を見上げた。何の迷いもない整った顔を夕焼けが染め上げる。

「い、いやね。唐突ですね」
「唐突ですかね。雨宿りしながらずっと考えてたんですけど」
「ええ…?」

坊ちゃんの戯れか何なのか。
困ったように微笑んだ男に幾度か目を瞬かせた後に、雪妃はあからさまな渋面を作った。

「都会は良いなと思うけど、随分と軽く言ってくれるね」
「お嬢さんは都会に行きたい、私は連れて帰りたい。どうです?良い話ですよ」
「いやいや。連れて帰ってどうするの?侍女にでもする?」
「え?いえ、私はそういう身分ではないですよ。お嬢さんに侍ってもらうのも良いんですが」
「ん?貴族のお坊ちゃんじゃないの?」
「ふふ。まさか、私はどちらかというと従う方の立場なんです」
「そうなんだ、てっきりそうなのかと。でも名前も知らない初対面の人とはちょっと…」
「それもそうですよね。私は守ノ内勝永モリノウチ カツナガと申します」
「あ、はい。雪妃です」

では何者なのだろう、ありふれた一般人にしては眩しさが違う。観光に来ている貴族の坊ちゃんの従僕なのだろうか。
どちらにせよそろそろ泥から離れてもらわないといけない。
不思議と白一色の衣服に泥跳ねは作っていないが、革靴は流石に汚れてしまっていた。モナに見つかってはまたお小言コースである。

「それよりそろそろ洗いに行こう。教会も閉まっちゃうし」
「おや、もうそんな時間ですか」
「こっちへ。コソコソ来てね」

辺りを見渡し手招きする雪妃に守ノ内は微笑んで従った。
空を滲ませる茜色は闇の色に変わり始めていた。薄く三日月も光を溢し始めている。
井戸の綱へと手を伸ばす雪妃の上方を掴み引き上げて、守ノ内は盥へと冷えた水を返した。

「少し濡らしても大丈夫かな、落ちるといいんだけど」

礼を言って白い靴へと水を掬いかける。
防水加工もしてあるのか弾いていく水滴を濃紺色の裾で拭うと、それを目を丸くして眺めた守ノ内は苦笑を浮かべた。

「ありがとうお嬢さん、でも汚れてしまいますよ」
「こちらこそお手伝いありがとね。もう汚れてるし気にしないで」

泥汚れは落とせて満足げに微笑むと、雪妃は鳴り出す鐘の音にヤバイと顔を上げた。夕食前の祈りの時間、今日は司教の有難いお話があるとの事だった。高い所からありがた~いお話をされているのを眺めるくらいしか接点もない雲の上の存在である。遅れては大変だ。

「行かないと。これ、その辺に投げといていいから。モリ…モリさん、お気をつけて」
「勝永です、お嬢さん。また」

ハンカチを押し付けて雪妃は慌ただしく教会の入り口の方へと駆け出した。
微笑み見送る守ノ内は、ハンカチを口に咥えて手を洗い流し盥を丁寧に重ねると、三日月を見上げながら悠然と教会を後にした。綺麗な星空に長い空色の髪がさらさらと流れていた。






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