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本編
新月5。
しおりを挟む「うわあん、何か来ちゃったあ」
各地の偵察を任されていた望月は、半泣き状態で身を躱していた。元々戦闘はそう得意な方ではないのだ。
「しかも何か、いかにも強そうだしい。どうしようう」
「カッカ。つれないのう若造、少しは遊んでいかんか」
「ヤダヤダ!他に行ってええ」
長く伸びてくるのは大蛇だった。
鋭い牙にはきっと毒でもあるのだろう。望月は緩んだ体を必死に捻り、宙を駆け巡った。
「可愛いボクらは無力なの!戦いたいならゼヒ、強い人たちの方にいい」
「無力か、そういうのを潰して回るのが楽しみでな。まあ付き合え」
「極悪人!人でなしいい」
散開し走っていた双子と合流する。
このまま後藤の辺りまで誘導するか、それとも真田の所か。どうせ叱られるならルーリーが一番なのか。
普段使わない頭をフル回転させ、望月は不安そうな双子に情けない顔を向ける。
「どおしよっかあ、戦いたくないよねえ?」
「大将は朱雀で確定でしたよね、中将か大佐の元までこのまま」
「後藤さんは事務員の所でしょ?危険だよ」
「ううう~っ、かわいこちゃんたちに悪いよねえ。じゃあじゃあ、やっぱり祐!決まり!」
ぴょんと跳ねて毒々しくも開かれた大蛇の口腔を避ける。甲羅を背負っていても、恐ろしく俊敏な亀の獣人のようだった。
「追いかけっこか。悪くはない」
「ひん、水鉄砲?ぺっぺしないでえ」
圧縮された弾丸のように、頬をかすめ水滴が飛ぶ。カラカラと笑う声は明らかに楽しんでいるようだった。
「大佐、前線を離れてるようですよ」
「ええーっ?何でえ?あの生真面目太郎が?」
「大将の補佐じゃない?ほら、何だかんだ心配性な方だし」
「ボクには戻れ戻れ煩かったのにい。もお、じゃあどこに居るの?」
「移動中みたいです。このまま北上しましょう」
「おけおけ!捕まったらナニされるか分からないからねっ、全力で逃げるんだよ!」
再び散開し北上する。
ふむ、と唸った玄武は、波乗りでもするかのように滑らかな動きでそのまま追った。
「双子か、愛らしいのう」
「こらーっ!ダメだよ、優しくしてええ」
「カッカ。片っ端から喰らってやりたいわ」
眼下には若く瑞々しい白服の若者たちが犇めいている。
砦に居る間は禁じられていたが、今は自由だ。柔らかな食感を想像し、玄武の頬も緩みきっていた。
「全て喰らい、シメに聖女殿か。胸が躍るのう」
真っ直ぐ中枢の君主ではつまらないので、ひとりでも多くの白服をと紫庵には言われていた。それに見合った褒美があるのだ。
「逃げるを追うは本能が擽られるが、すばしっこいしのう。地を這う者を先に済ませるか」
獣の群れを塞き止める、最初に通りすがった白服たちを思い出す。玄武はニカリと笑って速度を増した。
「あれ、ちょっと逸れてない?」
「諦めて他に行くのかな、前線の方?」
「ううーっ、イチャコラしてないで早く戻ってよ祐のやつう!」
走りながらもリクマンが器用に端末へと指を滑らせる。
木の上で一旦止まり、望月は青空を流れていく玄武をはあと溜息混じりに眺めた。
「あんなのがあと三人も居るんだよねえ、和解にしときたあい」
戦わずともその力量は見て取れた。とても自分では敵わない。
「各個撃破もシンドくないのかなあ?」
「僕らでは、束になっても敵わなそうですけど」
「そうそう!勝永とかさあ、ガルガルの元帥様とかね。あっちに任せるのが一番だよお」
「中佐、来てるのかな。大陸に居ても刀も持たず斬りもせずなんでしょ?」
「うむう、いざとなったら何でも斬るよ。多分ね、きっと。勝永だし」
そうでなければ分が悪い。
大陸側についているだなんて噂を信じたくはなかった。
「陛下へのチューギよりもユキヒちゃんだもんなあ。マズいよねえ」
「勝ち目もなくなるよね。まあ、僕らも拾ってくれたもっちへの恩の方が強いから。どこへもついていくよ」
「うん。もっちに従います」
「えへへ、そう?そうしてくれるう?」
むぎゅと双子を抱きしめて、しかし望月は特に後先の事は考えてはいなかった。今この瞬間、不便でなければそれで良い。楽観的にもそう思い、さてさてと携帯端末を覗き込んだ。
「取り敢えずさ、危なくないように見て回っとこう。その時はその時だあ」
双子の髪を撫でて再び飛んだ。
何故中枢軍に居るのかと聞かれても、高待遇だからという答えしか持っていなかった。
厳めしい上官は厳しい。そこから逃れるように持ち前の偵察能力を生かし、特別任務として各地を巡る。
どこでもチヤホヤしてもらえるし、女の子にも不自由しない。君主も美人だ。最高の職場だった。
「偵察ついでに勝永も見つけておこうね。助けてもらえるように」
ぶつかり合う地上では、数は多くとも獣には引けを取らない白服たちがよく押さえ込んでいた。
あの中のひとりではなくて良かった、とつくづく思いつつ、望月は双子を連れて城郭の上をひた走った。
***
「おおい、後藤殿」
軍施設方面、現れた白い獣人に一同は呆気に取られていた。
気さくにも手を振る人型の彼は、屈託なくも笑んで間合いの外で四つ足をついた。
「また会えましたな、お元気そうだ」
「カハハ。敵陣にひとり堂々とよく来た、変わり者よ」
構える部下たちを制し、後藤は高らかに笑った。
先日、西の砦で対峙した時と変わらず、白虎はあまり敵意もなく朗らかだった。
「貴殿、守ノ内殿を存じませぬか」
「勝永のボウズ?まだ見かけてはおらんが」
「左様か。どこに居るのかな」
「おぬしの狙いは勝永か」
「うむ。討ち取り、聖女殿をもらう。こちらの君主はその後にしようと思ってな」
「ふむ。そいつはまた、無謀な真似を」
「無謀か?確かに守ノ内殿は骨がありそうだが、無理ではなかろう」
「どうだかな。ここで待っても恐らくは来やしないが」
「後藤殿と話し待つのはいけませぬか?」
「そりゃあ悪くはないが、うちのがソワソワしていけねえな。不慣れなのも後ろに控えてるんだ」
「おお、数多の女子たちですな。喰いたいが、聖女殿に叱られたくない」
「カハハ。そうしてやってくれ」
この距離なら事務員の遠隔部隊も届かないだろうか。後方まで待ちの指令が届いた事を確認して、後藤はやれやれと息を吐いた。
「うっかり発砲しても許してくれや。皆緊張してるんだ」
「左様か。当たりはせんし構わぬよ。無闇な争いはいかんとな」
「ほう、雪妃の嬢ちゃんか?」
「うむ。紫庵様の教えとは違うが、さもありなん。人間は儚い故、軽く摘み取るは哀れであろう」
顎髭を撫でて後藤は白虎のにこやかな顔を見据えた。
本能のみでなく、理性もある。余程思慮深いと意外にも思った。
「偽りないならこちらも安心だな。皆そうであると有難いんだがなあ」
「うむ。しかし他は存ぜぬ、各々考えがありますからな」
「そうか。考えがある、か」
「紫庵様より賜った知識を踏まえ、我らも考える。強きが弱きを守るは道理と知った」
気楽にも毛繕いを始める白虎に皆、拍子抜けしてしまう。
しかし油断してはならないのだと、気を抜かない後藤の不動の圧迫感から感じる。いつ気を変えて襲いかかってくるか分からなかった。
「同時に弱肉強食の道理もな。抗わず降るのが吉と見るが」
「そうもいかなくてな。そう簡単にもいかない事情もある」
「左様か。難儀な世界よ」
ふと顔を上げる白虎の笑みが深まった。
何を捉えたのか、訊ねるまでもなく白い獣人は嬉々として身を低くした。
「あちらは天守といったか」
「そうだが、天守へ行くというなら止めねばならん」
「ほう。君主が座すからか?手はまだ出さぬぞ」
「それでもだ。天守へは獣一匹通す訳にはいかんからな」
「左様か。では如何致す」
びりと震える空気に、触発されたように弾丸が白虎の頭上を掠め飛ぶ。
ニカリと笑った白虎は、四つ足をついたままで首を傾げてみせた。
「引き止められては、お相手致す他ありませんかな」
「話の出来る奴とは争いたくねえんだがなあ」
「同意。後藤殿は良い気質をされておる。長生きされよ」
白虎はひと声、甲高くも鳴いた。
のそりと集まり始める獰猛そうな獣たち。やるしかねえな、と後藤は逞しい腕を空に掲げた。
「陛下の元へは何人たりとも通すな」
怒号に近い声量は、びくりと一同の身を震わせる。
抜刀し身構える白服たちを眺め見て、白虎は満面の笑みを浮かべていた。
「良い緊迫感よ。少し暴れるだけだ、喰らうなよ」
それを合図に獣たちは地を蹴った。
鋭い牙を覗かせる口元から低く唸り声を上げて、肉を裂く爪で飛びかかる。
鉛玉を身に受けても怯まず襲いかかる群れを、後方の事務員部隊は蒼然として見た。
「下がって、危険だよ」
前に出る事務員を制するが、同様に怯まず飛んだパールグレーの髪が冷えた風に揺れていた。
「ハナミル、一匹ずつよ。挟もう」
シロツメもぎゅっと震える柄を握る。
華麗にも宙を舞うたおやかな姿が、にこりとして頷いた。
涎を撒き散らし向かってくる一匹を飛び越え、投擲した刃はしかし硬い毛並みに弾かれる。続け様に投げつけ、ちらと向いた暗くもつぶらな瞳にぞわりと背も震えた。
(硬いのかしら、藁のようにはいかないわよね)
ダンと飛んだ獣の爪を咄嗟に刀で受ける。その勢いにきゃあと悲鳴をあげて、大きくシロツメはよろめいた。
「大丈夫?そのまま持ってて」
のしかかる獣の背へと、上から体重を乗せ突き刺した。ぱきりと折れる短い刀身に、愕然としてハナミルは飛び退った。
横から白服の脚が獣を蹴り上げる。
ホッとしつつ身を起こしたシロツメは、唇を噛みしめ刀を拾い上げた。
「訓練のようにはいかないから。勝手に動くな」
「で、でも」
「まだ戦えるならこっちに来て。足が竦むなら下がってろ」
言い切る白服の厳しい表情を見上げ、助け起こしてくれるハナミルとシロツメは顔を合わせた。
「やっぱり実戦だときついわね。足手纏いになるかな」
「大丈夫よ、やれるわ」
「無茶しないでよ、安全第一」
「平気よ。ピンチになったら絶対、カッちゃんが助けに来てくれるもん」
勝気な菫色の双眸は疑う事を知らない。
ハナミルは苦笑して、腰元から新たな短刀を抜き取った。
「やるなら俺たちから離れないで。狙うのは眉間。他は弾かれるから」
「は、はい」
「良い刀みたいだけど、扱えないなら君も投擲にして。却って危険だ」
「嫌です。あたしはこれで良いの」
差し出される短刀には目もくれず、シロツメはぎゅっと柄を握る。筋は悪くないと、漣にも言われたのだ。
可憐であるのに頑なそうな雰囲気に一喝しようとして、しかし白服の若者はその手の短刀を投げつけた。
獣の眉間に狂いなく突き刺さる。
キャンと鳴いた獣のその後ろからも、まだ群れは飛びかかってくるのだ。
「場を乱すなら要らない、遊びじゃないんだぞ」
「当たり前でしょ、真剣よ」
もがき倒れ込んだ獣の腹へとシロツメは大きく振りかぶった。
ごめんなさい、と白服へと代わりに謝罪して、ハナミルは思わず目を逸らす。鈍い音が聞こえた。
「おい、豆腐を切ってるんじゃないんだぞ」
ぷつ、と重油のような黒い体液が溢れる。しかしそれ以上は斬り込めず、シロツメは獣と目が合い固まった。
ハナミルも見かねてその眉間へと短刀を振り落とした。断末魔の声は不快にも耳朶を震わせた。
へたりとその場に腰を落とし、シロツメは呆然と視線を彷徨わせる。齧り付こうとでもしていたのか、その鋭い牙は細い足首辺りでぱたりと動きを止めた。
「頼もしいのは分かったよ。君はこっち側で構えてて」
側で白服が地に新たに落とした獣の眉間へと更に突き刺す。ハナミルは体液を払い、頷きつつ後に従った。
獣の咆哮と白服たちの叫び声が遠く響くようだった。
新品同様の刀身に薄らと体液がこびりついていた。綺麗だったのに勿体ないな、とシロツメはぼんやりとそれを見下ろす。
「カッちゃん、早くあたしの所に戻ってよ」
ぽつりと呟いた声は虚しく消えた。
きっとすぐ近くまで来ているのだ。先日まで側で見上げていた焦がれ慕う男の微笑みを想い、シロツメは滲む目元を掌で覆った。
***
呼ぶ声がする、と進路を変えられ降り立ったのは焦げた大地だった。
唯一残っていた翼の姿へと駆け寄る雪妃を守ノ内は引き止める。中途半端な再生をしている朱雀だった。
「あれでは、大分吸われてしまいますよ」
「そうかもだけど、放っておけないでしょ」
のろのろと伸びてくる繊維を雪妃は躊躇いなく掴んだ。それが腕に巻きつくと急激に疲労感に襲われる。
徐に引きちぎらんばかりに毟り取る守ノ内に、朱雀の笑ったような声がした。
「ご慈悲に感謝を、聖女殿」
しゅるしゅると形成される涼しげな頭部。暗い瞳が瞬いて、守ノ内は怪訝と眉根を寄せた。
「やられたのなら、大人しく散っててくださいよ。お嬢さんに負担をかけないで」
「申し訳ない。連れの雄は中々良い腕をしていた」
ばさりと翼が広がった。
立ち眩み額に手を当てつつ無事を確認すると、雪妃は天守を高く仰ぎ見る。紫庵はもう居るのだろうか。中枢の象徴は静かだった。
「迫力美女大将さまにはふられちゃったの?もう諦めよ」
「いや、ルーリー・キューネルは手に入れる」
「確かにお美しいけどさあ。スザクちゃん、満身創痍じゃあるまいか」
「全て焼き尽くしてからで良い。絶望する顔が見たくなった」
「ははあ、またよろしくない事を言って」
疲労には糖分が一番だと信じている。雪妃は飴玉をひとつ口に押し込んで、やれやれと肩を竦めた。
「そんじゃ、大丈夫そうだし紫庵さまの所行ってくるよ。もうあんまり燃やさないでよ」
「ふむ。それは命か、聖女殿」
「命令じゃないよ、お願いですとも」
「そうか。聞けぬ願いだが、覚えおく」
頭を下げる朱雀の頭を渋い顔で撫でた。
始まってしまったのだ。一刻でも早く紫庵を押さえられれば、被害を減らす事は出来るのだろうか。
焦げた跡が何なのか雪妃に分かるはずもなく、守ノ内は眉を寄せたままで静かに黙祷した。
「行こう、天守なんだよね?」
「ええ。でも、構いたくないんですが、先に行くべきなのか」
「ん?どこに?」
「面倒ですね、さっと斬ってすっきりしておきますか」
ずっと感じる、こちらに向いた殺気の塊を守ノ内は辟易と苦笑で濁した。きっと止められるだろうし、それでも離れてはおけない。どう処理したものかと少し、逡巡する。
「斬るのは簡単なんですが。お嬢さん、怒りますかね」
「え、何を斬るのよ」
「人のものに勝手をする、不躾な輩です」
にこりと返しつつ雪妃を抱えた。
穏やかな笑みを湛える男の結論は、止められる前に斬り捨ててしまおう、というものだった。
「取り敢えず、先にそちらを済ませましょう。お嬢さんはお気になさらず」
「ちゃんと話してからにしんしゃいよ。お気になさるですわよ」
「ふふ。着いたら分かりますよ」
トンと櫓の上に跳び、長い脚は軍施設の方面へと向かった。
暗色のコートが翻る。
澄み渡る青空の下、空色の髪が流れた。
煙を上げる獣も、地に伏せる白服も沢山下に見えた。乱戦だった。
「終えたら天守です。あまり気負わず」
どちらの身も案ずる事しかできない。雪妃は小さく頷いて、砂煙舞う眼下を眺めていた。
応援ありがとうございます!
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