【R18】普通じゃないぜ!

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43 上司の怒りと私の落胆

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 人は予想外の事を言われたり突き付けられたりすると、固まってしまうものだ──という事を今、身をもって知った。言葉を失うどころか色々考えていた事が頭の中から飛んでしまって、真っ白になってしまう。

 目の前に広がる風景に色がなくなる。私は白黒の世界に佇んでいる。それが数秒なのか数分なのか理解出来ないぐらい。そんな状態の私だが、池谷課長にはそうは映らなかった様だ。

 池谷課長は机の上に置いた資料の端をつまみ、片方の手は頬杖をついた。鋭い瞳で資料をじっと眺めている。

「直原の企画なら一番に実現出来るだろう。地に足のついた将来的にも多方面に転換を考えやすい」
「……」
「それだけ完成度の高い企画を仕上げたのだから、直原が自分で発表したいと思うのは当然だろう」

 池谷課長の言葉は、私が『佐藤くんの代わりにプレゼンをしたい』という言葉を肯定したと考えている言葉だった。

 ── ナニヲイッテイルノ ──

 上手く動作しない私の頭。

 その頭の中にポツリと言葉が浮かんだので、ようやく私は開いた口を閉じる事が出来た。知らない国の言葉を聞いたみたいで、直ぐに内容が頭に入ってこなかったのだ。

 目の前に広がる風景に、徐々に色がつき始める。池谷課長が元の色に戻った時、私の思考も動き始める。ゴクリと唾を飲み込んで、膝の上に置いた手を握りしめる。

(何を言っているの? 池谷課長は)

 動き始めた頭で、改めて池谷課長の話を聞く。

 私の提案する企画の出来が良いのは理解出来た。しかもかなりの角度が高いものだという事も。それならば、出来を褒めれば良いだけなのに。

(私の仕事は内勤営業。外回りの営業を支え、スムーズに外部交渉が出来る様にバックアップをする。そして彼らが行うプレゼンを確実に通す為、資料を作る。与えられた仕事を役割を、こなしただけなのに。それなのに何故怒りをぶつけられるの?)

「そういえば少し前に、確か市原からも直原をプレゼンに参加させてはどうか? という話があったな」
「……」
 そういえば、そんな話があったと、思い出した。今週月曜日のチームミーティングの時、市原くんもその話を蒸し返していた。

 市原くんが池谷課長にどんな様子で話をしたのかは分からない。確か池谷課長は『直原は出席しなくて良い。三人分の資料を作るのは大変だろうから』と言ったとか。

 私自身もそう理解していた。でも、市原くんはあまり納得していなかった。

(市原くんが納得していなかったのは、私に出席して欲しいと提案したのが市原くんだったからなのね。だけど池谷課長は反対したと)

 まだ一言も発しない私の顔をじっと見つめる池谷課長。

 鋭い視線。私の憧れる瞳。その黒い瞳には、心の中に炎が滾っている様が見て取れた。それは──池谷課長の怒りだ。

(怒りの理由は、池谷課長が思う事と反する事を部下がしようとしているから。プレゼン会議に自ら出て提案したいと言い出したと思っているから──そうなのね)

「あの時は市原だけがそう考えているのかと思ったが──直原自身、そうして欲しいと思っていて市原に頼んだのか」
「頼んでいません」
「……」
 私が即座に答えると、つらつらと話していた池谷課長が突然口を閉じた。

 私は池谷課長の様子を見て、小さく溜め息をついた。それから改めて姿勢を正した。真っ直ぐ見つめる瞳を見つめ返す。

(ひとまず池谷課長の誤解を解かなくては)

 余計な事は言わず、感情を乗せない様に。そして冷静に──私は口角を上げて池谷課長に微笑む。

「プレゼン会議へ出席させてもらえる様、私が市原くんに頼んだ事はありません。私がこの企画資料を作ったのは、佐藤くんの企画について改めて方向性を確認したいからです。佐藤くんと代わりたいと思った事はありません」

 数秒間私の顔を見つめた池谷課長はホッと溜め息をついて、資料に視線を落とした。

「……そうか。それならいい」
 短く答え池谷課長はゆっくりと椅子の背もたれに身を預けた。鋭かった怒りが奥で見える視線が落ち着いていた。

(誤解は解けたみたいね。でも、池谷課長の考えは──)
 私は心の中で胸をなで下ろすが、池谷課長の考え方を垣間見て沈み込む。

 早くこの部屋を出たい。そう思い、部屋の壁にかけられている時計を見つめた。気がつけば後十分でお昼休みだ。

「昼休みだな。もう戻っていい」
 池谷課長が私の視線を追いかけてぽつりと呟いた。

 私は口角を上げて笑ったまま、小さく肩を上げて資料に視線を落とした。私が返却をお願いする前に先にその資料を池谷課長の手に取られてしまった。

「資料は少し借りていて良いか。まだ修正するだろうが、俺も改めてもう一度目を通しておきたい」
「分かりました」
「後、佐藤にはきちんと指導しておく」
「はい」
「直原の企画資料は今までで一番良い出来だ。先に言った様に、この資料なら直ぐに企画が通るだろう……それだけに、残念な事だ」
「はい……分かりました。ありがとうございます」

 残念な事──それは私の企画資料が日の目を見る事はないという事だろう。何故ならば佐藤くんの企画内容とは違いすぎるから。佐藤くんと相談したとしても、丸々私の考えた企画内容に替わる事はないと池谷課長は予測しているのだろう。

 佐藤くんの態度について指導してもらえるのは助かるし、企画を褒めてもらえるのは嬉しい。でも──

(そこで池谷課長は、佐藤くんの企画を改めて再考する様に指示をする事はないのね)

 それは、佐藤くんの企画内容が荒削りでも彼の意見を通してあげたいと思っているからだ。そして、私の考えた企画は実を結ばない……どんなに池谷課長に褒められても、結局は評価には繋がらない。

 私は胸にある重たい何かを飲み込んだ気分になった。池谷課長と話をするのは好きだけど、この時ばかりはそう思えなかった。

「それでは失礼しま……あっ!」

 そう言いながら椅子から立ち上がろうとした時、私は池谷課長の机の上にあったペン立てを倒してしまった。
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