【R18】普通じゃないぜ!

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65 火曜日 朝 2/2

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(怒っては駄目よ。冷静に指摘をしないと)

 感情的になるのは一番駄目だ。冷静に何が良くないのかはっきり伝えなくては。そうしないといつまでもこの態度で仕事が進まない。叱るのではなく指導だ。

 だけど私の言葉は十分な怒気が含まれていた様で、佐藤くんは舌打ちをした後ピクリと眉を動かした。それからフッと笑うと口の端を意地悪く上げてトントンと指で資料を叩いた。

「直原さんに頼んだ分析資料は一種類です。俺は二種類も頼んだ覚えはないッスよ?」
 私が提案した二番目の資料をチラリと横目で見つめた。
「そうね。二つ目は私が勝手に考えた企画と分析資料よ」
「俺がお願いした分析資料より出来がいいッスよね……つーのは、どういう事ですか?」
「佐藤くんの今の提案では、ツッコミだらけで到底プレゼンが成功すると思えない。だから二番目の……私が考えている方向性で作ったの。それはクライアントの経営方針に沿った企画を比較検討して──」
 そう言って私は投げ飛ばされた資料をたぐり寄せ、比較したいページを開こうとした。

 しかし、佐藤くんがその資料をたぐり寄せる事を拒む。バン! とテーブルを叩いて資料を両手で押さえつける。
「そんな資料を作る依頼はしてないですよね──俺」
「ええ。そうだと理解しているわよ」

(だからこそ、佐藤くんがどうしてこの企画を新規ユーザー、有料定額サービス一本で進めたいのかを知りたいのよ。企画を経営陣や上層部に理解して貰う為には説得出来る分析資料が足りない。その為の比較検討資料であって)
 そんな趣旨を説明しようと私は口を開こうとしたのだが、佐藤くんは前のめりになって私の顔をぎっと睨みつける。

「全然理解してないですよ! どうしてこんな資料を俺の前に出すんですか! もしかして……俺の企画を邪魔するつもりですか。こんな……こんな、直原さんの完璧な資料を見せられたら、直原さんの企画が通るの分かってるでしょ!」
「え」
 完全に誤解だ。そんな事は全く考えてはいない。私は睨みつけられる佐藤くんを目の前にしてゴクンと唾を飲み込んだ。

(まるで金曜日の池谷課長の反応と同じね)
 反応がほぼ同じなので、私は驚きもあったが焦る事はなかった。私は池谷課長の前で言った事を再び反芻する事になった。

「佐藤くんの企画について、改めて方向性を確認したいから作ったのよ……佐藤くんの企画には、まだ分析する範囲……つまり足りないの。佐藤くんの企画は分析すればするほど、結果否定的になってしまうの。だから、何故そんな企画をしたいと思うのかって」
 私は正直に自分の分析資料を広げて説明をする。

 佐藤くんの企画では、どんな分析をしても手詰まりなのだ。佐藤くんの企画を通す為、裏付ける分析資料は到底出来ない。分析すればする程、現実的ではない事が裏付けられてしまう。

 私がその説明をした途端、佐藤くんは前髪を握りしめ、わざとらしい溜め息をついてみせる。
「はぁ~ホント、直原さんって分かってねぇし」
「……分からないから知りたいって言ってるのよ」
 佐藤くんがイラついているのは分かるが、私もイライラが募ってきた。まともに話を聞く態度ではない佐藤くんに『お前こそ何なのだ?』と、問い詰めたくなる。

 無言が数秒続いた後、佐藤くんは「ああ、そういう事かぁ」と鼻で笑った。

 それから、テーブルに身を乗り出し、私のおでこに自分の前髪がつくほど近づいた。小馬鹿にした様な視線が私の目の前にあった。
「池谷課長が『直原はすごく優秀だから心配ない』ってずっと言ってたのにですよね。肩透かしですよ」
「え?」
「だって俺の頼んだ資料ですら、まとめられないんだから」
 その一言に、私は自分のメーターが振り切るのが分かった。

 自らゴチン! と佐藤くんとおでこをすりあわせ睨み合う。

 しかし佐藤くんはその想定が出来ていたのか私とおでこを付き合わせて睨み合う。まるで喧嘩をふっかける前の不良の様だ。

「お、おい!」
 市原くんが慌てて止めに入ろうとしたが私は強く言い放つ。

「裏付けの資料が作れないのは、企画のせいよ」
 下から佐藤くんを睨み上げ、低い声で言い放つ。こんな睨み合いで負けて溜まるかと、そう思っていた。佐藤くんは心底小馬鹿にした様に口の端を上げて笑った。

「あんたは俺の企画を通す為に、それに見合った資料を合わせて作ったらいいんだよ……それすらも出来ないなんて、マジで使えねぇ」
 私の名前は呼び捨てどころか「あんた」呼びに変わっていた。
「何ですって?!」
「それどころか、あんたの作った企画資料を突き付けられて。何様ですか? って聞きたいですよ」
「佐藤くんの企画は、分析しても何も出ないって言ってるのよ」
「だからあんたの資料を使えって事かよ!」
「だから! 二番目の資料は比べるだけの資料であって、差し替えろなんて考えてな──」
「正論の資料なんて作ってる暇があったら、俺の企画に見合った分析資料を作れよな。ねつ造しろなんて言ってねぇってのに! 見せ方一つで変わるでしょ?! ホント、マジで使えねぇ」

 ──ホント、マジで使えねぇ──

 その言葉は──私の努力してきた数年間を否定されたもので、一番言われたくなかった言葉なのだと自分で知る事になる。

 その言葉を聞いて、私は何も考えられなくなった。

 悔しさと腹立たしさが振り切れると何も浮かばない。息ですらしているのか皆目見当もつかない。言葉が続かず座っているだけが精一杯になってしまった。この時、どんな顔をしていただろう。それでも意地があるから涙は見せない。私と佐藤くんのやりとりは冷え込む一方で、市原くんを始めメンバー皆は突然始まった口論に固唾を呑むしかなかった。

 佐藤くんは突然何も言い返さなくなった私に、溜め息をついて追い打ちを立てた。

 佐藤くんは私がどんな顔をしているか──なんて、見てなかったのだろう。

「つーか、直原さんって。池谷課長の事、憧れてるからかも知れませんけど、こんな資料作って気を引こうって……ハハッ、魂胆が見え見えッスよ。大体その池谷課長は、そこにいる百瀬と付き合って」
「ちょ、ちょっと、佐藤! 何を言い出すのよ、関係ないし。そ、それに……直原さんは早坂さんと付き合ってるんだし」
 突然の話に、百瀬さんが佐藤くんの言葉を遮り慌て出す。

 どうやら池谷課長と百瀬さんが付き合っている事は知っている人は知っている話らしい。更に私が池谷課長に憧れという気持ちを持っている事も知っている口ぶりだ。そして……それを知らないであろう私を馬鹿にした言葉だとも受け取れる。

(今、私……何を言われたの?)
 池谷課長の気を引こうと魂胆が見え見え──そんな事を言われる程、私は池谷課長に対して憧れを抱いている事が丸わかりだったという事なのか。しかも、池谷課長と付き合っている張本人である、百瀬さんから妙なフォローされる始末だ。

 何も言い返せなくて思考停止した私には、とても威力のある言葉だった。恥ずかしさと惨めな気持ちが入り交じる。

「佐藤やめろ。何の話にすり替えているんだ。それに百瀬も静かにするんだ。誰が誰と付き合おうと仕事には関係ないだろ」
 市原くんが静かに声を上げた。怒りに満ちている声で、百瀬さんが慌てて口をつぐむ。

 しかし、佐藤くんは市原くんの制止を聞く事はない。我慢がならなかったのか、更に言葉を続ける。
「本当に関係がないんッスかね? だって百瀬をメンバーに追加したのだって、付き合っている事を利用して、池谷課長の裏がありそうだし」
「そんな事っ!」
 百瀬さんは声を張るが、佐藤くんに被せられてしまう。
「百瀬はマジで『ない』って言えるのかよ? 金曜日はそんな動きなかったのに。突然、月曜日に来たら体制が変わってるんだぜ? おかしいだろ。土日使って何かあったとしか思えない。百瀬のメンバー追加は裏があるって思うだろ。それに……二人して仕事の事をプライベートで話をしてるとしか思えない」
「っ……」
 そこで百瀬さんは黙ってしまった。つまり佐藤くんの言葉を肯定した様なものだ。

 それから佐藤くんは小さく溜め息をついて、テーブルの上に投げた資料をまとめ始めた。私の提案した資料と、中途半端にまとまるしかなかった佐藤くんの資料どちらもだ。

「ほーら。百瀬だって図星じゃねぇか。それを考えたら、直原さんだって早坂さんっていう三男、社長の息子と付き合ってるんだからそういうメリット活かすべき──」
 そこまでさも正しそうに話した佐藤くんは私の顔を見てから、続きの言葉を飲み込んだ。

 私の顔は能面だった。

 佐藤くんの数々の言葉を受け、怒りや悲しみも振り切ってしまい、表情がなくなってしまった。

 怒っていた方が私らしくて自然だと思う。怒っている表情を見る為に視線を移したはずの佐藤くんも、能面でしかなくなった私を見て恐怖を感じた様だ。

「と、とにかく。もう、いいッスよ。そもそも俺の資料を作れないのは直原さんの能力不足っしょ?」
 佐藤くんは私から視線を逸らし、早口でまくし立てるとガタンと椅子から立ち上がる。
「おい、佐藤まだ話は」
 済んでいないと市原くんが手を伸ばして止めにかかる。しかしその市原くんの手もさらりとかわすと、何も反論しない私の上から佐藤くんはこんな言葉を投げつけた。

「話も何も、俺の企画は直原さんに理解してもらえない様なので。俺が一人でプレゼンの資料を作ります。とりあえず直原さんの作った資料は貰っときますよ」
「待て、佐藤! クソっ……」
 市原くんの声も無視をして、佐藤くんはさっさと会議室を後にしてしまった。

 佐藤くんが去って、市原くん、山本くん、そして百瀬さんの視線が私に集中する。

「直原、気にするな」
「そうですよ、直原さん。佐藤は直原さんに甘えているだけなんですよ!」
「そ、そうですよ。あの、とにかく……ホントに佐藤が悪いんですから!」

 三人がそれぞれ私を心配して言葉をかける。

 私は能面のまま、三人に小さくお礼を告げた。
「ありがとう。でもさ……佐藤くんの言う通りかもね」
 私の言葉に三人はそれ以上、何も言えなくなってしまった。


 ──俺の資料を作れないのは直原さんの能力不足っしょ? ──


 佐藤くんの言いすぎかもしれないけど、当たっている部分もある。

 資料が作れないのは一方的な角度からしか、企画を見なかったからだ。あえて、能力不足が何なのかを指摘するなら、私は知ろうとしなかった事だろうか。

(自分の評価が低い事。佐藤くんの態度。そんな事が重なって、体当たりで企画を理解しようとしなかったのは誰でもない私だ。佐藤くんの企画の意図を考えようとしなかった。否定するばかりで本質を見ようとしなかったのは、私──そうよ。私なのよ)

「……理解しようとしなかったのは私だったのね」

 打ちのめされた私は、ぽつりと呟いた。それから俯いて、机の上を見つめる事しか出来なかった。
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