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第一章 定食屋で育って
コーヒーの味
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私が隣のお店から帰って来ると、店内にはお客さんがいなくなっていた。
「お父さん、ホンジュラスだってー」
「何が?」
「コーヒー」
「ああ、産地の話か」
買って来たコーヒーをキッチンに面したカウンターに置くと、お父さんがキッチンからコーヒーカップを2つ持ってくる。
「利津も飲むだろ? へえ、『コーヒースタンド、ナツ』ねえ」
お父さんはカップのコーヒーを等分してお店の白いコーヒーカップに入れた。
そのうちのひとつを、私の前に差し出す。
りつが飲む、ナツのコーヒー……。
悔しい。店名と名前がちょっと被る。
顔に近付けると、これまで香って来ていたコーヒーの香りに比べて随分と控え目だった。
もっとガツンとしたコーヒーの香りがすると思ったのに、むしろ香りはそんなに強くない。
「いただきます」
フレーバーは、驚くほどスッキリとしている。
「ベリー系の酸味が残っている感じ。中煎りって言ってたけど……これで中煎りってことは、浅煎りだと相当酸味が強いのかなあ」
私が単純な感想を言うと、お父さんは嬉しそうに頷いている。
「さすがだな、利津。コーヒーに詳しくない割に、すぐに感想が出る」
「別に。思ったことを言っただけ」
「へえ、確かにあんまりこの辺では飲めない感じの味だね」
そう言うと、一気にコーヒーを飲み干してキッチンに潜ってしまった。
お父さんは昔から私の味覚を「神の舌」だとおだてる。
実際のところは、お父さんが買い付けてくる魚について感想を言っていただけだ。
特別な才能なんて特に無いけど、褒められたらそれなりに嬉しい。
お父さんは、私の味覚に全面的な信頼を寄せてくれているから、定食で煮魚を出す時は私が味見を担当している。
「利津、その格好で行ったのか」
お父さんに言われて初めて気付いた。私、普通の青いエプロンに青い三角巾をして、後ろでひとつに縛ったまま……。
あのお洒落なお店の人と、お洒落なお店に通っている人たちに定食屋丸出しの姿を見られてた……!
「このまま、行って来ちゃった……」
「まあ、この商店街では普通だよ」
「そう、だよね」
不覚だあ……。
この商店街では普通だけど、あの店では浮いていたに違いない。
絶対にあのお洒落アゴ髭男は、「この店に不釣り合いな客が来たな」って思ったに違いない。そこに来て「どれでもいいです」なんて言ってしまった。
うわあ……やらかしたああ……。
もう、あのお店には行けない。行こうとも思ってなかったけど。
隣同士だけど特に交流もないし、考えてみれば開店前の挨拶にも来られていないし……。
このままどちらかのお店が閉まるまで、なんのアクションもなく日々が過ぎて行くんだろう。うん、それでいい。
私は気を取り直して夜の仕込みを始めた。
今日はサバ味噌定食と唐揚げ定食、親子丼の3メニューだ。
サバを三枚におろした後で大きさを揃えて切るのは父の仕事。
鳥肉は唐揚げ用と親子丼用に下処理と下味に浸して。あとは出汁。味噌汁用と親子丼用の出汁をひく。
味噌汁は日によって出汁に使う削り節と具を変えている。
そして、夜の営業が始まった。
いつも通りに学生さんたちが来て、たまにサラリーマンの姿もある。
一日の営業は、今日もいつもと同じように過ぎて行った。そんな、ラストオーダー間際の21時前……。
「まだ、大丈夫ですか?」
そう言って店に駆け込むようにやってきたのは……あのお洒落アゴ髭男だった。
「お父さん、ホンジュラスだってー」
「何が?」
「コーヒー」
「ああ、産地の話か」
買って来たコーヒーをキッチンに面したカウンターに置くと、お父さんがキッチンからコーヒーカップを2つ持ってくる。
「利津も飲むだろ? へえ、『コーヒースタンド、ナツ』ねえ」
お父さんはカップのコーヒーを等分してお店の白いコーヒーカップに入れた。
そのうちのひとつを、私の前に差し出す。
りつが飲む、ナツのコーヒー……。
悔しい。店名と名前がちょっと被る。
顔に近付けると、これまで香って来ていたコーヒーの香りに比べて随分と控え目だった。
もっとガツンとしたコーヒーの香りがすると思ったのに、むしろ香りはそんなに強くない。
「いただきます」
フレーバーは、驚くほどスッキリとしている。
「ベリー系の酸味が残っている感じ。中煎りって言ってたけど……これで中煎りってことは、浅煎りだと相当酸味が強いのかなあ」
私が単純な感想を言うと、お父さんは嬉しそうに頷いている。
「さすがだな、利津。コーヒーに詳しくない割に、すぐに感想が出る」
「別に。思ったことを言っただけ」
「へえ、確かにあんまりこの辺では飲めない感じの味だね」
そう言うと、一気にコーヒーを飲み干してキッチンに潜ってしまった。
お父さんは昔から私の味覚を「神の舌」だとおだてる。
実際のところは、お父さんが買い付けてくる魚について感想を言っていただけだ。
特別な才能なんて特に無いけど、褒められたらそれなりに嬉しい。
お父さんは、私の味覚に全面的な信頼を寄せてくれているから、定食で煮魚を出す時は私が味見を担当している。
「利津、その格好で行ったのか」
お父さんに言われて初めて気付いた。私、普通の青いエプロンに青い三角巾をして、後ろでひとつに縛ったまま……。
あのお洒落なお店の人と、お洒落なお店に通っている人たちに定食屋丸出しの姿を見られてた……!
「このまま、行って来ちゃった……」
「まあ、この商店街では普通だよ」
「そう、だよね」
不覚だあ……。
この商店街では普通だけど、あの店では浮いていたに違いない。
絶対にあのお洒落アゴ髭男は、「この店に不釣り合いな客が来たな」って思ったに違いない。そこに来て「どれでもいいです」なんて言ってしまった。
うわあ……やらかしたああ……。
もう、あのお店には行けない。行こうとも思ってなかったけど。
隣同士だけど特に交流もないし、考えてみれば開店前の挨拶にも来られていないし……。
このままどちらかのお店が閉まるまで、なんのアクションもなく日々が過ぎて行くんだろう。うん、それでいい。
私は気を取り直して夜の仕込みを始めた。
今日はサバ味噌定食と唐揚げ定食、親子丼の3メニューだ。
サバを三枚におろした後で大きさを揃えて切るのは父の仕事。
鳥肉は唐揚げ用と親子丼用に下処理と下味に浸して。あとは出汁。味噌汁用と親子丼用の出汁をひく。
味噌汁は日によって出汁に使う削り節と具を変えている。
そして、夜の営業が始まった。
いつも通りに学生さんたちが来て、たまにサラリーマンの姿もある。
一日の営業は、今日もいつもと同じように過ぎて行った。そんな、ラストオーダー間際の21時前……。
「まだ、大丈夫ですか?」
そう言って店に駆け込むようにやってきたのは……あのお洒落アゴ髭男だった。
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