美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness

碧井夢夏

文字の大きさ
6 / 77
第一章 定食屋で育って

ナツの店内

しおりを挟む
 私は14時を過ぎた頃、隣の店の扉を開けた。
 店内が程よく見えるようになっている、ガラスのはまった木枠の扉。
 開くと、扉の上に付いたカウベルがカラランと鳴る。

「はい、いらっしゃいませーー」

 店内は明るい色の木でできた什器と、コンクリート壁の空間になっていた。お客さんは2人だけ座っていて、全部で6席しかない。

「こんにちは」
「あっ、お隣さん」

 私は、何となく2人掛けのテーブル席をやめて2席しかないカウンター席に着いた。席から、アゴ髭男の仕事が見える。
 洗い物をし終えたのか、カップを布巾で拭いていた。

「メニューはこちらになります。分からなかったら何でも聞いてください」

 厚紙に印刷されたメニューは、相変わらずお洒落で隙が無い。
 コーヒー豆の種類と、その豆の酸味と苦味が★の数で示されていた。
 食べ物は何か出しているのかと思って探すと、トーストとガトーショコラだけらしい。

 ガトーショコラか……。今、お昼食べたばっかりだからちょっと無理。

「すいません、この……コスタリカを。淹れ方はお薦めありますか?」
「ああ、このコスタリカは、フレンチプレスもお薦めです。挑戦してみます? ミルクは入れる派ですか?」
「ああ、入れたり入れなかったりですけど……今回はお願いしようかな」

 アゴ髭男は頷いて、メニューを下げた。
 そろそろ、名前を聞いておかなきゃ。

「あの、店長さん」
「はい?」

 うん、店長っていうのは合っているのか。他の従業員が居るわけでもなさそう。

「お名前……聞いてもいいですか?」
「ああ、すいません! お隣さんなのに、自己紹介がまだでしたね!」

 慌てて、名刺を出してきた。私は名刺とか持っていない。

『店長・クリエイティブディレクター 夏木ユウタロウ』

「なんですか、この、クリエイティブディレクターって」
「ああ、本当は入れたくなかったんですけど……まだ前の仕事から完全に足を洗えてなくてですね。時々この名刺で挨拶しなきゃいけないことがあるので、消せないだけというか」

 よく分からないけど、前にやっていた仕事がクリエイティブディレクターってことなのかな。

「コーヒースタンドナツの『ナツ』っていうのは夏木さんのナツですか?」
「ええ、前職では僕のことをみんなナツさんって言っていたので……」
「ユウタロウさんだと長いからでしょうね」
「でしょうね」

 ナツさんはそう言ってまたコーヒーの準備に入った。
 真鍮製らしきの深さのあるスプーンでコーヒー豆をすくい、おそらくコーヒーミルであろうお洒落な機械にかけている。

 ウィーン……ザリ、ザリザリ……

 ああ、豆って挽く時にも香りが立つんだ。ふんわりと優しく香るコーヒーの香りで心が安らぎそう。
 これは、香りだけでも癒されるかも。

 ナツさんは挽き終わった豆を丁寧に……あれ、それってコーヒーを淹れる時に使う器具なの? 紅茶飲むときにお店で出て来たことがある器具だ。

「あの……それって紅茶用の器具じゃないんですか?」
「ああ、フレンチプレスで紅茶を出すお店がありますよね」

 やっぱり同じものなんだあ。というか紅茶用だと思ってたけど、本当はコーヒー用の器具だったんだ、これ。

 紅茶を飲む時は、茶葉が開くまで待って最後に真ん中に通っている棒を上から押すことで、ギューッと紅茶の茶葉が押されてお茶だけを注ぐイメージ。

「これは、フランスでコーヒーを手軽に飲むために作られた器具なんですよ。だからフレンチプレス。コーヒープレスって呼ばれることもあります」
「へえ、フランスで……」

 フランス生まれで、コーヒー用の器具だったなんて。

「ミルクを入れて飲む方に、フレンチプレスを使った抽出はお勧めなんですよ」
「何でですか?」
「ペーパードリップだと、どうしてもコーヒーオイルがペーパーで濾されてしまって残りにくいんですけど、フレンチプレスは金属フィルターを使うのでコーヒーオイルが残りやすいんです」

 ナツさんはフレンチプレスに入れたコーヒー豆に、細いお湯が出るやかんでお湯を注ぐ。豆が空気を含んで、ふわあと膨らんでいた。うん、良い香り。

「コーヒーオイルですか」
「それが、ミルクとの相性が良いんです。コクがあるので」

 器具は上から蓋をした状態で、そのままになっていた。
 待っていると抽出が完了するのだろうか。
 それにしても……料理みたいにコーヒーにもコクを気にする世界があるんだな。

「利津さん、でしたっけ」
「ええと、はい。なんか、ナツさんと似てますよね」
「いや、僕のはあだ名ですから」
「でもユウタロウさんだと呼びづらいんで、私もナツさんて呼びます」
「はは、どうぞ。利津さんは、コクやうまみに詳しいと思うんですけど……」

 お父さん、余計なことを言ったんじゃないでしょうね……。
 そんなに詳しいわけがない。ただの定食屋の娘だ。

「さあ、どうでしょうか……」
「コーヒーは、コク、苦味、酸味で味を表現します」
「へえ……そうなんですね??」
「コクがbody、酸味がacidity、苦味がbitternessです。それぞれの強さを豆ごとに把握して、そこに焙煎と抽出で風味の楽しみ方を変えるんですよ」
「面白い」

 そう聞くと、さっきメニューで見た★の数の意味がようやく分かる。
 酸味が強い豆と苦味が強い豆があるのはイメージが付くから、その特徴を活かした焙煎と抽出がある、と。

 ナツさんは私の分のコーヒーを、そこでぐっとプレスした。
 そして、あらかじめ温めていたコーヒーカップにそのコーヒーを注ぐ。

「コスタリカは酸味が強いものが多いんですが、焙煎で飲みやすい酸味になっています。ミルクと一緒にどうぞ」

 取手が付いているぶ厚い白のマグカップが、茶色いシリコン製のコースターと共に目の前に置かれた。カップには、『The Coffee Stand Natsu』のロゴが入っている。

「なんか、こういうカップまでセンスが良いのは、ナツさんがクリエイティブ……ディレクターっていうのと関係ありますか??」

 私はカップを持ち上げて香りを確認しながら尋ねた。
 コーヒーの香りがふんわりと香る。コーヒーに詳しくない私は、確かに酸味がありそうな香りだな、程度にしかわからないけど。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

紙の上の空

中谷ととこ
ライト文芸
小学六年生の夏、父が突然、兄を連れてきた。 容姿に恵まれて才色兼備、誰もが憧れてしまう女性でありながら、裏表のない竹を割ったような性格の八重嶋碧(31)は、幼い頃からどこにいても注目され、男女問わず人気がある。 欲しいものは何でも手に入りそうな彼女だが、本当に欲しいものは自分のものにはならない。欲しいすら言えない。長い長い片想いは成就する見込みはなく半分腐りかけているのだが、なかなか捨てることができずにいた。 血の繋がりはない、兄の八重嶋公亮(33)は、未婚だがとっくに独立し家を出ている。 公亮の親友で、碧とは幼い頃からの顔見知りでもある、斎木丈太郎(33)は、碧の会社の近くのフレンチ店で料理人をしている。お互いに好き勝手言える気心の知れた仲だが、こちらはこちらで本心は隠したまま碧の動向を見守っていた。

結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~

馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」 入社した会社の社長に 息子と結婚するように言われて 「ま、なぶくん……」 指示された家で出迎えてくれたのは ずっとずっと好きだった初恋相手だった。 ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ ちょっぴり照れ屋な新人保険師 鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno- × 俺様なイケメン副社長 遊佐 学 -Manabu Yusa- ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 「これからよろくね、ちとせ」 ずっと人生を諦めてたちとせにとって これは好きな人と幸せになれる 大大大チャンス到来! 「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」 この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。 「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」 自分の立場しか考えてなくて いつだってそこに愛はないんだと 覚悟して臨んだ結婚生活 「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」 「あいつと仲良くするのはやめろ」 「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」 好きじゃないって言うくせに いつだって、強引で、惑わせてくる。 「かわいい、ちとせ」 溺れる日はすぐそこかもしれない ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 俺様なイケメン副社長と そんな彼がずっとすきなウブな女の子 愛が本物になる日は……

身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】 妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

追放聖女だってお茶したい!─セカンドライフはティーサロン経営を志望中─

石田空
ファンタジー
「ミーナ今までありがとう。聖女の座を降りてもらおう」 貴族の利権関係が原因でいきなり聖女をクビになった庶民出身のミーナ。その上あてがわれた婚約者のルカは甘味嫌いで食の趣味が合わない。 「嫌! 人の横暴に付き合うのはもうこりごり! 私は逃げます!」 かくしてミーナは神殿から脱走し、ティーサロン経営のために奔走しはじめた。 ときどき舞い込んでくるトラブル。 慌ててミーナを探しているルカ。 果たしてミーナは理想のセカンドライフを歩めるのか。 甘いお菓子とお茶。そしてちょっとの恋模様。 *サイトより転載になります。

【完結】言いつけ通り、夫となる人を自力で見つけました!

まりぃべる
恋愛
エーファ=バルヒェットは、父から十七歳になったからお見合い話を持ってこようかと提案された。 人に決められた人とより、自分が見定めた人と結婚したい! そう思ったエーファは考え抜いた結果、引き籠もっていた侯爵領から人の行き交いが多い王都へと出向く事とした。 そして、思わぬ形で友人が出来、様々な人と出会い結婚相手も無事に見つかって新しい生活をしていくエーファのお話。 ☆まりぃべるの世界観です。現実世界とは似ているもの、違うものもあります。 ☆現実世界で似たもしくは同じ人名、地名があるかもしれませんが、全く関係ありません。 ☆現実世界とは似ているようで違う世界です。常識も現実世界と似ているようで違います。それをご理解いただいた上で、楽しんでいただけると幸いです。 ☆この世界でも季節はありますが、現実世界と似ているところと少し違うところもあります。まりぃべるの世界だと思って楽しんでいただけると幸いです。 ☆書き上げています。 その途中間違えて投稿してしまいました…すぐ取り下げたのですがお気に入り入れてくれた方、ありがとうございます。ずいぶんとお待たせいたしました。

Blue Moon 〜小さな夜の奇跡〜

葉月 まい
恋愛
ーー私はあの夜、一生分の恋をしたーー あなたとの思い出さえあれば、この先も生きていける。 見ると幸せになれるという 珍しい月 ブルームーン。 月の光に照らされた、たったひと晩の それは奇跡みたいな恋だった。 ‧₊˚✧ 登場人物 ✩˚。⋆ 藤原 小夜(23歳) …楽器店勤務、夜はバーのピアニスト 来栖 想(26歳) …新進気鋭のシンガーソングライター 想のファンにケガをさせられた小夜は、 責任を感じた想にバーでのピアノ演奏の代役を頼む。 それは数年に一度の、ブルームーンの夜だった。 ひと晩だけの思い出のはずだったが……

第12回ネット小説大賞コミック部門入賞・コミカライズ企画進行「婚約破棄ですか? それなら昨日成立しましたよ、ご存知ありませんでしたか?」完結

まほりろ
恋愛
第12回ネット小説大賞コミック部門入賞・コミカライズ企画進行中。 コミカライズ化がスタートしましたらこちらの作品は非公開にします。 「アリシア・フィルタ貴様との婚約を破棄する!」 イエーガー公爵家の令息レイモンド様が言い放った。レイモンド様の腕には男爵家の令嬢ミランダ様がいた。ミランダ様はピンクのふわふわした髪に赤い大きな瞳、小柄な体躯で庇護欲をそそる美少女。 対する私は銀色の髪に紫の瞳、表情が表に出にくく能面姫と呼ばれています。 レイモンド様がミランダ様に惹かれても仕方ありませんね……ですが。 「貴様は俺が心優しく美しいミランダに好意を抱いたことに嫉妬し、ミランダの教科書を破いたり、階段から突き落とすなどの狼藉を……」 「あの、ちょっとよろしいですか?」 「なんだ!」 レイモンド様が眉間にしわを寄せ私を睨む。 「婚約破棄ですか? 婚約破棄なら昨日成立しましたが、ご存知ありませんでしたか?」 私の言葉にレイモンド様とミランダ様は顔を見合わせ絶句した。 全31話、約43,000文字、完結済み。 他サイトにもアップしています。 小説家になろう、日間ランキング異世界恋愛2位!総合2位! pixivウィークリーランキング2位に入った作品です。 アルファポリス、恋愛2位、総合2位、HOTランキング2位に入った作品です。 2021/10/23アルファポリス完結ランキング4位に入ってました。ありがとうございます。 「Copyright(C)2021-九十九沢まほろ」

王弟が愛した娘 —音に響く運命—

Aster22
恋愛
弟を探す旅の途中、身分を隠して村で薬師として生きていたセラは、 ハープの音に宿る才を、名も知らぬ貴族の青年――王弟レオに見初められる。 互いの立場を知らぬまま距離を縮めていく二人。 だが、ある事件をきっかけに、セラは彼の屋敷で侍女として働くことになり、 知らず知らずのうちに国を巻き込む陰謀へと引き寄せられていく。 人の生まれは変えられない。 それでも、何を望み、何を選ぶのかは、自分で決められる。 セラが守ろうとするものは、弟か、才か、それとも―― キャラ設定・世界観などはこちら       ↓ https://kakuyomu.jp/my/news/822139840619212578

処理中です...