美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness

碧井夢夏

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第一章 定食屋で育って

acidity

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 私がテーブルに置いた名刺を読み上げながら尋ねると、ナツさんはちょっと戸惑った様子を見せた後で「そうですね」と頷いた。

「もともと、どういうデザインで表現すると良いのか、というのを総合的に作り上げたり監督するのがクリエイティブディレクターっていう職なので、お店を作る時には全てのクリエイティブを僕が見たんですけど」
「さすが、お洒落なわけだ」
「いや、お洒落にこだわったわけでもないんですけどねえ」

 ナツさんは苦笑いしていた。私は目の前のコーヒーを、まずはブラックで一口飲んでみる。

「わわ。酸味がフルーティ。コクや甘みは、後から来ますね」
「さすが」

 何がさすがなのかは分からないけど、私は目の前に置かれた小さな容器に入ったミルクを注ぐ。
 また、ひと口飲んでみた。

「すごい。甘みが際立った……」
「そうなんですよ。この豆はフレンチプレスで抽出するとコーヒーオイルの甘みとコクが出るので、ミルクとの相乗効果が良いですよね。ミルクを入れるのは一般的に苦味のあるコーヒーって言われますけど……こういう相性も楽しいでしょう?」

 私は興奮気味に頷く。コーヒーの酸味って苦手かと思っていたけど、こうやって飲んでみると、むしろこの酸味が美味しいと思える。

「コーヒーの酸味って、悪い物だと認識されているところがあるんですよ」
「分かります。私も酸味の強いコーヒーっていい印象がなかったというか」
「豆の酸化と一緒くたにされているからでしょうね」

 そこで、店内のお客さんがひとり帰って行った。
 ナツさんはレジで会計をして、そのお客さんに丁寧にお礼を言って見送っている。

 なんか、柔らかい人なんだな。クリエイティブディレクターっていうのがどんな職業なのかはイマイチ分からなかったけど、ナツさんの雰囲気はすごく柔らかいなと思う。

 これまで、飲食店で接客でもしてきたのかなと思うくらい自然な接客だ。
 
 ナツさんはお客さんが遠くまで行ってしまったのを見届けてから、またキッチンに戻って来る。

「今日、取材対応してませんでした?」
「うわ、見られてた」

 気まずそうにナツさんは笑う。テーブル用の布巾を洗って絞ると、お客さんが帰った席を片付けてテーブルを拭いていた。

「どこの取材ですか?」
「雑誌ですよ、『女子マガジン』っていう」
「さすがー」

 女子雑誌映えしそうだもんなあ、と私は店内をぐるりと見た。
 コンクリート壁だけど、店内は程よく温かみがあって……何故か苔玉みたいな観葉植物だったり、コーヒーの麻袋を巻いた鉢に入れられたパキラが置いてあったりする。

 店舗の什器は古木っぽい木を使ったヴィンテージ風のテーブルと椅子。
 無骨な感じはしなくて、使い古された温かみがする。
 センスが、いいんだなあ……。

「雑誌に取り上げられたら混雑しちゃいますかねえ」

 私はコーヒーをひと口飲むと、洗い物中のナツさんに尋ねる。

「いや、雑誌効果ってそんなに人が動くものでもないんですよ。でも、掲載誌を店内に置いておけば宣伝になりますからね」

 ナツさんはそう言って笑っていた。そっかあ、取材を受けても人が来るってわけではないのか……。
 よく、テレビが入ったお店はその後が大変って聞くけどなあ。

「やっぱり、テレビとかだと違うんですかね?」
「ああ、テレビ取材は……扱われ方にもよりますね」

 扱われ方、確かに。単にコメディ番組で使われるのと、情報番組で扱われるのでは違いそうだ。

「なんで、クリエイティブディレクターさんがコーヒーショップの店長さんなんですか? まだ若そうですけど……」

 ちょっと突っ込んだことを聞きすぎたかな、とナツさんの表情を確認した。
 いつも通りの感じで、カップを拭き始めている。

「僕の周りのサラリーマンって、誰でも『脱サラでもしてのんびり喫茶店でもやりたいなー』なんて言ってるもんなんですよ。もともとお店をやっているとか不動産を持っているとかじゃなければ、なかなかできることじゃないんですけど」

 ナツさんはニコニコと笑っている。まるで、他の人が行動しない夢を叶えているんですよ、とでも言ってるみたいに。

「日常を手放すのは、やっぱり色々あるじゃないですか」

 私が言うと、ナツさんはシンクを綺麗にしながら頷いている。

「家族がいたりすると、簡単に仕事を変えられないとか……」
「そうでしょうね、家族がいないのは僕の強みなんだろうな」

 ナツさんが下を見て片づけをしながら笑っている。家族はいないのか。
 まあ、そこまで年が行ってそうでもないから普通なのかな……。

 そこで、お店のカウベルが鳴った。

「いらっしゃいませー……」

 お店に入って来た20代後半位の綺麗な女性の姿を見て、ナツさんが息を吞む。

「ナツ……」

 その女性はいかにも都会で仕事をしていそうな、タイトなスカートを履いて紺のジャケットを羽織った人。肩下までの明るい髪色は毛先から15㎝くらいをランダムなカールに巻いていて、銀色のストーンが付いたピンク色のフレンチネイルをしている。食関係の仕事ではないんだな。

 いかにも、オフィスで働いていそうな女の人だ。
 鼻筋が通っていて、顎から首のラインが流れるような線を描く。こういう人を美人っていうのか、なんて一瞬で思った。

「ちょっと、話せない?」
「……コーヒーを飲みに来たんじゃないなら、営業時間外にしてくれるかな」

 話し方の感じからして、ナツさんにとって親しい人の様だ。
 込み入った話をしちゃうような、ちょっと特別な関係がありそうな……。

「わざわざ立ち寄って、そういう感じなの?」
「ここはお店だよ」

 ナツさんが刺々しいのは何でなのだろうか。
 女の人は、私と店内でもう一人だけいたお客さん、席に着いている40代くらいの男性を目に入れて頷いた。

「分かった、また、連絡する」

 女の人はそう言って、颯爽とお店を出て行ってしまった。コツコツとハイヒールが地面を鳴らす。
 私はその綺麗な後ろ姿に見惚れながら、同じ女性でもあんな人がいるんだなあと余韻に浸ってしまう。

「ごめんなさい、なんか雰囲気悪くしちゃって……」

 ナツさんは気まずそうに私に謝った。

 何となく気まずい雰囲気が店内に漂っている。
 どんな関係なんですか? って聞きたい気もしたけれど、店内にいる他のお客さんにも聞かれてしまうし、まだ知り合って間もないナツさんにそんなことを聞ける度胸もない。

 私は、「そろそろ仕込みに戻らなきゃ」と席を立って支払いを済ませ店を出た。ナツさんは、「なんか最後変な感じになっちゃってすいません」と謝って来たけど、私には特に関係ない。


 お店に帰って父に「どうだった、隣は?」と聞かれたので、お洒落だねと言った後にコーヒーは意外に面白いかもしれない、とだけ伝えた。

 すぐにキッチンに入り、髪を結わってエプロンと三角巾を装着する。
 手を洗って夜用の野菜を洗い始めた。

「そういえば、取材は雑誌だって。『女子マガジン』っていう、20代の女性向けの情報誌」
「へえ」

 出汁の準備は父が終わらせてくれていたので、あとは魚と肉の下準備だ。
 今日はカレイの煮つけと豚の生姜焼きの日。
 毎週水曜日は生姜焼きの日で、この日を狙ってやってくる学生さんもいる。
 生姜焼きって、人気なんだなあといつも思う。

「そういえば、あの店長さん……ナツさん、クリエイティブディレクターっていう仕事だったらしいよ」
「ふうん、えらい横文字だなあ」

 私と父の人生では、決して使ったことのない単語。
 一体どんな仕事をしているのかもよく分からない。なんとなくお洒落な仕事なのかなあと思うくらいだ。

 仕込みを終えると、開店まであと10分ほどだった。
 私は暖簾を外にかける前に、持っている携帯電話でナツさんの名前を調べる。

 『クリエイティブディレクター 夏木 ユウタロウ』

 インターネットで検索をかけると、出てこないと思ったのにあのナツさんの写真入りのインタビューらしき記事が何万件もヒットしている。

「えっ……??」

 ナツさんに髭が生えていなくて、やたら若く見えていることは置いておくとして。
 インタビュー記事には賞を取ったからどうだとか、若いこれからの人に向けてひとこと、とか、この映像でこだわったところは、などのコメントが書かれている。

 所属会社名が書いてあったので、それを調べてみた。
 いわゆる、制作会社というところらしい。何だろう、制作会社って……。

 その会社のホームページには、ナツさんの写真とインタビューが載っていた。もうコーヒーショップの店長だというのに、未だにその会社で働いているかのような扱いだ。

 どういうことだろう、確かに名刺にもクリエイティブディレクターって肩書きがあったけど……。

 そんなことを考えていたら、あっという間に10分が経っていた。
 私が慌てて暖簾を出すと、お店の外にいつもの学生さんがいる。

「お待たせしました、どうぞ」

 私が声をかけると、学生さんは勝手知ったるという様子でお店に入って来て「生姜焼き下さい」と早速オーダーをくれた。

「はーい」

 いつもの夜の営業が始まる。
 隣はまだ営業しているらしく、店からの明かりが漏れていた。
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