美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness

碧井夢夏

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第一章 定食屋で育って

ブレンドコーヒー 2

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 次の日。
 私はいつも通り午後の時間にナツさんの店を訪れた。

「こんにちはー」

 私がお店に入りカウベルの音がカランと鳴った途端、ナツさんがカウンターから顔を出す。

「利津さん! お待ちしておりました!」
「大袈裟ー……」

 本当に期待しすぎだ、この男。私は定食屋だって言っているのに。
 店内には4人ほどお客さんがいて、でもカウンター席は空いている。
 私はすぐにいつものカウンター席に着き、期待に満ち満ちたナツさんの顔をジロリと見る。

「まず、今日は2種類用意しました。ベースはどちらもモカです」
「確かに、モカってコーヒーをよく見ます、市販品見ていると」
「そうなんです、モカは、やっぱり香りが良いので。ちなみにこちらはエチオピア産のモカです」
「カフェモカってチョコが入ってたりしますけどコーヒーのモカって違いますよね?」
「ああ、もともとモカっていうのはイエメンの港の名前で。そこから輸出されている豆の総称ですね。カフェモカはエスプレッソにチョコレートシロップを入れるドリンクのことですから、全くの別物です」

 私が初めて知った知識に感心していると、ナツさんは同時に2杯のコーヒーをドリップし始めた。

 両方を飲み比べろ、ということなのだろう。なんだかナツさんはウキウキしている様子だ。
 うう、プレッシャーを感じる。

「じゃあ、こちらと、こちら。両方のご意見をいただければ。利津さんから向かって右が①で左が②です」
「はい……」

 店内は静かで、他のお客さんにも私たちのやり取りは聞こえている。
 カウンター席で、後ろからの視線を痛いほど感じるんですけども……。

「じゃあ、まず①をいただきますね。……なるほど」

 うーん、これは、なんというか……。

「どうでしょう?」
「とりあえず意見は比較して伝えようと思います。では、②を……」

 こっちは、こういう感じか、なるほど……。これ、思った以上に言葉にして伝えるのが難しいな……。ええと、コーヒーを表現するのは酸味と苦味とコク、ね。

「①の方は、酸味が目立ちます。好きな人には美味しいのでしょうけど、酸味が苦手な方も多いという点から、ブレンドコーヒーとしてこれをメインに出すのがこれで良いのかは難しいかなという印象です。コクも少し弱いですね」
「……没ですね」

 しまった、自信作だったのだろうか。ナツさんの顔が翳っている。
 だって、ここで嘘を言っても仕方がないじゃないか。

「②ですが、こちらはコクはバランスが良いと思います。ただ、焙煎なのかもしれませんが苦味が強いですね、人によっては雑味として捕らえる方もいるかもしれません、なんとなく舌触りに違和感を感じます」
「……最低じゃないですか」

 飲んでみて分かった。ブレンドコーヒー作るのってすごく難しいんだ。
 ただ豆を混ぜただけで、こんなに複雑になるなんて……。

「すいません、なんか落ち込ませて」
「いや、物凄く参考になります。①の配合と焙煎だと酸味が強くコクが弱いけど、②の配合と焙煎だとコクは良くても苦味が強い、と」
「……そんな感じです」

 私は返事をしながら①のコーヒーをごくりと飲む。これはこれで美味しいと思う。一般ウケはしないかもしれないけれど、私はここ最近でコーヒーの酸味に慣れたことだし気にならない。

「利津さんのお陰で分かりました。①は苦味を足す豆の配合を増やしてチャレンジした①-2を、②は焙煎を浅くした②ー2を明日お出しすればいいわけです」
「まあ、その方が改善するでしょうね」
「いやあ、コーヒーのブレンダーさんってこの作業の繰り返しで黄金の味を発見するんでしょうねえ」

 晴れ晴れした顔をしているナツさん。私、大したことしていないんだけどなあ……。

「いや、利津さんは僕の救世主ですね。何かお礼しないとなあ……」
「お礼……」
「何か、考えておいてください。欲しいものとか」
「いえ……いや……はい……」

 ナツさんが大喜びでそんなことを言っている。ブレンドコーヒーが完成するまで、こんなことの繰り返しなんだと思うけど……。ナツさんがここまで言うなら最後まで協力してあげた方が良さそう。

 そして、何かお礼をしてくれるって言うんだから、そっちも考えておこうかな。ほんとに、何でもいいんだろうか。

 *

 夜の仕込みをしていたら、父が私の様子をじろじろと見て来た。
 いつもと何かが違う。明らかに、私を観察している。

「なに? お父さん、言いたい事があるなら言って」
「利津、最近隣のお店のメニュー開発に協力してるってホントか?」
「ああ、うん。誰から聞いたの?」
「いやまあ、お客さんから……」

 全く、この町は客までがお節介だ。私が隣の店にいて何をしていようが、父にわざわざ言うようなことなのだろうか。

「いやその、楽しいか?」
「まあ、うん、そうだね。ナツさんは自分でブレンドコーヒーを作るのに迷いがあるらしくて、私は試飲して感想を言ってるだけなんだけど……役に立っているみたい」

 私が仕込みのために手を動かしながら言うと、父は満足そうに目を細めていた。また、例のやつだろう。

「利津……料理の道で、重宝されているスキルは何だと思う?」
「才能」
「その才能の中身だよ」

「うーん……手先が器用で要領が良くて繊細で……」
「味覚が敏感で、味に対する記憶力が正確なことだよ」

 父はそう言って、その日に使う鯵を捌いている。出刃包丁が流れるように動いて、まるでこの魚に骨などなかったように身が切れていく。芸術的な手さばきだ。私ではこうはいかない。

「まさか、私がそうだって言いたいの? その、味覚に敏感で記憶力が正確ってやつ」
「間違いないだろうな」

 父は恐らく親バカなんだろう。父ひとり子ひとりで長年一緒にいると娘の過大評価が進むらしい。

「お父さんはさ、才能ないの?」
「昔はそれでも、あると思ってやってたんだよ。でもなぁ、利津を見てると上には上がいるんだなぁ。味覚は鍛えられるけど、記憶力は鍛えられないもんだ」
「なにそれ」

 このお店の味付けを私がやるようになってもうすぐ2年。それまで父が店の味付けをしていた時は、日によって少しずつ味が違っていた。

 調味料の配合を変えていなくても、季節や仕入れで材料の水分量やアミノ酸量、脂肪酸量などは違うらしい。
 多分そういう微量な違いが調味料のバランスを微妙に崩していたから、私は毎日味見でそれを一定にしている。

 料理がうまいのと、毎回同じ料理を作れるというのは根本的にスキルが違う。料理人に必要なのは後者で、父は生粋の料理人だ。

 私は父が腕を振るえなくなったら、この店を継ぐことはできない。
 一定のクオリティでひたすら同じ料理を作るスキルがない私には、店を維持することなど不可能だからだ。

「お父さんの言うようなスキルが私にあったとしてもさ、お父さんみたいな料理人がそばにいなきゃ何もできないよ」

 味見だけで料理ができるなら、そんな楽なことはない。世界中の料理人たちは、味見だって料理だってできるから味覚のスキルが重宝されるのだから。
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